ばーばのケベック日記

ケベック在住、ばーばの気まぐれ日記、日常に関する雑文が主です。

LANG LANG

2012年10月07日 | 音楽

こちらの日本人の間でも中国について話題がのぼることがあり、以前から読みたいと思っていた、タローさんよりはるかに名声を馳せる世界トップのピアニスト、中国人ランランの自伝を買った。彼のCDが3枚あり聴きながら読み始めた。が、あまりの面白さというか、26歳ですでに半世紀も生きたかのようなドラマチックな人生に一気呵成に読み終えた。ピアニストの目をとおして中国社会を垣間見れたのも、政治に疎い私には中国という国に目をむけるきっかけになった。

一番の感想は、ランランコンサートの切符が1万3千円でも安く感じられたこと。今春モントリオールでコンサートがあり、生演奏を聴きたいと思い予約しようとしたが即完売で手に入らなかった。それだけのものがあるだろうと思った。ランランは、中国が誇る国民的英雄としてニューリッチな生活を送っている。が、いくら贅沢三昧してもまったく嫌味に感じられない。それに値するとさえ思う。ランラン、ご両親に親孝行できて良かったねと。

息子を天才と信じ、職を投げ打ってまで息子のピアノにかけた父親と、無収入の父親と息子の生活を支えるために仕送りを続けた母親。ピアノの才能以外、お金もコネも家柄もなく、ランランを蹴落とそうと次から次と襲い掛かる嫉妬や意地悪、屈辱を舐めながら徐々に頭角を現してゆく。

読後として、天才っているんだ。彼がピアノを選んだのでなくピアノが彼を選んだという気がする。ピアノは、彼にとって辛い練習ではなく、いくら遊んでも飽きることの無い大好きなおもちゃのようなもの。だからピアノは彼の魂と身体そのもの。

初めて彼のショパンを聴いたとき、これはショパンじゃないと思ったが、自伝を読んで一種の違和感がどこから来るかわかった。恋の苦しみも、病の苦しみもしらないランランにどうしてショパンがわかろうか。それは彼自身の問いでもあった。自問する息子に父親がこう言った。離れて暮らしている大好きな優しい母のことを思って弾きなさいと。新しい解釈、新しい感覚、大陸的なスケールの大きい世界に触れる思いはここからきたんだ。ランランの音楽は、アジア人がヨーロッパ人になろうとするのではなく、斜陽化するヨーロッパのクラシック音楽界にアジアの血を注ぎ再生させたような感がする。

その派手な生活スタイルや演奏ゆえ批判はつきものだが、「新しいとはなにか?」これからの演奏が彼への評価を確かめてゆくと思う。

さて、中国という国についてだが、私が自伝から読む限りでは、共産主義社会というよりはアンシャンレジーム、封建主義社会という印象を持った。皇帝や大地主がつい100年前まで支配していた国だ。たかだか一世紀にも満たない革命で国民の意識がひっくり返るとは思わない。とくに北京コンセルヴァトワールの嫌らしさは、貴族階級がそこらへんの民衆が入り込むのを毛嫌いするエリート意識となんらかわらない。

日本との関係だが、ドイツのピアノ世界コンクールで出会った日本人ピアニストに魂の音楽を教わった一生忘れないと感謝の言葉をささげている。また、ランランへの意地悪な態度を改めさせたのは仙台で行われた国際ピアノコンクールでのグランプリだった。

自伝に、音楽は政治的テンションを和らげると書いてある。

最後にスーパーテクニシャンのランランの演奏をYOU TUBEでみつけた。日本ではフジコ へミング演奏でよく知られるリストのラ カンパネラです。

http://www.youtube.com/watch?v=_6NEmyjLqA4&feature=fvwrel


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