ばーばのケベック日記

ケベック在住、ばーばの気まぐれ日記、日常に関する雑文が主です。

高瀬舟

2013年04月29日 | 読書

本棚の整理しながら、無造作に手にとってぱらぱら読み。忘れっぽいから、どの本も再読なのに初めて読むよう。

森鴎外の「高瀬舟」は物語を現代に置き換えても遜色なくしみじみとした気持ちになりました。弟を安楽死させ島流しが決まった罪人喜助と、船頭役の同心庄兵衛が大阪に着くまでのつかのまの交流を描いたもの。私も船に乗り合わせたような気持ちになり、庄兵衛と同じく喜助に心打たれました。ほんの15ページほどの短編ですが、このような作品をいつまでも読み継がれる古典というのでしょうか。

さて、雅子様、オランダでのひさびさの笑顔、私まで嬉しくなりました。日本の義弟が鬱病で、ようよう抜け出すに10年ほどかかったので、雅子様の表情と義弟の表情がだぶるんですね。どこか破壊されたような顔というか、義弟いわく出口のない闇のなかに生きてるようだったとか。義弟は40才まで、ばりばりの商社マン。鬱病になって、出世はストップ、病院代で家計は火の車。でも昔から、鬱病になっても私も家族も義弟のこと大好き。一番つらいのは義弟だってわかるから。だれが好きこのんで怠けるもんですか。

ケベックで、政府広報で鬱病の人を責めないようにという宣伝がありました。雅子様、ストレス社会の日本でうっぷうんばらしに血祭りにあげられてるような気がします。夫に雅子妃へのエスカレートする攻撃ぶりを話すと、それこそ皇室の御心でもある仁と徳で知られる日本人からは考えられないといいます。


タローさんのインタヴュー

2013年04月26日 | 音楽

アレクサンドルタローさんのインタヴューをラジオで聞きました。子供時代をすごした街について熱っぽく語りました。近所のゆきつけの靴の修理屋さん、パン屋さん、肉屋さん、車や道路工事の街の音、初めてビールの味を教えてくれた乞食、古い教会、路地裏の探検、、、このような旧い下町の光景が消えてゆき、昔は自由に横切り遊べた個人宅の裏庭が立ち入り禁止ばかりになりさびしいと話していました。世界のあちこちのコンサートホールで演奏するのですが、いわゆる現代建築といわれる最新建築家によるホールは冷たく病院のようで好きじゃないと話していました。小さな、昔から愛され親しまれてきた教会や劇場に、いろいろな人生や人間の息吹を感じ、魅かれ、場所によっては入るなり感無量になることもあるそうです。

ピアノ界では有名人ですが一歩この世界から出ると無名人でそれが幸せだったのに、映画に出演してから街を歩くと注目されるようになり(それも俳優と勘違いされる)嫌だけれど時間とともに収まると思うので早く忘れられて欲しいと話してました。2時間の番組中、初期から最新の録音まで時代をさかのぼって紹介されました。バルバラが好きと良く語っていますが、彼女の歌声とタローさんのピアノが奏でるトーンがよく似ていると思います。バルバラは若い頃一枚だけLPを買い聴いていましたが、なぜか今CDを買おうとまでは思いません。近親相姦の過去があるようで、自分は幸福になるために生まれてないと語っており晩年は刑務所で歌ったりしてました。トラウマというのは深い傷跡を残すとともに音楽に人の心をゆさぶる深さをもたらすんですね。タローさんもトラウマを感じさせるところがあり、自分のピアノが怪我をした人のためのバンドエイドのような役になりたいとかつて話していました。

でもタローさん、まだ44歳なのに何度も「昔は、、、」と繰り返し、思わず「何言ってんの、40代なんて若者よ」と言いたくなりました。以下彼の好きなバルバラ、二人は風貌も似てますね。

http://www.youtube.com/watch?v=jkwaT2mLrtA


ルノワール

2013年04月22日 | 映画、ビデオ

映画「ルノワール」を観ました。お客さんの入りがすくないと一週間と待たずに上映打ち切りになるので即行。9つある上映室の一番小さい室で100人ほどの席。入りは20人ほど。お天気が良くアウトドアのほうが楽しい日だったので館内は年配の方ばかり。映画の入りが多いのは雨の日とか。

最近、時代遅れになってると感じてるので、映画の世界でも新人さんが活躍し始めたんだなと知らない俳優さんたちを観ながら新陳代謝はどこにでもあると当たり前なこと実感。

ルノワールの子孫の方々から事実に反するとの批判がでたそうですが、監督さんはルノワールは家族だけの財産でなく各人のアプローチがあると反論したとか。

映画観ながら、日本映画「細雪」とフランス映画「田舎の日曜日」がだぶりました。凝りに凝った衣装と時代物の家具調度、風のざわめきや草いきれまでが画面からにおいたつようなカメラワーク。それだけでも溜息がでるほどの贅沢な映画でした。動く名画鑑賞の映画で、父ルノワールと、後に映画監督になる息子のジャン、そして彼の未来の妻となるモデルの物語は正直言って感情移入できませんでした。芸術と戦争の関係に親子を通してさりげなく触れていました。映像美が贅沢な映画ってそれこそ贅沢な気分になります。去年観たルノワール展でも青の美しさに目を瞠りましたが、映画でも青色へのルノワールのこだわりが描かれていました。

以下YOU TUBE

 http://www.youtube.com/watch?v=5ZTiQ_quEPA


ボストン テロ

2013年04月20日 | メデイア

当市からボストンマラソンに参加した方がおられ、ニュースで現地での恐怖を語っていました。

ニュースを見ながら凶器が圧力鍋と知り、これはゲリラと思いました。いくらテロ対策をしても、神出鬼没のゲリラによる想定外の事件というのは防ぎようがないです。ハイテク新兵器を駆使しても、こういった死角があり戦争に勝てないことはイラク、アフガン戦でも経験したこと。

時々、新兵器を試したくて戦争したいのかなと思ったりします。どんなに軍事力を誇っても、相手国から恨みや憎しみをかうような戦争は最終的に負けると思います。戦争してどうしたいの?といつも思います。どこまでゆきたいの?と。まさか相手国を抹殺したいわけではないでしょうに。大昔のように負けた国民を奴隷にしたいわけでもないでしょうに。私、日本に戦争しかけてくるといったらこういって脅かしてやる。日本は原発がいっぱいあるから、日本を攻撃したらあんた達も一緒に放射能まみれよ、それでもいいの?と。夫にそういったらバカといわれました。

世界中、震災や自然災害でそれどこじゃないと思うんだけどな。甥は、戦争よりも今年の夏が水不足になることのほう心配してる。去年のように猛暑だと、直径10CMの重いホースをえんやこらかついで遠い貯水池から水を運ばなければならないから。

 

 

 

 

 

 

日本残酷物語

2013年04月19日 | 読書
宮本常一は、若い頃「忘れられた日本人」で出会って以来の愛読者。「日本残酷物語」は、これまで読んだ著作とトーンが違い、それもそのはず山本周五郎他数人による執筆監修。また別な世界が拡がり目が開かれる思いがしました。
先日、東京の義兄と話しながら、「日本は貧困化がすすんでおり、ひどいもんですよ」と耳にして信じられないでいます。浮浪者が増えたのは私も帰国するたび感じることでしたが、庶民といわれる身辺の人たちの生活を見渡しても、苦しいといいながら、旅行に観劇、レストラン、コンサートと、なりなりに生活を楽しんでいるように思えるのです。それで、日本の貧困化を検索して、読みながらやはり信じられないでいます。YOU TUBEで目にした社会は私が知っている日本のイメージから程遠いものです。本当なの?生活保護受給者の増大や子供の貧困化にも驚きました。
「このように敗北者や余り者にたいしてみずからの命を処置させることによって世の秩序を保とうとした政治の貧困は、武家社会政治終焉の後もつづいた。そしてそれをあたりまえと思ってきたのである。そういう老残者にあたたかい救いの手が個人個人の意思でなく、社会的にまた政治的にさしのべられはじめるには長い月日を要したのである。」( 日本残酷物語1 339ページ )
数年前のことだが、上野の交番でおまわりさんと話しながら、「浮浪者が増えましたね」と、たづねると「あいつら、ろくな人生おくってないから帰る家もないんだよ、自業自得さ」 とのお答えで悲しい気持ちになりました。もし日本で貧困化が加速したらどうなるのでしょう。

国のアイデンタテイーとは、国民がどのような国を望むかということだと何かの本で読んだことがあります。ケベックは高税。中産階級の税金はほぼ半額で、年、数百万単位。多い人だと一般サラリーマンでも年600万円ぐらいは払ってる。でも、それが、教育費(各種学校含むセジェプまで無料)、や医療費(無料)に使われるのならOKという考えがまだ基本にあります。「家族でも困っている兄弟がいたら助けるだろう、それを国家規模でやってるだけさ」と夫は言い、「ケベックは高税で、お金持ちになれないよ」と新自由主義路線を支持する甥は反撃します。私は、こんなに税金が高くなければ、コンサートにも頻繁に行けてと思うけれど、「日本残酷物語」を読みながら、このような日本がかつて存在したということに驚愕し、また自分はいったいどのような国を望むのかと問います。

 

ラーメン餃子

2013年04月18日 | 食べる

「へい、らっしゃいらっしゃい、お客さん ラーメンに餃子ね」と食卓に出してみました。

餃子は手馴れたものですが(お店で食べるよりもいける)、ラーメンのスープがまだまだ理想の味に遠い。いつか、「日本のラーメン屋さんと同じ味ね」といわれるのが夢。そうしたら日本人のお友達を呼んでお披露目しよう。道は遠い。


鵜の目鷹の目

2013年04月17日 | メデイア

雅子妃殿下、オランダ公式訪問決定。

しかし、行っても行かなくても叩かれるのは目に見えてましたね。

以下「日本残酷物語 1 宮本常一他監修 平凡社」より抜粋。

 - 排他的要素が強いところへ、他家にそだち、生活習慣のちがうよそ者が、嫁入りしてくらしをともにするわけであるから、家族のものたちが。その家の伝統(家風)の破壊者にもなりかねない新参者に猜疑の目をむけることは当然のなりゆきかもしれない。こうして嫁と姑のあいだに、旧軍隊における古参兵と初年兵の関係にちかいものがなりたつのである。「他人のしんしょうはただで貰われないんだ」と嫁に労役を強いるのも、主婦の座を手に入れるための代償と考えられるだろう。(364ページ)

雅子妃は、皇室が課す労役に耐えられなかった。

夫に、「日本の天皇皇后陛下まで、お国のためにって、病気になっても滅私奉公とばかりご公務に励むんだよ、そこまで守りたいお国って、私には抽象的で良くわからない。具体的に、そこまで犠牲を強いる、お国の姿て何なの?」とたずねると一言、財閥だよと答えました。

お上まで滅私奉公で働いたら、庶民も滅私奉公でお国に奉仕しなければならないのでしょうか。最近の皇室はなんか堅苦しく、出来上がりの、ワンパターン、パーフェクトイメージの押し売りでつまんない。もちあげるかけなすかどっちか。メデイアも、皇后、紀子妃礼賛オンリー。さて完璧な国母が欲しいほど国民は赤ちゃんなのかしら。日本国憲法ではっきりと主権が国民に存在すると宣言してるんですよ。もうちょっと大人になって、未来の皇后が病気に臥されても、国民がしっかりしてますからどうぞゆっくり静養なすってくださいと大腹でゆきたいと思うんだけどな。象徴天皇制て私賛成してますから。


どさまわりかも

2013年04月16日 | 音楽

おととい義弟がオルガナイザーしたチャリテイーコンサートに行ってきました。義弟に言わせると年々参加者が少なく今年で最後とのこと。名のあるアーチストは100万、200万を要求し、とても呼べないとか。今回は2時間のコンサートで5人のアーチスト( ソプラノ、メゾソプラノ、テノール2人と伴奏者)総額30万でOK。面白くて、楽しくて、アットホームなコンサートでした。なにしろ誰でも知ってる名曲の他に、プレスリーあり(ロックンロールで踊る)、4月なのに雪がちらついたのでクリスマスソングを即興で歌ったり、カルメンのときは舞台から通路にでて禿げ頭のおじいちゃんの頭をなでたりと、はちゃめちゃ。オペラどさまわり楽団みたいでした。観客もノリまくって一緒に歌いましょうとの一声に大合唱。

先日、テレビで、契約が激減した45歳の作曲家がバスの運転手さんになったルポルタージュがありました。コンサートに出演されたアーチストの方々も、歌で生活してゆくのは大変だろうなとおもうと同時に、さまざまな工夫を凝らし観客を楽しませようとする努力に脱帽しました。もちろん、そのような苦労は微塵も感じさせない朗らかそのものの舞台でした。真面目と不真面目をバランスよく取り混ぜた演出に感謝の意をこめて手が痛くなるほど拍手しました。


中村天風

2013年04月13日 | 読書

宇野千代と、画家であり日本文化をこよなく愛した故バルチュスの奥様、節子夫人が師と仰ぐ中村天風の著作が一冊あり再読した。そこに中国についてのべた箇所がある。日中戦争がはじまったばかりで日本が勢いづいていた頃の話。

 - 支那に住む人たちは、外国に土地を取られたって、取った方がそう思ってるだけ。何があろうが悠然たるもの。国を憂える識者だって、先を憂えてもちっともそんなそぶりをみせない。まさに大人だ。国がでかすぎるから、自然にそうなっちまう。日本人はずいぶんせせこましいのがいるが、そんな神経で支那を計れるかい。みてみろ、いろんな国が支那の土地の一部を取ってるが、そのうちみんな支那に返しちまうぜ。そんな国をばかにしてると、とんでもないことになる。そのうちに支那は、今の大国と堂々と渡り合えるようになる。やつら、体面をつぶされるといつまでも根にもつとこがあっても、受けた恩儀は絶対に忘れない礼儀がある。 ( 実録 中村天風先生 人生を語る 208ページ 雲南堂フェニックス)

こちらでも、北朝鮮問題が毎日報道され夫といろいろ話す。夫は、一番怖いのは緊張が高まると、デマ(どっちが先にミサイルを撃ったなど)が飛び交い予期せぬ事態が起こり、それが引き金になることという。又、裏についてるはずの中国の態度におかしなものを感じるという。ついさっきのニュースでアメリカと中国の会談があったとのこと。

私は、政治経済は全く無知なので、ただ自分が感じることのみ言うと、チベット問題のときからアメリカに不信感を持っている。なぜ民主主義を旗印とするアメリカが沈黙するのかと。又、夫がアメリカは軍事産業で成り立ってるから戦争が必要な国だといったり、中国がアメリカをコントロールし始めてるといったりするのを聞いているので、内心、中国とアメリカと裏取引があったりするんじゃないかと疑う。

こちらに住んでいると、ほとんどの方が日本を素晴らしい文化の高い一流国と思ってるので嬉しいが、そうでない人もいるので結構ぐさっと来る。ラテン系で思ったことをずばり言うところがあり、ご本人は相手がどう受け取ってるかなんて気にしてないんだろうけど。先日、腐れ縁の友達( ぶつかっては離れ又くっつく関係)と日本の現状について話しながら、彼女、こう言いました。

 - あんな地震と原発の国、誰が欲しいもんですか。

今、富国強兵に向かってるかのような日本だが、内実、福島問題や不況から国民のフラストレーションをそらすために、敵を想定し、怒りをそちらに転化させるメデイアコントロールを感じる。中村天風は感情で物事を決める危険を説いている。

 

 

 


どうしたいの

2013年04月11日 | 暮らし

落ちこぼれの姪っ子がいる。正規の学業についてゆけない子供達のために、スポーツや美術、演劇などの科目を多くした特殊学級がありそこに通ってる。が、そこでも落ちこぼれ寸前。姪っ子は、どこか世の中に倦んでるようなとこがある。わたしも物心ついた頃からすでに世の中からドロップアウトしているというか、世間についていけない感覚があり似たもの同士なところがある。二人でいると、でくのぼうが並んでる気持ちになる。その姪っ子と買い物に行ってきた。あちこちお店めぐりして二人でわいわい騒ぎながら、しまいに何が欲しいのかわからなくなった。途方にくれた気持ちになり何にも買わず帰ってきた。どうしたいの? 何が欲しいの?買い物だけでなく、時々、こういった質問を自分に投げかける。

以下、姪のすきなカテイペリーの歌。私もお気に入り。

 http://www.youtube.com/watch?v=kTHNpusq654


イマジネーション

2013年04月07日 | アート

若いとき、学校にろくすっぽ行かず毎日毎日音楽を聴いていた。今再び、家事のかたわら昔のように音楽にのめりこみはじめた。こんな音楽もあったのかと新たな出会いがあり、くだらない悩みに費やしてた時間が悔やまれるようになった。なるべく足手まといの煩悩に足をすくわれないようにしようと思う。しかし、この引きこもりのような生活に埋没する危険を感じることもあり、当市の大学で開かれている国際版画講演会に行ってきた。やはり、どの世界でも時代が動いているというのを感じた。

タイトルはIMAGINARIUMというもので、イマジネーションについて4人の招待客によるスライドやパワーポイントを使っての講演。おとといのことであり、今も印象に残った講演者の台詞を思いつくままにメモ。

1  イマジネーションは理性にとって危険である。

例えば、ユートピア(イマジネーション)を頭に描く人間は体制にとって危険である。だが、このイマジネーションが歴史を動かしてきた。イマジネーションは思想でもある。現実と非現実が、ひっくり返るということがありうる。(CLAUDE THERIENという美学哲学者の先生の講演)

2  アートに彫刻とか、絵画とか、版画とかの国境はない

このアーチストは生徒に大人気の先生とのことで、イマジネーションの赴くままに製作していたら、アートの世界の国境を自由自在に行き来するようになったとか。ご自身製作のベルトを集めてつくった人間の頭(ベルト彫刻)を持参しました。それがセリグラフィーになり、パフォーミングアートになりと、イマジネーションの展開を語ってくれました。公務員タイプのアーチストがあふれるケベックで、コンコルデイア大学の先生でありながらアートの力を感じさせてくれる、生命力にあふれた魅力ある方でした。「イマジネーションが枯渇することないんですか」と質問すると、次から次と湧き、身体がついてゆけないとのお返事でした。大拍手。(FRANCOIS MORELLI というアーチストです)

以下、彼の作品 (ベルト頭とベルト頭版画)

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3 デザインを通じて、どのように社会運動にかかわってゆけるか、それを一番先に考えました。

去年の学生運動のプラカードやロゴを担当したモントリオール大学デザイン科の二人の学生による講演。学生ストライキに入ると決まったときからのプロセスを紹介しました。デモに参加するだけが社会運動のありかたではない。自分たちはデザイン科の学生だ。そこを原点とし、3段階のつぎのような計画をたてたのこと。

 - アトリエを開く。このアトリエはすべての人に開かれたオープンアトリエで、学費値上げをめぐって討論の場を設けるのが目的。文学部や社会学部、その他あらゆる学部や市民が参加し、他分野交流となり、ブレインストーミングになった。

 - サービス。デザイン科の学生として、どのような社会サービスができるか考える。60年代の学生運動を研究し、あのような小汚い運動はしたくなかった。インテリジェンスとユーモアのセンス、ぷらす強いメッセージを伝えるデザインにする。

 - 実践。いかに安く、大量に仕上げるか、どこに配布するか、いろいろな人の協力があった。大学の先生、そして、夜間、大学は鍵をかけられるのだが、守衛さんがそっと鍵を開けてくれ朝まで製作できた。

新しい若者世代が生まれているのを感じさせられた。大拍手だった。

以下、彼たちの展覧会をアナウンスするYOU TUBE

http://www.youtube.com/watch?v=kU_6PR72c1Y

4 イギリス人のRICHARD NOYCEというアーチストの講演。次から次と世界の第一線で活躍する版画家をコメントつきで紹介したのですが、アーチストが多すぎて、終わってから何も残らなかった。

感想として、参加して良かった。去年から、自分はいつのまにか時代遅れになっているという感が強く、イマジネーションも激減し、ともすれば自分の殻に閉じこもりがちなので、そのような殻からときどき抜け出すのも大事と思いました。


再会

2013年04月02日 | アート

モントリオールで知人のヴェル二サージュがあり、そこで思いがけずかつての先生に再会しました。今は退職され悠々自適の生活とおもいきや、なかなか忙しくしておられ只今ケベック市で開催中のヌーベルフランス、ケベック絵画展を企画されたのもこのLAURIER LACROIX先生です。一番思い出に残る先生でした。課題図書などについて、「君達は何のためにこのような本を読むのかわかりますか」とか、「かつて世界中のベストセラーだったこの書物が、20年たった今、君達にどのような意味をもつのか考えて欲しい」とか、常に質問を投げかける先生でした。いろいろ近況を語りながら、「確か、君はチャイナレストランのオーナーだったよね」と、中国人の学生と混同してました。

さて、展覧会は「アーチスト本」というやつで、詩からインスピレーションを得て版画にした絵本みたいなもの。夫はこの世界が肌に合わず、「おれの世界じゃない」が口癖で、すぐ帰りたがります。という私も、このアーチストの世界って、いつまでもなじめないです。ケベックの錚々たるアーチストメンバーが並んでいたのですが、居並ぶ美人を見すぎて、美人に食傷気味になったような気がしました。個人的に、ビジュアルアートは音楽に較べて感動したり楽しむということが少ないです。先生はよく、たくさん鑑賞するようにと話していました。鑑賞量が圧倒的に少ないと自覚してます。正直言って眼が肥えてません。わかってます。

この先生、ホモなんです。何人かの男性とビズ(ほっぺにチュッ、チュッ)してました。いま盛んにテレビで、同性愛者に偏見をもたないようにとの政府広報部からの宣伝が流れていますが、それを地でいってます。テレビでも、男同士、女同士がビズビズしてます。

以下が、先生企画の展覧会、興味のある方はケベック市へGO。

http://www.mnba.qc.ca/expo_nouvelle_france.aspx

ラクロワ先生と。