ばーばのケベック日記

ケベック在住、ばーばの気まぐれ日記、日常に関する雑文が主です。

寒参り

2016年12月30日 | 食べる

 思い残す事あるやなしや寒参り

あっという間の1年と言うが、今年はとても長く感じられ、子供の頃には及ばずとも時間のたつのがゆっくり遅く感じられた。菜園で過ごすことが多かったからなのか、時計の時間とは違う、別な時間の流れが自分の身体に入り込んだような気がする。朝、陰った菜園が徐々に陽に照らされ、夕方になるとゆっくりと暮れなずんでゆく、やがて視界から、花か野菜かの判別が出来なくなるほど黒いぼかしの塊のようになって消えてゆく。人間界と自然界を行ったり来たりしてるような1年だった。

編み物を始めて、疲れたら止め、あきたら止め、いついつまでに完成なんて目標立てづに編んでゆく。すると、いつのまにか不細工ながら出来上がってる。編みながら、次から次と夢が湧いてくる。作品に出来上がってゆくのを見ながら、時間と戯れてる楽しさを感じた。

「1日、一つチャレンジしよう」は、断捨離してる方のブログからヒントを得た。その方は1日に一つだけ断捨離してる。今日はシャツ1枚とか、今日は靴下とか。したいこと、することは山ほどあるが、体力も気力もがくんと落ちて無理がきかない。がんばりすぎると、3,4日寝込むことになる。だから、一つだけする。今日のチャレンジは、お友達がお茶にくるので、残ってた生クリームの始末にブルーベリームースをつくった。蓋つきお茶のみ茶碗に入れた。このお茶碗は、茶碗蒸しに使ったり、デザート器に使ったり、ヨーグルト入れたりしてます。

生活するって、どこかままごと遊びみたい。

日本は大晦日ですね。たのしい宵の宴でありますように。

 

 

 


雪女郎 トランプ3

2016年12月28日 | メデイア

 雪女郎どんな男に惚れるやら

トランプ大統領新任式典に歌ってくれるよう請われたセリーヌデイオンが拒否した。ボブデイランしかり。トランプの選挙演説はしばしばやり玉に挙げられた。例えば下卑た女性観「女は金持ちの男に触られれば濡れる」とか、成金の見せびらかし「私は金持ちだ、とてつもなく金持ちだ」エトセトラ。だがトランプは当選した。有名なアンケート会社、ジャーナリストあるいは知識層の分析はヒラリー勝利だった。こういった分析の失敗はどこから来るのか、新聞記事第二段目は「政治の主観化あるいは主観化された政治とでも訳すのかなーsubjectivation politique」というタイトルで以下のように述べている。

ファシズムはイデオロギー(人種差別、反ユダヤ、反共産、エトセトラ)だけでなく、深いところで政治の主観化であるという。どういうことかというと、イデオロギーは上から与えらたものでなく、深い無意識から生じた結果、つまりファシズムは私たちが望んだということ。私達ひとりひとりの心のうちにファシズムが宿ってるということ。多数の個人のファシズム感情が政治化したということ。

かつてオバマ大統領が当選したとき、アメリカの工場を任されている義弟に「健康保険を導入するというオバマさんに労働者のみなさん喜んだでしょう」と聞いたら「全然、彼らは黒人が嫌いだし、カナダのシステムも社会主義国と言って好きじゃないんだよ」。高税の代わりに教育、医療、老後が保証されているカナダより、いわゆる持たざる庶民クラスにとって、勝ち組はヒーロー、勝ち組になりたいというアメリカンドリームのシステムが好きなんだなと驚いた。ユマニスト教育で育った義弟もカナダは税金が高すぎると不平言い始めた。ときどき家族で招待されるお宅は、各部屋、お風呂トイレ付で3家族がゆうゆうホテルにいるように滞在できるという。上、上と較べればみじめに思えるんだろうな。トランプの勝利は、財界への顔と庶民クラスへの顔を使い分け2枚舌を使ったエスタブリッシュメント、ヒラリーへの反発であり、本音を吐いたトランプへの喝采だった。アメリカンドリームの魔力か。

ファシズムは個人の深い心理(個人が置かれた社会状況、心理状況)まで踏み込むことなしに真に理解されないという。アンケートや公的意見に反映されない余白に意味があるという。ファシズムは我にありか。

この記事を読んでため息をつく。

さて、毎日小さなチャレンジを自分に課してる。今日のチャレンジは冷凍用ワンタンをつくる。これ作り置きしてると、ご飯の支度めんどくさいと思ったとき、チキンスープに白菜やブロッコリーと一緒にポンと茹でてお終い。安い、簡単、楽。私はこんなレベルの達成感に幸せ。庶民生活が好きだしぴったしだし、偉い人やお金持ちとお付き合いもなければ、まあ、向こうから相手にされませんが。これを「足るを知るだって嘘コケー、本当はお金持ちになって贅沢したいんだろう」なんてどす黒くつつく人いるんだよね。たしかに宝くじ1億当たったら世界旅行したいのは本音かな。金の招き猫ちゃんにお願いしようか。

 


ポインセチア

2016年12月25日 | 暮らし

 鮮やかなドレスは葉なりポインセチア

今年のクリスマスは、これまで采配をふるってきた義母からバトンタッチ。今までと大きく変わった。夫と義妹と3人であれこれ考えた。

プレゼント交換の廃止: 誰もがこれといってほしい物がなく、携帯やメールで他の義家族メンバーとの投票で廃止論に軍配。ただし18歳以下の4人の子供たちには送る。恒例の義父母への御礼は物から現金にする。というと味気ないが、後での感想は、皆さん満足度100パーセント。

ゲームの簡素化: あれこれ今年の新ゲームを買って持ち寄り遊ぶから、少額で遊べるゲームに。いくつかを挙げると

値段あてゲーム:より近似値を示した人が勝ち品物をゲット。その品物だが、500円前後が目安。

地ビール一本、シネマポップコーン、ケベック産にんにく2個入り、12個入りトイレットペーパー、エキゾチックな果物、、、ETC

携帯で検索ゲーム:クリスマスツリーにビスケットやチョコを飾ったりする国はどこか、サンタクロースの学校は何処にあるかなどなど携帯で検索し、一番早く正解を述べた人が勝ち

名前あてクイズ:3つのヒントから回答者が名前を当てるもの

大笑いしたのが、現在の自民党首の名前を当てるに、「誰それちゃんのかつてのボーイフレンドの名前と同じ」と言ったこと。

ゲームとゲームの間に、カラオケで義父母の好きな昔ながらのクリスマスソングを歌ったり、踊ったり。

甥の一人が夜勤で、もう一人の甥は恋人の家族に招かれて、ケベック市の独身の叔母さんと、一人の義妹の連れが病気でと、去年より4人が不参加。いつか、こういった集まりもどんどん小さくなり、それぞれの家族がめいめいにお祝いすることになると思う。今回の新パーテイーは好評で、家に戻ってから良かった良かったとメールがきました。

男女二組に分かれたゲームもあり、勝ち組は10枚入りの宝くじセット。で、もし大金が当たったらどう分けるのかというお話になり、皆で分けようになりました。

来年の暮らし向きを示唆するパーテイーになりました。つまり「チープに楽しむ」です。

日本式お座りでメリークリスマスの姪の子供とカラオケで歌う姪や甥達

 

 

 

 

 


柊木

2016年12月24日 | 食べる

 柊木をケーキに挿してクリスマス

昨日、義妹から電話がありブッシュドノエルをつくってほしいとのこと。毎年、義母がつくるが、今年は気力あれど体力が許さなかった。義妹がつくったが失敗し、他にもたくさんすることがあるからとバトンタッチ。これまで、どんだけ義母がクリスマス準備に手間暇かけてたかわかりました。長きにわたり任せっぱなしなことばかり。忙しい子供たちに代わって、あれこれ準備するのが張り合いでもあったと思う。今年、義母は大好きな庭仕事ができなくなり、大好きなクリスマス料理も作れなくなり悲しいと目に涙浮かべる場面がありました。義母も、実母も、働くのが好きでいつも何か仕事してたし、いまだに少しでも体調が良いと働こうとする。そのことにいまさらながら気が付き心動かされた。私もできるだけ身体を動かし、ちまちま働こう、それを習慣にしよう。

ブッシュドノエルは簡単。嬉しいのはクリスマスが近づくと生クリームを半額で売ってくれること。どこでも入用だから値上げしないで値下げしてくれる。1000円ぐらいでできちゃう。今、午後6時、これからひと眠りして9時半からスタートするパーテイーに備える。えんえんと朝4時まで続く。正直言ってタフな皆さんについてゆくのがやっとで疲れる。毎年「1年に1度だから頑張ってくれ」と夫に言われる。

ガナッシュでコーテイングしたブッシュドノエル。子供たちはチョコレートケーキに目がないから。

 


年わすれ

2016年12月22日 | 暮らし

 年わすれ劉伯倫はおぶはれて

其角の句。劉伯倫(竹林の七賢人の一人)のような偉い人だって、酒を飲めば、ぐでんぐでんに酔っぱらって、友達の背中におぶわれるただの人という意味だって。

今夜、リタイヤした知人の退職を天ぷらでお祝いした。内輪の内輪の内輪の会食。楽しかった。何かと言うと「お酒が入ったから、お酒のせいよ」と、興にのって腹の底を吐き出し、その吐き方が滑稽で楽しくて、「明るく愚痴る」こともできるのね。ご自身も私達と同じ初老なのに何度も大きな声でジェスチャー入りで言いました、「年寄りはもういやー、時代がどんどんすすんでるのに旧態依然として、ぜんぜん進化してないのよ、安楽椅子に座ったきりで化石化してる、年寄りにはうんざりだー」。一見すると婆ちゃんだが、話し始めると生き生きしており、これからだよ30代てな感じでした。息子さんがモントリオール大学で日本語を3年学んでおり、来年の春日本旅行します。天ぷらの写真とって即刻息子さんに送信してました。日本の精神美にあこがれてるそうです。日本精神美ってなんだ?

お箸も用意したけど使えなくて、てんぷらをナイフとフォークで食べてました。鶏肉のつみれを入れた澄まし汁も、ブラックチェリーでつくったデザートも、なんでも美味しい美味しいと全部平らげました。やっぱり日本料理は喜ばれますね。かなり酔いがまわったので、しめに冷凍ブルーベリーとリンゴ、バナナをミキサーにかけた冷たいスムーテイーをお出しすると、酔いさましと喜ばれました。

長く組織の中で公職についてた方なので、大人のマナーと貫禄ありました。私と変わらない年なのに、自分が未熟で幼く世間知らずに感じました。夫曰く精神年齢8歳でとまってる。「お堅いイメージありました」と言うと、「あら、すっかりイメージぶち壊しちゃったわね」とけらけら笑ってました。

リタイヤするとただの人。だから楽しくなる。

 


年の市

2016年12月21日 | 暮らし

 年の市すこし財布をゆるめたり

昨日、日本食材を買いにあわただしくとんぼ返りでモントリオールに行ってきた。先日お客様を夕食に招待し、ケベック料理でもてなしたが明らかにがっかりされてた。やはり日本食を楽しみにしてるんだなと納得。以前にもあったけど忘れてた。別に日本食食べなくても平気だし、最近は地元の食材で食べるのが理にかなってるし経済的と思いこちらの料理に方向転換してるときだったので少し情けない気分になった。ブッフブルギニョンと言って牛肉を赤ワインで煮込んだお料理にしたが、なんとなく食べ物の会話が弾まなかった。どんな日本食かと楽しみにしてたんだろうな。で、明日は夫のお友達の退職祝いということで2人のお客様。少し奮闘しなければ。といってたいした食事つくるわけではなく、天ぷらをメインに、とびこで和えた紅白なますとか、少しの量を小皿にいろいろ盛るつもり。またこういったちょこちょこお皿に盛ったのを楽しんでくれるから。

昨日のモントリオール、ドイツの年の市(クリスマス市)のテロの影響で、こちらのクリスマス市も警戒態勢が厳しく、またそのせいなのかキオスクが去年に比べれば激減、クリスマスソングを歌うコーラスの方々のおかげで、やっとこさ華を添えてる感じだった。

と、こんな世相なればこそ、無意識に希望を探してる。お腹が空いて、小さなカウンター席が見える食堂(レストランとはいいがたい食堂という雰囲気)に入ったら、8畳ぐらいのスペースに、アラブ、インド、チャイナのお店がキオスクスタイルで入ってた。海老と鶏のグルリ焼きのメニューがあるチャイナ料理にした。サラダ付きで1000円。美味しかったし、この料理人兼ウエートレスの女の子が、美人かつえも言われぬ優しさを醸し出しており(実際、その通りだった)、思わず「息子の嫁に」という例のおバカなセリフが浮かんだ。3つのキオスクをみると皆さん若い。移民の子供さんたちかもしれない、あるいは学生からそのまま移民し、働いてお金貯め、資金を出し合って店舗を借り、商売を始めようと考えたのかもしれない。スモールビジネスというのかな。

日本でも、小屋暮らしの若者が焼き芋屋さんをしたり、ロン農園では昔ながらの餌で鶏を飼い出荷したり、大企業に就職できなくても、社会から落ちこぼれても愚痴ったりせず前向きに生活してゆく姿にこちらまでも励まさせる。また、精神的にもゆとりが感じられぎすぎすしてないのが魅力。私も5年先ぐらいに家の前で裏庭産地直送の野菜を売れるかもしれない。フルーツトマトケチャップもクリスマスプレゼントに差し上げてるが評判が良い。なにしろ今ケベック一番の人気者料理家リカルド氏のレシピだ。伝統食をコンテンポラリーにが彼のレシピの特徴、といっても彼は白砂糖をキビ砂糖に変えただけと思うけど。

さて、片一方だけスパイラル靴下編んだ。一回目に編んだ失敗作帽子をほどいて作った。もう片一方はいつできるやら。編み物の面白さは、しっぱいしてもほどいてやり直しできること。今年編んだのに飽きたら来年は別なのに編み変えることができるのも楽しい。

 

 

 

 


招き猫

2016年12月19日 | 暮らし

 招き猫何をまねくか思案顔

今年4月の日本旅行のせいなのか、(実家の断捨離しながら昭和色ガラクタ雑貨を処分し後悔してる)はたまた菜園で土と遊んでるせいなのか、ださくて泥臭いのに魅かれ始めた。もともとが周囲から何でガラクタ集めと中古品、古着が好きなんだろうと不思議がられていたが好きなのは好き。

で、台所の隅にこっそり飾ってた金色の超ださい招き猫を堂々と見えるところに鎮座させる。朝おきたら、「招き猫さん、年金が下がらないようにお願いね」とあいさつしてた。

が、この招き猫が呼び寄せたニュースは、やっぱり来たかと、さほどショック受けなかったけど、やはり予感が当たった。

ケベックの厚生年金15パーセント削減案が政府から提出。寡婦年金が60パーセントから40パーセントに減額になる可能性大。

少子高齢化問題は移民を大幅に受け入れても加速する。特にベビーブーマー世代が年金生活者になり国庫を支えきれなくなってきてる。いままで、のほほんと衣食住に困らず暮らせた、それだけでも有り難い日常生活から、倹約に頭と体を使う時代に入ったなと思った。夫が退職してから、ずいぶん生活サイズダウンしたが、さらに削減分ダウンするように考えるしかない。昨夜の夕食もケベックの庶民料理、大豆と玉ねぎとラードを煮込んだのをたっぷりつくって冷凍した。

年金額を下げれば、年金受給者がますます消費を控えるのは私たちの暮らしをみてもわかる。次から次とお店閉まってる。

と、ペシミストになってもいいことないから、幸いに私の愛読書は宮本常一だから、生活サイズダウンでも、昔の日本人庶民生活と較べれば大名暮らしといつも思ってる。

ニュースで、クリスマス気分が盛り上がらない、楽しくパーテイーしたいというお祭り気分が激減してるって。

今日は寝室の額絵をとりかえた。日本の千代紙の赤い椿がいっぱいなのをコピー屋さんでコピー。35円だった。新年を迎える気分。

以下、幸運招く気あるのかないのかわからん招き猫。江戸千代紙カラーコピー。

 


飾り売り トランプ2

2016年12月16日 | メデイア

 言葉のみ浮いて浮かれて飾り売り

クリスマス商戦は宣伝やチラシであふれても現実はショッピングセンターも年々活気がなくさびれてる。

新聞記事の感想続きを

「誰もが自由であることを望まない、むしろ支配されるのを好む人もいる」、このセリフは確か塩野七生の著書で読んだような気がするが記憶は定かでない。日本の従妹が言ったことを思い出した。「新入社員がね、言われたことしかしないの、なんでも指示待ちなの、ちょっと頭を使えばわかることすら自分からは手をださないのよ、信じられない」。この上からの指示待ち、上への服従を「自由であることの苦悩からの逃避(サルトルの引用)」すなわち「無責任」な態度と、若い研究者DOMINIQUE TRUDELはみる。

このことで思い出すのは、老人ホームカフェテリアでの研修。私の仕事はデザートづくりが主で、その他にレジ、雑用。研修評価は、時間を守るとかいった面、まあいわゆる真面目ということはA、だが研修中、いつも「これでいいでしょうか」とパイの焼き具合をたづねたり、また一度も自分から新しいデザートを考え作ることがなかったという理由で、「自発性、判断力」に欠けるとC,総合Bの評価だった。つくづくお国柄の違いを感じた。歴史的にファシズムを生み出す社会的心理的土壌があると思う。いつも上司の判断を仰いだ私は、自信のない、自分がしてることに責任を取れない半人前にうつったと思う。

自分の目で見、判断することの難しさについて「裸の王様」のコントを思い出す。誰もが知ってるコントはまたなかなかに怖いコントでもある。最初、王様の華麗な服を民衆の誰もが「うそつけー、裸じゃねえか、服なんか着てねー」と思ったけれど、それがいかにも華麗な服と持ち上げ称えられるうちに「ひょっとして、間違ってるのはオイラの目で、見えてないだけで実は王様は服を着てるんだ」と思い込もうとするうちに思い込んでしまう危険があったこと。この自己催眠は日常茶飯事。いや、私たちはなにかしらの催眠術にかかってると思う。突然に子供が叫んだ「王様は裸だ」に民衆は我にかえり一気に大笑いし幕を閉じるこのコント。王様は裸だと見た最初の目を信じないけど王様が怖くて同調してるぐらいならいいが、そのうち華麗な服を着てると信じ込むまでゆく心理の危険性をこのコントは示唆してるように思う。子供の一言に目が覚める理性が残ってるのなら良いが、ファシズムはその子供の声を殺す。

この記事に、庶民でありマゾである私は、「無知で知らなかったんです」「洗脳されただけなんです」「犠牲者だったんです」と免罪符にする心理を、責任逃れと突かれ、ちょっとショック受けました。

さて、立ち止まるばかりでさっぱり読み進まないのですが、この記事が分析するトランプ現象、その演説がファシストと言われてる貧乏人味方のトランプが任命した側近は億万長者ばかり。中国からの米国企業撤退案に早速大企業からプレッシャーがかかってる。アップル社の製品は全部中国製。9万で売ってる製品の原価は中国の低賃金労働のおかげで2万、7万の儲け。これをアメリカで生産したら倍以上に跳ね上がり誰が買うんだろうか。ゼネラルモーター社しかり。また、トランプは大企業減税をはかるという。これはシリコンバレーの考え、税金を徴収する国家なんかいらないに通じないか。あるジャーナリストが、トランプ自身どこにゆくのか方向が分かってないという。だから面白いと言えば面白い。

パイの思い出は、ボスにお伺いしてた思い出。それでチキンパイを焼いたが、家事のボスは自分だから一人で焼き具合を判断するしかない。自分の人生のボスは自分でよいのだろうか。

 

 

 

 

 


年の暮れ トランプ1

2016年12月14日 | メデイア

 次々と予想が外れ年の暮れ

畑したり、保存食つくったり、編み物したりの生活が楽しくて、新聞も本も読まなくなった。米国選挙もさほど関心なかった。夫に、トランプの当選どう思うと聞かれたとき「国民の大半がやけくそになってたんじゃないの。私だって、もしもよ、まじめに働いてたのに首きられ、家を売り払い、みじめな生活に落ちたら、それなのに金持ちはますます金持ちに、政府高官たちが公約も反故にし権力闘争に明け暮れ、いい思いしてたら、そりゃ、こんな体制ぶっこわれればいいとやけくそになり、エスタブリッシュメントをひっくり返すようなトランプにいれたかもよ」

いま、少し暇になりひさしぶりに新聞でも読もうかと目にしたのが「フランクフルト学派の目で見るトランプ選挙」という若い学者の分析。ざっと読み、考えさせられることがあり、たった1面ながら自分なりにすこしづつ読もう。

今回の選挙は1940年代におけるドイツのファシズム台頭を一般化した「サドマゾの図式」そのものだという。これが私の目をひいた。どういうことかというと、ファシズムは二つのポジションを採用するという。

一つ目はマゾヒストのポジション: 

マゾヒストとは自分を犠牲者とみなし(私が不幸なのは社会のせいよ、体制のせいよということか)、一方で自分が従いたい強い指導者を望む。これは「自分自身であることから逃げ、自分で判断するという責任を放棄することである」と手厳しい。トランプはこの心理を巧みに利用し、とりわけ(RUST BELT)と呼ばれる貧困化がすすむブルーカラー層の心理を掴んだ。「君達の気持ちがよくわかるよ、俺が助けてやる」。「TRUST ME」というトランプの言葉に、「あなたを頼りにお任せします」と、すべての判断をトランプに任せた。

この部分を読みながら、人生で誰もがマゾ感情、すなわち「なぜ、こんな仕打ちに合うのか、私がなにをしたのだ」という悲劇のヒロイン感情を抱かない人間はいないと思う。それは憎悪、復讐、怨念の感情を生む。この感情は何も貧困層に限らない。讃岐に流された高貴な崇徳院でさえ宮廷を恨み呪ったではないか。自分の不幸を他者のせいにしてる人の何と多いことか。また、強力なリーダーを望むというとき、はたして明確なリーダー像をもっているのだろうか。トランプ当選は、むしろ現体制をひっくりかえせればなんでも良かったという風に思える。

ケベックでも耳にする転落した中産階級の人たちにとって、こういった状況で自分と向き合えとはどういうことなのだろう。何を考え、何を判断せよというのだろうか。自分の人生が組み込まれた社会システムから落ちこぼれた人間にどんな思索をせよというのだろう。スモールハウスブームはアメリカが発祥地で、いつ自分も犠牲者となるかもしれない新自由主義に夢を持てづに、体制をひっくり返すよりは、体制に背を向けた生き方もあると提示してるように思える。こういったほかにも何か希望のある世界観があるかもしれない。

さて、マゾ心理に思いを巡らしながら、マゾ心理は誰にもあるから、一度は自分自身のマゾと向き合ってみなと言われてるようだった。

二つ目はサデイストのポジション:

サデイストは他人を支配し、苦しむ姿をみることに快感を覚える。サデイストが生贄として選んだのはエリート、マイノリテイー、外国人そして移民。トランプははっきりと彼らを生贄として指した。

人間にはサデイストの感情もある。この年まで生きれば、相手をマニュピュレートし、思うとおりに操り、内心辱めたりして、ひそかにほくそ笑んでる人間がいると発見し「わー、ドラマにあることって現実にもあるんだ」と驚くことがある。サデイストの生贄の的にされたとき、どのように対応すればよいのか。ハンナアレントは、当時のナチス政権当時、抵抗しても勝てないと絶望し亡命を選んだ。私もサデイストな人からは逃げるがモットー。いや、なんにつけ私は逃げ猿だ、そのために美味しい餌にありつけなくてもよい

マゾはサドを求め、サドはマゾを求める。これがファシストの図式。男にいたぶられながらも自分が娼婦まで身を落とし殺されるまで男に貢いだ女の物語をいつも思い出す。その女にいくら男と離れるよう説得し、助けても女は暴力男のもとに戻った。この誰かを崇拝し死までを受け入れる人間の心理の解明なしに、また、相手の苦しみに快感を覚える心理の解明なしにこれからもファシズムは生まれると思う。

トランプの勝利を1930,1940年代のドイツの状況と似ているとよんだこの若い研究者がなぜトランプ勝利分析に興味を持ったかと言うと、ヒラリーの勝利が確信されていたのに(タイム誌もすでにヒラリー勝利後に発売する雑誌を用意していた)、何故、こうなったかと、メデイアとジャーナリストが確信して予見する未来図の失敗の原因を探りたかったから。メデイアとジャーナリストに大きな疑問を呈してるのがこの記事の特徴。

ケベックでも、当選確実と予見されたクルチエが敗北した。この若き研究者はいったい国民アンケートとかジャーナリストの分析ってなんなんだと問うている。

こんなことジョークにするのもなんだが、メキシコ人がこういった。

ー トランプもこれまでの政治家のようであってほしい。つまり、口だけで公約を守らないこと

ー 少なくともメキシコ、アメリカの国境に壁作るから、メキシコ人に仕事を与えてくれる。4年たったら別の大統領を選べばいいさ。

続く

 

 

 


煤ごもり

2016年12月10日 | 暮らし

 煤ごもりつもれば人の陳皮かな

これは私のアイドル其角の句。正しい俳句の鑑賞なるものがあるかと思うが、自分の生活に照らし合わせてしか味わうことができない鑑賞もあり、学があれば100味わえるのを10しか味わえなくても、味わってる本人は美味しいと思ってるのでそれでいいと思ってる。また年齢と共に、味の微妙さもわかるようになってくるのが老いの楽しみだから、深く読めるのを期待しながら、その時その時の鑑賞を楽しめばいいと思ってる。

で、この句、ここ一週間、義妹と義母でクリスマス料理づくりをしながら味わった

煤ごもりとは、12月13日の煤払いの日、病人や老人が煤払いの邪魔にならないよう別室に籠ってることとか。義母はめっきり弱まり、それで無職二人組、義妹と私で煤払いならぬクリスマス食を準備しようということになった。「ママは別の部屋で休んでてよ」と義母を別室に移るよう、そこでテレビでも見てるよう促した、が、義母は承知しない、「じゃママは揺り椅子に司令官として座り、私たちに指図して三人でおしゃべりしながらお料理しましょう」ということになった。意地になってるのかと思うくらい、年々廃れ行く伝統食を頑として作り続ける義母に、誰もが「もう長くないから」と従う。

陳皮とは蜜柑の皮を乾かし薬用に供するとあり、陳皮という言葉をはじめて知る。が、子供の頃、母が風をひくと陳皮を煎じて飲ましてくれた。自称「昔の田舎の子供」な私は、こうした普通に身の回りにあった生活が其角の時代にまでさかのぼることに感激する。

義母が揺り椅子に座ってる姿は、水気がなく青白いなめし皮のようで、これを其角は人の陳皮とした。義母の口癖ならぬ、たぶん老人になると「だれも私を必要としない」という除け者感があるということを老人たちから聞いた。役立たず感が長引くと、それは陳皮がつもる感覚になるのだろうか。

この句は勝手に訳すと

「おじいちゃん、おばあちゃん、煤払いの邪魔になるからあっちにいっててお茶でも飲んでなさいよ」と言われ、奥にひっこんで手持無沙汰で煤払いが終わるのを待ってると、いつの間にこんなに年取ったんだろうと感慨深いものがある。手を見れば水気もなく干からびてる。軒に干してる蜜柑の皮みたいだ。こうしてだらだら長生きすれば、ほら、干した蜜柑の皮が重なって糸につるされてるように、うだうだ息して無為に年を重ねるだけか。

私も、いつの日か陳皮になる。いつの日か、あちこちガタがきて、まわりにご厄介になる。其角の面白さは、本人が悲喜劇の只中にありながら、自分が演じざるをえない振り当てられた其角というキャラクターと運命を演じ、それを観劇しているもう一人の人物、其角がいるという、その距離感あんばいにある。 

其角さん、この句にひとこと言いたいよ。確かに陳皮は干からびて、一見「なんじゃこれ」、でも陳皮は薬だよ。

其角の句は手が込んでいて、この句は在原業平の句にあやかった仕掛けがあると半藤一利は解説する。ぱぷーんな私はそこまでおつむがまわらないしよくわからない。いつかわかるかなー。

 


年忘れ

2016年12月04日 | 手仕事

 ちらほらと年忘れの誘いあり

昨日は3回目で今年最後の編み物クラブ。ケベック人2人が参加。一人は日本語がぺらぺらなどころか原子力問題まで日本人かと思うほど会話できる男性。編み物と言うよりは日本語をいろいろな日本人と話したいとのことだった。もう一人は旗振りおばさんしてた時からおつきあいしてるシンシア。日本人の方たち、日常生活が英語なので、シンシアのような英仏完全バイリンガルが、私達たちにとって英語フランス語を話す機会になるかとお誘いした。シンシアは編み物も出来るので次回から編みます。今回は顔見世と言うことでした。お父さんが英国人のエンジニアだったので綺麗な英語を話すと一人の人が言いました。ちなみに私の英語はジスイズマイペンから進歩なし。

ちんたらマイペースで習おうがモットーの私は、毎回、ひとつわからないところを教えていただく。昨日は二目ゴム編みの閉じ方を学んだ。これで3つ目のテクニックを覚えた。皆さんお帰りになってから練習。ただの引き目とじあみよりずっと綺麗な仕上がりになるとわかった。来年の今頃は15のテクニックをマスターしてるんだなーと遠目。

お人形のお洋服も作る先生に見せてくださいとお願いしたらもってきてくれました。このお人形さんたち想像力をかきたてるのね。それでこのお人形さん達をいかに展示するかいろんなアイデアが浮かんでは消え、、、でノートにメモしてる。

今年1年休んだアートグループから忘年会の連絡があり、ボランテイアに戻ることにした。いろいろあるけど、いろいろないとこなんて何処にもないから、ポジチヴな割合が60パーセント超えてたら良しとしよう。

 

 

 

 


ベスト編む

2016年12月01日 | 手仕事

 ベスト編むその形似る腹巻に

リーヌからいただいた余り毛糸をつなぎつなぎして簡単直線編みベストができた。腹巻に似てなくもない。着るとあったかーい、が、丈が短い。これは若い子ちゃん用のベストだ。婆ちゃんは尻が隠れるような丈が欲しい。で、これからつぎ足すぞ。

先日義兄と話して、義兄は歩行困難なほどなのに明るいのね。そして未来に明るい展望を持ってる。それは私までも明るくしてくれる。最近、小屋暮らし関係から、例えばYADOKARIという新しい生活、生き方スタイルを提唱する本が発行され、著書紹介を読みながら静かに新しい時代が胎動してるのを感じる。

以下、腹巻じゃないよ、ベストだよ、材料費ゼロ。