ばーばのケベック日記

ケベック在住、ばーばの気まぐれ日記、日常に関する雑文が主です。

飽いた

2013年05月31日 | 暮らし

夫がケベック市に昨日から3日間出張。甥も引き上げ、母ちゃんをねぎらいたいという夫の申し出で、夫が仕事中、プチバカンスを楽しむようにとの誘いだったがお断り。それどころじゃない。2週間後に控えたグループ展の作品、一点も仕上がってない。参加者から、あんたどうすんの、本当にやる気あんのとつつかれてる。仕事してないのでキャンバス買えないし時間もないから、ある材料集めて今回はデッサン、パステル、コラージュで参加。朝5時におきて一日中作品づくり。ああ天国、楽しい。下手の横好き。食事の支度気にしないでどっぷりつかれる。すまん、父ちゃん、亭主元気で留守がいいってほんと。

最近、ペシミストな考えにあきちゃって、なぜかポジチヴとは行かなくても、生きてなんぼの人生、いくらでも楽しまなくちゃになった。あれこれ義理で引き受けなきゃなんないこともあるけれど、いやいやじゃなく、どっちみち引き受けるなら喜んであたろうと思うようになった。昨日二件メールがあった。ひとつはバッドニュース、以前、提出してあった展覧会企画にNOのお返事。でもめげないもんね。知人が、企画を実現するに、あっちこっちで断られ、今年夢をかなえたけど、6年かかったって聞いたばかりだから。それも、酷評とのことでがくんときてた。でもこれでいいのよ。ゆきつくまでの過程が楽しいんだから。

グッドニュースは、すっかり忘れてたけど、何年前かな、短い短編を10ヶ国語ぐらいの言語に訳してイラストつきで出版したいという翻訳家兼作家さんからメールがあり、もしかしたら出版にこぎつけるかもしれないという。あてにしてないけど、各国から参加の翻訳は皆さんボランテイア。あたったら翻訳料金いただけるというもの。せこく計算したら最低に見積もって12万円の仕事。日本からYさんという協力を得て共同で訳したのですがどうなるやら。Yさん、今後、もし良いお知らせがあれば連絡しますね。

さて、人生の一番の敵って、私にとっては無常観。小さいころから、虚しきおもいみたいなのが巣くってて、いろんなことしょっちゅう虚しくなる。でも、虚しく楽しく生きるってことあるかもね。

ガブリエル フォーレの「夢のあとに」、これがね、人生に飽いたたような憂いと、晩春の物憂さが一緒になったような曲。彼の人生にも物憂さがつきまとってたみたい。個人的にチェロでの演奏が好き。虚しいときに聴き、たっぷりひたると虚しさに飽きてきます。

http://www.youtube.com/watch?v=MJZIDgHJHQc

 


ムスタキ

2013年05月30日 | 音楽

すぐ終わると思うけど、ラジオでもテレビでもムスタキについて流してる。好きな曲のひとつに若い郵便配達人がある。特に、「彼は17歳でしかなかった」、というところと、「彼は立ち去ってしまった」という箇所になるといつもじーんとくる。ムスタキの歌には、ときおり転調する、悲しいんだけど高い高い空を思わせるぱあーと解放されたような晴朗なメロデイーがあり、それがいい。彼の曲もだんだん懐メロになりつつあるのを感じる。だいいちE-メールの時代で、恋人や友達の手紙を待つような関係なんてあるんだろうか。私だってワクワクして待つのはアマゾンジャパンから届く日本の本ぐらいなもん。それも3日で届きます。ロマンチックって、時代遅れでゴミ箱ゆきかも。なんでも、科学と理性が関所みたいだから。

以下YOU TUBE

 http://www.youtube.com/watch?v=EAkLVKZP6g0

訳はネットより拝借

 【若い郵便配達人】

若い郵便配達人が死んだ
彼は17歳でしかなかった
恋はもう移動できない
恋はその使者を失ってしまったのだから

僕たちの愛の言葉を全部腕に抱えて
毎日来ていたのは彼だった
君の庭で摘んだ愛の花を
両手に抱えていたのは彼だった

彼は青い空に立ち去ってしまった
やっと自由になった幸せな鳥のように
彼の魂が彼から離れたとき
どこかでナイチンゲールが歌った

僕が君を愛していたように今も僕は君を愛している
でもこれからはそれを伝えることができない

僕が君に書いた手紙を持ったまま
彼は行ってしまった

君の家まで続く薔薇とジャスミンの花の道を
彼はもう行くことはないだろう

恋はもう移動できない
恋はその使者を失ってしまったのだから
そして僕の心は牢獄にいるみたいだ

僕の喜びと苦悩を君に運んだ青年は旅立った
冬は春を殺した
今僕たち二人の恋は全て終わった



五月

2013年05月29日 | 音楽

大好きな5月も終わる。一年に一回しかめぐってこないのにあっというまに過ぎる。俳句をつくる知人が、むかしむかし俳句をはじめると生活が豊かになりますよと話していた。が、じぶんには文才も詩才もないと頭から決めかかってるので、とてもじゃないが恥ずかしいやいと思ってた。でも、生きててなんぼと思うようになり、気がむいたらつくってみようと思うようになった。自分の楽しみのために、また、ちっちゃな感動をメモするつもりで。

 新緑が 芝生のうえに 影を塗り。

ふさふさに生い茂った緑さわやかな樹のしたをみたら、黒い影がうつってた。芝生というキャンバスにまあるく影の塗り絵したみたいだった。

 


さよなら

2013年05月23日 | 音楽

ラジオでムスタキの逝去を知る。そして今日、甥が我が家を後にした。あっという間の2年間。あっというまだった。新しい門出を祝ってレストランで夕食を共にした。明日から農場で働く。肉体労働がしたくてうずうずしてると張り切ってます。大学の学費準備です。宇宙工学の世界は就職が難しいそうで、出世払いのかわりに農場直産のじゃがいもをお届けしますと言われて大笑いしました。甥のおかげで宇宙や科学に興味をもてるようになったと話すと、「これからも続けなさい」と、その言い方が先生みたいで、これにも笑ってしまいました。ムスタキはあの世に、甥はモントリオールに、時は流れるか、、、空っぽの本箱、空っぽのタンス、、、おじちゃん、おばちゃん、と呼びかける声が聞けないのがさびしいな。

以下、いまでも自然にくちずさむムスタキの歌、時の流れ、存在と不在、そしてギリシア風のメロデイー

http://www.youtube.com/watch?v=slhYI5Z9fmw

訳はネットより拝借

眠っている間に
夢見ている間に
時計の針は回り
もう遅すぎる
幼年時代は遠くに去りゆき
すでに明日が来る
時は流れ、流れゆき
残された時間は残り少なく

君を愛していた間に
君が僕のものだった間に
愛は過ぎ去った
もう遅すぎる
君はとても美しかった
ベッドに僕は一人寂しく
時は流れ、流れゆき
残された時間は残り少なく

 

 自由を愛おしく歌っていた間に
他の人が自由を縛り付けた
もう遅すぎる
いくらかの人は戦ったけれど
僕はまるで気が付かなかった
時は流れ、流れゆき
残された時間は残り少なく

それでも僕は生き続けている
それでも僕は愛の行為をしている
ギターで歌うことさえある
子供だった僕のために
僕の子供のために
時は流れ、流れゆき
残された時間は残り少なく

歌っていた間も
君を愛していた間も
夢見ていた間も
まだあの頃は時間があった

 


おひさしぶり

2013年05月17日 | 暮らし

かつての教え子3人と久々に会う。大学が休みに入り、それぞれの近況報告会みたいなもん。アンドレアンヌとジェシカは韓国ソウル大学でのサマースクールをキャンセルした。すべて手続きも終え行くばかりになってたのに政情不安であきらめた。世界で起こることは、こんな田舎町の学生にまで影響するんですね。久しぶりに会ったマリーは、生活が厳しく疲労が溜まり一年間休学するという。写真を撮って見せると、自分達の変化がわかって面白いとキャッキャッしてました。知り合った頃の高校とセジェップの学生時代と較べるとずいぶん大人びたというか、大人になって驚きました。出会いは別れの始まり、それは自然の流れと思っているので、せめてこうして会えるひと時を大切にしようといつも思います。でも、若さってまぶしくてちょっぴり気後れしますね。

 


気のせいかしら

2013年05月16日 | 暮らし

気のせいかしら。日本が何かにむかって加速化しているという胸騒ぎがしてならない。日本でのニュースは逐次こちらでも流される。今日は橋下さんの失言、相馬沖の魚の汚染がハイレヴェルの放射能汚染測定を記録したと伝えた。私もそうだが、嫌なことはなるべく忘れたいし記憶から消し去りたいという無意識の操作が働く。だが、私が忘れようと正当化しようと、相手はいつまでも根にもっているということもあるのではないだろうか。それは国同士の関係でも同じこと。

去年買って、まだ読んでない雑誌がユマニテという名のもとに行われた戦争についての分析。コソボ、イラク、リビア戦争ETC。ぱらぱらとめくって、そこに米兵により辱められた父親を目にした子供達の怒り、屈辱を記憶から消せないという記事が書いてあった。米国と同盟国の介入が平和も民主主義ももたらさなかったと。

夫に、戦争に勝ち負けもなく(いつでも犠牲者は、兵士の数をうわまる一般市民)悲惨さをもたらすだけなのに、何故本能から戦争反対と言うと叩かれ、それに反撃するために、このような雑誌を買って読んで考えて理論武装しなきゃなんないのとゴネルト、科学的思考社会だからと言う。生命の泉である水が汚染されても、原発反対なり賛成なりの理論武装が必要とは何かが狂ってる。

橋下さんや猪瀬さんの人相見て、人のこと言えないけれど(私もわがままで幼いとよく言われるので)小児的お山の大将みたいな顔してますね。世界にだしても恥ずかしくない一流の顔と個人的に思うのは福岡正信。以下、彼の紹介ビデオ。このような生き方もあるんですね。

 http://www.youtube.com/watch?v=aBtaRJvvsK0

 

 

 


組合

2013年05月15日 | 暮らし

ケベックは組合の組織率がカナダで一番高い。労働者のほぼ40パーセントに達する。お向かいのLスーパーに夏用のピクニックテーブルを備えた囲いのようなものができ、従業員が休憩時間にコーヒー飲みながらのんびり日向ぼっこしてる。先日の大家族の集まりでそのこと話したら義妹のだんなさんが、「あそこは組合が強いから、厚生年金などの保障も他のスーパーより恵まれており、辞める人は稀だよ」という。そういえば他のスーパーと較べてメンバーが変わらないし、アットホーム的なのんびりしたところがある。

私もMスーパーで組合のメンバーだったので(従業員はLスーパーと較べてブチック組合、つまり役立たづの組合とよんでいた)、そのスーパーでの思い出を少し。こちらでスーパーの仕事は最低賃金重労働の代名詞みたいなもので人がよく入れ替わる。それでも日本の最低賃金労働条件とかに較べたら恵まれていると思う。

まづ、朝8時から5時までの勤務で、一番驚いたのは、タイムカードの前に始業時間2,3分前から並び次々とパチンする。一分でも長く会社のために働きたくないのがみえみえ。終業20分前から後片付けがはじまり、5時ぴったしになるとお客さんがいようがいまいがストップ、即、退出カードパチンに向かう。一度、制服のまま仕事が終わってからスーパー内で個人用の買い物をしていたらボスがすっとんできて、「5時になったら退出カードを押して、それから買い物しなさい、でないと労働基準監督署がうるさいから」と言いました。午前、午後の休憩時間も20分づつきっちりあり、週休2日制、最長労働時間40時間は守られていました。勤務年数によって夏のヴァカンス(長い人は2週間)もありました。そのかわり仕事はみっちり(当たり前だけど)、それでお昼ご飯をすませると、たいていのひとがテーブルの上にうつぶして寝てました。

昇給も組合で決められているから毎年あがる。会社側にとっては、いくらでも替えのきく仕事なれば面白くない。時給1000円でも1300円でもする仕事は同じ。どうするかというと、自主退職を暗に促すように、時給が高くなった従業員をまったく経験のない部署に配置転換させたり(パン部門から精肉部門とか)、パソコンができないおばちゃんに事務の仕事をまわしたりとかしてました。私と仲のよかったおばちゃんは50歳過ぎの一人暮らしだったので、年金生活にはいるまでは辞められんと、組合に訴えたりして頑張ってました。自分も体が丈夫だったら長く続けたかったけれど、マイナス30度の冷凍庫での在庫調べが一番つらく、そのうち物を落とすようになり、お医者様からリューマチになると言われ辞めました。また、年とったらあのおばちゃんのような目にあうんだなと先がみえました。

あの経験があってから、特に低賃金重労働者にとって組合が大切と思うようになりました。又、夫に言わせると、この組合が強いおかげで企業の暴利抑制となり、労働者は、人間らしい生活を保障してくれる労働条件の基本ラインに守られているといいます。ちなみに、いつも行く本屋さんの夜間営業時間が短縮になりました。これも組合の要求だそうです。カナダは経済大国(日本は世界第3位)からも軍事大国( 日本は世界第4位だっけ)からもほど遠い。でも、中国やアメリカの格差社会の残酷さを知ると、世界一だの二位だのって空しく響く。アフリカの諺じゃないけれど、「上へ上と目指す猿は、その臭いお尻を地上から見上げている人に見せている」、ついでに猿も木から落ちるというじゃありませんか。

中国も大学に言論統制などして、そのうち臭いお尻のにおいに耐えかねた民衆が猿を木からずり落とすかも知れない。

 


5月になると

2013年05月11日 | 音楽

芽吹いたかとおもうと、ぐんぐん伸びて見る見るうちに若葉におおわれる木々。雨は静かに降り注ぎ、濡れた青葉は生命を新しくする。ときおり風が吹き、雨上がりの葉に宿った滴が斜めにさあっと頬をなでてゆく。5月は異国に迷い込んだよう。自然の鼓動があちこちで聴こえる。5月の音楽といえば、おなじみのオンブラ マイ フ。今年は誰を聴こうか。Mさんのリクエストでジャルスキーにしようと思ったけど、やっぱり今年もこの人、アンドレアス ショル。ジャルちゃんよりも一段と透明度が増します。いかにも正統派っていうか、正統派の廃れることのない系譜みたいなの感じますね。

 http://www.youtube.com/watch?v=N7XH-58eB8c

以下は同じショルで、この二重唱はいろんな歌手が歌ってます。ジャルちゃんも歌ってます。女同士だったり、男同士だったり、名曲ですね。

http://www.youtube.com/watch?v=0jmDAvJvFa4


福島2年後

2013年05月10日 | 読書

ついさっき福島2年後を特集した雑誌を購入してきたばかり。記事のなかに、放射能影響を調査する外国人専門家の立ち入り(一切の費用を自前で出すと申し出てるのに)が拒否され、日本人は事実を知りたくないのではと書いてありました。できる範囲で採集し調査した蝶や花などの異常、海水の汚染は数年後カリフォルニアまで及ぶだろうというシュミレーションの地図、お米の汚染、、、たぶん日本よりもこちらでのほうが福島の現状についてメデイアで接することが多いかもしれない。なんだか悲しくなるんだけど、私達の周りで日本に行きたいという人は激減。原発にたいして再稼動の方向へ向かっているようだが、たまたま元東電社員の証言をみつけて、それはこちらの科学雑誌等で言われていることと同じです。以下YOU TUBE

 http://www.youtube.com/watch?v=AgUz0G00e2w

以下、こちらの雑誌に紹介される記事とほぼ同じな内容のビデオ

 http://www.youtube.com/watch?v=8MZKxWLruZQ


海老焼き

2013年05月10日 | 食べる

甥が期末試験中で、これが終わるとセジェップ卒業、我が家を引き払います。ギョーザでもラーメンでも食卓に出すもの何でも食べます。最近はちょっと甘えるようになって、あれ食べたいなと控えめながらもおねだりします。そのひとつに海老の香味焼き。生姜とニンジンの炊き込みご飯の上にのっける。自慢じゃないけど甥一人が増えても、おばちゃん知恵熱出して奮闘し食費は変わらない。というのも、夫婦ふたりなら海老を5こづつ食べてたのを3,3,4と分配。もちろん甥には4こ。代わりにご飯の量を多くする。夫が、僕と甥とどっちが大事なんだ?とぼやくから、決まってるじゃありませんか。海老の分配でわかるでしょ。

 


二度あることは

2013年05月09日 | 読書

日本の海水や土壌の汚染が深刻な状況にあるとこちらの雑誌に載った。「3月11日はすでに風化しはじめた」と日本の知人は話す。震災、原発についての記事は今だにあるし、ケベック人からも福島はどうなってると聞かれる。2012年LE MONDE紙発行の「日本 広島から福島まで」を読んだ。外国記者による日本についての記事を戦後から年代順に拾って掲載したもの。福島で被爆しながら、ぎりぎりまで打ち捨てられた猫や犬の世話をしたYUMIKO AMANOさんはこう語った。

 - 私達は(原発のおかげで)いい思いをしたのよ。この忌まわしい結果から逃げるわけにいかないじゃない。

二つの大戦、二つの原発大事故、、、人間は3度目の正直を経験しなければ懲りないのだろうか。戦争も、原発も想定外のことだらけが起こった。でもYUMIKOさんのように忌まわしい結果を引き受ける覚悟があるのなら如何せん。

 

 


グレーゾーン

2013年05月07日 | メデイア

HISTORIA という世界の歴史についての専門番組があります。時々みるのですが、思うのは戦争が好きな人間がいるということ。だれもが平和な世界が好きと思ってたら、それは私達に刷り込まれた固定観念。だから、戦争を正当化するために世界平和やら、人道主義やらをかかげなければならない。戦争、人種差別、階級差別、性差別、年齢差別、価値差別、、、人間は差別が好き。負け組みとか勝ち組とかもそうでしょ。

この番組で、いまでも忘れられないナチのメンバーの話がありました。それはユダヤ人虐殺の日程があり(片っ端から撃ち殺す)、ない日は、「今日はお休みか、早く明日が来ればいい」と虐殺の日を楽しみにしていたということです。彼にとってユダヤ人は人間ではなかった。明治に北海道を旅したイザベラバードは、日本人がアイヌ人を人間じゃなくて犬ですよと語っていたと記録しています。

以下、個人的に全体主義についてメモしたノートがあり、そこから写し書き。

 - たった一つの世界観、一つの見方考え方しかない。

 - 人間は数字でしかなくなる

 - 人間は、お役目を果たすという機関になる

 - 人間は、使い捨ての物と化す

 - プロパガンダに乗りやすい

 - もはや、考えなくなる

 - 大衆を組織しファナチックににさせる

 - 自分達がどこに行くのか知らない

全体主義の完成は、たったひとつの考えを、真実の名のもとに、ただひつの目的のために、押し付けることである。思索する力を狩ることである。最近ではエコール ドウ シカゴ (シカゴ大学)がメッカの新自由主義の理論がそれである。

私は人間にも自分にも幻想を抱いていたのかも知れない。私達は善(白)も悪(黒)も溶解したグレーゾーンで生きている。

 


いきなり夏

2013年05月06日 | 暮らし

今年の冬は厳しく長く、お隣さんに「寒さがこたえましたね」と言うと、「年をとったせいじゃないですか」とのお返事。若い女性が好きで、彼曰く「若返る」。30歳ほど下の女性と彼女の連れ子さんと暮らしています。でもいいお父さんなんですね。お孫さんのような子供さんと一緒に車を洗ったり、庭掃除をしたり、労働の楽しみと大切さを小さい頃から教え込むんだそうです。そしてご褒美にキャンピングカーを購入しました。お隣さん、60過ぎてるのに本当にタフガイです。

ケベックは、いきなり夏で、冬から一気に夏に衣替えするような日があります。さて、空を見上げたら見事な青空で、年に一度あるかないかの詩心が生まれました。恥ずかしいけど一句。

まっすぐに 初夏を横切る 飛行機雲

 

 


MARIE NICOLE LEMIEUX

2013年05月05日 | 音楽

ケベック出身で、ここ2.3年音楽雑誌にも取り上げられ徐々に人気者になってきたマリーニコルルミュー。2月に当市の交響楽団支援のチャリテイーコンサートで歌ったのですが切符が高くてあきらめました。今になって無理してでも行けばよかったと後悔しています。2012年度のCLASSICAトップテンアーチストに選ばれており、前から気になっていたものの延ばし延ばしででやっとこさCD買いました。聴くや否やノックアウト、新しい出会いに嬉しくなりました。春の雨がしっとりと大地に浸み込み、生命を育む、ふっくらとした豊かな土壌を思わせる声をしています。エリザベート王妃コンクールでグランプリを獲得したのもうなずけます。それに、あの好青年、ジャルスキーとデュエットしており嬉しさUP。

数年来、現代の歌い手さんをあれこれ聴きながら、お気に入りの男性陣は見つかったのですが、女性陣に、これだと魅かれる歌い手さんが見つからず淋しく思っていました。即、参った素晴らしいデイーバがケベック人とは、灯台もと暗しとはこのことですね。

以下、ジャルスキーとのデュエット

http://www.youtube.com/watch?v=bNtJO40l2Cw

 

 

 


二冊の日本史

2013年05月03日 | 読書

日本大好きのケベック人にすすめられて買った「新日本の歴史 2010年発行」と、西洋美術史家、田中英道著作「日本の歴史 本当は何がすごいのか 2012年発行」を読みました。奇しくも2011年の震災を挟んでの出版です。

先ず、田中氏の日本史に仰天しました。日本礼賛、日本は世界一素晴らしい神の国、秀吉の朝鮮出兵までがアジア解放への崇高な目的であったと一元的な解釈で読み解かれています。八紘一宇の世界観です。日本はすごい、素晴らしいと、かくまで声高に書かれると赤面してしまいます。なんでそんなにむきになるのと。また、なぜこれほどのウルトラナショナリスムの本が、高名なイタリア美術史専門家の手により出版されたのでしょうか?

夫に言わせると、「日本人は君のような庶民まで誇り高い民族」と愛国者に映るらしく、逆にその誇り高さゆえに自国をみるに盲目になってる部分があると最近気がつきはじめました。田中氏の本を読みながら、一元的な解釈、ひとつのイデオロジーに収斂する歴史観に多元的視点の欠如を感じました。

かたや、ジュネーブ大学で日本史を教えるSOUYRI氏の著作には彼自身のコメントも逐次挿入されており、(日本史に詳しい方は承知のことかもしれませんが)私には目新しいものがたくさんありました。例えば、儒教が幕府の統治思想である故に知識人の仕事は体制を擁護することだったとか。これ読んで日本人の知識人の役割がいくらか明瞭になりました。知識人の役割は政府を擁護することでもあるんですね。大塩平八郎が知識人として歴史上はじめて民衆の悲惨さに耐えかねて民衆の側に立ち乱をおこし倒幕への警鐘になったと書いてます(420ページ)。

ちなみに田中英道氏の「日本美術 傑作の見方感じ方 PHP新書303」が著者との最初の出会いで、とても面白く、こういった方の日本史ならさぞかしとワクワク期待して読んだのですが、日本史というよりはイデオロジーのプロパガンダの声を聞く思いがしました。