川内町内会

仙台市青葉区川内
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「横丁のひとびと・川内明神横丁」(昭和62年)

2017年12月28日 | 川内〈昔〉アーカイブ

けやきの街』1987年8月号に「横丁のひとびと 第5話」として
海老名重雄さんという方が書かれた記事です。

川内・明神横丁

 二高を左に仙商を右に見ながら仲の瀬橋へ向かう。橋の手前から左折し、坂を下る。四つ角がある。左折すると川内大工町。この道路、入口左に「桜井酒店」右に「養ちゃん食堂」がある。大工町を直進して、左折する。すぐ左に、「たけむら商店」がある。
 この商店の目の前、細く長い道路が、川内明神横丁である。

明神サマは、商売繁盛のお稲荷さん

 さて、神様は「たけむら商店」の方から入って中ほど左側にある。川上稲荷大明神という。右に赤、左に白の「おてふき」が下がっていた。それには墨で"白萩町寒河江啓悦"とあった。
 この横丁の古老が語るには「奈良時代に、朝鮮から帰化した長者がいた、という。餅をついた。その餅に矢を射たところ、その餅はたちまち白鳥になり、とんでいってしまった。白鳥は稲荷山にとまっていた。縁起がいいので、みんな競ってお稲荷様を作るようになった。商売繁盛の神様。江戸時代には、各商店ごとにこの神様を作った。その数、三万もあったらしい。この近くで有名なお稲荷様は、竹駒神社。明神横丁のそれは、天保二年(翌年から全国的大飢饉)に、身分の低い侍によって作られとか?」

国際都市? 明神横丁

 片桐典子さん(45・B型)は、「大阪弁,京都弁、仙台弁、英語、見られ、知らない人に挨拶は当り前。それに昔からの人も多く、それがみんな開放的ですよ。血液型でいえば、O型の地域といえましょうか?」

広瀬川と木々の緑、人と自然が共存しているんです

 片桐博さん(50・O型)は、「おおらかな、カラッとした気質は、広瀬川や木々の緑と無縁ではないでしよう。自然と人間が本当に上手に共存しているなァ、と思いますよ」

めいっぱいギンナンの山

 片桐道子さん(18・O型)は、「ギンナン沢山とれるんです。直径四十センチほどのザルに、いっぱい入れて、広瀬川に持っていって足で踏んで洗います。あ、ギンナンですか? 毎日毎曰、茶碗蒸しというわけにはいかないし、父は仕様が無いので晩酌のお摘(つま)みにしてましたけど。それほど収穫(?)あるんです。怖かったことですか? 小四の時だったわね? 宮城県沖地震。その時、家に誰もいないの。わたし、ひとりで泣いていました」「ここ、野良ネコが多いの。いらない子ネコをみんな川に投げるでしよう。そのせいです。アヒルも飼ったことがあります。博物館、美術館、図書館、公園、スボーツセンター、プール、学校など近くにあり、環境があまりに整いすぎていて、他の地城の人に悪いみたい」

怖かったなあ!! 宮城県沖地震

 片桐良太さん(15・B型)は、「学生の数が多いので、バイクの音が一日中絶えません。格好いいバイクが目に付くと、グウーッときます。早くぼくも乗りたいなァ、と思います」「ぼくが市長だったらですか? いつまでも、このままでいいです。幸せをいっぱい貰っていますから……。怖かったのは、幼稚園の時、宮城県沖地震。その日、広瀬川で遊んでいました。家の大きさほどの岩と土が、かたまったまま、ズドドドーンと落ちてきて、ぼく、転んでしまい、びしょぬれになって家に帰りました」

自動販売機が知る横丁のひとびと

「たけむら商店」の竹村美智子さん(40・A型)は、タバコの自動販売機を指さして、「バイクや自転車がとにかく多いんです。ホラ、バイクに股がったままタバコ買っているでしよう。この光景、日常茶飯事です。活気のある地域ですよ」

腕白小僧は軍略の天才政宗のごとし

 以前、ここの住人だった面来洋夫さん(52・A型)は、「腕白小僧時代、ずいぶん巾をきかせてましたよ。よそ者が来ると、みんなで結束して追い返したものです。前には広瀬川があって、敵(?)はそう簡単に攻めてはこられません。軍略の天才のような顔をして、伊達政宗きどりで采配(さいはい)を振っていました」

 血液型研究家の能貝俊覧氏は、O型は仲間を大切にする。そしてバイタリティ抜群といっていた。この地域はまさに、O型社会だろうか。(筆者は今回、血液型にこだわってみた)

 

資料提供:五十嵐さん(川内明神横丁)

 

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