川内町内会

仙台市青葉区川内
中ノ瀬町、大工町、川前丁、明神横丁、澱橋通、元支倉(一部)
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2021/6/27 合同地域清掃

2021年06月27日 | 活動・行事報告

大工町子供会、川内町内会
合同地域清掃
6月27日9:00~10:00

 

川内緑地(澱公園)には子供31人、大人39人の総勢70人が集まりました。
3年前 39人、一昨年 40人、作年 44人から参加者が格段に増加しました。
最長老の参加者が「子供が多いねぇ!」と感嘆の声をあげていました。
おかげさまで、川内町内では子どもの数が確実に増えています。
この春の小学校の新一年生は7人にもなりました。

 

清掃は、参加者の体温測定、手指のアルコール消毒から始まります。
降雨が心配されましたが、最後まで降られずにすみました。

写真の一部では、子供の顔にぼかしをかけています。
修正なしの写真はほかの写真と一緒に町内会集会所に掲示します。

 

お疲れさまでした!
秋の合同清掃は、10月17日(日)9:00~を予定しています。
また。みなさんで集まりましょう!

 

 

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げんき会(2021/6/18)

2021年06月18日 | 活動・行事報告
介護予防自主グループ
川内げんき会

6月18日10:00~11:40
 
コロナ禍で長い間お休みしていたげんき会を再開しました。

いつものように参加者はマスク着用、体温測定、手のアルコール消毒をします。
季節がよくなったので集会所のすべての窓、ドアを開放できました。

しばらくぶりなので、近況報告などのおしゃべりから始まりましたが、
8人の参加者は、大声を出さず、体も触れ合わないように注意しながら
ストレッチや筋肉トレーニングなどを楽しみました。

 

次回の予定は、7月16日(金)10:00~、川内町内会集会所です。
コロナウィルス感染の状況次第では取りやめになることもありますので、
ご承知おきください。

 

 

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2021/6/13 ふれあいネットワーク(報告)

2021年06月14日 | 活動・行事報告

旺盛に育つ雑草との格闘です!


川内町内会ふれあいネットワーク

6月13日7:00~8:00 三角公園


ようやく掲示板に開催案内を出しての実施です。
8人が参加して、ひたすら雑草を抜く作業で、最後に全体の清掃もしました。
来月はいよいよ花の植え替えです。

 

 

回は、7月11日7:00~ 三角公園の予定です。

 

川内を歩く阿部みどり女、そして小宮豊隆

2021年06月10日 | 川内・広瀬川あれこれ

 

澱橋上流の早朝の冬景色  (2009/1/17撮影)

 
 川内地区は広瀬川と青葉山丘陵に挟まれていて、市街地から川内に入るには大橋、仲の瀬橋、澱橋、牛越橋のどれかを渡らなければならない。

 「仙台地図さんぽ」 [1] によれば、その澱橋から牛越橋の間に松淵、新兵淵、観音淵、藤助淵(牛越淵)の4つの淵があったというが、現在、淵らしい状態で残っているのは新兵淵だけである。もっとも、この淵を松淵と呼んでいる人もいるが、地図上では松淵はもう少し下流で、今は瀬になっている場所である。

  世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる 
          読人知らず (古今和歌集) [2]

 新兵淵というのは、かつて右岸崖上の川内地区にあった旧陸軍第二師団の新兵がよく水遊びをしていたことに由来するという。

  二師団の垣長々と木の芽吹く
           
 阿部みどり女 [3]

 この句は、「逢里雨(小宮豊隆)先生と広瀬河原を歩みて三句」という前書のある一句である。
 阿部みどり女は、高浜虚子に師事し、長谷川かな女、杉田久女とともに日本の女流俳句の先駆者の一人である。東京で活躍していたが、太平洋戦争末期の昭和19(1944)年に河北新報の俳句選者を務めていた縁で河北新報重役の一力五郎の勧めで仙台に移住してから34年ほど仙台で作句生活を送った。
 阿部みどり女は仙台の人には良く知られた俳人であるが、逢里雨(小宮豊隆)先生については仙台ではあまり話題にならないようだ。小宮豊隆はドイツ文学者で昭和21(1946)年の定年まで東北帝国大学教授の職にあった。夏目漱石の門弟の一人ということはよく知られていると思うが、学者の仕事というものは、世間ではさほど話題にならないようだ。「漱石神社の神主」と揶揄されるほどに夏目漱石を崇拝していた弟子だったという。漱石全集の編纂に長く携わり、伝記など漱石についての著作も多い。
 
旧陸軍第二師団の跡地は、終戦後進駐してきたアメリカ軍の基地となり、その後東北大学キャンパスとなった。今はすっかりその面影はなくなったが、私が東北大学に入学した昭和39(1964)当時、教室やサークル部室に転用した米軍兵舎が残っていたし、将校の宿舎は教授などの官舎として使用されていた。当時、学部運動会の後の飲み会があって、すっかり酔ってしまった教授の一人をその洋風の瀟洒な官舎に送って行ったことがあった。56年も前の話である。(小野寺秀也)

[1] 「100年前の仙台を歩く---『仙台地図さんぽ』」(せんだい120アニバーサリー委員会、 2009年)。
[2] 『日本の古典 別巻2 古典詞華集二(小学館 昭和63年) p. 122
[3] 『定本 安部みどり女句集』(駒草発行所 昭和41年)p. 32。

 

 

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