川内町内会

仙台市青葉区川内
中ノ瀬町、大工町、川前丁、明神横丁、澱橋通、元支倉(一部)
HP & Blog

川内近辺のサクラ花 ⑥

2017年04月02日 | 川内・広瀬川あれこれ
(以下は、2014年のブログ記事からの転載です。)
 

 カメラ持参の早朝散歩がなかなか終らないのは、サクラの開花時期が長いためのようです。世間では花見気分はすっかり消えたように見えますが、歩いてみれば、ヤマザクラ系の木やヤエザクラがけっこうあちこちで咲いています。

  ゆく春や逡巡として遅桜  与謝蕪村 [1]



A (2014/4/23 5:57) 川内大工町から仙台二高前まで坂を上ってくると、仲の瀬橋の
西詰めの小さな三角公園に姿の良いヤマザクラが植えられています。
ソメイヨシノがすっかり終った頃に咲いているのでよく目立ちます。



B (2014/4/23 6:00) 仙台二高体育館の周囲にもたくさんのソメイヨシノが植えられて
いますが、それが散った後に一本だけこのヤマザクラが咲いていました。隣のソメイヨシノより
だいぶ背が低いが、一本だけの開花なのでよく目立っています。



C (2014/4/23 6:42) 仙台二高体育館脇の広瀬川沿いの道は桜並木になっていますが、
ソメイヨシノが終ってヤエザクラが咲くまでの間、ヤマザクラが咲いています。若葉の色が緑色
なので、ABとだいぶ印象が異なります。



D (2014/4/25 6:18) 西公園の広瀬川崖沿いに咲いています。ずっとヤマザクラだと思って
いましたが、満開になると花つきが豊かで、公園の崖沿いに並んで植えられているヤマザクラ系の
一本かもしれません。



E (2014/4/25 6:27) 西公園のまんなかに一本だけ咲いているヤマザクラ。



F (2014/4/25 6:34) 西公園、川沿いの道脇に帯状に植えられたケヤキやイチョウの
なかのヤマザクラ。



G (2014/4/25 6:35) 西公園の北の端、仙台市民会館近くのヤマザクラ。



H (2014/4/25 10:30) ヤマザクラばかりの時期と思っていたら、西公園の花見会場の中に
ヤエザクラの若木が花をつけていました。花見会場はなんとなく敬遠していたのですが、家犬
イオの狂犬病予防注射のために公園を抜けようとして見つけました。ソメイヨシノはすっかり
終って、場所取りもいない公園で幼稚園児が走り回っていました。 ヤエザクラなのに雄蘂が
たくさん残っている美しい品種です。



I (2014/4/25 10:41) 同じ花見会場にヤマザクラの若木が咲いていました。
花見席の案内看板の陰ですが、これも立派な美しいサクラです。



J (2014/4/25 10:44) 古木のサクラ。葉が出ていて、ヤマザクラに見えますが、
遅咲きのエドヒガンとも思われます。私は、このサクラをずっとエドヒガンだと思っていました。



K (2014/4/25 11:34) イオの狂犬病予防注射を終えての帰り足、また西公園を通って、
別のヤエザクラの若木を見つけました。花見宴席用の赤提灯がふさわしくないほど、
清楚な感じのするヤエザクラです。Hと同じように、八重なのに花弁が少なく、雄蘂が
残っているのが見えます。「シロタエ(白妙)」という旧来の品種に似ています。ひたすら
花弁数の多い派手な花が目標ではない園芸改良は、個人的にはうれしいと思います。



L (2014/4/25 11:34) 西公園の崖沿いにはヤマザクラ系の品種が植えられていますが、
そのほとんど咲き終わっているのに、今を盛りと咲いている木がありました。どう見ても、
咲き終わった手前の品種と同じように思えます。種類によって咲く時期が違ううえに、
同品種の間でも早咲き、遅咲きの差がだいぶあるようです。これだけ遅い木があると
すれば、Dのサクラも、やはり同じ種類なのでしょう。



M (2014/4/28 6:05) 仲の瀬橋下流、右岸にある河川敷公園(野球場)にある典型的な
ヤマザクラ。広い敷地に一本だけ咲いていていて、まだ若木ですがよく目立っています。



N (2014/4/28 6:12) その河川敷公園のがけの上、仙台二高体育館脇から入る桜並木
の道で、ヤエザクラが満開になってきました。これは、雄蘂がほとんど花弁化した種類で、
「カンザン(関山)」という種類によく似ています。



O (2014/4/28 6:12) 同じ並びにヤマザクラも植えられています。ヤエザクラとヤマザクラ、
この場所は西公園の賑わいの後のよい花見場所だと思いますが、人は多くありません。



P (2014/4/28 6:17) 反対方向からの写真。Oの反対側にもヤマザクラが咲いています。



Q (2014/5/4 6:22) 崖沿いの桜並木の道から旧仙台商業高等学校跡の空き地に入ることが
出来ます。旧仙商と二高体育館の境界に植えられているサクラのほとんどはソメイヨシノですが、
三本ほど五月に入ってから満開になっているヤエザクラの古木があります。「ショウゲツ(松月)」
という品種によく似ています。



桜マップ。AQ は撮影場所。地図のベースは「アトラスSV7」。

 

 今日では、すっかり青葉に染まっていて、季節はずれのサクラ花の写真整理という気分です。さて、サクラを愛でる歌はけっこうありますが、私の個人的な好みから言えば、サクラをただ単に言祝ぐよりも、次のような歌に惹かれます。


さくらさくら桜青葉の降り沈む墓地公苑にしんなりと、あめ
                 道浦母都子 [2]

さくらさくら我の嫌ひな日本語は「美しい日本語」
                 大口玲子 [3]


[1] 『日本の古典58 蕪村集・一茶集』(小学館 昭和58年)p.36。
[2] 道浦母都子歌集『花眼の記』(本阿弥書店 2004年)p.107。
[3] 大口玲子歌集『海量(ハイリャン)/東北(とうほく)』(雁書館 2003年)p. 153。

 

 


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川内近辺のサクラ花 ⑤

2017年03月30日 | 川内・広瀬川あれこれ
(以下は、2014年のブログ記事からの転載です。)
 
 サクラ花の写真を撮ろうと決めて、毎朝のように見境なく撮った写真がまだたくさん残っていて、もう少し写真整理が続きます。しかし、朝の散歩の範囲内にこんなにサクラの木があるとは、あらためて驚いています。
 旅行の途中で我が家に立ち寄った甥が、旅の途中ずっとサクラを眺めてきて、「たった一週間ぐらいのためにこんなにも植えてるんですね」と言っていましたが、私たちは、幼年期のチューリップのように遺伝子に埋め込まれてしまったようなサクラ好きなんでしょう。

 サクラと言えば、梶井基次郎の短編が有名ですが、伊藤桂一にも次のような良い詩があります。

 天神山へ桜を見に行った
 山口県都濃郡久米村の天神山へ
 ただ単に桜を見るために出かけた
 天神山の桜の中に立つと
 眼下に一列になって久米尋常高等小学校へ通う子供らの
  中に小学五年の小生の姿もみえる
 おおい と呼びかけたい懐かしさだ
 その行列の中のテルヒコ ノブオ シゲオ スエキチも
  みんな戦争で死んで
 天神山の頂の忠魂碑に祀られてしまった
 七十を越えた小生ひとりがいま桜ふぶきの中で涙ぐむ
 小生が天神山の桜をなぜ見に来たかを
 天神山の桜だけが知っている
 もはや人に何を語ることも煩わしい
 春のひと日 衝動的に
 わがうちなる少年に 桜ふぶきを浴びさせたくなってや
  ってきたのだ

           伊藤桂一「桜」 [1]

 この詩のように、哀切な記憶と結びついているサクラの花もあることを忘れないように、写真の整理を続けましょう。



A (2014/4/14 6:23) 西公園の広瀬通りの際に生えているシダレザクラ。
一重なのでベニシダレではないのでしょうが、そう呼びたくなるほど鮮明な印象の
サクラ木です。しかも花色には淡い色から濃色までグラデーションがあります。



B (2014/4/15 6:00) 仙台第二高等学校体育館の脇、広瀬川沿いの
ソメイヨシノの道。現在は、地下鉄工事のため通行止めになっていますが、
大橋まで続く道です。



C (2014/4/18 6:33) 上の道を進むと、ソメイヨシノに遅れて咲いていた若木。
すでに葉が出ていますが、ヤマザクラよりずっと華やかで、名前は分かりませんが
園芸種だろうと思われます。



D (2014/4/19 5:55) これも花と一緒に葉も出て来る種類の、西公園のサクラです
(地図には桜ヶ丘公園とありますが、少なくとも地元では道を挟んで両方を西公園と呼んで
います)。これもCとは異なりますが、これもヤマザクラの血を引く園芸種でしょう。
 道の南側の西公園は、たくさんの出店やテント席まで設けられた花見会場になっていますが、
朝はアルコール臭や独特の饐えた匂いがしてあまり近寄りたくありません。 30年以上も
この公園を横切って勤務先へ通っていたのですが、花見の時期の朝は気分のいいものでは
ありませんでした。それでも、よくしたもので、帰宅時頃には匂いが薄まっていて、大勢の
花見客は気分よく花見を味わうことができるようでした。



E (2014/4/19 6:17) 広瀬通り、立町小学校の正門脇のベニシダレ。
私にはとても印象的な花です。たぶん、広瀬通りを通って来る花見客にも
最初に目につくサクラだろうと思います。



F (2014/4/19 6:13) 広瀬通りの北側の西公園、広瀬川沿いの道のサクラ。
Dのサクラと同じ種類です。この種のサクラが南北の西公園の広瀬川崖沿いに
並んで植えられています。ソメイヨシノが終る頃から眺めることになります。



G (2014/4/19 6:13) 古木のエドヒガン。かつて西公園にはサクラの種名と場所を
表記した案内看板があって、どのサクラがなんという品種か分かるようになっていましたが、
地下鉄工事の関係からか、いまはもうなくなってしまいました。



桜マップ。AG は撮影場所。地図のベースは「アトラスSV7」。


 伊藤桂一の詩のような哀切なサクラもありますが、それを超えた達観のサクラもあるようです。

  なければないで、さくら咲きさくら散る  
               種田山頭火 [2]


[1] 『日本現代詩文庫6 新編・伊藤桂一詩集』(土曜美術社出版販売 1999年)p. 127。
[2] 『定本 種田山頭火句集』(彌生書房 昭和46年)p.165。


 
 
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川内近辺のサクラ花 ④

2017年03月28日 | 川内・広瀬川あれこれ

(以下は、2014年のブログ記事からの転載です。)

 家犬イオと早朝散歩に毎日出かけるのですが、この半年くらい、イオは東北大のキャンパスに行きたいと強行に主張することが多くなりました。もともと街中は好きではないのですが、大学キャンパスがお気に入りになった理由はよく分りません。
 18歳で東北大に入学し、そのまま定年退職まで東北大学にいたばかりではなく、ずっと近所に住み続けている私にしてみれば、東北大学キャンパスは珍しくも面白くもないところですが、「犬に引かれて大学参り」みたいな日を過ごしています。

 仙台城址の一部を含む東北大学川内キャンパスは、帝国陸軍第二師団、アメリカ進駐軍、東北大と住人が変化したので、サクラもまた藩政時代の古木からごく最近植栽されたものまでけっこう変化に富んでいます。


A (2014/4/13 6:29) 東北大学川内キャンパスのロータリー前の道です。
ここまでソメイヨシノの並木が続いています。



B (2014/4/15 6:14) ロータリーまで続く桜並木で「中善並木」と呼ばれています。
東北帝国大学に法文学部が創設された1922年から民法学の教授となった中川善之助は、
1961年に定年退官になりましたが、学生ばかりではなく市民にもたいへん敬愛された教授
だったそうです。市民の法律相談もされていて、今年110歳になる義母もお世話になった
一人で、今でも心から尊敬の念を抱き続けています。
 帝大で初めての学園祭では、学内の反対を押し切って学生と一緒に焼き鳥屋の主人になったと
いうエピソードがあって、それを感謝する学生たちが売り上げの一部で桜並木を植栽し、
「中善並木」と命名したといういわれのある道です。



C (2014/4/15 6:19) 古木のシダレザクラ。やや色の濃いものです。
 この付近は、アメリカ軍の将校宿舎があったところで、それをそのまま大学職員宿舎に
使用していた時期がありました。私が大学4年の頃、学科の教授の一人が住んでいて、
飲み会のあと酔った教授を送って来たことがある場所です。当時はここだけ、アメリカ映画に
出て来るような高級住宅地のようでした。いまは建物だけを撤去して公園になっています。



D (2014/4/15 6:25) 東北大学百周年記念会館「川内萩ホール」の前の広場の若木。
品種名ははっきりしませんが、ソメイヨシノのようにも見えます。



E (2014/4/15 6:27) 仙台城二の丸跡らしい古木のエドヒガン。
空洞になった幹の部分には詰め物がされて、保存処理が施されています。



F (2014/4/15 6:34) 仙台城本丸後への登り口にあるシダレザクラ。
これもたいへんな古木です。



G (2014/4/15 6:40) 本丸跡への道を登っていくと、左手に三の丸巽門跡(仙台市博物館南口)
へ下って行く道があります。その道脇にエンレイソウがたくさん生えていました。



H (2014/4/15 6:46) 三の丸巽門跡付近にはエドヒガンの大木がたくさんあります。
ソメイヨシノのように派手ではないですが、花見客も酔客もほとんどいない静かな場所で、
私のひそかなお気に入り花見場所です。



I (2014/4/15 6:49) 三の丸に沿う長沼の岸のソメイヨシノ。



桜マップ。AI は撮影場所。地図のベースは「アトラスSV7」。


(ブログ『ヌードルランチ、ときどき花と犬』から転載しました。)



 

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川内近辺のサクラ花 ③

2017年03月25日 | 川内・広瀬川あれこれ

(以下は、2014年のブログ記事からの転載です。)

 広瀬通りから仲の瀬橋を渡って、仙台二高、宮城県美術館と坂を上ると、東北大学川内キャンパスを経て、青葉山丘陵の北端の亀岡地区に出る。
 このあたりは、戦前には陸軍第二師団が置かれ、太平洋戦争敗戦後はアメリカ進駐軍の基地となり、次いで東北大学のキャンパスとなったが、さらに後には、道の北側に公務員宿舎が建てられた。
 
 今回は、宮城県美術館から亀岡神社近辺のサクラです。


A (2014/4/24 6:17) 宮城県美術館の隣のテニス場と公務員住宅の間の塀沿いに
咲いていたサクラ。花弁に特徴があって、「ウスズミ(薄墨)」という品種にそっくりです。



B (2014/4/24 6:19) 公務員住宅の裏手の駐車場脇のサクラ。葉もすでに出ている
ものの、ヤマザクラにしては濃い桜色です。小さな木ですが、とての華やかな感じがして、
園芸種の一つではないかと思います。



C (2014/4/24 6:22) 公務員住宅の敷地内の広瀬川沿いに生えている大きなサクラ。
ともにヤマザクラと思えるのですが、花色と葉色の組合せに微妙な差があって、違った種類の
ような印象を受けます。



D (2014/4/24 6:24) 公務員住宅の建物の間のソメイヨシノ。



E (2014/4/24 6:24) 公務員住宅内の広場脇のベニシダレ。上のソメイヨシノとともに、
サクラの木の大きさが公務員住宅ができた年月を示しているようです。



F (2014/4/24 6:35) 亀岡の建て替えたばかりの公務員住宅前のサクラの若木。
盛りを過ぎていましたが、とても色が濃くて、あまり見かけない園芸種のようです。



G (2014/4/24 6:44) 亀岡神社参道登り口のシダレザクラ。
樹齢330年を超え、仙台市の「名木古木88選」の一本です。残念ながら
花の盛りは過ぎていました。亀岡神社はここから石段をずっと登った
山頂にあります。



H (2014/4/24 6:45) 参道を挟んだ向かい側のベニシダレ。



I (2014/4/24 6:46) ベニシダレより少し奥に生えているシダレザクラ。
いまを盛りと咲いていますが、「名木古木88選」の一本と同じ種類のようです。



J (2014/4/26 6:29) 東北大学川内キャンパスから山頂の理薬キャンパス、
工学部キャンパスへ上る道脇のサクラ。東北大学図書館の北側です。
全体が緑白色に冴える色合いは、オオシマザクラの血を引く種類を思わせます。



K (2014/5/5 6:54) 川内から牛越橋へ向かう途中にある「川内亀岡公園」のヤエザクラ。
小さな公園ですが、5月5日に、4,5本のヤエザクラが咲き誇っているのはとても目を引きます。
花弁の中に葉化した雄蘂らしきものが見えるので「イチヨウ(一葉)」という品種ではないか
と思われます。



桜マップ。AK は撮影場所。地図のベースは「アトラスSV7」。


(ブログ『ヌードルランチ、ときどき花と犬』から転載しました。)


 

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川内近辺のサクラ花 ②

2017年03月23日 | 川内・広瀬川あれこれ

(以下は、2014年のブログ記事からの転載です。)

 サクラの花を見て歩こうと思って気づいたのは、たくさんの種類のサクラの花があるといつも思っていたのに、それを区別できるほどには種類を知らないということでした。
 そこで、ずいぶん昔の「週刊 朝日百科『世界の植物』」を納戸から引っ張り出してきました。週刊で一冊30ページほどの本ですが、全部で120冊もあって、その53巻が「サクラ」に充てられています。植物図鑑と言うよりは読み物が多い本ですが、いまはこの1冊だけが頼りです。

 今回は、澱橋を渡って角五郎丁近辺を歩いたときに見たサクラたちです。


A (2014/4/16 6:30) 澱橋の北詰、三角公園の一本(たぶん、ソメイヨシノ)。
まだ若い木だが、姿がいい。


B (2014/4/16 6:30) ソメイヨシノの脇のベニシダレ。この木もまだ若い。



C (2014/4/16 6:30) 上の二本の反対側に植えられているシダレザクラ。
この三角公園そのものが整備されてからさほど年月を経ていないのでどの木も若いのですが、
将来、大木になるとこの小さな公園にどうおさまるのか少し心配です。



D (2014/4/16 6:37) 尚絅学院の門前の民家のエドヒガンとシダレザクラの古木。
どちらも大木なので、花の拡大写真はせいぜい右の写真(シダレザクラ)の程度です。



E (2014/4/16 6:41) 空き地(民家跡)に残されているベニシダレ。



F (2014/4/16 6:49) 中島丁公園のシダレザクラの古木。
宮城第一高等学校(旧宮城第一女子高等学校)の門を過ぎて右折、坂道を少し上ると中島丁公園
があります。「天賞酒造」という造り酒屋の庭園を仙台市が買い上げて公園としたそうです。



G (2014/4/16 6:50) 中島丁公園のベニシダレ。ベニシダレとしては珍しく大きな木です。



H (2014/4/16 6:52) これも中島丁公園のシダレザクラ。
古木の風情がよく出ています。



I (2014/4/16 7:02) マンションと社宅の奥の斜面のシダレザクラの大木。
このあたりは、広瀬川の河岸段丘の崖が走っています。エドヒガンやシダレザクラの古木は、
この崖の上の古くからのお屋敷に植えられていたことがうかがえます。



桜マップ。AI は撮影場所。地図のベースは「アトラスSV7」。


(ブログ『ヌードルランチ、ときどき花と犬』から転載しました。)



 

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川内近辺のサクラ花 ①

2017年03月21日 | 川内・広瀬川あれこれ

(以下は、2014年のブログ記事からの転載です。)

 仙台のサクラの季節は終りました。イベントとしての花見はしませんでしたが、わが家のイオとの早朝散歩で近くのサクラをいつものように見て歩きました。そのとき、これまではサクラを見るときはどちらかと言えば風景として眺めていて、一目千本桜のようなスペクタクルを喜んでばかりいたように思いました。
 それで、少しはサクラの花一つ一つを見てみようと思って、毎朝カメラを持っての散歩となりました、残念ながら、思いついた頃には盛りを過ぎようとしていましたが、それでも4月半ばから末まで楽しめました。

 まずは、広瀬川沿いの澱橋と仲の瀬橋の間の地区のサクラです。



A (2014/4/14 6:07) 仲の瀬橋の上流、左岸の堤防に1本だけ生えているシダレザクラ。




B (2014/4/14 6:15) 仲の瀬橋の西詰めのまだ若いシダレザクラ。



C (2014/4/15 5:58) 仙台第二高等学校の東面のソメイヨシノ。



D (2014/4/16 6:12) 右岸堤防のどん詰まりのソメイヨシノ。



E (2014/4/16 6:12) 広瀬川河川敷公園の端に1本立っているサクラの木。
花の付き方はソメイヨシノらしくない。



F (2014/4/16 6:20) 仙台第二高等学校のグランド脇の古木になってしまったソメイヨシノ。
古木の間に若いサクラが植えられています。



G (2014/4/16 6:20) グランド脇のソメイヨシノの古木の間に植えられた濃い桜色のサクラ。



H (2014/4/16 6:25) 澱橋南詰めにある早坂病院前のソメイヨシノ。



I (2014/4/20 6:32) 宮城県知事公館門脇のサクラ(たぶんエドヒガン)。



J (2014/4/20 6:35) 知事公館から「新坂(にいざか)」を広瀬川の方に降って来ると
民家のエドヒガンとシダレザクラの大木があります。遠目にはとても美しいのですが、
個人宅なので遠くから見るばかりです。



K (2014/4/20 6:40) 広瀬川の河川敷の若木(花の付き方からソメイヨシノらしい)。
広瀬川の中州や寄り州の撤去工事に伴って植えられたものらしい。



L (2014/4/29 6:23) 広瀬川の河川敷公園、澱橋の南端の下の八重桜。
色の濃さの違う2種類が植えられています。品種名は不明ですが、
上は「カンザン(関山)」、下は「ショウゲツ(松月)」という品種によく似ています。



桜マップ。AL は撮影場所。地図のベースは「アトラスSV7」。


(ブログ『ヌードルランチ、ときどき花と犬』から転載しました。)



 

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土井晩翠の広瀬川

2016年12月08日 | 川内・広瀬川あれこれ

 前に、島崎藤村を引き合いに出したが、仙台といったら、仙台出身の詩人、土井晩翠を欠かせない。広瀬川が登場する土井晩翠の詩は、私の知るかぎりでは2編ある。どちらも詩集「天地有情」におさめられている。

都の塵を逃れ來て
今わが歸る故郷の
夕涼しき廣瀬川
野薔薇の薫り消え失せて
昨日の春は跡も無き
岸に無言の身はひとり

       土井晩翠「廣瀬川」部分 [1]

同じ昨日の深翠り
廣瀬の流替らねど
もとの水にはあらずかし
汀の櫻花散りて
にほひゆかしの藤ごろも
寫せし水はいまいずこ。
       土井晩翠「哀歌」部分 [2]

  これらも七五調の古格の詩である。藤村とは異なり、この地を故郷とする詩人らしい。「都の塵」と「故郷の/夕涼しき廣瀬川」の対比とか、「廣瀬の流替らねど/もとの水にはあらずかし」とあるのは、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にはあらず」 [3] という古典「方丈記」を下敷きにしていることなど、高い教養を共有する時空で表現が成立しているように見えるのは、明治近代詩の特徴なのかも知れない。あるリアリティ表現があって、そこから突き抜けて(昇華して、あるいは抽象化作用があって)間主観的な時空を形成するのが、文芸表現なのではないかと思っている私には、このような格調高い詩は、若干、苦手なのである(単に私の教養の問題ではあるのだけれども)。
  「岸に無言の身はひとり」とあるのは、時には仕事も忘れて、広瀬川で一人釣りをしていた身と重ね合わせると、いくぶん物悲しいものがある。

時を得てむかしの友は榮ゆらん釣する翁見れば悲しも
                                             正岡子規 [4]

 この翁は、きっと私だ。


[1] 土井晩翠「天地有情」『世界名詩集大成16 日本I』(平凡社 昭和34年) p. 109
[2] 土井晩翠「天地有情」『世界名詩集大成16 日本I』(平凡社 昭和34年) p. 101。
[3] 「日本の古典 37 方丈記 徒然草」(小学館 昭和61年) p. 17。
[4] 正岡子規「子規歌集」(岩波文庫 昭和3年) p. 21。


(HP 『ブリコラージュ@川内川前叢茅辺』から抜粋、転載しました)



 

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広瀬川畔の二人の俳人

2016年11月12日 | 川内・広瀬川あれこれ

 〔広瀬川左岸の西公園の〕桜ヶ丘神社の脇には、芭蕉の句碑がある。その流麗な草書体は、私にはほとんど読めないのだが、「田植うた」がかろうじて読み取れたので次の句であると思われる。

風流の初(はじめ)やおくの田植うた   松尾芭蕉 [1]

 この句は、福島県須賀川市あたりで詠まれていて、仙台とは特に関係があるわけではないが、「みちのく」の句ではある。

  俳句と言えば、西公園のこのあたりで近代俳句の二人の巨人が、広瀬川越しに仙台城趾の灯火を見ていたらしいのである。

 碧梧桐君も余もだんだん学校へは足を向け無くなつた。余は東京で買つた文学書類に親しんだり、文章を書いて見たりした。碧梧桐君も同じやうな事をしてゐた。日暮になると二人は広瀬橋畔 (ひろせけうはん) に出て川を隔てて対岸の淋しい灯火 (ともしび) を見ることを日課にしてゐた。其灯火をぢつと見てゐることは腸 (はらわた) を断つやうに淋しかつた。
 其灯火もだんだんと寒くなって来た。我等は行李から袷 (あわせ) を出し綿入を出して着た。銭湯の裏座敷に並べた机の上の灯火も寒い色が増して来た。
 仙台に留まることは三月許 (ばか) りに過ぎなかつた。二人は協議の上又退学といふ事に決した。

と、高浜虚子が書いている [2]。 明治27年、学制改革があって、高浜虚子と河東碧梧桐が旧制二高に転入したときの話である。全く同じ時期のことを碧梧桐も回顧している [3]

……学校に在ること僅に三月、無謀にも退学を敢てして、仙台を去つたのは丁度この月のけふであつた(11月6日[引用者注])。……(中略)……広瀬川を隔てて青葉の城趾に対する公園に来て、虚子と毎夜のやうに納涼(すヾ) んだ。城趾に見ゆる一点の灯火を見て、灯火の美といふことを虚子が説いた。余は非常に感服して聴いた。

 虚子21才、碧梧桐22才のことである。 当時、二人はすでに正岡子規門下の双璧として注目された存在であった。後に「写生」を唱える彼らが、その後も長く旧制二高に在学していたら、広瀬川にとどまらず、仙台の地を詠う多くの写生句が生まれたことであろう。すこし惜しかったな、という気がする。

[1] 松尾芭蕉「おくのほそ道」『日本の古典 55 芭蕉文集 去来抄』(小学館 昭和60年)p. 58。
[2]
高浜虚子「子規居士と余」『現代日本文學大系19 高浜虚子・河東碧梧桐集』(筑摩書房 昭和43年) p. 310。
[3]
河東碧梧桐「三千里」『現代日本文學大系19 高浜虚子・河東碧梧桐集』(筑摩書房 昭和43年) p. 361。

 

(HP 『ブリコラージュ@川内川前叢茅辺』から抜粋、転載しました)



 

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広瀬川と島崎藤村

2016年11月07日 | 川内・広瀬川あれこれ

 縛り地蔵から宮城県立工業高校の裏を経て霊屋橋のすぐ下まで、長い河川敷公園が造られている。明治時代にはもちろんこの公園はないのだが、広瀬川や仙台というとよく引き合いに出される文学者の一人である島崎藤村もこの辺を散策したのではないかと、つい想像してしまう。というのも、この辺は東北学院大学にもっとも近いので誤解しやすいのである。
 当時の東北学院は、東二番丁と南町通りが交叉する角にあったので、このあたりが1番近いというわけではない。藤村が25才の明治29(1896)年9月~明治30(1897)年7月までの9ヶ月間の東北学院勤務を終えた翌年に「若菜集」が出版されているが、広瀬川が詩に現れるのは1カ所だけである。

   その鬣(たてがみ)の艶なきは
   荒野の空に嘆けばか
   春は名取
(なとり)の若草や
   病める力に石を引き
   夏は国分
(こくぶ)の嶺を越え
   牝馬にあまる塩を負ふ
   秋は広瀬の川添の
   紅葉の蔭にむちうたれ
   冬は野末に日も暮れて
   みぞれの道の泥に饑
(う)
              島崎藤村「牝馬」部分 [1]

 「国分の嶺」がどこを指すのか、私にはわからない(国見という丘陵は仙台市西北部にあって、市内からよく見える)。それに、この詩句からは、藤村が名取の地や広瀬川をどのように感じていたのかはよくわからない。七五調で格調を重んじる近代詩の特徴ではある。残念ながら、藤村が広瀬川を散策したのかどうかも、この詩からは推量できない。

[1] 島崎藤村「若菜集」『現代日本文學大系13 島崎藤村集(一)』(筑摩書房 昭和43年) p.13。


(HP 『ブリコラージュ@川内川前叢茅辺』から抜粋、転載しました)



 

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古地図で見る川内

2016年09月28日 | 川内・広瀬川あれこれ

 

川内の歴史を地図の変遷でたどります
(現代から江戸まで古地図で遡っていきます)
 
 
 
平成28年(2016)年


ゼンリン地図「いつもNAVI(PC)」から


昭和27年(1952)年


『仙台市街明細地図』(金港堂、昭和27年) 復刻版(仙台市歴史民俗資料館)
仲の瀬橋が「中澱橋」と記されています。



昭和4年(1929)年


『大日本職業別明細図』(宮城県、昭和4年) 復刻版(仙台市歴史民俗資料館)
仲の瀬橋の位置が「大橋」とされていて、大橋には橋名がありません。


大正15年(1925)年

『仙台市全図』(川名文明堂、大正15年) 復刻版(仙台市歴史民俗資料館)


大正6(1914)年


『大日本職業別明細圖』(宮城県、大正6年) 復刻版(仙台市歴史民俗資料館)


明治44(1911)年


『地図名不詳』(東洋造畫館、明治44年)


明治20(1889)年


出典不明(明治20年頃)


天明6(1786)年


『仙台城下圖』(天明6(1786)年~寛政元(1789)年頃)


正保2(1645)年


『奥州仙台城絵圖』(正保2~3(1645~46)年頃)
もっとも古い仙台城下の地図ということです。現在の川内大工町の付近に
「侍屋敷」のほかに「中間屋敷」、「職人屋敷」が記されています。
「中間」は「小人」とも呼ばれていました。



 

 

 

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