叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

 すべて無料です、気軽に読んでください。

人間賛歌 信仰に生きる 四十二

2009年11月11日 | 信仰に生きる

 座談会 最終回 *

私は不眠症に悩んで精神的に強い自分をつくろうと思い、信仰する気にな
ったのですが、具体的に願いが叶うという、今まで聞いたこともない話しを
聞いて、始は半信半疑でした。

しかしその場にいた大勢の人の確信ある態度と、私のことを心から思って
くれる人たちの暖かい振舞いに、

「よし ! この人たちの仲間にならせてもらって、この信仰で苦境を開いてい
こう。」 
 と深く決意したのです。

最後に全員で題目を唱えて終わりました。
午後七時に始まった会合はキッカリ八時半に終わり、一つのムダもない見
事な会合でした。
外に出ると冷気が心地よく、空には三日月が光り輝いていました。

 *
 日名子さん、
「先生、座談会って活気があって、おもしろそうそうですね。
それに、漢字で書いた座談会と、カタカナでザダンカイと書いたのがありま
したが、ナゼですか ? 」

 私、
「老若男女に子供をふくめた同じ地域の人たちが集まって、語り合うという
のは雰囲気が良くてとても意義があります。
私も始めのうちは何か違う世界に来たみたいでしたが、なれるに従って大
好きになりました。

この場面にはありませんでしたが、座談会御書というのがありまして、月一
回の会合には必ず全員で日蓮大聖人の御書を学びました。
最初に私が驚いたのは、お年寄りや若い女性、それに小中学校の子供ま
でが、古文で書かれた御書をすらすら読んでいるのを見て、感動したことで
した。

私自身は社会経験もあり、世の中のことも相当勉強してきたつもりでいまし
たが、座談会に来るようになって自分が知らない事が多いのに驚いたほど
です。
結局私を含めて多くの人は、うわべだけのどうでもよい知識は持っていて
も、本当のこと、例えばじぶんの命の境涯(レベル)とか、心の状態について
ほとんど無知だったのです。

カタカナでザダンカイと書いたのは、
創価学会が広めている日蓮仏法は今、世界百九十二カ国まで広まってい
ます。
どこの国でも座談会をやっていますから、ザダンカイが世界共通語になっ
ているのです。外国ではザダンカイと発音して通じるのですよ。」

 日名子さん、
「インターナショナルなのですね。知らなかったわ。
どうでもいいことは知っていても、肝心のことを知らないとさっき言われまし
たが、私もそうでしたわ。 もっと知りたいと思います。」

 この稿終わり       

 お知らせ
「信仰に生きる」はこれで終わり、次回から「幸せに生きる」で続ける予定
です。

    

 


人間賛歌 信仰に生きる 四十一

2009年11月09日 | 信仰に生きる

 幸福に絶対なれる。 (座談会続き)   *

「この御本尊に願えばどんな願いでも叶う」という中心者の言葉は私の関
心を強くひきました。

 私
「ほんとうにどんな願いでも叶うのですか。私の借金も返すことが出来るで
しょうか。」

 中心者
「必ず叶います。
これはあなたを元気づけるために、気休めやへ理屈で言つているのでは
ありません。そのための信仰なのです。
あなたがマジメに信心に励んでいけば、あなたが願うこと、いや願った以
上の結果がキット出てきます。

ここにいる皆さんは、みんなそれを体験されています。ですからみんな喜
んで信心をしているのです。

 みなさん、どうですか !
中心者は顔をあげて会場の人たちに問いかけました。」

 ゼツタイですよ、 必ず叶います !
参加者の力強い声が返ってきました。声を出さなかった人も私の目を真っ
すぐ見て、「間違いないですよ。」と瞳で語っていました。それは微塵も疑
いのない確信に満ちた表情でした。

中心者は話を続けました。

「東京の銀座七丁目にGというフグ料理店があります。今も繁盛していま
す。その店の主人も戸田先生にすすめられて御本尊を頂き題目をとなえ
ています。
主人は店に来る客や、知人で悩みを持った人がいると必ず信仰をすすめ
ました。この信心をするとどんな願いでも必ず叶い、絶対に幸せになれる
から・・・

難しい理屈や説明抜きで、絶対に幸福になれるから。
この一点だけで人々に法華経の信仰をすすめました。
私の言ったことがウソで、もしあなたが幸せになれなかったら、この店をあ
げる。というのが決まり文句でした。

店の主人は今までに七百人以上の人に法華経を教えたのですが、
だれひとりとして、ウソだったから店をくれ。と言ってきた人はいませんでし
た。

 大地を指してはずれることがあっても、たとえ太陽が西から出ようとも、
潮の満ち干がなくなるようなことがあっても、この御本尊に祈って叶はない
事はないのです。

中心者の気迫のこもった声でした。

次回に続く  

 

   


人間賛歌 信仰に生きる 四十

2009年10月29日 | 信仰に生きる
 願いが叶う御本尊 (ザダンカイ続き)  *

 中心者は居ずまいを正して話を続けました。

「いまから七百五十年前、何回も命の危険にあいながら法華経を修行され
た日蓮大聖人が、ご自分の生命の中に宇宙にもつながる強大な仏界の生
命が確かにあることを悟られて、その強大な仏界の生命を図に顕し、
御本尊として残してくださいました。

私たちには、そんな強大な生命が自分の中にあるとは想像もできなかった
のですが、日蓮大聖人は各人に具わっている強大な生命を引き出すに
は、この御本尊を拝んで、
「南無妙法蓮華経」と唱えれば誰でも、一人の例外もなく仏界の生命を現
すことができると教えてくださっています。
あなたもこの通りにすれば、今まで想像もしていなかった仏界の生命を現
すことができます。

 日蓮大聖人がお約束くださっているのですから、絶対にウソではありま
せん。これは私一人の考えで言っているのではなく、ここにいる皆さんが
日夜に体験し、実感していることです。」

 私、
「私は会社の倒産以来、不眠症になって夜眠れなかったのですが、
題目を唱えるようになってから、グッスリ眠れるようになりました。それも、
その仏界の生命というのが出ているからでしょうか。」

 中心者、
「その通りです。
この御本尊を信じて「南無妙法蓮華経」と唱えると即座に仏界の生命が
現れます。仏界の生命が現れると、苦しみ悩む地獄界の生命は冥伏して
隠れてしまいます。
苦悩する生命が隠れて力強い仏界の生命が現れれば、心配や不安はな
くなり、希望と勇気が心を支配するようになって、安心して眠れるようにな
ったのです。

気をつけて欲しいのですが、苦しみ悩む生命は一時的に隠れているので、
無くなったワケではありません。
なにかの縁で、たとえば借金取りが催促に来るとかすれば、また現れて
あなたは苦しまなければならなくなります。どんなことがあっても題目を唱
えて仏界の生命を出し、地獄の生命を冥伏させることです。

特にあなたの場合は、
絶えず題目をあげて、仏界の生命を出し続けていかなければなりません。
その内に、ああ、こうすればよいのだ。 というような当面の問題を片付け
る智慧が必ず出てきます。

どうかガンバってください。この御本尊に願っていけば、どんな願いでも必
ず叶いますから。」

次回に続く    


  

人間賛歌 信仰に生きる 三十九

2009年10月27日 | 信仰に生きる

 鏡に写った汚れた顔 *

 座談会は初めて来た私にもわかるほど盛り上がっていました。

私は中心者が言った、福運をつけるという言葉が気になっていました。
以前友人から、「おまえは運のよいヤツだ」と言われたことはありましたが、
福運をつける、という言葉は初めてでした。
 運をよくする。そんなことが出来るのだろうか。

中心者の話は続きました。

「あなた(私のこと)は会社が倒産して借金ができて、それで苦しんでいると
思っているでしょうが、それは本当の原因ではなくて、さきほどの女性の研
究発表にありましたように、あなたの生命の中に元々ある、苦しみ悩む地
獄界の生命が現れているのです。

事業の失敗や借金は地獄界の生命を現す縁に過ぎません。
その苦しみ悩む地獄界の生命のクセを変えないかぎり、今回は切り抜けて
も、また何かの縁で苦しまなければならないのです。

あなただけでなく大部分の人は、表に現れた結果を変えようとして努力し、
あせりますが、
これは顔の汚れを落とそうとして、懸命に鏡を拭いているようなものです。
鏡ではなく自分の顔が汚れているのが原因ですから、それに気づき変えな
ければなりません。」

 原因を変える。私には思いがけない言葉でした。

 私
「じゃあOさん(中心者の名前)、
私が借金まみれで苦しんでいるのは結果で、私の生命の中の苦しみ悩む
原因から変えなければならないと、言われるのですか。」

「そうです。」

「その原因を変えるにはどうすればよいでしょうか。私にも出来るでしょう
か。」

「ももちろん、あなたにも出来ますし、誰だって出来ます。
現にここにお集まりのみなさん、お年寄りや子供さん、男の人も女の人も
みんな実行しています。あなたに出来ないハズは絶対にありません。」

次回に続く   

 あとがき
万事は因果の法則で成り立っていることを知っただけでも、ここを見た人は
幸運です。因を変える方法は次回に出ます、お楽しみに。



  


人間賛歌 信仰に生きる 三十八

2009年10月17日 | 信仰に生きる

 座談会 続き。 *

 やがて中心者(責任者)は新来者の私をみんなに紹介して、信仰をしよう
とした動機を話すようすすめました。
みんなも待っていたように、大きな拍手が起こりました。

私は立ち上がり、中心者に招かれて前に出るとみんなに向かって話ました。

「私は脱サラをして、苦労してつくった会社を三つとも潰してしまいました。
そのうえ不眠症になって夜眠れなくなったのです。
私の妻は長いこと皆さんと同じ信仰をしていたのですが、事業の成功で思
い上がっていた私は妻の信仰を止めさせてしまったのです。

そのあげく、同じ所にいるとまた妻が信心しだすかも分からないと思って、
この地に家を求めて引っ越してきました。
違う所に住めば妻も信心のことは忘れるだろうと思ったのです。

それから三、四年の内に三つあった会社が次々に倒産して残ったのは借
金だけになりました。
窮状を見かねた友人が持ってきてくれた本に、
「法華経に背いて失敗した者は、法華経で立ち直るしか方法はない。」と
書かれていたのが私に丁度当てはまるようなので、信仰しようと思ったの
です。」

会場に大きな拍手が湧き上がりました。

「よかったですねえ、おめでとう  ! 」大勢の人が口々に言いました。

会社が倒産したのに、よかったねえ、おめでとう。とはどういう意味だろう。
私はすぐには理解できなかったのですが、会場を埋めている百人近い人
が、一人も残らず自分のことのように喜んで、心から祝っていることは間違
いありませんでした。

「夜になり寝ようとしても眠れなくて、枕元にウイスキーのビンを置き、アル
コールで頭を麻痺させなければ恐くて横になることが出来なかったのです。
それが題目を唱えた夜から、酒なしで眠れるようになりました。」

また一段と大きな拍手が起きました。

私は実際に不思議に思っていました。あの日以来、頭が割れそうになる
恐怖は一度も起きていなかったのです。
 私が話し終わると、中心者は、

「あなたの奥さんの信心で、あなたは信心できたのだと思いますが、
本当に良いことに気がついてよかったですねえ。
せつかく苦労してつくった会社が潰れたことは、一面から見ればお気の毒
のように思いますが、会社が潰れたおかげで信心する気になったのですか
ら、結果的には良かったのです。

もし会社が潰れず信心に反対したままでいたとしたら、あなたの将来はど
うなっていたか分かりません。会社はまたつくればよいじゃあないですか。
大事なのは福運をつけることです。福運がなければ何をしても結果は良く
ありません。
 福運をつけるにはこの信仰をしていく以外にないのです。」
 と言いました。

次回に続く  



 


人間賛歌 信仰に生きる 三十七

2009年10月15日 | 信仰に生きる

 座談会 *

前回の折伏体験は、入信四年目に起きた出来事です。
途中を飛ばしましたので、今回は時計の針を逆に廻して入信したころに戻
します。

創価学会に入り法華経の信仰をするようになった私は、ある日妻と一緒に
近所で行われた座談会(同じ信仰をしている同志の会合)に出席しました。

会場には百人ちかい男女がいて、お年寄りや子供もいる賑やかで明るい
雰囲気でした。
歌があり、笑いと拍手があり、信仰の体験談ありで、
始は、面食らうほど変化に富んだ朗らかな会合で、私はいままで経験した
ことのない別の世界に来ているようでした。

その内に、若い女性の研究発表がありました。
テーマは「法華経で説く生命の十界論」でした。

「私たちの生命には十種類の境涯があり、それが原因となって、それぞれ
の環境になり、十界の内のどれかを現しながら生活している。」
 という内容でした。

「苦しみ悩みながら、それをどうすることも出来ず、怒りを感じながら生きて
いる地獄界の境涯、欲張るガキ界、愚かな畜生界、弱い者には威張り強
い者にへつらう修羅界、平和で穏やかな人間界、喜んでいる天界で、
ここまでを六道といい環境に支配されている境涯です。」

と彼女は言いました。

「欲しいものを手に入れて喜んでいても、それを無くしたり、
次に欲しいものが出来たりすると、それを手に入れようとして元の苦しむ
境涯に陥ってしまうように、周囲の環境に左右されるからです。」
続いて彼女は、

「環境に支配されるのではなく、逆に環境を自分の思う通りに変えていくこ
とのできる強い生命の境涯があります。
それは人生の真実・真理を求めて生きる声聞・縁覚界、エゴを捨てて利他
に生きようとする菩薩界の生命。
そして最も力強くて何があっても恐れず、一切の試練を楽しみながら悠々
と乗り越えていく仏界の生命も私たちの生命に平等に備わっております。

これを現実の生活のうえに現していくのがこの信仰の目的で、それは題目
を唱えることによって誰にでも出来ることです。」
 と結論しました。

美しく輝いた顔で、声はここちよい音楽を聞いているようでした。

会場にいるお年寄りも若い人も、子供もまでもがみんな理解しているよう
で、彼女の発表が終わるといつせいに拍手が起きました。

 次回に続く   

  


人間賛歌 信仰に生きる 三十六

2009年09月30日 | 信仰に生きる

 魔競わずば正法にあらず *

その当時私はMという男性を折伏していました。
Mは数年前まで、兜町一のヤリ手の証券マンとして羽振りがよかったのです
が、株で大損をし、その穴埋めに会社の金を使い込みました。

会社はMを横領罪で告訴し、Mは数年間刑務所に入りました。
彼を有名にしたのは、損金が大きかったことと、彼が取引していた金融会社
や、銀座のクラブにいたるまで一切迷惑をかけず、キレイに清算したことで
した。

「悪いことはしたが、弱い者にしわよせしない、キップのいい男じゃないか」

と評判になったのです。
私は、彼が生まれ変わって刑務所を出ることを願い、「小説・人間革命」を
十冊差し入れました。
人間革命の中に、戸田先生が刑務所の独房で悟達する場面があります。
彼はその独房の掃除をしていたことに、すごく感激しました。

出所後Mは入信を決意し、私と度々会っていました。
会社の近くの喫茶店でMと入信手続きの打ち合わせをしていたところを、
例の役員に見られたのです。

 「ヤツ(私のこと)は兜町で一番危険な男とつきあっている。
 このままでは危ない、今のうちにやめさせておこう。」
と役員は考えたのです。 次の日総務部長が私を呼んで、 

「キミには悪いが、雇用契約は打ち切りにするので辞表をだしてくれない
 か、これは役員の命令なんだ。」
と申し渡しました。

折伏すると魔が
妨害すると聞いていましたが、魔の乱舞に驚いて、私は
学会本部に行ってワケを話し、どうすればよいか指導を求めました。

そのときの指導は、
「たしかに折伏をすると魔が現れて妨害することは御書にある通りです。
あなたが一度に二人を折伏しょうとしたから、魔も余計に力をいれて妨害
していると思います。
魔の正体は御本尊にしたためてある第六天の魔王ですが、魔王は仏の
勢力が広がって、自分の領域が狭くなるのを恐れます。

そこであらゆる手段を使って妨害しようとしますが、これには絶対負けて
はいけません。

魔が競うといっても御本尊様の慈悲の中での事ですから、
あなたを強くするために試練を与えている、と取ることもできます。
獅子は自分の子を谷底に突き落として、自力で這いあがった子を育てると
言いますが、それと同じです。

あなたなら試練に耐えられると、御本尊が認めたから、魔の乱舞を許され
ているのでしょう。ここは信力を奮い立たせて乗り切ってください。」

と激励されました。

事業に失敗して無一文になり、再びむかえたピンチの中で、種々悩んだ
末、私が出した結論は、
「人にはあって、自分にあるものは何もない。
 ただ私にはご本尊様がある。このご本尊様を信じ抜いて生きていこう。」
というものでした。

「法華経を信じるものは冬のごとし、冬は必ず春となる」
 このご金言がより処でした。

この稿終わり。   


人間賛歌 信仰に生きる 三十五

2009年09月28日 | 信仰に生きる
 競い起こる災難 *
日名子さん、
「お知り合いの方凄いですねぇ、それで先生のほうはどうなりました。
おおきい功徳があったのでしょう。」

わたし、
「それがねえ私のほうは逆で、おおきな災難が次からつぎに起きたのです」

日名子さん、
「人に善いことをしてあげたのに、なんで先生が災難にあうのですか、
理解できませんねえ。」

わたし、
「当時私が勤めていた証券会社の有力な役員が、大の学会嫌いでしてね。
「ヘビと創価学会は大嫌いだ。」と公言してはばからないほど反学会だっ
たのです。私はその証券会社に入るとき役員の世話になりましたし、
その後も何かと援けてもらっていましたので、私が学会員であることは隠し
ていました。

それが入信した彼(以後Kとよびます) のコンサルタント会社が、どんどん
大きくなり兜町でも評判になったのです。

そのKが学会員であることも知れ渡りました。
兜町は超保守的なところでしたから、創価学会というと共産党と同じぐらい
嫌っていました。
Kが学会員であることは当然役員の耳に入りました。

「ナニ、ヤツが学会員だと、そんなことは今まで聞いていなかった。
 いつたいダレが、ヤツを学会に入れたんだ。」

ということになり、紹介者が私であることがわかったのです。」

日名子さん、
「ばれちゃつたのですね。
 学会大嫌いのその人はおこったでしょう。」

わたし、
「今まで人一倍大事にしてくれていたのが、手のひらを返したように邪けん
になりました。
たまたま私の大口の客が株で大損をして、損したカネの一部を私に負担
しろと、脅迫めいたクレームをつけてきました。

私が応じないと宣伝カーを会社の前につけて、私と会社の悪口を言いふら
しだしたのです。これには弱りまして、結局損金の一部を私が負担して話
がつきましたが、
そうしているときにまた大きな災難が起きたのです。

次回に続く   
  

人間賛歌 信仰に生きる 三十三

2009年08月24日 | 信仰に生きる

 信仰生活とは *

日名子さん、
「へえー、先生は禅もなさっていたのですか。見直しましたわ。」

ジッチャン、
「見直されるほどのものではありませんが、とにかく座禅をしていると、無心
になるどころか、借金のことばかり頭に浮かんで、居ても立ってもいられなく
なるのです。

そのせすか、相当重い不眠症にかかりましてね。
これについては前に言いましたが、法華経の信仰をするようになって、この
悩みはなくなりました。」

日名子さん、
「先生にお聞きしたいのですが、信仰をするとは生活面とか何かで、
変わることがあるのですか。
仏教は戒律が厳しくてとても難しいと聞いたことがありますが。」

ジッチャン、
「日名子さん、信仰したからといって朝晩の勤行(ゴンギョウ)する事を除い
て、特別に変わったことはありません。
勤行というのは、法華経方便品(ホケキョウホウベンボン)と、如来寿量品
(ニョライジュリョウボン)の経を読んで題目を唱えることです。

戒などはありませんが、日蓮大聖人の教えを書いた御書の勉強会と、
同信の仲間が集まって語り合う座談会というのが月に一回あります。これ
には参加するよう奨められます。もちろん強制ではありませんが。」

日名子さん、
「お経を読むといいますと、お坊さんが読んでいるようなことをやるので
すか。」

ジツチャン、
「お坊さんが読むのは法華経ではありません。
法華経は一番挌の高い経なので、お布施を特別にはずんで頼まないと
読んでくれません。宗派によって違いはありますが・・

 私たちが朝晩読んでいるのは、法華経の中でも一番大事な方便品の
一分と、如来寿量品の一分を声を出して読みます。全文を読むと時間が
かかりますので肝心のとこだけ読むのです。

 経を読んだあと南無妙法蓮華経と唱えますが、これは何べん唱えると
いう定めはありません。
自分の好きなだけ十分でも三十分でも、自分の都合で唱えればよいので
す。子供さんでもやっていますから難しいことではありませんよ。」

 注
方便品 釈迦と同じ仏の命が全ての人に具わっていることを教えている。
壽量品 仏の命が生滅を超えて永遠であり、福徳が無量であることを教え
ている。

つづく   


   


人間賛歌 信仰に生きる 三十二

2009年08月05日 | 信仰に生きる
 法華経にたどりつく *

日名子さん、
「先生、奥さんに反対してやめさせた法華経の信仰を、先生がされたことは
ちょつと意外です。
よろしかったら詳しいいきさつを教えていただけないでしょうか。」

ジッチャン、
「前回私が学会に入ったワケを言いましたが、実はその時私は宗教を求め
ていたのです。
そのころ「平常心」という本がでましてね。
たしか高橋某という、松下電器の社員教育の責任者が書いた本でした。

それを読んでその内容にひどくひかれたのです。
平常心というのは、何があってもビクともしない強い心のことで、仏教では
不動心というそうです。
これを身につけておくと、人生の途上でどんなことに出会っても、うろたえず
落ち着いて対応でき、平常心を得るには宗教を持つことが一番近道である
と、書いてあったのです。

私は当時大きな借金を抱えており、借金取りにあうのが恐くていつもびくび
くしていました。
 そんな弱い自分を変えて、借金取りにあっても平然としておられる強い心
になりたいと思っていたのです。」

日名子さん、
「それですんなり法華経の信仰に入ったというワケですか? 」

ジッチャン、
「いや、そうではないのです。
平常心を持つには宗教が必要だと書いていましたが、どの宗教がいいか
という点については書いていなかったのです。

 そこで自分でキリスト教や禅の勉強をしました。
キリスト教は内村鑑三の著書を読んでずいぶん勉強しましたが、聖書のな
かに、「富めるものはますます富み、貧しいものはますます貧する」という
文がありましたので、貧乏している私には向かないなと思いました。

 また禅も、禅の本を読み、家内にかくれて自分の部屋で座禅を組んでい
ました。

禅の教えは、この世の一切は空で、有でもなければ無でもない。だから世
間の雑事を離れて、ひたすら座禅を組み、大自然と自分が一体であると
悟るのが修行であると教えていましたので、そのとおりにしていました。

注 内村鑑三 明治時代の大思想家、キリスト者で無教会主義を唱えた。

つづく