日本に渡ってきた仏教経典の全てを集めた大正大蔵経典というのがあ
ります。
大正時代につくられたもので、釈迦の教えを漢字でビッシリ書いたのが百
巻あり、一巻は千ページあるそうです。
キリスト教の聖典といわれる聖書は、新訳と旧訳の二巻ですし。。
イスラム経のコーランは一冊であることを思いますと、仏教経典の量が比
べようもなく多いことが分かるでしょう。
人類のかけがいのないこの経典を、全世界に伝えようと世界中の仏教学
者百数十人が分担して、英訳する計画が進んでいますが、全部訳すのに
何百年かかるか見当もつきません。
いままでにやっと出来たのがアソカ王伝と妙法蓮華経の二つだそうです。
釈迦の滅後二千数百年のあいだに、
インドからヒマラヤ山脈を越え、生きて帰った者がないといわれる大砂漠
を通って中国に渡り、そこからさらに海を渡って日本にきたのです。どれだ
けの人が身命を投げ打ったかはかりしれません。
かりにその経典を全部読んだとしても、日蓮大聖人が残してくださった法
華経の肝心、御本尊にめぐり合わなければ、末代の凡夫である私たちが、
法華経の信仰を持ち続けることはできないでしょう。
日蓮大聖人ご自身が受けられた数々の大難はもとより、弟子たちが受け
た難、特にその中でも信心して日の浅い神四郎、弥五郎、弥六郎の三兄
弟がいのちをかけて信仰を守ったことが縁になり、大聖人は人類救済の
大御本尊を残してくださいました。
以上のことや、
創価学会初代会長牧口先生の獄死、二代、三代会長の死身弘法の恩を
思えば、なんの労苦もなく御本尊を持った私たちは、感謝しても感謝し尽
せるものではありません。
少々の難に驚き肝をつぶすようでは、大聖人の弟子とか、学会魂の持ち
主とは言えないのです。
ともあれ、御本尊に題目を唱えることがいかに稀有なことか、自身の福運
に感謝するのみであります。
以上