叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

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人間賛歌 乱世に勝つ生命観を持とう 十三

2010年11月02日 | 乱世に勝つ生命観を持とう
 仏教の生命観 *
 
 仏教では本シャクという 考え方があります。
 本が元で、シャクは仮または影の意味です。
 これを生死に当てはめますと、
 死が本(元)で、生はシャク(仮または影)に当たります。

 釈迦は、
 自分は今までに生じたこともなければ、
 死したこともない。(不生不滅)
 常にこの世界にいて、衆生にこの事実を説いている。
 と述べています。

 これを知らない人間は、
 死は無であると考え、忌み嫌ってきました。
 この考えは今も変わっていません。
 死は人間が考えても理解できない妙(不可思義)の域で、
 宇宙すべてのエネルギーです。

 太陽も、星星も、地球も、
 このエネルギーが造り現したシャクであります。
 このエネルギーは他を幸せにする利他(奉仕)の
 行動をすることが特徴です。

 地球上のあらゆる存在で、
 利己を目的とするものはありません。
 利己のようであっても、必ず他の役に立っています。
 有毒の硫化水素を喰って、酸素を出す微生物や、
 炭酸ガスを喰って、酸素を出す植物の例は、
 みんなが知ってる事実であります。

 ただ、人間とガン細胞は、利己のために生き、
 他に奉仕する生き方を知りません。
 人間が戦争をしたり、他を犠牲にして自分がトクを
 する生き方をするのは自己愛のためです。
 ガン細胞もそうです。自分の仲間を増やすために、
 他の細胞を殺してしまいます。

 人間は死が本で、生がシャクであることを、
 知ろうとしません。
 それ故にシャク(夢まぼろしの欲の世界)で、
 四苦八苦を繰り返し続けているのです。
 その結果、死を恐れ、生に執着して生きるのです。

 死と生の関係を悟った人を、覚者とも仏ともいいます。
 有名なのが、インドの釈迦、中国の天台、
 日本の伝教、日蓮らの聖人です。
 特に日蓮は、今まで言葉でしか伝えられなかった
 この事実を、
 すなわち、「死が本で生がシャクである」真実を、
 目に見える形にして書き現しました。

 そして万人がこれを悟る仏法を教え広めたのです。
 これが日蓮自身の生命を書き現した御本尊であります。
 日蓮は「妙は死、法は生なり」といい、
 生死は不二なりと教え、南無妙法蓮華経と唱えると、
 生死不二の仏の命を現せると自身も実践し、
 他にも勧めました。

 次回に続く  

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人間賛歌 乱世に勝つ生命観を持とう 十二

2010年09月10日 | 乱世に勝つ生命観を持とう
 信仰するのはナゼ *

 人間の能力は無限であるが、
 信仰の力を使わずに、引き出すことは出来ない。

 人間の欲望は無限である。
 信仰の力を借りずに、制御することは出来ない。

 信仰するということは、人間である証である。
 同じ生命体であっても、
 動物や魚、植物が信仰心を持っているとは思えない。
 信仰は人間だけに与えられた、特権なのだ。

 「死の瞬間」を書いてベストセラーになり、
 世界を驚愕させたキュプラー・ロス博士は、
 六万人の末期患者のケアをした。
 ロスが面接した末期患者の中で、落ち着いて死を
 迎い入れた患者は、殆ど信仰を持っていた。

 亡くなった両親や、友達にあえるから
 死ぬのは恐くない。などなど...
  宗派によつて違いはあっても、生命の永遠性を
 信じている人がおおかった。

 反対に、優秀で仕事もバリバリやっていた人ほど、
 死に対して恐怖をいだき、最後まで死を拒絶して
 逝った例がおおかった。

 今は乱世というより悪世である。
 わが子を虐待して殺す生みの親、
 ささいなことで恩ある親を殺す子、
 わずかなカネを取るために人を殺すもの、
 死刑になりたくて、たくさんの人を殺す正常者、
 なんの理由もないのに殺されて、殺されたワケが
 わからず、犯人も分からないのがかなりあるようだ。

 人間は何千年も前の原始人に還りつつあるのだろうか。

 大部分の人はマジメで、
 善良な市民として生活している。
 かれらは宗教の違いはあっても、
 なんらかの宗教を信じている。
 自分が信じる宗教の掟、人を殺すなや、
 宗教的良心に従って、自らを制御する。

 不幸(悪)と決別し、人類が滅亡の危機を脱するには、
 宗教が必要であると、気付くことだと思う。

 続く  

   

人間賛歌 乱世に勝っ生命観を持とう

2010年05月20日 | 乱世に勝つ生命観を持とう

  人間は死んでどこえいくのだろう ? 

 人間は母の胎内から生まれて、
ひとりで死んでいくが、死んだあとどこえいくのだろう。
 これは長いあいだ、人間が抱えてきた疑問である。
今も、将来も、変わることはないだろう。

 釈迦は、、、
死の恐怖から開放されるために、
 王子の地位を捨てて出家した。
長いあいだ修行した結果、
生命の本質を悟り、死苦から開放された。
 釈迦の悟りを明かしたのが法華経である。

 生まれたり死んだりせず、
永遠に続く仏の命を弟子に教えたが、
 釈迦の境地に達しない弟子たちは、
法華経を聞いても理解できなかった。

 弟子のひとりが釈迦に、、
死んだあとどこえいくのですか、と質問したが、
 釈迦は黙して答えなかった。と言う。

 日蓮大聖人は、
無実の罪を着せられ、
 竜の口の刑場で、首を斬られそうになった。
 だが、
不思議な"光りもの゛が現れて斬首を免れた。
斬首に失敗した鎌倉幕府は、
 日蓮を佐渡え流罪したのである。

 このことについて、日蓮大聖人は、
後日、このように述べられている。
 日蓮と言う者は去年の暮れ、
相州、竜の口で首を斬られて終わった。
 今は、釈迦の悟った仏の命が佐渡の国に来て、
弟子たちに、
仏教の法門を書いて送っているのである。

 生死に束縛された九界の凡身が終わって、
自身の仏界を現したことを示したのである。
 これを見る人は、不思議に思うだろうが、
大事なことを伝えたいので、
 恐れずに読んでもらいたい。と。

 九界の凡身を離れ、生命本来の仏身を現したと、
書き残されている。

 生死の苦に束縛された九界しか知らない凡夫は、
死んで終わると思い込んでいる。
 だが、、
仏界を悟った仏は、不生不滅で、、
常楽我浄(清浄でいつも悦んでいる)の仏の命に、
 九界が具足していることを知っている。
だから九界の死を恐れることはない。

 なにものにも束縛されない、
自在の境地を悠々と進んでいくのだ。
 これが、、人間の幸福の究極であり。。
これになるために人間は生まれてきた。
 法華経が教える生命観の大要は以上である。

 続く  

 


人間賛歌 乱世に勝っ生命観を持とう 十

2009年12月19日 | 乱世に勝つ生命観を持とう


 生命があって、
 それにみんな生かされているのに、
 それを忘れて、自分が生きていると思い込んでいる。
 そしてやがてみんな死んでいく。

 生まれてから死ぬまでの、わずか百年足らずを、
 全てであると勘違いして、短い時間の中を、
 生、老、病、死の四苦、憎みあう、親しい人と別れる。
 求めても求めても得られない悲しみ。  
 生きていることが苦痛である。
 というような人生送っている。

 生命そのものは、
 無始無終であって、生もなければ死もない。
 そして本来は、快活で、元気がよく、明るくて、
 思いやりがあり、勇気があって、
 人生を楽しみながら生きていく、
 特質を持っているのが人間の本性だ。
 これが生命本来の姿で、これが我らの本体なのだ。

 ところが人間は、生命(本体)に生かされているのに
 それを忘れ、本体の影であるこの世をおびえ、
 四苦八苦で送るのだ。

 蓮祖聖人は、
 「仏法は体の如し世間は影の如し、体曲がれば影斜めなり」
 と言われている。
 体を直せば影は真っすぐになるのに、
 曲がった体はそのままにして、影だけ直そうとしている。
 その結果、悪いのは社会や他人だと勘違いする。

 社会や他人が悪いのではない。
 全て我が生命が現す影であるのに、
 気がつかないで、世を嘆き他人をうらやむ。
 特に今の時代は、絶望の時代といわれ、
 前途に希望をなくし、社会は荒れ放題である。

 このままでいいのだろうか ?

 今こそ生命本来の特性に目覚めて、
 希望の時代を開くべきではなかろうか。
 みんながその気になって、自己の生命を磨き、
 心を鍛えて、他を思いやる慈悲の心を持った時、
 全ての問題は解決する。と私は思う。
 そして希望に満ちた新年を迎えたいと願っている。

 以上   

 


人間賛歌 乱世に勝つ生命観を持とう 九

2009年11月02日 | 乱世に勝つ生命観を持とう

 心の財(たから) *  

 人はだれでも幸福を求めて生きている。
 あるものは財産を求め、
 あるものは地位や名声を求め、
 あるものはスポーツや、精神の鍛練にそれを求める。

 たった一度しかない人生を、
 (本当はそうではないが、みんなそう思っている)
 あくせく忙しく、走り廻ってくらしている。

 末法の法華経の師・蓮祖聖人は、

 「蔵の財(たから)よりも身の財すぐれたり、
 身の財より心の財第一なり」  御書1173頁
  と言われている。

 蔵の財がいくらあっても、心が貧しければ幸せでない。
 身の財・特別な技能や才能、地位名声を持っていても、
 心が貧しければ、喜びは感じられない。

 心の財第一とは、
 心が豊かで、大安心の境地であり、
 この世が好きでたまらない、と大歓喜する心の状態だ。

 それらは、必ずしも財産を必要としないし、
 特技や特別な才能を持つ必要もない。
 財産はあっても、いつなくなるか分かりはしない。
 特技や才能があっても、歳をとると衰える。
 才能はあるにこしたことはないが、心に比べれば全てではない。

 困難を避けず、真正面から乗り越えて、
 鍛え抜いた心は、歳をとっても衰えない。
 (鍛えた筋肉でも歳をとると衰えるが、鍛えた心は衰えない。
   名著「人間この未知なるもの」の著者アレクセス・カレルの言葉)

 恐怖から開放され、大安心の境地に立ち、
 宇宙の真理と共に生きる大歓喜の心は、
 過去、現在、未来の三世に亘って続くと、仏教は教える。
 これが三世不変の心の財である。

 たぶん皆さんは信じないだろうが、これが真実なのだ。
 みんなが真実と思っているのは、夢の中の出来事を、
 本当の事と思い込んでいるに等しい。

 鍛えられた心は、人にやさしい心だ。
 自分が強くなければ、人にやさしく出来ない。
 よく鍛えた、やさしい心が心の財である。
 心の財第一を知ったあとは、心の財を積むことを心がけよ。
  と蓮祖聖人は教えている。

 続く  

 


 

 


人間賛歌 乱世に勝つ生命観を持とう 八

2009年10月13日 | 乱世に勝つ生命観を持とう

 釈迦が悟りを開いたあと、 かっての修行仲間にあって、
 最初に言った言葉が、 
 「不死は得られた」 であったと伝えられている。
 釈迦は生老病死の四苦から開放された、自由な魂を求めて
 修行に入った。

 一説では、十九歳で出家 三十歳で成道したと言われる。
 「不死は得られた」 ということは、
 死はないことを悟ったに通じる。
 不生不滅で (生まれたり死んだりせず)
 常に存在する生命(仏の命)を、自分の生命に覚知したのだ。

 釈迦が悟ったときの言葉は有名であるが、
 詩的で実感がつかめないから、 ここでは省略する。
 要約すると、
 真実を悟った歓喜に打ち震えている、 自分の心を詩的に
 表現したものである。

 悟りとはなんだろう。 釈迦は、
 「我即宇宙 宇宙即我」という有名な言葉を残している。

 我は宇宙なり、 釈迦の心が宇宙であり、
 宇宙は釈迦の心である。 と言うのである。

 釈迦の心は、 生きとし生けるものを安穏に、 幸せに
 と願い、その実現のために行動する心であった。
 宇宙は我なりであるならば、 宇宙も釈迦同様
 万物をいつくしみ、 幸せにしたいと願う、慈悲の心
 てなくてなんであろう。

 宇宙が自己中心で、 自分のために動きだしたら、
 宇宙の今の姿はないだろう。
 (自己中心のガン細胞は必ず死滅する)
 このことは一流の科学者や、 人のやり得ない大事業
 を成し遂げた人たちが知っている、共通のことである。

 彼らは慈悲の正体である 「南無妙法蓮華経」を知らないから、
 グレート・サムシングと呼んだり、
 いかなる智者でも説明することが出来ない、
 無限の叡智、と言ったりしたが、

 私たちが受持している御本尊は、
 宇宙の究極・慈悲を顕したものだ。

 なんの労作もなく、苦行して心を鍛えることもなく、
 ただ、南無妙法蓮華経と唱えるだけで、
 釈尊が悟った永遠の生命と、その生命に具わる
 無量の智慧が、 また
 自在神通・慈悲の力(日蓮大聖人の言葉)が、
 自然に私たちに譲り与えられるのだ。

 これほどの喜びがあるだろうか。
 地球(宇宙)はすばらしい。 歓喜に満ちあふれている。
 と、叫ばれる世界に私たちは住んでいるのだ。
  それには人間革命するという条件があるが・・

 つづく

 注 
 悟るまでの釈迦は、自分の四苦を解決するために出家したのであって、
 他者の救済が目的ではなかった。




 

  


人間賛歌 乱世に勝つ生命観を持とう 七

2009年09月11日 | 乱世に勝つ生命観を持とう
 恐怖心の壁を破る *

 心理学者は、 人間が本来持っている能力を使えないのは
  恐怖という壁が心にあるからだ、 と指摘する。   
 そして、すべての恐怖心の根源が死えの恐怖であり、
 死の恐怖を克服しない限り、 人間は限界を超えることは
  難しいだろうと言う。

 人間はだれでも、幸福になるように設計されて生まれてきた。
 だが大部分の人が、不幸のまま、
  人生を終えているのはナゼだろう。
 彼らは、自分に与えられた能力に気がつかず、使うことを
  しなかったからだ。


 大事業家で哲学者の アンドリゥ・カーネギーの後継者で
 カーネギーの成功哲学を世界に広めた
  ナポレオン・ヒルに、ひとりの娘がいた。
 あるとき娘を車の助手席に乗せて、ドライブしていたとき
 たまたま、墓地にさしかかった。

 娘は、 「パパ みんな死んだらあそこえ行くのね、」
 と墓地を指してヒルに言った。
 ヒルは娘の歳では少し早いが、ちょうどよい機会だから
  言っておこうと思った。

 「アリサ 人間はいずれ死ぬが、死で終わってしまうのではなく、
 死はより高いレベルに進むための通過点なのだ。
 だから 不安に思うことも、恐れることもないのだよ。」
  と言った。

 ベストセラー「死の瞬間」を書いた、精神科医キュブラー・ロスは、
 講演会に来たたくさんの聴衆の前で、

 「みなさんがフツウ考えているような、死は存在しません。
 肉体は死んでも、私たちの意識(心)は 存在しています。
  それが楽しいものか、つらいものかは別として、存在することは
 確かです。

 みなさんは信じないでしょうが、
 いずれ みなさんが死んでみれば 分かることですから。」
  と言うのが常であった。

 六万人以上の臨死体験者と 直接面接し、
 死後の世界があることを書いた ロスの著書は
  世界中に衝撃を与えた。  続く

 付記
 南無妙法蓮華経と唱える人は、大安心の境地になって、
 恐れることがなくなるから、自分が持っている能力をフルに
  発揮できる。 これが信仰の功徳だ。
 題目を唱えることがいかにスゴイか、みんな元気をだそう !

人間賛歌 乱世に勝つ生命観を持とう 六

2009年08月20日 | 乱世に勝つ生命観を持とう

 魂の再生 *

 宗教を持たないものは 魂がないのと同じだ、
  と言った賢者(ガンジー)がいる。
 偉大なものを信じ 近づこうと精進するから
  人間は偉大になれる。
 
 力のないハエでも 駿馬につかまれば千里を走り
 自力では高く伸びれない蔦でも
  松の木にからめば 空高く伸びることができる。
 と聖訓(意訳)にもある。

 宗教を持つのは 人間だけだ、動物には宗教心がない。
 倫理とか 道徳とか 人の道とか、 言葉はいろいろあるが、
 宗教的信念に基づく、 自制心がなければ、
  本物の力とはなり得ない。

 ところでY新聞の調査によると、
 宗教は必要ないと答えた人の割合が、

  日本    七十パーセント
  イギリス  三十パーセント
  アメリカ  十パーセント  

 で、日本が断トツ、 トップであった。

 どの宗教も 命の大切さを説いている。
 そして命の永遠性を求めることでも 共通している
 日本が自殺大国であるのも
 わずかの金欲しさに ヘイキで人を殺すのも
 たくさん人を殺せば 死刑になれる
  と無表情で言う犯人を見て 驚くのも

 宗教を持たない国だから しようがないのだろうか。

 青少年に宗教心が芽生えるよう、
 義務教育で宗教の基礎知識を 教える必要があると思う。
 信仰を持つか どの宗教を持つかは
 子供たちが大きくなって 自分で決めれば良い事だ。
  宗教を持たないことも含めて、

 おとなが出来ることは これ以上魂のない人間の仲間を
 祖国に増やさないことだ、 と私は思う。

 つづく      

 


人間賛歌 乱世に勝つ生命観を持とう 五

2009年07月26日 | 乱世に勝つ生命観を持とう

  言葉は残る * 

 ノーベル賞作家 川端康成が、
 千万言をついやしても、 これほど哀切な言葉を
 書くことは出来ない。
  と嘆いた、 円谷幸吉の遺書の部分を紹介しよう。
 合掌する気持ちで・・

 オリンピックのメダル候補として、
 日本中の期待を一身に受けていた
 マラソン選手 円谷幸吉が自殺したのは、
 千九百六十八年一月九日であった。

 日本中を驚愕させた事件なので、 覚えている人もいるだろう。

  遺書 
 父上様 母上様、 三日とろろ美味しゆうございました。
 干し柿、餅も、 美味しゆうございました。

 厳兄 姉上様、 しめそし 南ばん漬、美味しゆうございました。
  中略・・
 父上様 母上様、 幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって
  走れません。 何卒お許し下さい。
 気が休まることもなく、 ご苦労 ご心配をおかけ致し
  申しわけありません。
 幸吉は、父母上様の側で暮らしとうございました。

 陸上自衛隊  三等陸尉  円谷幸吉
    (つぶらやこうきち  1940ー1968 )

 ご遺族の心情を思うと 遺書の全文は書けない。
 これほど家族を思いやる やさしい心を持ち
 食べ物にまで愛情を持てた、 表現力豊かで
 前途洋々だった人が、 ナゼ死を選んだのだろう。

 「いのちこそ宝なり」の宗教を、もし持っていたらと悔やまれる。

 死者に鞭打つ気持ちは さらさらないが
 自殺率世界一の国に生きている人に、
 どうしても書いておきたいことがある。

 だいぶん前のことだが、 二十世紀の聖女といわれた
 マザー・テレサが 日本を訪ねたことがあった。
 
 新聞記者が、 マザー・テレサに質問した。
 「あなたは世界中を廻っておられるが、
 世界で一番貧しい国はどこだと思いますか。」

 マザー・テレサは、
 「世界で一番貧しい国は、 アフリカの国でもなく、
 アジアの国でもなく、 この国です。
 お金はあるかもしれないが、 苦しんでいる人を
  思いやる心を持たない 心の貧しい国です。」

 と答えたという。

 次回に続く     
 

 

 


人間賛歌 乱世に勝つ生命観を持とう 四 

2009年07月08日 | 乱世に勝つ生命観を持とう


 上杉謙信が出たので、 織田信長にも出てもらおう。
 「人間五十年 化天のうちにくらぶれば
 夢 まぼろしのごとくなり」
 信長が好んで謡った謡曲 敦盛の一節である。

 謙信も信長も、 死が来ることを覚悟して、
 日常これに備え、 振舞っていたようだ。

 死に臨んでも動揺しない心、 平常心は、
 臨終のことを習わないと得られない。

 世界最強といわれた、 ロシアのバルチック艦隊を撃破して、
 世界中を驚かせた、 海軍大将 東郷平八郎は、
 バルチック艦隊の大船列を見ても、
 平常心で戦えたことが、 勝因であった。 と述懐している。

 乱世に勝つ生命観を持つことの、 キーワードは、
 臨終のことを習うことと、 平常心を持つことにありそうだ。


 長征に図書館を携行したほど、 読書好きであった毛沢東は、
 晩年、病床で身動きもできないのに、 読書をやめなかった。
 見かねた側近が、

 あまり根をつめてはからだに障ります。
 と言ってとめたが、 毛は読書をやめなかった。
 彼がそのとき読んでいたのは、
 新合金技術の本であったといわれる。

 死の床にいる病人が、 難解な、
 しかも彼の人生と関係なさそうな 本を読んでいるのを知った
 側近のひとりが、
 なんでそんな本をお読みになるのですか。 と聞いた。
 
 毛は、 今は役にたたなくても、
 千年後に役にたつかもしれないと思ってね。 と答えた。

 毛は宗教を否定する、 共産主義者である。
 毛がどんな宗教観を持っていたか、 定かでない。
 ただ、 毛は宗教を否定しなかった。

 「民衆が信じている宗教のことを、 指導者が知らなくて、
  どうして彼らを導いていけようか。」

 というのが毛の考え方で、 実際に宗教書を熱心に読んだようだ。
 自分か気に入った本は、 幹部たちにも読むように奨めたと言われる。
 毛は人生はこの世だけではないと、
 直感していたのかもしれない。

 同じことが日本の経営の神様、 松下幸之助についてもいえる。
 松下は、
 人間は宇宙根源の法とでもいうものに、 生かされているのだから、
 人間生命はこの世だけのものではないと思う。
 
 と、語ったと言われている。

 つづく