叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

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人間賛歌 ひとこと

2010年08月31日 | ひとこと

 脱小沢の意味 *

 小沢一郎氏の盟友渡辺恒三氏は、小沢氏を諸悪の根源と言った。

諸悪とはワイロや政治資金不正使用もふくむが、小沢氏が日本を不幸
(悪)
にした張本人だと言っているように思う。

日本国がデフレになり、二十年以上国民は不幸を感じている。
そのキッカケは宮沢内閣が不信任案で潰れたときにある。自民党を二
つに割って小沢グループが不信任案に賛成したからだ。

以後の小沢氏は党を渡り歩き、新党を造ったり壊したり、みんなを巻
き込んで不幸えの道を突き進んでいる。

脱小沢は単に小沢対管の対決ではなく、不幸と決別できるかどうかの
分かれ目だと思うが、どうだろうか・・

  
  


「目覚める人・日蓮の弟子たち」三十七

2010年08月30日 | 小説「目覚める人」

 法華経の行者 十一 

 雅子は、昨夜の小源太の態度を苦々しく思っていた。火事場に行こ
うとする義昭を雅子が、大事をとって引き止めたのを、小源太が無視
して行かせた事である。
 あの人は私の言うことなど聞いたことがない、と夫を不満に思って
いた。

 京の藤原一族の公家の娘だった雅子は、勝気でわがままいっぱいに
育った。四人姉妹の一番下だったせいもあって、両親も、年の離れて
いた三人の姉も、雅子の言うままに扱い可愛がっていたので、いつも
自分が中心でなければ気にいらなかったのだ。
意に沿わないことがあれば、機嫌が悪かったのである。

 政治の実権が武家に移ったとはいっても、長い伝統としきたりを重
んじる京の貴族階級の勢力は隠然として残っていた。

格式を重くみる京の貴族と実力本位の東国の武家の生活は、雅子のよ
うな生い立ちの者には馴染むのが難かしかったのだ。

寝る時も太刀を枕元に置いて放さない小源太との生活も、彼女には野
蛮な行為に映っていたのである。人と人が殺しあう武家の社会より
は、蹴鞠や和歌に明け暮れた京での生活に愛着を感じていた。
京育ちの三郎の妻かねと、時折会って都の話をするのが雅子の唯一の
慰めであった。

 

 寿光寺に火事があって住職が焼死した事件から二さんにち経ったあ
る日、小源太は彦四郎を供に名越に行くと言って館を出た。名越とい
うのは同じ北条一門の名越時安のことで、屋敷が名越にあったので名
越どのと呼ばれていた。
 小源太の娘且子が嫡男の知時に嫁いでいたのである。

続く   


人間賛歌 所感(政治経済)

2010年08月28日 | 所感

 思いきってやってみなはれ *

 円高が進行して日本の輸出企業、特に中小企業が悲鳴をあげていま
す。
政府、日銀も打つ手がなくて困っているようです。株価の動きがそれ
を表しています。

現在の日本の株価は世界的にみて低い水準に置かれています。三割ぐ
らい割安になっているという説もあります。

一株当たり純資産倍率(純資産を発行株数で割ったもの)が1.01倍ぐら
いですから、純資産百億の会社が百億で買収できる計算になります。
会社には、
純資産だけでなく、歴史、のれん、取引先、社員その他の人脈がから
んでいるので、 実際には純資産の二倍三倍に株価が評価されてもお
かしくありません。

伝聞ですが超優良会社のA製薬会社が、純資産の0.6倍に低評価されて
いる現状は異常で、金融財政当局の怠慢は非難されるべきでしょう。

 拡大志向の中国が、そのような日本の会社を見逃すワケがありませ
ん。自国の強い通貨の特権をいかして、めぼしい日本の会社をことご
とく買収することも出来るのです。

日銀には円資金がいくらでも有ると思います。
それを世の中に廻せば二十年来のデフレを解消できるかもしれません。
貸し出し意欲のない銀行間に資金を出すのではなく、証券市場に資金
を注入することです。

日本の企業が外国に買収されるのを防ぐ防衛策ですから、大義名分も
たつでしょう。
株価が下がって三百兆円を割り込んでいる時価総額が五百兆円にでも
なれば、好況感がでて質のよい内需が盛り上がってきます。

 政府、日銀にはもっと柔軟な考え方をしてもらいたいと思います。
国民が求めているのは明るい希望ですから。

  


人間賛歌 ひとこと 一

2010年08月26日 | ひとこと
 民主党の代表選びを見て *

 自分でリスクを背負って政治家になり、総理にまでなった管首相は
強いものをもっているようだ。

「国会の解散権は自分が持っているのだぞ」と伝家の宝刀をちらつか
した。これでは小沢氏や、まして一年生議員は太刀打ちできないだろ
う。
諸悪の根源(小沢氏の盟友、渡辺恒三氏の言)、脱小沢が日本が幸せに
なる条件であると思うからだ。

伝え聞きであるが。管総理は市川房江氏の影響を受けて政治家を目指
したそうだ。市川房江氏は岡本かのこ氏と並ぶ有名な法華経の信者で
あった。管総理に仏教的発想があるのはそのせいかもしれない。

   

人間賛歌 小我(苦悩)から大我(歓喜)へ 八

2010年08月25日 | 小我(苦悩)から大我(歓喜)へ
 自浮自影の鏡(法華経のこと) *

 日蓮大聖人は法華経を鏡にたとえて、次のように述べられていま
す。

「法華経は人の影を浮かぶるのみならず、心をも浮かべ給えり。
心を浮かぶるのみならず、先業をも未来をもかんがみ給う事くもりなし」
 神国王御書 1521ページ

 鏡が無ければ自分の顔を見ることができません。
鏡を見て、自分の顔が汚れていないか、苦痛でゆがんでいないか、喜
んでいるか、などをを知ることができます。

仏教の因果の法を知っていれば、自分の心を磨いて汚れた顔や、苦痛
でゆがんだ顔を根本から治すことが出来ます。
喜んでいる顔であれば、さらに心を磨いていっそう強く壊れない幸福
境涯になるよう励むカテになるでしょう。

 ただし、
これは鏡の表に向かっている場合で・・
鏡に写った像が見えますが、鏡の裏に向かっていては何も写りませ
ん。真っ黒でそこに写っていると思うのは錯覚(先入観念)で、自分の
心か生み出した幻のようなものです。

自分の心の中にある、貪る心、怒り苦しむ心、真実を知らない愚かな
心、慢心する心、疑う心、
客観的にみて誤っているのに自分の誤りを認めない心、
自分の心の中に歓喜する仏界の心があることを信じず、仏界があるこ
とを信じている人をバカにしたり、誹謗してその人を嫌悪する心。

以上の消極的な心が感じるもろもろの悩み、苦しみが鏡に写っている
ように思うのです。
鏡の裏を見ているのですから、本当は何も写っていません。だが自分
の心が生み出した幻想であることに気がつきません。
この状態が小我にこだわる人の特徴で、十界の中の九界の境涯の人で
す。

それに対して仏は鏡の表に向かっています。

鏡の表には森羅万象がことごとく写っていて、もれるものはありませ
ん。鏡は小さいので万象を浮かべるのはムリだと思うでしょうが、
向きを変えたり、望遠技術を使えば、宇宙のかなたにある星でも写し
だします。

鏡は仏の智慧が広大無辺であることをたとえたもので、全宇宙や、過
去、現在、未来に生じる出来事を正確に知見します。
万象を起こす法則があって、それを知り尽くした仏の智慧は、三世を
見通して狂いがないのです。

鏡の表に向かう人を仏といい、大我の人ともいいます。

続く  

 

「目覚める人・日蓮の弟子たち」三十六

2010年08月23日 | 小説「目覚める人」

 法華経の行者 十   

「はい、近くの民家にわけを話して休ませてもらいました。火傷もな
いようなので元気になったら、何か着る物を与えて帰すよう、銭を少
し渡しておきました。」

「それはよいことをなされた。女人に罪はないからの。時孝はどうし
た。」

と小源太が問うたのに、

「はい、弟はよく働いて私が着いた頃には、類焼している民家から逃
げる人びとを助けていました。
動けない老人や病人は背中におぶって、安全な場所に避難させていま
した。」

「そうであったか。そなたも時孝もよい働きをなされた。わしが常々
言い聞かせているように、我が家の家訓は、領主あっての領民ではな
く、領民あっての領主だからの。領民を親のように大事にしなくては
ならないということだ。
ご苦労であった。疲れていよう、早く帰って休むがよい。」

義昭は立ちかけて、

「母上がみえませぬが、」と訊いた。

「母上は、頭痛がすると言って休んでおる。」

「おかげんが悪いのですか。」

「いや、いつもあることだ、心配するほどのことではない。」

「そうですか、お大事になさいますよう、それでは失礼致します。」

と、義昭は父親に誉められて嬉しそうな顔で下がって行った。

続く   

     


人間賛歌 小我(苦悩)から大我(歓喜へ 七

2010年08月20日 | 小我(苦悩)から大我(歓喜)へ
 人生は喜ぶためにある *

 仏法は何のためにあるのか。それは万人を幸福にするためにある。
そして万人を大歓喜の境涯にするためにある。
 と言えます。
それは本稿の主題「小我(苦悩)から大我(歓喜)へ」と一致するのであ
ります。
ロシアやの文豪トルストイは綴りました。

「喜べ! 喜べ! 人生の事業、人生の使命は喜びだ。
 空に向かって、太陽に向かって喜ぶがよい。」

 (トルストイの言葉 法華経の智慧より引用)

世界の名曲ベートーベンの交響曲第九、歓喜の歌の合唱も喜びを表し
ています。ベートーベンはほとんど絶望的な状況の中で不朽の名作を
創作しました。
 「苦悩を突き抜けて歓喜にいたれ」は世界的に有名な言葉です。

では、
 苦悩を突き抜けて歓喜に至ったり、
 空や太陽に向かって喜べ!喜べ!
と言ったトルストイのような心になるには、どうすればよいのでしょ
う。

 私もふくめだれ一人として苦悩(悲哀)の人生を望んでいる人はいま
せん。みな喜んで大歓喜の人生を送りたいと努力していることは同じ
です。
それでも出来ない人が多いのはナゼでしょう。

自分の心を苦悩する心から、歓喜の心にする方法があるのに、しかも
その気にさえなればその日のうちに変われるのに、みんなやろうとし
ないのです。

 質問があります。
「今日からでも実践できる方法というのは何ですか。
また、どうしてそれを実行できないのかワケを教えてください。」

 お答ええします。
「苦悩する人は自分の心に喜びの心があることを知らないのです。
幸せが外にあると思い込んで、必死にそれを追い求めますが得られま
せん。
幸せは自分の心の中にあるから、それを取り出して幸せになりなさ
い。と教えられても素直に信じられず、逆に誹謗したりします。

 注、誹謗 正しい法を教えてくれる人を、あんたはおかしいなどと
言ってケナすこと。

続く    

  

人間賛歌 覚え書き 追加

2010年08月19日 | 覚え書き(信仰)

 進化の時代、続き *

 前回の進化の時代で、
利他を生きがいにする心の進化が必要であると、述べました。
利他の心(戦争の出来ない心)になるには、釈尊、日蓮大聖人らと同じ
仏界の境涯にならなければなりません。

 日蓮大聖人は、
教主釈尊ほどの仏にやすやすとなれる方法があると述べられ、それは
南無妙法蓮華経と唱えることであると仰せです。

いま御本尊をたもち、題目を唱えている人は、釈尊ほどの仏と同じで
あり、仏の使いとして仏の仕事をしているのです。

「福、量るべからず」と確信して互いに広布に励みましょう。

以上   


  


人間賛歌 覚え書き

2010年08月18日 | 覚え書き(信仰)

 進化の時代 *
 
 
猛暑が続きますが、みなさん元気でお過ごしですか。
私も暑いさなかでしたが、「叙事詩 人間賛歌」第一巻(06年から07
年に投稿した記事)の校正編集を昨日完成しました。

九月には製本する予定で、いまホッとしてこの原稿を書いています。

 さて、世界中の人が不安しているように、異常気象やテロ行為が各
地で多発しています。
いったい人間はどうなるのだろう、と危惧される時代になりました。

 地球の歴史をみても人類が危機に直面したことは度々ありました。
いまから約五百万年ぐらい前に、アフリカ大陸で地殻の大変動が起
き、大陸が南北に分断されました。
その結果大陸の北側では雨が降らなくなり、ジャングルが消えて大草
原が現れたのです。

 それまで樹の上に住み、木の実を食って安楽にくらしていたチンパ
ンジー(人類の祖)に大危機がきたのです。

猛獣がひしめく草原で暮らすには、体も小さく、力も弱く、足も速く
ない彼らは存亡の危機にさらされました。
生き抜くために彼らは団結してコトバを覚え、同じ目的に向かって協
力するワザを体得しました。力も弱く体も小さい彼らが、猛獣を狩を
する集団になったのです。

彼らはアパール猿人とよばれ、人類の先祖になりました。

 次にやってきたのは地球の氷河期入りでした。
木の実もならず、獲物の小動物も姿を消しました。途方にくれた彼ら
は、土地を耕し、野生の麦の種をまいて栽培に成功したのです。

食料の自給に成功した彼らは、獲物を追って移動する生活を止め、定
住してくらすようになり、いろいろなしきたりや、文化をつくりだし
ました。。。
 その遺伝子を引き継いでいるのが現在の私たちです。

人類が存亡の危機を克服する時には、進化が伴っています。
現在は、ある意味で人類は進化を求められているのではないでしょう
か。
そして今度の進化は、今での自己中心主義(利己)から、利他を生きが
いにする心の進化であると思います。

創価の初代会長牧口先生は、いまから百年近く前に、これからは、、
武力競争の時代から、経済競争の時代へ、そして人道競争時代へと進
んでいくのが将来の姿でしょう。と述べられています。

 先師の志を継ぐのが私たちの使命であると思います。

以上