叙事詩 人間賛歌

想像もできない力を持つ生命の素晴らしさを綴っています !

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人間賛歌 若い人の仏教教室 三十二

2007年04月30日 | 若い人の仏教教室

ジッチャン
「ケイタくんk大学入学おめでとう。
ケイタくんもいよいよ大学生だから、ジッチャンも心を新たにして仏教教室にのぞもうと思うよ。

また山本さん、会社のプラント部門の責任者に昇進されたそうで、おめでとう。
日本の化学プラント技術は世界一といわれているから、ますます多忙になりそうですね。
でも、教室のほうもサボラないで、よろしくね。

 注釈
ケイタくんは志望していた大学に入学し、ピカピカの大学一年生になった。
山本さんは、大手化学プラントメーカーの中堅社員であるが、四月の人事移動で部門の責任者に昇進した。


さて難しいことを言うようだが、
「 妙法蓮華経 薬王品.ヤクオウホン 」という経典があるんだ。
妙法蓮華経というのは、時代を変えることができる力をもつ仏界の名前であると、前にも言ったが改めて確認しておくよ。

その「妙法蓮華経」を未来の世に伝えて、世界中に広めなさい。
と釈迦が薬王ボサツにすすめた経典が薬王品なんだ。

薬王ボサツは釈迦の弟子の中でも有名なかたで、ミロクボサツなどと並ぶ指導的立場にいたボサツなんだね。

経典の中に、

「後の五百歳の中にエンブダイ(全世界のこと)に広宣流布して断絶せしむることなけん」

とあるんだ。
後の五百歳というのは、釈迦の死後二千年以降をさし末法(マッポウ)とも言うのだ。
エンブダイは全世界のことで、広宣流布というのは、法華経の思想を広めて
個人の幸福と世界の平和を達成するという意味なんだ。
どうだいケイタくん、仏教はスケールが大きいだろう。

ケイタくん
「個人の幸せは分かりますが、世界の平和まで考えるんですか、ボクにできるかなあ」

ジッチャン
「釈迦はね、自分の死後一千年のあいだ(正法時代という)は仏教が栄え、国土が安定し、民衆が幸せにくらせる時代であるとし、

そのあとの千年(像法時代という)は仏教が形式化し、寺院や仏典は満ちあふれるほどたくさんあるが、釈迦の教えどおりに仏教を実践する人が少なくなり、
仏教の利益も現れない時代になるだろう、と予告したのだ。

つづく

 



 


人間賛歌 鎌倉竜ノ口事変 十三

2007年04月25日 | 鎌倉竜ノ口事変
  第二幕 続き、

 首切り役人が太刀のサヤをはらい、大上段に振りかぶった。
「いざ、首を打たん」
と身構えた、そのときである。

東南の空に異変がおきた。
漆黒の闇のなかから、 月のように光るものが現れ、
刑場を照らした。 たちまち互いの顔が見えるほど、明るくなる。

「はて、面妖な、なにごとならん」

おもわず兵士たちは、空を見上げた。
そのとき、刑場は、昼のようにほの白く、変化した。

青白い閃光が、矢のごとき速さで、刑場を襲ったのだ。
太刀を振りかぶった、首切り役人は、閃光に目を射られ、
その場に倒れ伏した。
役人の手を放れた太刀が、青白い光を放って、地面をころがる。


 「 ウワアーツ ! 」

と、どよめきの声が起こった。

兵士たちは恐怖に眼をひきつり、悲鳴をあげ、木立の中へ逃げ込む、
馬上で腰をぬかし、馬の背にはいつくばる者、

一丁ばかり先まで逃げて、地べたにひれ伏し、日蓮に手を合わす者もいる。
なにを思う間もない、一瞬のできごとであった。
さしもの軍勢が、日蓮と頼基の師弟を残し、ひとりのこらず姿を消した。
おもだっ役人や、平 頼綱の姿も見えない。


日蓮は微動もせず、なにごともなかったように端座したままだ。
東天に向かって、

「 南無妙法蓮華経 」

と題目をとなえる声が、静寂を取り戻した刑場内に、ひびきわたる。
カガリ火に照らされた日蓮の影が地に写り、炎がゆれるたびに巨大な影が動く、

日蓮は唱題をやめ、ムシロのうえに立ち上がった。

続く


 

人間賛歌 若い人の仏教教室 三十一

2007年04月23日 | 若い人の仏教教室

ジッチャン
「仏界を現実に現している人、このかたを仏(ブツまたはホトケ)というが、
このかたに会うことが難しく、今の世におられるのか、どうかも分かる方法がないんだね。

だから仏典には、仏に会うことが難事中の難事であると記されているのだ。

 そこでダイジなことをこれから申しあげよう。
このことを耳にしたことに意義があったのだと、必ず分かるときがくると思うね。


仏教史上、初めて唱題行を始められた日蓮大聖人は、
鎌倉幕府にムホンを企てたと、ありもしないことをデッチあげられて、竜ノ口刑場で首を切られそうになるんだ。

国家権力を使ってでも、九界の凡人が仏界の大聖人を殺す事はできないので、結局死刑は行われず、佐渡ケ島に流罪になるのだが、
くわしいことは竜ノ口事変をみてもらうことにして...

竜ノ口事変を契機に、日蓮大聖人は自分が悟った仏界のいのちを図に書いて顕されたのだ。

「日蓮がたましひをすみにそめながして.かきて候ぞ信じさせたまへ、
 ほとけのみこころは法華経なり日蓮が.たましひは南無妙法蓮華経に.すぎたるはなし」

   日蓮大聖人御書 経王殿御返事

経王殿御返事で日蓮大聖人がおおせのように、仏界を現した自分のいのちを書いておくから、
これを御本尊として唱題行をし、各自がわが身に仏界を現しなさい。
と教えられたのだ。

この御本尊、すなわち日蓮大聖人の御いのちを縁にして唱題行に励めば、
どんな人でも自身の仏界を現すことができるのだ。仏がいないことを嘆くことはなくなったのだね。

これは仏教史にかってなかった画期的な実践法なんだよ。


御本尊とは、信仰者が信仰の根本として尊敬する対象のことだが、仏のいのちを顕されたものであり、説明できるものではない。

それ故これ以上御本尊については書けないので、もし御本尊についてもっと知りたいかたがあれば、
私のメールアドレスをかいておきますので、そちらにお問い合わせください。

尚、返信しますから自分のメールアドレス、年齢など、プライバシー上支障のない範囲で知らせてください。 続く

 k.morikawa@w6.dion.ne.jp



 


人間賛歌 若い人の仏教教室 三十

2007年04月21日 | 若い人の仏教教室
ジッチャン
「ケイタくんが言うように、セキボクを高温で熱し、強い圧力をかけ続けていると、あるとき分子の結合の仕方がかわって、人工ダイヤが出来るのだそうだ。
これを位相転移と専門家は言うそうだね。

硬さも輝きも、天然ダイヤとかわらないので、今では装飾用や工業用に多く活用されていると、いわれているね」

ケイタくん
「ダイヤは硬度が高くてフツウの金属では刃が立たないから、
ダイヤを削ったり磨いたりするのに一番適しているのが、人工ダイヤだと習ったことがあります」

ジッチャン
「ケイタくん、なかなかくわしいね、
そこでだ。 一見信じられないようだが、人間のいのちも石炭のような九界のいのちもあれば、

貴重なダイヤのような仏界のいのちがあるいっても、別にフシギはないわけだ。

仏典では、仏界のいのちを現した人を金剛身.
 (コンゴウシンと読む、金剛はダイヤのことでゼッタイに壊れないとの意味)
とも金剛宝器とも書いてあるね。

仏界があるとか、ないとかではなく、太陽と雲の例にあったように、
現れているか、かくれているかの、ありかたのちがいが問題なんだね」

山本さん
「あるか、ないかを議論するより、どうすればそれを現すことができるか、
そちらのほうがダイジだと思いますね」

ジッチャン

「そのとおりです。山本さんもなかなかいいことを言うね、エライですよ。
そこで前に怒る心のところで言ったが、怒る心があっても、いつも怒っているワケではない。

フダンはあるともないとも言えない空の状態だが、なにかの縁にあうと、
たちまち起きると言ったのをおぼえいるかねぇ。

仏界のいのちも、なにかの縁に会わなければ、かくれたままの状態で現れてこないのだよ。

そこで縁と出会うことがダイジになるが、仏界の縁とは、実際に仏界を現した人にあって、
教えを乞い師事することが一番よい縁になるんだね」

つづく


人間賛歌 鎌倉竜ノ口事変 十二

2007年04月19日 | 鎌倉竜ノ口事変

 第二幕 続き

「いよいよの時なり」
四条頼基は胸のつまる思いで、馬上の日蓮をあおいだ。日蓮はなにごともないようすで、平然と馬を進める。

このへんは浜から離れているので、波の音はしないが、
ザワ、ザワ、と風で鳴る樹の音が激しくなった。

兵士たちが、にわかに忙しく動きだした。
首の座の四隅にカガリ火をおき、その中に荒ムシロを重ねてしいた。

頼基の弟や熊王は、囲みの外に連れて行かれる。
木立を背に、刑場の正面には、幕府のおもだった役人や、総大将の
平 頼綱の姿も見える。


日蓮は馬から降りた。
そばにいる頼基が師のからだを、いたわるように支える。

日蓮
「頼基どの、さらばじゃ、ご舎弟や熊王にはそなたから伝えてくだされ。
いずれの地であれ、日蓮が生死の縛を切り、久遠の仏のいのちを現すところは、
釈迦が悟りを開いた地とおなじ寂光土(ジャクコウド)じゃ。

のちの世のために、日蓮が振る舞いをしかと見届けるようお願いする」

日蓮は言い残し、ムシロをしいた首の座に歩み寄った。
正面に向かって一礼し、東を向いて端座した。日蓮が幼少をすごした故郷安房の方角である。

周りを囲む兵士たちは、しわぶきひとつ立てず、カタズを飲み、なりゆきを見守った。


 林を通りぬける風の音が、あたりの静寂を破って、
 過ぎていく。
 首切り役人が大刀を手にし、日蓮の背後に立った。
 日蓮は懐中から数珠をとりだし、両手にかけ合掌すると、

 「南無妙法蓮華経」

と声高く三唱した。

「ただ今なり」
四条頼基はその場に座り、日蓮にむかって合掌した。

続く

 


人間賛歌 若い人の仏教教室 二十九

2007年04月17日 | 若い人の仏教教室

ジッチャン
「法華経の重要なポイント、南無妙法蓮華経についてはなしてきたが、山本さんや、ケイタくんはおそらく半信半疑であろうと思うね。

私の話をきいているあいだは、ナルホドと思うけれども、私の前を去ると、

「ジッチャンはあんなことを言っていたが、そんなスゴイいのちが自分にあるとは、とても信じられない」 これが第一点、

次に、かりにその仏界のいのちがあっても、題目をとなえるとそれが自分のいのちに現れるなんて、チョツト想像できない。 これが第二点、

という疑問が起きると思うね。

法華経の経典にも、
この教えは信じがたく、理解しがたいとかいてあるんだ。
無量劫というたいへんな長期間のあいだにも、この教えを聞くことはごくマレで、かりに聞くことがあっても難信難解であるというのだ。


そこで先ず第一点の仏界のいのちがあることを信じられない点について話をすすめていこう。
その前に二人に質問があるんだがね、

ケイタくんも山本さんも、ダイヤモンドが石炭と同じ炭素で出来ているということを聞いたことがあるかねぇ」

山本さん
「ええ、ダイヤも石炭も炭素分子が結び合って出来たものだと、聞いた事があります。
ダイヤは高価な宝石ですが、石炭はどこにでもあるようなもので、
とてもダイヤと同じ分子で出来ているとは信じられなかったのですが」

ケイタくん
「ボクも理科で習ったことがあります。
セキボクを材料にして、人工ダイヤが造れるというのを勉強したとき、スゴイなと思いました」

ジッチャン
「チョツト信じがたいが、石炭もダイヤもおなじ炭素分子で出来ているのだね、
だが同じ分子で出来ていても、分子の結合のしかたがちがうのだそうだ」

つづく

 


人間賛歌 若い人の仏教教室 二十八

2007年04月15日 | 若い人の仏教教室

 竜ノ口の法難を契機に日蓮上人は、九界の凡夫が仮の姿を払って、仏界という本身(もとの姿)を現す事実を、
歴史的な出来事のなかで証明されたのです。

もともと法華経の題目をとなえる唱題行は、釈迦の教えを正しく伝えた正師といわれる、中国の天台大師(六世紀ごろ)、
日本の伝教大師(八世紀ごろ)などが、自分だけとなえていましたが、人に奨めることはしなかったのです。

なぜかというと、時が来ていなかったからだ、と言われています。

日蓮大聖人(十三世紀)は、自分もとなえ、他の人にも唱題行をすすめた唯一の人なのです。

法華経の源流は釈迦ですが、釈迦仏法はごく限られた人しか実践できないので、
だれでも実践できる日蓮仏法は、日本で始まった画期的な仏教といえるのです。

ひたすら題目をとなえることで、わがいのちの中に仏界が現れるのですから、時代を変える革新的な力をもった教えである、といえるのです。

山本さん
「ジッチャンのおはなしを聞いていますと、とても簡単なようですが、
それでホントウに釈迦やほかの賢聖たちと同じ仏界のいのちが現れるのですか、
たとえば私がとなえれば、私に現れるのでしょうか」

ジッチャン
「モチロンです。ゼッタイにまちがいありません。
また人によって結果がちがうという例外もありません。仏界のいのちは自分のいのちの中に、もともとあるのですから、となえ続けているうちに必ず現れるのです。

たとえば太陽はいつも天空に輝いていますが、厚い雲がさえぎっていると、太陽は見ることかできません。

仏界という太陽のようないのちも、九界という厚い雲におおわれると、現れないのと同じなのです。

ナムミョウホウレンゲキョウととなえると、厚い雲におおわれていたミョウホウレンゲキョウの本来のいのちが、雲を破って現れて来ます。
ナゼそうなるのか、理由は分からなくても、

事実のうえで仏界のいのちが現れると、
いままでの自分とちがうな、と自分で実感できるようになるのですね、

これを信じて実行するかどうかが、キーポイントです。簡単なようですが、
これがナカナカ実行できないのですよ」

続く

 



 

 

 

 

 


人間賛歌 若い人の仏教教室 二十七

2007年04月11日 | 若い人の仏教教室

ジッチャン
「仏教教室もいよいよ核心に入ってきたね、
前回はなした画期的(新時代を開く革新的なこと)な価値創造力を発揮するのが、
仏界のいので、このいのちを「妙法蓮華経.ミョウホウレンゲキョウ」というんだ。

そして妙法蓮華経のいのちを現すには、
妙法蓮華経に南無「ナムと読み、帰命するの意で法華経に人生を賭け、他を幸せにする菩薩行を実践しますと誓うこと」することで、
ナムミョウホウレンゲキョウととなえるんだ。

これを法華経の題目をとなえる唱題というが、この唱題行が仏道修行の根本なんだ。


いきなり法華経がでたので、チョットとまどったのではないかな、

釈迦は二十九歳で悟りをひらいて、八十歳で亡くなるまで、五十年間説法したといわれているが、
七十四歳になったとき、説きはじめたのが妙法蓮華経である。と伝えられているんだ。

世間で広く法華経.ホケキョウといわれているのは、妙法蓮華経の愛称みたいなものなんだね。

ところで山本さんは、私が書いている「竜ノ口事変」を読まれたことはありませんか、
仏教教室とおなじブログで連載しているのですがね」

山本さん
「ジッチャンがお書きになっているものはほとんど読んでいます。
この前の聖徳太子のはなしなど、歴史の勉強にもなり、たいへん参考になりました。

聖徳太子のおことばで、
「妙法蓮華経はかぎりあるいのちを永遠ならしむ美田なり、神薬のごとし」
とありましたが、その意味がわからずジッチャンに聞きたいと思っていました。

竜ノ口事変のことは、づっと読んでいますがまだ結論が出ていないので、
どうなるのだろうかと、ハラハラしながら読ませてもらっています。

ジッチャン
「そこまで読んでいただいてると、はなしがしやすくてたすかります。
日蓮上人が建長五年、三十二歳のとき、ホケキョウの題目をとなえる唱題行を始めてから、
十八年たった五十歳のとき起きた事変が竜ノ口の法難です。

詳しく知りたい人は竜ノ口事変を参照してください。

続く


 

 


人間賛歌 鎌倉竜ノ口事変 十

2007年04月07日 | 鎌倉竜ノ口事変
  第二幕 続き

四条頼基
「上人さま、四条頼基お知らせをたまわって、ただいま参上しました。
弟たちも一緒に参っております」
と日蓮に言う。

馬上の日蓮は、

「おお頼基どのか、夜分おそいのによく来てくだされた。
ご舎弟たちにもご足労をかけて痛み入る、この通りじゃ」

日蓮は馬上で頭をさげた。

「頼基どの、そなたにかねてもおしていたように、日蓮はこれから首を斬られにいく、
その前にぜひそなたに会っておきたいと思い、熊王を使いにだしたのじや」

四条頼基

「上人さま、たいせつな師匠をこのような目にあわせ、不覚な弟子と四条頼基まことに、もおしわけなく存じおります」

日蓮

「頼基どの、なにをもおされるか、日蓮がこの数年があいだ願ってきたのは、このことじや。
日蓮は無始以来、数え切れないほど生死を繰り返してきた。
そのなかには法華経を修行し、仏になる寸前まできたこともあった。

それが仏にもならず、今生で貧窮下賎の身で生まれたのは、
過去世で妻子や所領のため、いのちを惜しみ法華経を捨てたためであった。

それ故、今生でまた法華経をたもつに当たって、今度こそどんなことがあっても退転せぬ。
途中で退転するぐらいなら、始めからたもたぬ、と固く誓ったのじや。

その誓いが本物かどうか、いま試されているのだ。
みなわが身よりでたこと故、そなたが案じることではござらぬ」

兵士たちは一言も発せず、日蓮と頼基のはなしに聞き入った。
いつのまにか頼基は日蓮の馬のそばを歩いている。頼基の弟たちも兄に続き、熊王もそのなかにまじって、遅れまじと足を進める。


 海岸に大波が打ち寄せ、そのたびに、トドッ、トドッ、と大地を叩く
 音がとどろく、
 兵士の持つタイマツが、炎をあげ、馬上の日蓮と、
 並んで歩む頼基の姿を、黄金色の明かりでつつんだ。

 闇夜の月のごとく、まわりを照らしながら、行列は進んだ。

 続く