katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

くじらとマッピー教室

2016-08-26 06:08:16 | モザイク教室
今日はまずはくじら教室で、午後からマッピーの相席教室。何しろマッピーは今日で完成って事なので、終わるまで・・・。さて、それではくじらから。
新作の下絵となるのだけれど、自分んちの鯉を作りたいらしいんだけれど、下絵を何度描いても上手く行かない・・・って言うのね。

それじゃこんなのはどうだろうか?・・・と困った時には・・・と下絵の提案をして見た。まずは写真を撮る。


ここでとても上手く撮れれば何よりなんだけれど、この位に撮れたとする。そしたら作れると思われる大きさに拡大コピーをする。


この時にただでさえ、ピントがずれててボヤッとしているのに拡大するのだから、益々ボヤッっとする。そこで良く写真を見ながら、こんな線を引いてみる・・・・恐らくこんな風に見える・・・って線をね。そしてこれを今度はトレーシングペーパーに写せば、トップの画像の絵になる。

つまり何度も何度も描いた・・・と似ていないって絵に苦労をして悩んでいても辛くなるし、結果も出なかったけれど、1回目の拡大コピーの時は、想像力を使って、洞察力で恐らくこうであろう・・・と写し、トレーシングペーパーにそれをしっかり写す・・・とたった2回描いた。

大体、世の中の似顔絵や複製のモザイクって言うのは、大抵こんな感じに下絵に時間は掛からず、モザイクに入ってから各自のオリジナルってだけで、
別に下絵にいちいち悩む必要も無いし、そこで上手く行かないって落ち込む事も無い。しかもくじらは写真を自分で撮っている訳で。

これはこれで似顔絵やら複製よりもオリジナルのモザイクとしては一枚上の事をしている訳で。要するに似顔絵や複製では展覧会のような場所には出せないが、この作品は堂々とエントリーする事が出来る権利がある・・・と言う事。権利があると無いとではモザイクの質以前の問題であって、一枚上って

表現をしたのね。勿論ただモザイクだけの事で言うのなら、今度は似ているか?似ていないか?が問われるので、同じ土俵になる。そうなると、上手ければより似ている作品になり、下手なら似ていない・・・って事になる。ただここで問われるのは、実力があるのなら、モチーフは有名である方が有利。

例えば誰でも知っている芸能人を作るのと、家族の人を作るのでは、どっちが似ているのが判るかな?・・・でしょ?つまり作品の良し悪しの判断をするのに、似ている・・・ってものを作るって言うのは、評価しやすい環境の方が得策と言う事になる。

勿論、上手く無ければ家族の方を選べば、似ているのか?似ていないのか?判らないのだから、似ていなくてもモザイクとしてそこそこの結果であるのなら、細かいね・・・とか、時間掛かったでしょ?なんて評価もあるだろうね。

さてそれではくじらのモチーフは?と言うと、鯉と言いつつ正直鯉の基本からはかなりずれてて、何か変わった熱帯魚?とも思える輪郭であったり、色であったりする。つまりそっくりで作れても、評価の難しい作品になるのだけれど、本人だけが判るシュールな作品になる・・・・。

今日の教室の一番の話になるのね・・・ここが後半も。そんな中、マッピーが宿題をやって来て、順調に張り終わったのが定時の3時間後で5時。
先生、前回9時・・なんて言ってたけれど、そんなに掛からないですね・・・って言うので、おいおい到着前にボンド落としを2時間やって置いたから

本来は今、軽く7時は回っているんだからね・・・・って話。ただ当然、今日の分はやらないとならず・・・じゃやってみ・・・って言う事になると、ボンド落としが終わる頃には7時過ぎ・・・・だろっ?・・・シュールに時間が掛かるもんなのね・・・後始末って言うのは・・。

ではさっきの今日一番の話の、本人だけが判るシュールな・・・って話を掘り下げる話題は、完成するんだから総評的な話をしようか?って・・・。
ねぇ、どう本人としての出来栄えは?って聞くと、そこそこよりも上って言うのね・・・なるほどね・・・そこそこね・・・。

さてそれでは掘り下げようかね・・・例えば労作展に絵画教室に通っている子が1年を掛けた作品を出したとする。もはやこんなの太刀打ち出来るもんじゃないでしょ?ただこんなの慶應に山ほどいるとは思えない。つまり例外的なもんね。だからいてもごく一部。まっオリンピック強化選手的な。

では逆に、完全にお母さんの趣味を持って来たな・・・とバレバレな奴。もはや隠す気も無い。お母さんが習っている趣味の作品を持って来た・・そんな奴もいたし、そうかと思うと昨日作ったろっ?2時間位で・・・とやる気のかけらも無い奴。こんな奴も例外だが必ずいる。

マッピーどう思う?そこそこってどちらでも無いよな?・・・こんなのは聞くまでも無いが確認。ではそこそこって教室で何番目位の事なのかな?もうこの質問の意味をお分かりの方がいるだろうが、そこそこの学力、そこそこのオリンピックの順位、そこそこの食べ物、そこそこの車・・・・。

そこそこってどれ位?って話なのね。じゃ俺も使わせて貰うね・・・そこそこより上の作品に仕上がったんでしょ?じゃそこそこより上の作品が報われるってどんな結果だと思う?・・・って質問すると・・・えっと・・・・賞って。ばかちぃぃぃぃぃん。こらこらそれなら最初から本気でやれよぉ。

つまりさっきのくじらのモチーフも自分の飼っている鯉が基本から見劣りしているものであると、似ているか?似ていないか?の判断をするのはくじらになる。しかしその指導を俺に頼む・・・つまり繊細さが正確に伝わらないと、教える側としては何をどう教えたら良いか?判らない。

マッピーも同様で、そこそこのモザイク・・・ってスタイルでやって来たのに、それより上になった・・・と言う。ではそれが報われるってどんな感じ?と質問すると、賞?なんて欲張った発言になる。ではこのやり取りを聞いていたモザイクをやっているくじらに質問する・・・。

この作品どう思う?どう見ても、そこそこより上じゃなくて、凄いと思います・・・って。ならマッピーの見解とは違うようだね。経験者が凄いと言うのなら、凄い作品なら賞は取って見たいなぁ・・・って思っても仕方無いよね?・・・・マッピーはそこそこ上で取りたい・・・って言ったよね?

もし結構頑張ったんなら、俺頑張ったからなぁ・・・賞取れないかなぁ・・・って言うのなら、判るけれど、そこそこなんて表現しつつ賞をなんて言ったら、もし賞を取った時に、そこそこで取れた事になるんだよ・・・そしてそこそこの奴に負けた奴がいる事になるんだよ・・・・。

そもそもマッピーの作って来た作品でこれだけ時間を掛けた作品ある?って話で、恐らく初めてだったと思うのね。ならば結構頑張った・・って話じゃん。更に話は続いて、例えばこの夏のマッピーの持ち時間の順位を振り返って見ようか?って話・・・・。

慶應だから、1番は宿題とか勉強じゃん。2番はクラブ活動じゃん。だから問題は3番目以降の話だよな?・・・じゃ3番は?って聞くとテレビって。あはははは、俺マッピー素直で良いと思う・・・ここでくじらも大爆笑。じゃ4番は?ゲーム?・・・じゃ5番は?ん・・・モザイクぅ?って、6番に落ちそうな

5番じゃん。って話・・・本当だ、そこそこモザイクだわっ・・・って。でもね、もし少し謙虚に言ってたとしたら?そもそもこんな数のパーツを仕込んだら結構な時間が掛かる。何しろ初めてやるのだしね・・・・。そう初めてやったのだから。

でもね、もし来年もやるって言うのなら、3.4番位にやらないと、これが作れる人って基準になるから、おさぼりしたようにも見えるかもね・・・って話なのね・・・。それが凄いものを作った人だけが味わうプレッシャーなのね・・・。

そんな中、お母さんと弟が迎えに来て・・・完成を待って貰う事になるのだけれど・・・・じぃぃっと見て、凄いですって。ですよね・・・それで教えた側としてはほっとします・・・。つまりそこそこより上で報われる作品って言うのは、ここなのね。身内が本気で凄いと喜ぶ・・・そんな作品。

そこそこ結果が得られたでしょ?・・・報われるはずなのね。みんな・・・やった本人、お金や環境を用意したご両親、そして教えた俺・・・この結果なら、みんなが報われたでしょ?・・・ってそんな話。完成は労作展でしっかり見せるとして・・・・何と無く・・・


まっそんな中、フックやら何やら仕上げがあるんで、待っている間にお楽しみのモザイクを兄弟で楽しんで・・・・


これでマッピーとの夏は終了となったのね。何か伝わったら良いのね・・・・。きっとくじらもこの相席・・・勉強になったと思うのね。

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