今日はkameyaさんの出張教室。ただ2人お休みだったんで、棟梁とリピーターさんの2人。もはやここの4人はアトリエの生徒さんでもある事から、ほぼ遠慮無く指導出来るのね。これを誤解されないように言うと、オリジナルを作る教室となると、ある程度切れて、
ある程度、悩みながら作るスタイルで、完成が見えない・・・こんな事に慣れていないと、例えば3回で終わる・・・みたいに時間制限があったり、拾ったパーツが入ってラッキー・・・って感じでは、本気で向き合ってはいないと思うのね。
つまり取り組む姿勢としては、これらを覚悟した・・・って人には、美しいかどうか?のみで教えられるが、楽しみが優先なら、そこまではいらない・・・って事なので、人に見せて良いじゃん・・・って言われる感じになれば良いと思うのね。
でもそれらを覚悟した人は、良いじゃん・・・なんて程度の評価では済まされないと思うのね。そうなると、えっ?とか、凄いねとか、習っている事は当然って思われる事が普通で、器用な人が頑張ったね・・・って感じの評価では済まされないのね。
それが証拠に、何年やってんの?って質問にまだ何か月・・・これなら下手でも許されるが、何年って事になって来ると、何処からか、ある程度の年数になると、下手が通用しなくなる。つまり進歩が望まれる訳で・・・。勿論、自分もね。
ただここに大きな勘違いが生まれるのね。それが良くある自分の思い込みの評価が全てな人。例えば、一生懸命やっているとか、頑張っている・・・と自分の評価を自分で決める人。面白いでしょ?だって例えば、始めて3か月の人だとする。
実力を問う段階だと思う?多分、書道なら正座に四苦八苦とか、墨をするのが面倒だとか、ギターならまだfのコードが抑えられないとか、九九はいきなり4x6なんて聞かれても答えられずに、4x1がから順番に・・・そんな程度。
だとしたら、とても応用問題とか、発表会やらの前に、ある意味夏期講習的な特訓が必要な段階だと思うのね・・・本気な場合。つまりもうひと頑張り・・・って話であって、こんな事を超えられたら、先輩とか先生とか、上の人が良く頑張ったね・・・みたいに、
人が評価する言葉だと思うのね。大体3か月の耳、眼、腕で何の何処を自分自身で評価するのかな?恐らく正しい評価は、良く3か月続いたね・・・ってそんな感じだと思うのね。でもね、その3か月って1か月何回の事なのかな?・・・・。
でしょ?これが塾のように週単位で何回も行くのなら、3か月なら40回とかになるから、そこそこの実力になるし、復習なんてしていたのなら、当然習った事を忘れないのだから、腕が下がらない。って確かに、先生として何も見なくとも評価出来る。
これが逆に楽しみとスタイルが決まっていれば、無理はさせられない。だから、100点よりでは無く、50点以上みたいに目指し方が変わるのね。でもね、これはあくまで点数の出るものであって、ピアノのように音を間違えたり、ダンスのようにもたついたり
誰にでも間違いが判れば良いが、美の点数って、フィギュアやシンクロのように何処が?何が?って判りにくいものでね・・・。しかも、その技術を会得するのに、とんでもない事をしていても、やった事が無い人には中々判っては貰えない。
しかし、ひとたび目指しているみたいな人には、何それ・・・って唖然とさせる技術に見える訳で。そんな事を踏まえて考えれば、その程度の耳、眼、腕・・・それで例え自分の評価であっても批評をする事は滑稽なのが良く判ると思うのね。
ただ例外はあるもので、それが良いでしょ・・・と言い切りの場合、楽しみのスタイルだったり、初めてだったりすれば、自画自賛になり、最高の楽しみになる。けれど、3年、5年と続けば、諸先輩の評価の方が自分の評価よりも正しい気がするのね。
ではこんな事を踏まえて見た時、この2人の場合、棟梁の方がキャリア的に上になる。ではそのリピーターさんの作品。
これが楽しいだけ、遊びに見えるだろうか?となった時、こりゃ楽しいだけでは無理だな・・・と思うのね。そうなるとね、厳しい事も必要になるのね。だって50点よりじゃなくて、美しいが一番って感じに見えるからね。じゃ、今日の棟梁は?
このクリスマスツリーに教える事あるかな?きっと一人で簡単に作れるのね。そう言うと、教えて下さい・・・って言うのね。でも楽しみたい・・・って。あはははは、どっちなんだい?楽しみたいなら、口出しは無用になるだろうし、美しいが全てなら、
言いたい事は山ほどある。そんな2人は本当に教える方も勉強になるのね。姿勢一つで言い方も変えないとならないしね。増して2人じゃほぼ個人レッスンに近いし・・・・たまには放置も必要なんだけれどね・・・・。
そんなこんなはアトリエに戻って、明日のアクアリウムバスの積み込み・・・。
ある程度、悩みながら作るスタイルで、完成が見えない・・・こんな事に慣れていないと、例えば3回で終わる・・・みたいに時間制限があったり、拾ったパーツが入ってラッキー・・・って感じでは、本気で向き合ってはいないと思うのね。
つまり取り組む姿勢としては、これらを覚悟した・・・って人には、美しいかどうか?のみで教えられるが、楽しみが優先なら、そこまではいらない・・・って事なので、人に見せて良いじゃん・・・って言われる感じになれば良いと思うのね。
でもそれらを覚悟した人は、良いじゃん・・・なんて程度の評価では済まされないと思うのね。そうなると、えっ?とか、凄いねとか、習っている事は当然って思われる事が普通で、器用な人が頑張ったね・・・って感じの評価では済まされないのね。
それが証拠に、何年やってんの?って質問にまだ何か月・・・これなら下手でも許されるが、何年って事になって来ると、何処からか、ある程度の年数になると、下手が通用しなくなる。つまり進歩が望まれる訳で・・・。勿論、自分もね。
ただここに大きな勘違いが生まれるのね。それが良くある自分の思い込みの評価が全てな人。例えば、一生懸命やっているとか、頑張っている・・・と自分の評価を自分で決める人。面白いでしょ?だって例えば、始めて3か月の人だとする。
実力を問う段階だと思う?多分、書道なら正座に四苦八苦とか、墨をするのが面倒だとか、ギターならまだfのコードが抑えられないとか、九九はいきなり4x6なんて聞かれても答えられずに、4x1がから順番に・・・そんな程度。
だとしたら、とても応用問題とか、発表会やらの前に、ある意味夏期講習的な特訓が必要な段階だと思うのね・・・本気な場合。つまりもうひと頑張り・・・って話であって、こんな事を超えられたら、先輩とか先生とか、上の人が良く頑張ったね・・・みたいに、
人が評価する言葉だと思うのね。大体3か月の耳、眼、腕で何の何処を自分自身で評価するのかな?恐らく正しい評価は、良く3か月続いたね・・・ってそんな感じだと思うのね。でもね、その3か月って1か月何回の事なのかな?・・・・。
でしょ?これが塾のように週単位で何回も行くのなら、3か月なら40回とかになるから、そこそこの実力になるし、復習なんてしていたのなら、当然習った事を忘れないのだから、腕が下がらない。って確かに、先生として何も見なくとも評価出来る。
これが逆に楽しみとスタイルが決まっていれば、無理はさせられない。だから、100点よりでは無く、50点以上みたいに目指し方が変わるのね。でもね、これはあくまで点数の出るものであって、ピアノのように音を間違えたり、ダンスのようにもたついたり
誰にでも間違いが判れば良いが、美の点数って、フィギュアやシンクロのように何処が?何が?って判りにくいものでね・・・。しかも、その技術を会得するのに、とんでもない事をしていても、やった事が無い人には中々判っては貰えない。
しかし、ひとたび目指しているみたいな人には、何それ・・・って唖然とさせる技術に見える訳で。そんな事を踏まえて考えれば、その程度の耳、眼、腕・・・それで例え自分の評価であっても批評をする事は滑稽なのが良く判ると思うのね。
ただ例外はあるもので、それが良いでしょ・・・と言い切りの場合、楽しみのスタイルだったり、初めてだったりすれば、自画自賛になり、最高の楽しみになる。けれど、3年、5年と続けば、諸先輩の評価の方が自分の評価よりも正しい気がするのね。
ではこんな事を踏まえて見た時、この2人の場合、棟梁の方がキャリア的に上になる。ではそのリピーターさんの作品。
これが楽しいだけ、遊びに見えるだろうか?となった時、こりゃ楽しいだけでは無理だな・・・と思うのね。そうなるとね、厳しい事も必要になるのね。だって50点よりじゃなくて、美しいが一番って感じに見えるからね。じゃ、今日の棟梁は?
このクリスマスツリーに教える事あるかな?きっと一人で簡単に作れるのね。そう言うと、教えて下さい・・・って言うのね。でも楽しみたい・・・って。あはははは、どっちなんだい?楽しみたいなら、口出しは無用になるだろうし、美しいが全てなら、
言いたい事は山ほどある。そんな2人は本当に教える方も勉強になるのね。姿勢一つで言い方も変えないとならないしね。増して2人じゃほぼ個人レッスンに近いし・・・・たまには放置も必要なんだけれどね・・・・。
そんなこんなはアトリエに戻って、明日のアクアリウムバスの積み込み・・・。