katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

くじら教室と来客

2017-06-18 01:44:26 | モザイク教室
今日はくじら教室。それが言われるまで気が付かなかったんだけれど、そう言えば・・・って事があって、それがくじらのお教室の日って高確率で雨が降るのね・・・それを数回前に言われたんだけれど、確かにそう言えば・・・と思う事で、今朝も雨かな?・・・って思った位なのね。

だいぶ意識しちゃったのね。あはははは。そんなこんなのお教室って事なんだけれどねぇ・・・ほぼ盤の無い碁や将棋みたいなもんで、くじらが俺から欲しいのは、モザイクの腕じゃなくて、俺との会話のやり取りなのね。何しろ俳句の人だからね・・・。

要するに俺が感じた事を口にして行くだけの話なんだけれどね・・・・そう聞くと一見難しそうなんだけれど、今日はいつもよりも具体的で、くじらの俳句の感想なんかを話したのね。勿論、俺は俳句なんて全然判らないし、とは言え感じる事は視覚過敏のように感じるから興味ある事だけに反応するって、

大人の脳では無いんで、必要以上に喰い付いて、こう感じる、こう思った、ここから伺える気持ちとか、こんな情景に思える、これは10代、これは文豪なんかの泊まったような木造の旅館の2階とか、その17文字には描かれていないけれど、その言葉に想像出来るようなありとあらゆる思い描く事を話すのね

・・・それを自分の考えている事との差なんかを感じる事で、参考の1つとする。だから、ただ良いじゃんなんて言葉では終わらないのね。ただ、本気で話すから時には相手を傷付けるような事にもなるが、意見を聞くって言うのは、自分の思い通りの言葉が待っている訳では無いのね。

つまり聞く勇気も答えるにも勇気がいるし、優しい言葉だけが優しさとも限らない。相手との真摯な会話のやり取りはきちんと伝わらなくても、まぁ何と無くでも良いか・・・で終わらないから、言葉を変えて細かなニュアンスを伝えようとしないとならないし、逆に聞く側も拾わないとならない・・・。

正直、本気じゃないと向き合い疲れするものなのね。そうね、例えば習いに来ている側を生徒って言って、それを教える側を先生って言うじゃない?何言ってんだか・・・って思うのは普通なんだけれど、つまりそんなの普通じゃんって思う脳は普通だと思うのね。

それが必ず先生の方が上って立場にさせたりする訳で・・・じゃ今日のように俳句の感想を話すとなるとどうだろうか?くじらの方が詳しい訳で。つまり何の先生か?って事になれば、あくまでモザイクの先生であって、確かに切る張るような技術だったりすれば判りやすいが、思い描くオリジナルの構想と

なれば、その人その人の考え方だったりするけれど、そこが単なる思い込みにならないように、意図するニュアンスになる為には?って提案を生徒さんよりも沢山持っていないと、どれが良いだろうか?・・・にならない。そんな事がオリジナル先生に要求される事だとして・・・。

それを持ってして、相手の有利な話に先生として食らい付いて自分の考えを不慣れな事でも、感じた事を伝えないとならず・・・そこにプライドなんてもんを掲げてしまったら、ただただ窮屈なだけだし、完全に捨てて生徒な気分で答えてしまったら、知らない分野でごめんなさい・・・で済んじゃう。

そこをどちらでも無く自分らしく・・・つまりそれがおごり高ぶらず、卑下せず、自分らしく・・・に繋がって行くと思われるのね。そしてもっと言えば、大抵は同じ分野の人達とのやり取りになるのね。まっどれもこれもモザイクならモザイクの人、俳句なら俳句の人って具合にね。

ただ漫才のネタを書く方の人が小説を書いたり、歌手が司会をしたり、他分野の人が活躍をしたりする。つまりそれは器用だから・・・って理由も多少あったりするけれど、本質は構想を立ててここでこうして、ここでこうして・・・と組み立てて作っていたりするからで。

歌手の人も歌うだけの人と、歌も作る人では、やはり歌詞をあの字数の中で制作して行く訳で・・・要するに表現の規制は分や分野にあるだろうけれど、やっている事はあまり変わらないんだけれど、とは言え、一緒では無い。その上で、いつしかその分野の決まりに縛られていたりもする。

そもそもが大抵目指している分野を勉強すればするほど、その知識は脳に入って行く訳だからね。しかもそのまま受け継げば伝統の継承って側になるし、逆にそれを壊そうとすれば革新になる。けれどどちらにも所属しないってスタイルもあるのだろうが、どちらも知らないだけだとだらしなくなり

勝手きままにもなる。しかし知れば知ったで固定概念なんてもんに縛られる事にもなったりする。それを柔軟にこなしている人が、分野にとらわれずに活躍の場を広げたりするんだろうね・・・きっとね。

こんな事があったとして、先生だから・・・なんてあぐらをかいていると、常に生徒さんとしか会わないとこじんまりする。それがこうして折角新しい自分作りが出来る機会・・・と思えれば、知らない事は刺激とすると、それはそれで身になると思うのね。

そもそも子供の頃は嫌でも勉強をしたのに、大人になって何を勉強しているんだろうか?・・・って思えば、何もしていなければ脳が衰退して当然だし、強制も無いから使う使わないは自分次第。ただ時代は流れて行くから、新しいものばかりを追い掛ければ追い掛け疲れもするし、立ち止まれば、

あの頃のままになったりもするし・・・まっ、良く人の脳はほぼ使われずに終わって行くって言うから、徹底的に使って行こうかなぁ・・・なんて思ったりしているのね・・・あはははは。ただ、結構疲れるんだけれどね・・・。

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