katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

みどり、カルビ、班長の相席教室

2016-08-21 06:33:39 | モザイク教室
今日は3人の相席教室。それではまずカルビから・・・当初は大きな車輪に時計を入れるつもりだったが、余りの大作とグレードの良さに、このまま見せる作品に・・・と切り替えたので、今日は車輪を作る事になったのね。車輪が入ったのでかなり雰囲気が出て来たのね。

ただまだ細かいパーツを張る時にボンドだらけにしてしまうんで、そこに注意する事・・・そうすると、1段上に見えるようになるんだけれど、とは言えここまで出来るようになったんだから、随分と上手くなっているし、何よりも落ち着いて集中するって事が出来るようになっていると思うのね。

そもそもモノ作りをしようとする時に、じっとしていられないと作る事は出来ないし、もっと言えば、ただ出来れば、進めば良いのは最初のうちだけで、納得した作品にしようとすれば、じっくり取り組まないとそう簡単には結果は出ない。

最近で言えば、労作展の子達は夏だけで何十、何百の時間を使って、大作を作る短期集中型で作品を作るのだけれど、それは学生さんだから出来る事で、みんながそんな時間を取れるか?となれば、ほぼ絶対に無理。それをどうやって同じ、またはそれよりも上にするか?

それが慌てて結果を焦らない・・・になる。ただ最初は進みたいから、気持ちはそうであっても、ついつい進む事を取ってしまうんだけれど、それが何かのきっかけで変わるものでね・・・・じゃその何か?って・・・って話になるのだけれど、例えば労作展の子達の場合なら、労作展って目標がある。

時間も決まっていれば、目標もあるのだから、そりゃ意識無く強制力が働く。これは簡単で単純な話。それではみんなは?となると、正直何も無いのね。それがプレゼントだったり、季節モノなら似たような強制力があるけれど、何と無く私も大作・・・って手を出すと、余りの果てしなさにへこむ。

それが生きがいのような1作の場合、何とか頑張ろう・・・って粘れたりする。それが自分の飼っている生き物だったり、娘に持たせる1品だったりってね。そう言う点では、カルビや班長の作品って言うのは、それに該当しないから、自分自身の問題になるのね・・・・。

最後まで向き合えるか?ってね。何をどう継続して行くか?・・・・ってね。最初は作って見たい・・・ってくらいの気持ちで始められるが、半年を過ぎる頃、果てしないなぁ・・・と思ったりすると、もうその作品の果てしなさに潰されそうになる。はぁ・・・ってね。

それが1年続くと、もはやその果てしなさに慣れて、はい・・・今日はここまで・・・あぁちょっと進んだ・・・ってちょっとしか進まない事に慣れる。
するといつしか、セリフとして、もう慌てて無いし・・・とか、これだけかぁ・・・とか、いつ終わるんだろう・・・とか、色んな言葉があるけれど、

いずれにせよ、進まない事、終わらない事に慣れて来るのね。そうなるともはやどれ位やっているか?とか、いつ終わるんだろうか?なんて考えないで、今日を進むって感じになって来るのね。これが期限の決まっていない人達の良さでもあり、悪さでもあるのね。

良さは気長になる。悪さはのん気になる。紙一重なのね。慌てないからじっくり取り組むけれど、慌てないけれど、どうせ終わらないから次回で良いや・・・とついつい先延ばししてしまうのね。そんな事が起きるようになったら、そもそも上手くなった証拠でもあるのね。

そもそも早く終わるって事は痛みも一瞬な訳で・・・長く掛けるって事は失敗だってあったりする・・・・何しろ最初の大作って言うのは、その作品を作る中で、どんどんと上手くなって行くもので、1年前の自分のパーツなんて絶対に今の方が上手いのね。

それが何度もやっていると、かぐやのようにその作品の中で大きく上手くなったりはしないのね。そこまで行くと切る張るの腕じゃなくて、オリジナルの下絵の精度だったり、もっと言えばそれを作る自分の心なのね・・・何をどう作りたいのか?その意味は何か?みたいなね。

それを完成する何年か後の自分と最初の自分の趣旨が何も変わらなければ、ブレる事は何も無いけれど、趣旨が大きくブレれば、上手くなった腕が間違った方向にどんどんと進む訳で・・・しかも腕の上手さが仇になる。進みも良いし、質も悪く無い・・・ってね。

ただ、趣旨とは違って来るから、掲げた事から悪く無く大きくそれて行く。だから本人も気が付かなかったりする・・・。ただ、ある時気が付くと、何でこんな事になっちゃったんだろう・・・・なんて事はあったりもする。

このある時なんて言うのも、大きくそれたけれど、進む事に気を取られるのがいつしか、何かのきっかけで・・・って変わる一瞬がある。それが相席だったり、側にいる人が誰か?になるのね。つまり側にいる人が、チャカチャカって作る人なら、自分も早く作りたいと意識してしまう。

けれど、もし周りが大作なんてじっくり取り組む人だったら?って言うと、私も・・・なんて事になる。そう言う点でもカルビが大作をするのも判る。
そんな中でもし、アトリエに来ている人達の作品を見た時に、良い意味で刺激になれば当然の事、やる気に火も付く。

そうなると、進めたくなるし、私も・・・って気持ちになる。その中で、きっかけ・・・で何かが変わるになるのだけれど、そのきっかけが自分の作品が良いかも・・・と思い始めた瞬間だと思うのね。中々良いじゃん・・・ってね。好きになるって言うのかな?結果を得られたって自信って言うか。

そうなると、やる気も増すでしょ?そこが自分なりの結果が出た納得した域に入ったと思うのね・・・それで失敗したくないから・・・とじっくり取り組むようになったり、もっと良くするには・・・となった時に、こうしたいんだけれど・・・どうすれば良いか?みたいなやり取りになったり、

資料を良く見たりするようになるのね。明らかに取り組む姿勢が変わるのね・・・これがきっかけの瞬間だと思うのね。恐らくカルビはそこにいる気がするのね。じゃ班長は?・・・・



これだよっ・・・遊びの人なのに。もう仕事に生かそうの人じゃなく、ただの趣味。にも関わらず、これだけの作品になっている。もう慌ててなんていないし、むしろ昔よりもやる気がある。そうね、落ち着きと言うのなら、今の班長は余裕すらある。モノ作りの姿勢を持っているのね。

こんなじゃ結果も付いて来るし、上手くなるのね。しかも迷いが無いのね。例えば、今日は散切り頭の部分をやる時に、ここは点の部分だから進む。
って判ってやっているし、切る事には困らない・・・って自信も付いているし、みどりやカルビと会話も出来る余裕すらある。

つまり話も出来る事で、息詰まるような事も無いのだから、楽しむ事も出来るし、良い相席だったと思うのね。そんな中、みどりは?と言うと、


これだけじゃ上手いか?どうか?は判りづらい。余程、目の肥えた人じゃないと、これで上手さは伝わらないだろうから威圧感は無い。だから2人に負担は掛からないだろうし・・・逆にみどりからすれば、和気藹々で楽な部分をやれるのだから、ここに失敗は有り得ないだろうし・・・。

全てが最後のセリフの、えっもうそんな時間・・・・これに尽きるのね。もう・・・なんて相当集中していた人のセリフなのね。お見事でした。
そんな中、昨日の続きのような話で、予約はどうすれば・・・・って話になったのだけれど、班長には後半取って貰えば、立て直します・・・。

と伝えたのね。ご迷惑を掛けてしまうのだけれど・・・・そこはご勘弁と言う事で・・・。


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