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鹿児島市内観光

2015年05月12日 | Weblog

実は屋久島に行く際、ちゃっかり鹿児島観光もしてきました。

事前に天気予報で2日間晴れる日を特定していたのですが、折角鹿児島まで行くので市内も見たいと思い、雨の中でしたがレンタカーで回ってきました。鹿児島は西郷隆盛を始め、大久保利通や島津斉彬、天章院篤姫等、様々な偉人の銅像が至る所に建っています。面白かったのは、平田公園と言う所に平田靱負の銅像まであったことでしょう・・・コレちょっと説明が要りますね(笑)
薩摩藩は、関が原の戦いでは西軍に着き、一敗地にまみれ敗走してきたと言う歴史があります。その後開かれた徳川幕府の下では、こうした外様大名には何かと厳しい措置が課せられ、様々な公共事業などを命令されたのです。薩摩藩に与えられた使命は、我らが岐阜県と愛知県、三重県に跨る、木曽三川の分流工事。そこで平田靱負の指揮の元、薩摩義士達が多大なる犠牲を出しながら見事難工事をやり切ったというわけです。そのため、岐阜県では必ず4年生の地域学習に取り上げられ、低地の人の暮らしと共にこの薩摩義士の話を学んでいるのです。しかし、当の鹿児島ではどういう扱いになっているかは全く知りませんでした。
以前清須城を訪れた時、井沢さん監修の、まさに目から鱗の落ちる記述を目にしたことがあります。それは織田信長の開いた楽市楽座について。教科書の記述では、関所や座(市場独占)を廃止し、自由に商売ができるようにしたとあり、地元岐阜でも「これによって商売が盛んになり、岐阜の町の発展に貢献した」という程度の解釈をしていました。しかし、清洲城の説明書きによると、これは「地元清洲人が新しく岐阜に住み着くに当たり、邪魔だった関所や座を廃止させた」のであり、既得権益をもつ岐阜の先住民にとっては承服できない内容だったわけです。このように、歴史とは最低でも双方向、できれば第三者視点も含め、様々な見方をしなければ本当の理解はできないのです。つまり、もしかしたら工事の後で多大な犠牲と散財の責任を取り切腹した平田靱負や岐阜人を鹿児島人は恨んでいるのでは?とも考えていたのです。まあこうして像が建っているところを見れば、こちらでも立派な偉人の一人として崇められているようで安心しました。これで低地の学習にも熱が入ると言うものですな。コレを読んでいる鹿児島の皆さん、岐阜人は鹿児島への恩を忘れていませんよ(笑)

城山公園から桜島を見ようとしましたが、あいにくの雨で何も見えませんでした。その後寄った天文館というアーケード街で目にしたのは、白くまアイスのお店。コンビニのアイスしか知りませんでしたが、こちらではサーティワンのような立派な店舗を構えているようです。あと、コンビニの自動ドアの前に更に手動ドアがついていて、桜島からの降灰が入らないようになっていました。これも訪れないと知らないことでしたね。やはり旅はするものです。
もう1つ鱗が落ちたのが、ガソリンについて。最後に給油して返すわけですが、130円と言う表示板を見て入れた所、どうも思ったより高かった気がしたので、後でレシートを確認したら、130円にさらに消費税が8%追加されていました。
外税かよ!
実質140円か・・・こんな詐欺表記は鹿児島だけでしょうか?

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