内閣支持率が低迷する中で「上川陽子首相」を待望する理由 2024/3/16

2024-03-17 | 政治

内閣支持率が低迷する中で「上川陽子首相」を待望する理由 元勲・大久保利通への憧れ
モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら(172)

産経新聞 2024/3/16 11:00 桑原 聡 

折々にみせた胆力と包容力

 平成30年7月20日付の本欄にこんなことを書いた。

 「ひさしぶりに胆力のある政治家を目にした気がした。執行後の記者会見でも冷静に必要最小限のことのみを端的に答えた。政策通を気取る政治家や揚げ足取りの得意な政治屋は掃いて捨てるほどいる。しかし、胆力を感じさせる政治家はほとんどいないのがわが国の政界である。上川氏のホームページには『腰のすわった政治をめざす』『難問から、逃げない』とあった。この言葉にウソはない。私の中では、ポスト安倍の第一候補に上川氏が急浮上した」

 オウム真理教の元教祖、麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚ら7人の死刑を当時、法相だった上川陽子さん(現外相)が粛々と執行したことを受けて書いたものだ。そこで引用したのが、モンテーニュの次の言葉だ。

 《あの残酷の標本ともいうべきネロまでが、或る日、例のように家来から、一人の罪人の死刑の宣告に署名をしてくれと言われると、「おお字などを学ばなければよかった!」と嘆息したとは。それほどまでに、人ただ一人を死刑に処することが、彼の心を悲しませたとは》(第2巻第1章「我々の行為の定めなさについて」関根秀雄訳)

 このエピソードは、「法の正義」を貫徹する場合であっても、人の命を奪う決断がどれほどの重圧を伴うかを物語っている。上川さんはその重圧に堪え、さらに自分だけでなく、家族もオウム真理教の残党に命を狙われる可能性を受け入れて命令書に署名押印した。死刑の是非論を超えて、私は心を揺さぶられたのだ。

 このコラムが掲載された日、私が以前から一目置いていた産経新聞の政治記者から、「昼飯でも食いませんか」と誘われた。

 もちろん喜んで応じた。永田町をよく知るベテラン記者が、どのような感想を持ったのか、ぜひ聞いてみたかったからだ。果たして、素人の私が政治記者の領分を荒らしたことを、彼はまったく気にすることなく、「面白く読みました。彼女はその力量がある政治家だと私も思います。ただ現段階では、平時の首相としてなら、ありかもしれない、というところです」と、にこやかに語った。

 怒られると覚悟して先生の前に行ったら、逆に褒められてしまった小学生のように私は胸をなでおろし、同時に、胸の中に「上川陽子首相待望論」の灯が確かにともった。首相になるには、通常はどろどろした権力闘争を勝ち抜くことが求められる。しかしこうした闘争とは無縁に、自民党が上川さんに頼らざるを得ない局面が近い将来、必ずややってくるに違いない、との不思議な確信があった。

 あれから6年近い歳月が流れ、ついにそのときがやってきたようだ。サッカーの試合でフォーメーションが崩れたときに、いったんボールを落ち着かせて立て直す作業がよく見られる。世界平和統一家庭連合(旧統一教会)問題、派閥の裏金問題、女性議員の軽はずみな行動、和歌山県連の破廉恥パーティーなどなど、いまの自民党は議員の多くが浮足立ち、フォーメーションはガタガタになっており、とても戦える状態ではない。

 その念をさらに強くしたのが、自民党副総裁・麻生太郎さんの発言をめぐる対応だった。「ほー、このオバサンやるね」「少なくともそんなに美しい方とは言わんけれども、堂々としていて英語もきちんと話し、こんな外務大臣はいままでにいない」という講演での発言を、上川さんは「どのような声もありがたく受け止めている」と軽くいなした。この揺るぎないおうようさは、相手が首相経験者であっても、掌の上で自由に遊ばせるような余裕と包容力を感じさせた。

 にもかかわらず、女性を中心に抗議や反論を求める声が上がり、国会でも立憲民主党の女性議員が「なぜ抗議しないのか?」と上川さんに質問する事態となった。「女性の隊列を乱すな」と言わんばかりのこの質問自体が、多様性を認めぬ全体主義的発想ではないか。そのことに気づかないことこそ大問題だと思うが、ここでは置いておく。

意中の政治家は明治の立役者

 「月刊Hanada」4月号の「蒟蒻(こんにゃく)問答」で、ジャーナリストの久保紘之さんが上川さんについて、興味深い見立てをしていた。女性議員の思想傾向には、男性社会に抵抗して結果的にそれに同化しようとする女性解放運動(フェミニズム)としての女権論的志向と、男性を包み込むことで男性を超えるおおらかな母権論的志向のふたつがあるという。元社民党党首の土井たか子さんは前者、上川さんはもちろん後者である。

 久保さんは「いまや男性社会が行き詰まっていますからね。(略)だからこそ、上川がこれまでの女権論でない形、つまり母権論者としてポスト岸田の次期総裁選レースに登場したのは、大きな注目点ですよ」と述べ、「上川なら台湾有事が勃発しても、フォークランド紛争に断固として対処したサッチャーのように対応できると思いますよ」と期待を寄せる。

 改めて上川さんのホームページをのぞいてみた。意中の政治家として大久保利通を挙げ、その理由について次のように記している。

 「私たち世代の日本人が乗り越えるべき政治家として、また尊敬すべき無私の政治家として。中央集権体制や官僚制など、明治以降、今日までの日本の基本的な政治社会システムは彼が築いたものです」

 大久保というと冷徹な政治家という印象が強く、一般的な人気があるとは言い難い。特に明治7年に起きた佐賀の乱(不平士族による最初の大規模反乱)への対処は苛烈そのものだった。乱が起こるや、大久保はただちに自ら鎮台兵を率いて遠征し、これを鎮圧した。そして現地に臨時裁判所を設置、わずか2日間の審議で11人を斬首に、乱の首謀者だった江藤新平と島義勇(よしたけ)をさらし首に処した。江藤は「近代日本司法制度の父」、島は「北海道開拓の父」と呼ばれた明治政府の功労者だった。かたや大久保は11年、6人の不平士族によって暗殺される(紀尾井坂の変)。享年47。

 麻原死刑囚ら7人の死刑執行を決断するとき、上川さんの脳裏にはきっと大久保の存在があったに違いない。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。