私が史上最年少名人になってから~「タイトルは1年、預からせていただきます」

2023-02-06 | 文化 思索 社会

私が史上最年少名人になってから~「タイトルは1年、預からせていただきます」
 2023/02/06(月) 7:03配信 現代ビジネス

「負ければニュースになる」ほど強い藤井聡太五冠。果たして史上最年少名人記録は更新されるのか? 現記録保持者の谷川浩司・十七世名人が、さらなる進化を続ける藤井将棋と過酷さを増す将棋界のいまに迫るとともに、棋士・将棋界にとっての「名人」とはなにかを自らの経験も含め明かした著書『藤井聡太はどこまで強くなるのか 名人への道』。注目の章をピックアップ連載!  谷川浩司が史上最年少名人になるまでの軌跡は<谷川浩司・十七世名人、史上最年少名人への道を振り返って>から読めます。

色紙に「名人」と書けない

 対局後の記者会見で、最年少名人になった心境を聞かれて、「実力よりも地位が先行していますので、タイトルは1年、預からせていただきます。そして来年の挑戦者に挑戦する気持ちで指したいと思います」と答えた。
 謙遜ではなく、本音だった。実力不足と名人の歴史への思いが「預からせていただく」という言葉になった。それだけ名人は私にとって重いタイトルだった。
 江戸時代から400年以上続いてきた、棋士にとっては最高の名誉である。終身制から実力制になった1935年から半世紀近く経っても、木村義雄、塚田正夫大山康晴升田幸三、中原誠、加藤一二三とわずか6人しかその座には就いていない。
 他のタイトルに挑戦した経験すらない私が、そこに連なるほどの実力を備えているとはとても思えない。「史上最年少」という記録についてもピンとこなかった。江戸時代から脈々と続く名人で1年間いさせていただき、来年の挑戦者に挑戦するという気持ちだった。
 名人が決まった翌日からさっそく色紙を求められ、「前進」か「飛翔」と書いた。しかし署名に「名人 谷川浩司」と書くことがどうにもできない。心構えができていないし、練習もしていない。切羽詰まって「谷川浩司」とだけ書いた。  現実問題として、いつから名人を名乗れるのか。就位式からなのか。しかし加藤先生は6月15日の時点でもう名人ではないから自分が名乗るしかない。
 名人位は将棋界の「頂点」「最高峰」と言われるが、私が自信を持って「自分が将棋界で一番」と思えたのは、名人位をいったん失い、26歳で中原名人に挑戦し、復位して3冠(名人・王位・棋王)になった1988年まで待たなければならなかった。
 名人になった直後から、取材や仕事の申し入れが殺到した。当時、将棋連盟にそうした依頼を受け付ける窓口はなく、すべて自宅に回ってきた。しかも現在のようにメールで企画書が送られてくるわけではなく、すべて電話だった。電話を受けた家族は勝手がわからず、対応に苦慮した。
 将棋界のことを考えると、仕事の依頼はすべて、受けておいたほうがよかったのかもしれないが、当時としては私たち家族だけで対応できるキャパシティーをはるかに超えていた。「名人は東京に住まいを移さなければいけないのではないか」と考えたこともあった。
 藤井さんに関しては現在、まず将棋連盟が窓口になって依頼を受け、最終的な判断は本人に任せることになっている。近年のタイトル戦にはすべて主催者と協賛企業がついているが、その多くは“藤井効果”といっていい。CM出演への依頼は引きも切らないはずだ。
 2022年9月からは世界的半導体メーカーの日本AMDのCMに出演している。藤井さんが以前からAMD社のCPUを愛用しているとのことで、将棋界の枠を超え、世界的にも注目される存在になりつつある、という証だろう。
 20歳そこそこの若さで将棋界を背負う立場になっているのは大変であり、気の毒にも思う。将棋界のことを考えれば、できる限り受けてほしいところだが、あくまで本人の意向が最優先であり、何よりも対局に影響しないようにもしてほしい。

昔もいまも上座下座問題

 21歳、8段で名人になって直面したのは、対局で上座と下座、どちらに座るかという問題だった。
 私のA級初年度は新入りの8段なので、当然、すべて下座だった。しかし名人になると、多くは上座に座ることになる。  当時、上座下座の序列は、はっきり明文化されておらず、トップ棋士の序列も含めて、どちらが上座に座るのかは当事者に任されていた。となると、座る位置による心理や心情が微妙に対局に影響することもある。
 上座下座問題は多くの場合、上座の譲り合いである。もっとも最近は、上座下座にはこだわらないという若手棋士が増えているようだ。私の頃からも「余計な気を遣うよりは連盟で決めてもらったほうがありがたい」という話はあった。  実際、いまは将棋連盟がタイトル数や棋士番号、段位などによる序列を決めていて、各対局室入り口の掲示板には対局者のネームプレートが貼られていて、どちらが上座に座ればいいかわかるようになっている。それが基準になっているが、もちろんそれを踏まえたうえでいまも上座を譲るケースはある。
 例えば、対局者が師弟関係にある場合は微妙だ。私は名人になってからも、当時六段だった若松政和師匠と対局する時は、一応下座で待っていた。しかし師匠に「やっぱり名人なんだから」と押し出されるように上座に座った。
 あるいは、藤井聡太さんと師匠の杉本昌隆さん。最初の2回は杉本さんのほうが高段だったため上座についたが、2020年12月の叡王戦段位別予選(8段戦)で、当時2つのタイトルホルダーだった藤井さんが初めて上座についた。
 現在、9段でA級、タイトルをいくつも持つ藤井さんが上座下座で悩むことはないはずだ。
 
続きは
<【後編】史上最年少名人からの道のり~名人位喪失から永世名人獲得まで【谷川浩司】​>です。
 
最終更新:現代ビジネス 
 
 ◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です

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