オウム「国家転覆」に、自衛隊は“幻の秘密作戦”で備えていた---『地下鉄サリン事件戦記』福山隆著

2015-03-23 | オウム真理教事件

 産経WEST 【ベテラン記者コラム】2015.3.23 16:00更新
【江戸っ子記者のなにわ放浪記】オウム「国家転覆」に、自衛隊は“幻の秘密作戦”で備えていた 地下鉄サリン20年
 地下鉄サリン事件(平成7年3月20日)から20日で発生から20年が経過した。まさに「国難」であったあの事件は何を投げかけたのか。答えはいまだに出ていない。そのことを今も突きつける10年前に上梓(じょうし)された一冊の本に出会った。
 『地下鉄サリン事件戦記』(光人社)だ。現場に出動した陸上自衛隊第32普通科連隊の連隊長として、前線指揮にあたった福山隆氏(元陸将・平成17年、陸自西部方面総監部幕僚長で退官)が著者である。
 あの時、32連隊がサリンという化学兵器に使用される神経剤を使った世界初の大規模テロに現場で対処した記録が克明に記される。そして、なにより事件後も、オウム真理教が引き起こそうとした“国家転覆”に極秘で自衛隊が備えたことを知ることができる貴重な書籍である。
■小銃1000丁を製造、旧ソ連製ヘリで空中サリン散布、国会襲撃…などの計画も練ったオウム真理教
 32連隊は当時、防衛省や自衛隊の統合幕僚監部など中枢がある東京・市ケ谷に駐屯地がある都心の精鋭防衛部隊だった。現在は、さいたま市に駐屯地を移している。
 未曽有の大規模テロに際して、連隊に届いたのは「災害派遣命令」だった。これは地震や台風などの天災で救助や支援活動を自衛隊が行うときに出される命令と同じである。
 同書から以下抜粋して紹介する。
 「毒ガスが散布され人が死亡しているというのに何故『治安出動命令』ではなく『災害派遣命令』なのか?(中略)犯人たちは、地下鉄に毒ガスを散布しただけでは満足せず、引き続き人が集まる場所に毒ガスを撒き散らしたり、銃や爆弾などの凶器を用いて無差別テロを継続するかもしれない。災害派遣命令で出動する場合は、法的に小銃や拳銃(弾薬含む)は携行できないので、万一、そうなった場合には、市民を守ることもできない」
 こうした疑問が次々と生ずる中で福山氏は前線指揮官として苦渋の決断を重ねたのだった。
 福山氏は出動可能だった32連隊の約120人の隊員と化学科部隊の約70人で4個の除染隊を編成。サリンがまかれ、甚大な被害が出ていた地下鉄各駅に出動を命じた。
 その際の詳細な模様は、現場に出動した自衛官たちの証言から紹介されている。事件発生後に、除染作業のため最初に突入し、警察の捜索や検証を実施できる状態にしたのは自衛隊である。その時の活動状況は自衛隊によってビデオ撮影され、メディアを通じて全世界に伝えられた。
 しかし、自衛隊のオウム事件への対処はこの日では終わらなかったのだ。同書の第8章「幻の作戦計画」は読み応えにあふれる。記されたことはあまり知られていないことだ。
 同書の内容から抜粋して紹介したい。
 事件翌日の21日。福山氏のもとに一通の密封した茶封筒が所属する第1師団司令部から届く。表紙には「別命あるまで開封を禁ず」と印刷されていた。福山氏はこれを「幻の作戦計画」と記している。
 「その『幻の作戦計画』の内容は、一言で言えば『第1師団総力による戦闘計画』であった。(中略)万一、警察力がオウムに抗しきれず、警察官や市民に甚大な被害が出た場合に備え、防衛庁長官(当時)直轄の精鋭部隊の空挺団までも待機させるほどの万全の態勢を取っていた。正に自衛隊史上聞いたこともない、事実上の治安出動態勢を取ろうとするものであった」
 オウムは自動小銃1000丁を自主製造しようとしていたことや、旧ソ連製ヘリコプターでの空中からのサリン散布計画、国会襲撃計画なども練り、まさに「国家転覆」を狙っていたことがその後の捜査で明らかになっている。
 「幻の作戦」で想定された“主戦場”は、オウム教団本部があった山梨県の上九一色村と都内の教団施設だった。本書の内容を概要で記すと(1)上九一色村の教団本部に警察が捜索活動に入り武器使用で猛反撃を受けて、警察官多数が死傷した場合は第34連隊、第1戦車大隊、第1特科連隊(いずれも静岡)が対処・支援できる態勢が計画された。
 さらに、オウムのヘリからの反撃があった場合には、第1高射特科大隊が備え、陸自の攻撃ヘリ「コブラ」が“スクランブル発進”できる態勢も計画にあった。また、32連隊内には、屋内での近接戦に備えて、銃剣格闘や空手に優れた隊員を選抜編成し、「遊撃小隊」も編成されていた。
 まさに、戦後初の“開戦前夜”のような状況にあったのだ。同書からさらに紹介する。
 「『幻の作戦計画』は、あくまで最悪の事態に備えたもので、いまだ政府や防衛庁(当時)でオーソライズされたものではなく、現場部隊レベルの『腹案』程度のものではなかったろうか。」
 「地下鉄サリン事件で露呈したように、日本の安全保障・治安維持の制度的な欠陥や政府のリーダーシップの欠如は明らかだった。われわれ自衛隊としては、このような欠陥だらけの安全保障・治安維持制度の中で、市民や警察官がむざむざ殺されるのを手をこまねいて傍観できるはずもないだろう。(中略)かつて、栗栖統幕議長の『超法規』発言に繋がった欠陥だらけの防衛法制は、その後の20年近くたってもほとんど変わっていなかった」
 「自衛隊の良識として、法を逸脱せず、シビリアン・コントロールの範囲内で健気にも次の最悪のシナリオに備え、政府が新たな決断(自衛隊の防衛出動ないし治安出動)があれば、ただちに対応できるようにギリギリの工夫をしたのではなかったろうか」
 福山氏の慧眼は現在の安全保障法制の議論にも示唆に富むのではないだろうか。まさに「現場は会議室ではない」のだ。東京・永田町での議論がいかに現場に出る指揮官や自衛官たちの間では「現実乖離(かいり)」したものとして受け止められていることか。教訓はいまだ活かされていない。
 事件後20年が経過して福山氏は次のように語った。
 「戦後、日本人が失ってしまった宗教観、精神性についても事件は多くのことを物語っていたと考えます。カルト教団に知的な人々ですら心服してしまった。それはなぜなのか。本来の『宗教』を日本人が見失ってしまったからかもしれません」
 そして、福山氏は多くの面で戦後骨抜きのようにされてしまった日本の現状をを憂いつつも、その「復元力」に希望をつないでいる。

 ◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です
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『防衛省と外務省 歪んだ二つのインテリジェンス組織』 福山隆著 幻冬舎新書 2013年5月30日第1刷発行

  

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