諸永裕司著『ふたつの嘘 沖縄密約 1972-2010』/ 『運命の人』を超えるノンフィクション

2012-01-17 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉

〈来栖の独白〉2012/01/17 Tue.
 1月15日のドラマ『運命の人』(TBS)。本木雅弘さんだというので楽しみにしていたが、がっかり。佐藤道夫氏の「ひそかに情を通じこれを利用し」そのまんまの、スキャンダルドラマだった。山崎豊子さんは、危うい。それに引き替え『ふたつの嘘 沖縄密約1972-2010』は、堅牢なノンフィクションだ。
 スキャンダルといえば、昨年オウムの平田信氏が自首し、続いて一緒に生活していた(?)女性も出頭したことで、オウムの深刻な問題は其方退けとなり、エンタメと化した感があるように思う。人間の低劣な興味の行き着く先。多くの興味がそちら(スキャンダル)へ向かうなら、それに応えようとする似非ジャーナリストも現れよう。奈良で少年が家族を殺害した事件光市で事件当時少年だった被告人が母子を殺害した事件。いずれも、「売らんかな」で暴露本を出版した人がいた。木曽川長良川リンチ殺人事件では、面会したジャーナリストが、接見室での被告人の写真を映し、雑誌に載せたりなどした。「死刑反対」の思想を標榜しているといことだったが、そのようなことが死刑廃止に1ミリでも貢献するだろうか。処遇面で他の囚人に気の毒なことにならなかったのならよいが。
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『ふたつの嘘 沖縄密約1972-2010』 
〈p117~〉
 自宅の電話が鳴った。めずらしく受話器を取ったのは夫(西山太吉氏)だった。
 「作家の山崎ですけど」
 そう聞いて、夫は同姓の元同僚からだと勘違いした。
 「最近、どうしてるんや」「私は作家の山崎豊子よ。『太陽の子』や『沈まぬ太陽』は読んでないの」
 「読んじゃおらんよ」
 夫は間髪いれずに言い放った。山崎にとっては屈辱的な返答だっただろう。それでも丁重な口ぶりで、ぜひ(『運命の人』を)書かせてほしいと迫った。
 「あなたの人権はぜったいに守りますから」――本文より

【目次】
 〈第一部〉
 「夫の嘘」と「国の嘘」――西山太吉の妻啓子
 【序章】十字架
 〈ひそかに情を通じ〉新聞記者の夫の罪を問う起訴状の一言。あれから、すべてが狂った。夫はペンを折り、社会から抹殺された。一方で、密約は葬られた。
 【第一章】暗転
 受話器をとると、女性の声がした。外務省の事務官だという。「ご主人の帰りは遅いの?」切る間際に、舌打ちが聞こえた。スキャンダルの予感がした。
 【第二章】傷口
 事件後、啓子は日記をつづっていた。〈夫婦でいていいのか。果して、夫婦と云えるか〉〈すべてから逃れ得るには、死よりは道はないのだろうか〉
 【第三章】離婚
 二十年近くも別居を続けてきた。すでに気持ちは離れていた。でも、なかなか決断できない。生ける屍のようになった夫を前に、啓子は揺れていた。
 【第四章】再生
 事件から二十八年後の朝。夫がゴミ拾いから帰ってまもなくだった。「密約を裏づける米公文書が出た、と朝日新聞が報じています」転機は突然、訪れた。
 【第五章】逆風
 外務省元高官も密約を認めた。ついに、夫は国を相手に裁判を起こした。しかし、敗訴。負けたまま死ぬわけにはいかない。夫はまだ、あきらめたわけではなかった。
 〈第二部〉
 「過去の嘘」と「現在の嘘」――弁護士小町谷育子
 【第六章】衝突
 沖縄密約の文書を開示せよ――。作家の澤地久枝やジャーナリストの筑紫哲也らも立ちあがった。しかし、国の回答は「不存在」小町谷の心に火がついた。
 【第七章】封印
 当時の日記で、西山太吉は「死」について触れていた。葛藤と悔悟の末にたどりついた絶望。それから四十年近く、国への怒りが消えることはなかった。
 【第八章】反骨
 「密約はない」。国はいまも嘘を重ねている。では、文書は消えたのか。小町谷は情報公開訴訟のなかでこう訴えた。〈norecords,nohistory〉
 【第九章】記憶
 「吉野さんの証言を聞きたい」。裁判長の言葉に、法廷がどよめいた。元外務省アメリカ局長の吉野文六は、沖縄返還をめぐる交渉の責任者。歴史の目撃者でもあった。
 【第十章】宿題
 米公文書という「密約の証」を見つけた琉球大学教授の我部政明。その職人のような地道な作業の積み重ねが、国の築いた情報公開の厚い壁を破る武器となった。
 【第十一章】告白
 吉野文六は再び、法廷に立った。かつての刑事裁判での偽証を覆し、密約を認めた。三十七年ぶりに西山とも再会した。しかし、それで勝てるほど甘くはなかった。
 【第十二章】追及
 小町谷は突然、立ち上がった。「ひとつ、国にお聞きしたいことがあります」。原告が負わされている立証責任の一部を国に求めた。情報公開に風穴をあけようとしていた。
 【終章】判決
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検察を支配する「悪魔」 意図的なリークによって、有罪にできなくとも世論に断罪させようとする
検察を支配する「悪魔」 大衆迎合メディアが検察の暴走を許す---田原
 マスコミを踊らすなんて、検察にとっては朝飯前なんですよね。
 最近の事件で言えば、堀江貴文の事件。堀江は拘置所に入っているにもかかわらず、マスコミには堀江の情報が次々と出てきた。あれは検察がリークしたとしか考えられない。
 最近はとくに意図的なリークによって世論を煽り、有罪にできなくとも、世論に断罪させて社会的責任を取らせようとする傾向が強くなったように思う。
 情報操作によって世論を喚起した事件として思い出すのは、沖縄返還協定を巡って1972年に毎日新聞政治部記者、西山太吉と外務省の女性事務官が逮捕された外務省機密漏洩事件です。
 西山記者が逮捕されたとき、「言論の弾圧だ」「知る権利の侵害だ」という非難が国民の間で上がった。
 そこで、検察は起訴状に「西山は蓮見(女性事務官)とひそかに情を通じこれを利用し」という文言を盛り込み、批判をかわそうとした。この文言を入れたのは、のちに民主党の参議院議員になる佐藤道夫
 検察のこの目論見はまんまと成功、西山記者と女性事務官の不倫関係が表に出て、ふたりの関係に好奇の目が注がれ、西山記者は女を利用して国家機密を盗んだ悪い奴にされてしまった。
 本来、あの事件は知る権利、報道の自由といった問題を徹底的に争う、いい機会だったのに、検察が起訴状に通常は触れることを避ける情状面をあえて入れて、男女問題にすり替えたために、世間の目が逸らされたわけです。
 西山擁護を掲げ、あくまでも言論の自由のために戦うと決意していた毎日新聞には、西山記者の取材のやり方に抗議の電話が殺到、毎日新聞の不買運動も起きた。そのため、毎日は腰砕けになって、反論もできなかった。
 さらに特筆すべきは、検察の情報操作によって、実はもっと大きな不正が覆い隠されたという事実です。『月刊現代』(2006年10月号)に掲載された、元外務省北米局長の吉野文六と鈴木宗男事件で連座した佐藤優の対談に次のような話が出てくる。吉野は西山事件が起きたときの、すなわち沖縄返還があったときの北米局長です。
 その吉野によると、西山記者によって、沖縄返還にともない、日本が400万ドルの土地の復元費用を肩代わりするという密約が漏れて、それがクローズアップされたけれど、これは政府がアメリカと結んだ密約のごく一部にしか過ぎず、実際には沖縄協定では、その80倍の3億2000万ドルを日本がアメリカ側に支払うという密約があったというのです。
 このカネは国際法上、日本に支払い義務がない。つまり、沖縄返還の真実とは、日本がアメリカに巨額のカネを払って沖縄を買い取ったに過ぎないということになる。
 こうした重大な事実が、西山事件によって隠蔽されてしまった。考えようによっては、西山事件は、検察が、佐藤栄作政権の手先となってアメリカとの密約を隠蔽した事件だったとも受けとれるんです。
 西山事件のようにワイドショー的なスキャンダルをクローズアップして事件の本質を覆い隠す手法を、最近とみに検察は使う。
 鈴木宗男がいい例でしょう。鈴木がどのような容疑で逮捕されたのか、街を歩く人に聞いてもほとんどがわかっていない。あの北方領土の「ムネオハウス」でやられたのだとみんな、思いこんで
いるんですよ。しかし、実は北海道の「やまりん」という企業に関係する斡旋収賄罪。しかも、このカネは、ちゃんと政治資金報告書に記載されているものだった。
 興味本位のスキャンダルは流しても、事の本質については取り上げようとしないメディアも悪い。いや、大衆迎合のメディアこそ、検察に暴走を許している張本人だといえるかもしれませんね。 
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沖縄返還密約を題材にした山崎豊子氏のドラマ『運命の人』(TBS系)に、「名誉を傷つけられた」 
 読売会長、TBSドラマにブチ切れ!オレは“たかり記者”じゃない
 ZAKZAK 2012.02.07
 読売新聞グループ本社の渡辺恒雄会長(85)が週刊誌に怒りの手記を寄せた。・・・・ 
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若泉敬『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』 沖縄=「小指の痛みを全身の痛みと感じてほしい」
  NHKスペシャル 密使 若泉敬 沖縄返還の代償
 2010年6月19日(土) 午後9時00分~9時54分NHK総合テレビ
1972年に、「核抜き・本土並み」をうたって実現した沖縄返還。しかし、その裏で、「有事の核の再持ち込み」を認める「密約」が、日米首脳の間で取り交わされていた。その交渉の際、「密約は返還のための代償だ」として佐藤首相を説得し、密約の草案を作成したのが、首相の密使、若泉敬・京都産業大学教授だった。若泉は、1994年に著作『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』でその秘密交渉を暴露し、2年後に亡くなった。若泉はなぜ国家機密を暴露したのか。
 これまで全く明らかにされてこなかった、機密資料と新証言から浮かび上がるのは、沖縄返還の代償として結んだ密約が、結果として基地の固定化につながったことに苦悩し、沖縄県民に対する自責の念に押しつぶされる若泉の姿だった。本土と沖縄の断絶に引き裂かれ、破滅していった若泉敬の生涯を通して、いま日米間の最大の懸案となっている、“沖縄問題”の深層を描きだす。
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◆ 「沖縄核密約」佐藤政権以後は引き継がれなかった可能性 「密使」故・若泉敬氏が残した資料
後藤乾一著『「沖縄核密約」を背負って- 若泉敬の生涯』他策はなかったのか?


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