「岡山刑務所」塀の中の運動会/塀の中の暮らし

2011-01-05 | 死刑/重刑/生命犯

 〈来栖の独白〉
 名古屋アベック殺人事件主犯で無期懲役囚のK君が、昨年12月18日来信の末尾に次のように書いてきた。
 ジャーナリストで写真家でもある外山ひとみという人が書いたこの岡山刑務所に関する記事が、週刊新潮の11月4日号に載っているそうですので、もし入手が可能でしたら、一度目を通してみてください。”
 最寄の図書館へ電話したが当該の『新潮』は貸し出し中で、市内の別の図書館から「回してもらいましょう」ということで、やや日数を経て(昨年中に)届いた。
 見慣れた牟佐の景色である(12月2~3日にも、面会に行っている)。 
 岡山刑務所でも受刑者の高齢化が進んでいる。一昨年だったか、所内見学の折りにそういう話を聞き、処遇の大変さを痛感させられた。高齢化と厳罰化が刑務官の職務を過重にしている。
 K君は1等工で、刑務所から許される上限一杯の金額を被害者遺族のお二人に送金している。1等工とはいえ僅かの作業報奨金であるから、K君の手元には幾らも残らない。以前送金金額を聞いたとき「Kの詫びの気持ちは本気なのだ」と、私は思った。無期懲役であるから、Kが釈放されるのは還暦を過ぎているはずだ。そのとき、Kには、ろくに蓄えがない。蓄えもなく、既に若くないもKが、負のレッテルを背負って放り出される、それが釈放である。
 それでもKの精神は、至極安定している。日々を務めに精出している。昨年10月に会ったときも12月に会ったときも、「残業があります」と言っていた。「世間は不景気で苦労していますが、残業があるんですか。珍しい。でも有り難いことですよね」と私は驚いたが、『新潮』の記事を読んで、首肯できた。
 長くキリスト教の教誨を受け(カトリックの時期もあった)、昨年はプロテスタントで受洗した。本年の賀状に「生かされている命。一日一日を大切に頑張って生きていきます」という趣旨の抱負が述べられていた。 

 週刊新潮11月4日号「塀の中の運動会」より、抜粋。
 岡山刑務所は、初犯(もしくは犯罪傾向の進んでいない者)だが、刑期10年以上の重罪を犯した者、または無期懲役者が収容される長期刑務所である。既決の収容人員757名中、殺人、強盗殺人が76%に達し、無期懲役は270名、すでに20年以上服役している受刑者が44%もいる。近年は刑の厳罰化に伴い仮釈放はつきにくく、受刑者の高齢化は進むばかりで、平均年齢は49歳。60歳以上が28%を占めている。
 そのため、高齢者向けの競技もあって、「160歳混合リレー」は、出場者4名の合計年齢が160歳以上。「玉入れ」は40歳以上となっていたが、60代、70代と思しき選手が大半を占めるチームもあった。
 わたしは刑務所を取材して20年になるが、かつて受刑者の半数以上が暴力団関係者という横浜刑務所(犯罪を繰り返す者を収容)の運動会を見たことがある。選手はみなコワモテで、ムカデ競争の4人は全員立派な刺青の持ち主、応援合戦も威圧感があり、刑務官の「座れ!」の怒号が飛び交っていたのを思い出す。それに比べ、岡山刑務所の受刑者は刺青もなく、山間の工場で催されたのどかな運動会のように見えた。
 午前11時過ぎ、8番目の組別対抗リレーで競技は終了。表彰が終わると、昼食だ。年に一度の、外気を吸いながらの食事。仕出しの「助六寿司」を皆で頬張り、「ハレの日」を締めくくった。待望の催しはあっという間に終わり、塀の中には日々の暮らしが戻ってくる。

 週刊新潮11月4日号「塀の中の暮らし」より、抜粋。
 刑務所の朝は早い。6時35分起床。刑務官による点検が終わると、7時頃から朝食、7時半には出房して、工場へ向かう。号令のもと、整然と行進するが、累犯施設のような緊張感はここにはない。
 キャリア23年の刑務官は、「10人に8人は前向き、まじめですね。地域との関係も良好で、作業も安定供給される。民間の専門技術者が指導し、服役が長期なので腕もあがる。収容者同士が連携して作業する努力をしています。
 実は岡山刑務所は、受刑者に義務付けられている刑務作業の加工高(対外的に得る利益)が、一人当たりで日本一高い刑務所なのである。不況下にあっても金属加工工場はフル稼働し、取材日には残業までしていた。こういう刑務所は他にない。
 受刑者には作業報奨金が支給されるが、岡山では月平均5500円ほど。熟練度により10等工から1等工までに区分され、1等工になるには3年以上かかる。岡山の1等工が稼いだ作業報奨金の最高は月1万8800円。おそらく全刑務所の中での最高額と推察される。とはいえ、随分低額だと思われる方もいるかもしれない。が、1人の受刑者には、人件費を含めて年間二百数十万円ほどの経費がかかり、これには税金が費やされていることを忘れてはならない。
 岡山には木工、金属、印刷、塗装などの工場があるが、独自のものに備前焼の窯業工場がある。
 ろくろを無心にまわすAさんの風情はまるで職人、生み出す作品は美しい。強盗殺人で無期懲役の判決を受け、すでに26年を塀の中で暮らし、還暦を過ぎた。「人を殺めています。自分はろくろで救われ、物をつくりあげる喜び、愛着を知って、人に対しての接し方が柔らかくなった。若い頃は落ち着きがなく、無知でした」
 刑務所内では定期的に宗教教誨が行われ、Aさんは罪を反省し立ち直るため、曹洞宗に入信、精神統一や呼吸法を学ぶ。被害者側へは、詫び状と写経とわずかだが報奨金を貯めたものを、兄姉に託し出向いてもらったが、事件のことは忘れたいと受け取りを拒否された。その兄姉も既にない。模索している時に読んだのが、“死んだ人々は、還ってこない以上、生き残った人々は、何が判ればいい?”というフランスのジャン・タルジューの詩だ。
 「被害者の方はやりたいことがあっても、もう成し遂げられない。でも自分は挑戦できる。まだ下手だと思っているので、もっと上を目指したい。それが結果的に亡くなられた方の供養になれば」
 とAさんは感じるようになり、より備前焼に精進する気になった。
 まず心情の安定があってこそ、受刑者は罪に対して真摯になれると私は思う。だが、塀の中は現代社会の縮図。高齢化の問題は大きい。受刑者が病気になり、外の病院へ入院させる必要が生じると、3人の刑務官が付き添わねばならない。交代も含めると丸1日で6人。昨年、岡山では5人の受刑者がすべて異なる病院へ入院したことがあり、30人の刑務官が外で勤務する状態になった。受刑者を処遇する刑務官は141名(全職員218名)。休みを返上して穴埋めしたそうだが、現場の処遇や教育にも少なからず影響は出る。病気や高齢であっても、刑の執行停止にはならない。受刑者に定年はないのである。
 「今後は老人棟のように、作業をして入浴、居室へ戻れるという、一本の動線でつながるような収容施設は必要になってくると思います」
 平田利治所長の言葉だが、高齢化の波は塀の中にも押し寄せ、改革が必要な時代が到来している。


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