鏡花水月紀。

日々の言の葉、よしなしごと。

我谷盆バカ。

2018-11-13 | 日々のこと。
またまた時が経ってしまった。

今日は一昨年から続けている我谷盆のことなど、綴ってみよう。


骨董を扱っていたので、我谷盆(わがたぼん)の存在はずいぶん昔から知っていた。
加賀市の山間の我谷村(わがたにむら)で、江戸時代ごろからダムに沈む昭和40年代まで彫られ、
村が湖底に沈み技術も途絶えたため、骨董の業界では「幻の我谷盆」と言われていた。

京都にその我谷盆に魅せられ、かれこれ30年近く、その復興に力を入れている木工作家・森口信一さんがいらっしゃる。
個展も全国各地でされており、金沢や加賀市でも何度となく開けていたのは知っていたが、実は近年まで足を運ぶこともなかった。
失礼ながら骨董の我谷盆にしか興味をもてなかったからだ。

ところが一昨年5月に、森口さんを講師にした我谷盆を彫るワークショップに参加したことから、
ずぶずぶと深みにはまってしまい、鑿も買い、かれこれ11枚、習作を彫り続けている。
初めて手にする鑿やかんな、生木の栗の板。とまどうことばかりであったけど、できたときの嬉しさ。
そしてもっと美しく彫れるようになりたいという思い。

そして何より、森口信一さんの真摯な想いに触れたことも大きいだろうか。
全国に我谷盆写しを彫っている作家はいるが、発祥の地の加賀、広くは石川に彫る人がいないことを森口先生は憂い、
片道3時間半かけて3年間、毎週末、個展などのない限り京都から教えにきていらっしゃるのだ。

先生に会ったことがある方はご存じだろう。
かつて患ったご病気の後遺症で少し右半身が不自由になられている。
そんな経験をされたことから「俺がやらねば誰がやる」と道具箱に文字を刻みつけ、
我谷盆を彫り続けて得た技術を、惜しみなく教えてくださっている。

ワークショップに数度通ううちに、ワークショップに来るくらいならアトリエへ来なさいと言われ、
今は廃村となっている風谷村(いい名前!)の古民家へも顔をだすようになった。
そこではお盆の彫り方や道具の扱いも習うが、我谷村に暮らしていた古老や山中の木工職人の方、アトリエに通い続けている方とも出逢えたりもできる貴重な場でもあった。

先生は「我谷盆バカでいいと思う」とあるテレビ番組で仰っていた。
私もいつかそういえる日が来るかはわからないけれども、周回遅れののんびりとではあるが、木に向い、精進していこう。




11枚目途中


4枚目のお盆。半年後、気に入らなくて彫りなおしている。

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