鏡花水月紀。

日々の言の葉、よしなしごと。

陸前高田の「瓦re:keyholder」の輪。

2012-01-31 | 東北にエール
いつも私の読書案内をしてくださるstraussさん。

東北へのボランティア活動にも参加されており、

そのブログのなかで知ったのが陸前高田の「瓦re:Keyholder」でした。


北陸から現地にボランティアに向かうのは大変ですが、

離れていてもできる支援があるんだと気づかされ、

雇用支援と東北を忘れないという気持ちを携えて

昨年末の企画展で取り扱わせていただきました。



最近では金沢市内の生協でも取り扱いが始まり、

じわじわと輪が広がっていることが嬉しいです。


また先般参加したビジネスセミナーで、

プロボノ活動について講師を務められた

NEC CSR推進部のⅠさんにお渡しし紹介したところ、

社内で取り上げますと仰っていただけました。


個人でご購入された方も、

たとえば会社でノベルティとして使ってみるよう働きかける、

あるいはお住まいの地域の催しで使ってみるなど、

もう一歩先へ能動的に広げてみるのはいかがでしょう。

支援の輪、広げていきましょう。

瓦re:Keyholder 詳しくはこちらへ

「紫」 奈良上映会。

2012-01-29 | 日々のこと。
1月7~8日、金沢で上映された吉岡幸雄さんのドキュメンタリー映画「紫」。

友人知己、お客さんにお知らせしたり、
監督をされたkさんに広報先として金沢倶楽部さんや
えり華さんをご紹介させて頂いたりなどしていた私でしたけれども、
石巻でのボランティアを優先しうかがえませんでした。

それは金沢上映の後に、
青森、奈良でも上映があると知っていたからでしたが、
青森に行くにはなんぼなんでも遠いし、奈良に行こうと目論んでいました。
ところが「奈良会場は抽選なんですよ」とK監督。

当たりますようにと念を込め往復はがきで申し込み。
待つこと10日あまり。
ふふふ!抽選にはずれることなく当選しました。

ということで2月は久しぶりに奈良まで行ってきます。
そろそろ旅程をイメージしましょうか。



追分温泉。

2012-01-26 | 東北にエール
石巻で宿泊したのは北上川左岸の山奥にある一軒宿、追分温泉です。

かつて金鉱山もあった硬い地盤に立地していたことから被害はほとんどなく、
震災直後からふもとの方々50人近くが2.5キロ先の山道を登って避難を乞うてこられ、
すぐに広間を開放し受け入れられたそうです。
また翌日からは朝、昼、晩、200個の温かいおにぎりを避難所に差し入れもされたそうです。
「うちは被害も殆どなかったし、温泉宿で料理の材料だけはたくさんあったからね」と先代の女将さん。
お国言葉をまじえながら、当時のお話しをおうかがいさせて頂きました。



かんじんの追分温泉。
ぽかぽかとよく温まり、栢の木をふんだんに使った湯殿と湯船も雰囲気たっぷり。
牡蠣やわかめ、お刺身・・・と三陸の海の恵みいっぱいのお食事。
まだ仮設住宅にお住まいの方もいらっしゃるのに申し訳なく思いながらも
美味しくいただきました。

 

石巻へ旅行に行かれる方、ぜひどうぞ。
お勧めします。


NPO法人りあすの森。

2012-01-26 | 東北にエール
石巻市は広葉樹の茂る山々の間をゆったりと流れる
北上川の川湊として発展してきた町です。

森の栄養をたっぷり含んだ水が川を豊かにし、
その川の水と海の水が交じり合う汽水域の河口ではシジミ漁が盛んに行われ、
また中洲や砂洲には200ヘクタールにも及ぶヨシ原が広がり、
川と海の恵みを享けた暮らしがありました。
しかしこの度の震災による津波の影響で、往時の発展をしのぶ米蔵などの並ぶ町並みも壊され、
また日本有数のヨシ原も、地盤沈下や泥の蓄積などでかつての半分近くになってしまいました。

今回おこなわれたヨシ刈りボランティアは、
この震災を機に生まれた「NPOりあすの森」が主催し、
湖沼のヨシを守る団体を中心に声がかけられ、鳥取、滋賀、石川、栃木などから25名が集まりました。
りあすの森の中心は、石巻にある屋根工事一式・熊谷産業の熊谷秋雄さん。
北上川とそのヨシ原の恩恵をうけて来られた方です。
熊谷産業さんご自身も茅葺き屋根の社屋や工場を流されました。
震災当時社員の方々はヨシ原でヨシ刈りの最中でしたが、
先代社長の「津波がくるから逃げろ」の一言で、間一髪、皆さんご無事でした。



この熊谷産業さんの対岸には、児童74名、教職員10名がお亡くなりになった大川小学校があります。
校舎前には慰霊の鐘、子供をやさしく抱いた母守りの像があり、
像には寒かろうと赤いマフラーも巻いてありました。
小学校は堤防から100メートルも離れていない低い土地に建っていました。
裏山は杉が植林された急斜面で大人でも上るのは容易ではない。

地震後36分で津波がきた・・・・。
その間はあっという間のことだったことでしょう。
裏山以外、学校よりも高い場所は橋だけ。
想像もつかない巨大な津波がくるとは思いもよらず、
先生と子供たちが避難に向かってしまった。

その橋も左岸のほうは新しく付け替えられ、
上流の川面にはぐにゃりと捻じ曲がった、橋だったものの残骸が川面から突き出ていました。
津波に運ばれた家か漁船か、何か大きなものがぶつかったのでしょうか。
まだ行方不明のお子さんもいらっしゃる現実。
手を合わせてお祈りするしかできませんでした。


熊谷さんは以前から自然と子供を結ぶ学校づくりを想っていらっしゃいましたが、
大川小学校のことをうけ「多くの子供たちが亡くなったことに報いるためにも、
本当の教育の受けられる学校を作りたい」と考えられ、
「NPO法人りあすの森」をつくりました。

本格的な活動はこれからになりますが、
すこしでも応援させて頂きたいと心から思います。

ヨシ刈りのことは「石川県茅葺き文化研究会」のブログへ⇒

ヨシ刈りボランティアのようすはこちらMSNの記事⇒

宮城県石巻市へ。

2012-01-26 | 東北にエール
1月7日~8日にかけて宮城県石巻市へいきました。
12月に茅文研主催「草からみえる未来」で講演いただいた
河北潟湖沼研究所のTさんからご案内をいただき、
日本でも有数のヨシ原が広がっていた北上川でのヨシ刈りボランティアに参加するためです。

朝8時に津幡町の研究所を出発し、北陸道~磐越道~東北道を車でひた走ります。
途中、磐梯山サービスエリアからは磐梯山が真正面に見えました。
あいにく雪雲がかかっていましたが、堂々とした偉容が伝わってきます。



午後4時ごろに宮城県に入り、
高速道路の上からでしたが仙台の津波被害のようすも目にしました。
湖沼研究所のTさんは昨年の夏にも訪問されており、
その折から比べれば瓦礫は片付けられているとのことですが、
まだ堆く積まれた瓦礫や塩害により赤茶けた木々、
真新しいお墓に被害の大きさがしのばれました。

やがて目的地の石巻市につきました。
宿に入る前に市内の被災状況も視察をということで
海辺の日本製紙の工場付近を訪ねました。
工場はすでに稼動し、もくもくと力強い白煙をあげていましたが、
震災直後はこちらのような様相
ため息が出ます。

今これらの瓦礫のほとんどは片付けられています。
しかしところどころ、1階を波にさらわれたままポツンと立ち尽した家も残され、
そこに暮らしていた方々はいったい・・・・と、胸を衝かれます。

下の写真のお隣もかつては町の電気屋さんだったようすで、
働き盛りのご主人の遺影にお線香やお花が供えられてあり、
私たちも手を合わせて黙祷しました。



この背後、100メートルも離れていない所に高台があり、
そこに建ち並ぶ家々はほとんど無傷。
くっきりとわかれた明暗。
なんとも言えない思いがわきました。

穏やかな三が日でした。

2012-01-04 | 日々のこと。
新年おめでとうございます。
正月三が日は時折小雨が降るくらいの穏やかな三が日でした。
皆さまいかがお過ごしでしたか。

私はほとんどを実家ですごし、
半身がやや不自由、口はすこぶる達者な母の手伝いをあれこれ、
父のお酒につきあいつつの時間。
あと何回こういう風に新年を一緒に迎えられるのかなと思いながら、
感謝して過ごしてきました。

さて年末のことですが、茅文研のミーティングがあり、
目下の懸案をしっかりこなし、次へ進もうぜ!みたいな、
当たり前のことですが当たり前ができていなかったので、
今年度はビシーっと計画をたて、関係各所に迷惑をかけないよう・・・・
と、書いているうちにトホホな気分になってきましたが、
これが真実です(苦笑
今年もやっぱり、茅、がんばろう~。
それで、その第一弾。
1月7日~8日、石巻にヨシ刈りボランティアへいってきます。

戦後は「国敗れて山河あり」と故郷の自然が傷ついた心を癒してくれました。
しかし先の大震災ではその山河すら大きく失われました。
岩手から宮城に流れる北上川河口には日本有数のヨシハラが広がり、
毎年冬に行われるヨシ刈りは季節の風物詩でもありました。
震災の爪あとはこのヨシ原にも大きく残り、
地盤沈下によるヨシの水没などがみられます。
今回のボランティアでは川のゴミ除去とヨシ刈りを行い、
美しかったヨシ原の保全の一助になるよう努めるものです。

この活動の主催者は北上川のほとりに社屋があった
茅葺き屋根工事の熊谷産業さんら。
熊谷産業さんも震災当日は北上川のヨシ原で
ヨシ刈りの最中に被災されたそうです。
幸いご家族や社員の皆さまは無事だったものの
社屋はすべて流されてしまいました。
熊谷産業さんには金沢湯涌江戸村の茅葺き民家も
葺いていただいたそう。
ずっと東北へ行きたいと思っていたことが
ようやく叶います。

美しいヨシ原がまた皆さんの心の慰めや元気を取り戻せるものになるよう、
祈りとともにヨシ刈りをしてきます。

また磐越から東北自動車道に抜ける際は福島も通ります。
今回は湖沼研究所さんの活動に混ぜていただいている身なので、
ゆっくりと寄り道できませんけども、
茅葺きフォーラムが福島で行われると聞いていますので、
そのとき改めて訪ねたいと思います。

今年もやっぱり茅まみれ・・・のようですね。
懲りずにお付きあいください。