住職日記

皆満寺 住職 永尾圭吾です。
いろんな情報を気ままにアップしていきます。

おみやかし

2012-06-30 22:44:40 | 日記
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と言っても、「今月の言葉」と行事だけですが・・・。

さて、今月の言葉の

神はこの身をにぎるもの 仏はこの身を解放するもの

で思い出したと言おうか、書こうと思っていた話です。

先日、永代経でのご法話で


おみやかし

という耳慣れない言葉を聞きました。


能登の地方で使われている、お寺でのお賽銭の呼び名なんだそうです。

ちなみに御宮さんでは言わないんだとか・・・。


で、

「おみやかし」ですが、おめあかしが訛ったもので、字を当てると、お目明かしとなるんだそうです。

なるほど!

仏法に、真宗の土徳に溢れた言葉ですね。

残念ながら、この辺りにはそういうセンスはありません。

ですから、能登では仏法に出遇ったお礼をお寺にあげる・・・そういうことで、おみやかしって言うんですね。

目が明かされるってことは、見えていなかったもの、見失っていたものが見えてきたってことで、見え方が違ってきたってことなんですね。

うちの寺の座敷に

「慧眼見眞」っていう言葉が掛かっています。

智慧の眼で眞が見えた・・・

観ると、見える、曖昧に使っていますが、

本来は、観るって言うのは観察ってことで、よく物事をみるってことなんですね。自分で観る。

で、観察してみる、物事をよく見つめることで、見えてくるってことが起こります。もちろん、起こらないこともあるでしょうが・・・。

仏法が眞に出遇わせしめた・・・。見せしめたのだと・・・・。

観ていたけど、違って見えたってことがあります。

些細なことで言えば、車で移動してるときと、自転車で移動しているとき、急いでいるとき、急いでないとき、歩いているとき・・・。

同じ道、同じ景色でも、同じものでも違って見えます。

これは観ている対象は変わらなくても、見方が変わっています。

その程度では、真実は見えてこないのでしょうが、智慧は色んな角度から物事を見せようとしているはず。

原発の問題もそう。

智慧の眼はどうそれを映しているか?



で、おみやかし・・・。


かつては道端で、そう声を掛け合ったんだそうです。「元気ぃ~?」的なノリで・・・。

自分の目を明かしてくれるもの(開かしてくれるものでも良いのかな?)に遇っているかい?って声を掛けたのだそうです。

凄いですよね。

でも、お寺がそう言うところとしていま、機能しているかと問われると・・・

やらなければいけないことが見え隠れしています。

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