「自業自得」という仏教語は、他人に向けて使えば恐ろしい凶器になる。決して他人をこの言葉に押し込めてはいけない。
— カレー坊主@吉田武士(僧侶Lv.8) (@bushi_yoshida) 2018年8月25日 - 14:53
しかし、自分自身に向けて使えばこれほど勇気の出る言葉はない。自業自得だから頑張れるんです。仏教はすべて自分のための取… twitter.com/i/web/status/1…
今日は例年の平和の鐘
— 永尾 圭吾 (@137Kei) 2018年8月6日 - 16:27
からの
#平和の鐘 pic.twitter.com/ZUmXdJwv7X
長男得度でご本山へ
— 永尾 圭吾 (@137Kei) 2018年8月6日 - 16:28
#得度 pic.twitter.com/ErBBI3wZdF
生まれる前の世界とか死んだ後の世界についてはとやかく悩まないがいいね。今、この生きてる今が全てだと思い生きることが、生きてるということだもんね。前世や来世を気にし過ぎると今が疎かになってしまうね。おはよう、日本。はじまりの前や終わりの後ではなく、今日を、この今を精一杯生きたろう。
— 辻仁成 (@TsujiHitonari) 2018年8月5日 - 07:29
他人を責めつづけるとき、その人は、姿は人間であっても間違いなく鬼であり、自己をかえりみることのないものはすでに地獄の亡者であり、共に人間の世界に住んでいるつもりであっても、本当は地獄に住んでいるのです。 藤田徹文
— 浄土真宗法語 (@18vow) 2018年8月5日 - 08:35
『盂蘭盆経』は「自分の母だけは何が何でも救って欲しい」という目連のワガママを、仏弟子達という他者への布施行へ転じることでほどいて広い視野を持たせていったと読めばありがたいのではないかな。ワガママでない人に仏法は必要ない。ワガママだからこそ出あって知らない間にほどかれていくんだな。
— しょうしん (@Shaku_Shou_Shin) 2018年8月1日 - 00:16