住職日記

皆満寺 住職 永尾圭吾です。
いろんな情報を気ままにアップしていきます。

昨日のテレビ

2011-02-28 23:43:47 | 日記
昨日、子供を寝かせつけた後、何気なくテレビを見ていたら、死刑についての特集の番組が放送されていた。

千葉元法務大臣の苦悩というか、葛藤?を軸に、様々な経緯で死刑と向き合い、執行のサインをした大臣、拒否し続けた大臣(おひとりですが)が、何人か出た来られた。

前々?大臣の千葉さんは死刑には反対の姿勢をとられていたんですね。

そんなことも知らなかったのですが、刑場とかを公開していったのは、死刑について、どう行われていっているのかを知ってもらったうえで、世論を動かしたかったんでしょうね・・・

これが、ただ、刑務官や法務大臣の負担軽減では無意味ですが、簡単に死刑に賛同していく世論に一石を投じたのは間違いないと思う。

拒否し続けた杉浦さん?はサインを拒むだけではいけなかったと仰っていました・・・

何も変わらなかったし、変えれなかったと・・・

他の方も、一様に重たい口調、険しい表情というか・・・そんな感じでした。

サインした人もしなかった人も相当しんどかったんだろうなと・・・

サインした大臣は、執行を見届けるから、より重いものを自身のサインとともに背負っているんだろうか?とも思いましたが、みんな見届けるわけじゃないんですね。

ていうか、サインだけなんかな?普通は・・・

サインするんなら、見届けて責任持てよって思います。

テレビには出てきませんでしたが、ノーテンキな元大臣もいましたね・・・あれは例外かな?

まあ、当然と言えば当然なのでしょうが・・・問われないようでは困ります。

いまは、世論におされて死刑を執行しなと、大臣に批判が集まるし(ネット上なんかだと凄いですね)、マスコミも煽るから、そういう意味でも政治家としては厳しい選択に迫られるし、大臣としての責務云々ということで、気が進まなくても職務・・・ということで正当化していくのでしょうから、大臣も楽じゃないですね。

死刑執行のニュースの度に、軽々しくサインしてんじゃねえって思ったりもしてましたが、浅はかでしたね。

けど、ホントに楽に務めてもらったら困ります。


しかし、番組の中でも触れていましたが、死刑執行に賛成の世論は85パーセントだそうです。


僕は異常に多いと思います。


この中には、やむを得ない・・・というものも含まれるそうですが、みんなと一緒が良い・・・一緒じゃないと不安・・・という国民性も持つ日本人は、こういう数字を見ると流されてしまわないやろうか?

死刑に賛成って感覚を持たないとヤバいんちゃうやろかって・・・


けど、そうこうして、この20年で20パーセント上がったみたいです。


けど、その20年の間って死刑の議論も、情報の公開も何もなかったですよね?

凶悪な犯罪だけは増えたかもしれない・・・

けど、この数字・・・俺にはにわかに信じがたいんです・・・

日本の宗教者って何割くらいなんやろ?

みんなで頑張っても15パーセントの人にしか声が届いてないのかな?

そう考えると、これはこれでえらいこっちゃって思う。


番組の中で、刑を執行された死刑囚が、執行直前?に大臣?に宛てた手紙?が紹介されていました。

死んで償えということは、反省しなくても良いって言うことでしょ?

反省するってことは、この先失敗しないように反省しろってことだから、この先、死ねってことは、繰り返すなってことでもないから、自分へも、被害者の遺族へも、自分の家族へも謝罪するのをやめる。

だって、やられたら、やり返していいのなら、俺たちの世界のルールと変わらないじゃないか・・・



そういう内容の手紙だったと思う。

俺らのルールと同じじゃないかって・・・その通りだと思った。

死刑って言うのは、お前に代わって国が代わりに仇を討ってやる・・・

そういうことだなと改めて思わされた。

死刑はやっぱり刑罰じゃないと。


前の日のドラマを思い出した。

きちんと見ていなくて、終わりがけだけ見たんですが、藤原竜也主演の時代劇ものでした。

その中のセリフに

仇討を重ねようとしている主人公に

命を奪ったものは、その重みを一生背負って生きていかなければならない、さらに人を殺めることも、裁かれて死んでいくことも許されない・・・そんな感じのセリフがありました。

やられたらやりかえす・・・・それが何の解決にもならないことを僕らは真剣に考えていかなければならないんではないだろうか。

死刑制度・・・マジで考えていくべきです。

死刑囚が税金で食って生きながらえてるっていう考えもあるようですが、明らかに視点が違うしね。それは。
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真宗的…

2011-02-26 23:20:25 | 日記
今日は真宗門徒入門講座の為、阿久比の光西寺さまへ午後から出かけました。


親鸞ノート」というテキストを用いての10回の講座も今日を入れて残すところあと3回になりました。


そろそろ次が気になり始めていますが、まずは今の口座をきちんとフィニッシュすることが大事なので、気が抜けません。


とは言うものの・・・・


土曜の昼下がり・・・はあまり関係有りませんが、ストーブが真後ろにある席は眠気が誘われ・・・

下の娘の夜泣き?ぐずり?で睡眠不足気味な身体には少々辛くもありましたが…



さて

講座が始まる前、会所の光西寺さまのご住職のお話がわかりやすかったのでちらっと紹介します。



あなたが幼い兄弟の子供の親だとして(まさにそうですが)、

上の子がお菓子を一つ貰って帰ってきたと・・・(よくあります)

で、下の子がそのお菓子を欲しがってます。

さあ、あなたは上のお子さんに何と言いますか?

1 あなた、お兄ちゃんなんだから、弟にあげなさいと、道徳的な考え、観念いうことを教える。(これ、よく言ってしまいます)

2 あんた、今弟にあげておかないと逆の時、もらえないよと・・・とりひき、世の渡り方?を教える。


こういうこと、よくあるし、言いますよねと・・・


2 なんか、あの時よくしてやったのに、あの恩知らずめ・・・てなことにもよくなる話です。


では、ほとけさまなら何と仰るでしょうと・・・・




二人で食べると、きっともっと美味しいよって答えられるんじゃないかな?


仏教を学ぶということは、道徳でも、まして処世術でもなく、見方が変わるというか・・・そういうことなんだと思う・・・そういうお話でした。

僕にはとてもしっくり来る話でした。


いかがです?


まあ、うちのこはそれでも、あげるの嫌だって言いそうですが・・・


まあ、理想的な答えを導き出すのは仏教じゃない・・・ということで。
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ほんまもん

2011-02-25 14:17:04 | 日記
今日の朝イチは、とめさんのとこのお参りでした。

とめさんとは、僕の使っていたお念珠をお譲りしたおばあちゃんです。

今日はおばあちゃんの息子さんの百ヶ日法要でした。

もう、そんなになるんだねって言いながら、支度をしつつ、おばあちゃんの話に耳を傾けます。

おばあちゃんと話をしてるほうが、お勤めの時間よりも遙かに長い。

なぜなら、おばあちゃんの一言、一言にあみだ様を感じるというか、目の前にあみだ様に出会われた慶びに溢れた方がいらっしゃるので、おばあちゃんの一言を聞いていたいと思うからなんですね。

きょうは、「この子のお陰で、おっさんと参れる」と言ってくださった。

「この子がのうなったおかげで、あみだ様がいろんのものをお与え下さってることが分かったがえ」って仰いました。

もう、まいりました・・・ってかんじです。

そして、丁寧に手を合わされてお念仏・・・

いつも思うんですが、こんなに丁寧にお参りされる方はもうおられないんではないかと。

ちょっと前までは、たまにおられたように思うのですが・・・・

さらに

「あみだ様はお願いなんかせんでもちゃんと助けてくださる」・・・そう仰います。

理屈じゃなく、感じておられるんだと思います。

お念仏に本物も偽物もないけれど、とめさんのは本物だと確かに思う。

とめさんとのお念仏は何だかとても暖かい。

つい、長居してしまう。




なので、今日も葬式が控えていたにもかかわらず、長居しすぎてしまい、大あわてでとめさんとこを後にしなければならなかった。
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答えられず・・・・

2011-02-21 02:35:45 | 日記

朝イチの法事で・・・

下手な法話の後、質問を受けましたが答えられませんでした・・・・。

命日の命は、命令や使命の命ですよって話をして、命日というのは、自分のなすべきこと、課題を亡き方より頂いた日という意味じゃないかと・・・そういう話をしたんです。

いつもは、大抵、質問を受けることもなく、感想を頂く間のないまま、次のお宅へと出向いていくのですが、今日、初めて質問を頂きました。

が・・・・

答えられませんでした。

 

 

私たちの使命って何でしょう?

 

そう問われて即答できませんでした。

お聞きすれば、知り合いの方で、30代、50代の方が、重い病気を患われているとかで、若いのに、あんなに苦しんでいると・・・・

苦しむために生まれてきたのかと・・・・

 

苦しむことが使命なんでしょうか?と聞かれ、言葉が出てきませんでした。

 

それは違う・・・と思うのですが、じゃあ何ですかといわれると・・・

結局、正直、分かりません・・・としか答えられなかった。

なんとか、上手く言えないものかともがいていたので、ひょっとしたら、それすら上手く言えなかったかもしれない。

だからこそ、聞いて明らかにしていかなければいけないことがあるんだと知らされます。

聞き続けて明らかにしていくことこそが、人間として命を頂いた使命なのかもしれません。

けど、今は自信もないし、よくわからんです。

坊主としては情けないことですが・・・

 

 

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思ってもみなかった・・・

2011-02-19 00:09:06 | 日記
先日の「真宗門徒入門講座」でのお話の続き・・・というか、その時の話ですが・・・

先生のお話の中で


そう言やあ、そうだよな」的な話があったので・・・・


今でこそ、標準語なるものがありますが、700年前ってどうだったんでしょ?


九州地方の出身の親子の会話・・・おそらく博多弁だと思いますが、早すぎて何を言っているのか分からなかった・・・そういう思い出があります。

15年ほど?20年ほど前の話です。

偏見かもしれませんが、ホントに地方のネイティブな方言は分かんないことが多いです。

けど、今は、ほぼ、標準語を喋ることが出来ると思います。

テレビなどの賜なんでしょうね。

だから、全く話が通じないってことは国内においては稀なことだと思いますが、700年前は?

越後に流された親鸞聖人・・・言葉通じたんでしょうかね?」って先生の問い結構頭ん中に残ってます。

打ちのめされたんじゃないかと・・・・僕も思うんですよね。まあ、想像ですが。




それから、分かったことが一つ。


禿・・・てハゲじゃないんですね。

その当時の人って、きちんとした身分の人も、もちろん、一般の人もある程度は、みんな髪を結っていたんですって。

で、坊主は、所謂、坊主頭です。ハゲ・・・とも言われてしましますが。

では、禿とは?


ちなみに読みは「かむろ」です。


結ってない、剃ってない・・・そういう髪全般なんですって。

今は、男の人も、女の人も、言ってみればみんな 禿ヘアー らしいっすよ。

じゃあ、当時の禿へアーな人は?

親鸞聖人は

愚禿と自らを名乗られました。

愚かな悪事に手を染めて生きていくほかない、僧でもなければ俗でもない、僧でも俗でもあることが許されない・・・そういう言葉だったんです。

ぼくら、都合良く、非僧非俗って言葉を使います。

っていうか、僕は使ってました。

けど、ホントに都合良く、「まあ、坊さんでもあるし、一般人でもあるよ」的な使い方ですから、よく考えたら真逆です。

髪の毛があるってことの言い訳?正当化?的に使ってもいましたね。

僕はちょい前まで割とロン毛に入るかな?くらいに長く、茶髪だったこともあるので(色は今でも若干茶色いです・・白髪染めもしてるって建前もあります)、髪があることの質問はよく受けますし、陰でもああだこうだと言われていたようです。

だから、よく言ってましたが、もう、口が裂けても言えない・・・そんな気がします。
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