住職日記

皆満寺 住職 永尾圭吾です。
いろんな情報を気ままにアップしていきます。

思ってもみなかった・・・

2011-02-19 00:09:06 | 日記
先日の「真宗門徒入門講座」でのお話の続き・・・というか、その時の話ですが・・・

先生のお話の中で


そう言やあ、そうだよな」的な話があったので・・・・


今でこそ、標準語なるものがありますが、700年前ってどうだったんでしょ?


九州地方の出身の親子の会話・・・おそらく博多弁だと思いますが、早すぎて何を言っているのか分からなかった・・・そういう思い出があります。

15年ほど?20年ほど前の話です。

偏見かもしれませんが、ホントに地方のネイティブな方言は分かんないことが多いです。

けど、今は、ほぼ、標準語を喋ることが出来ると思います。

テレビなどの賜なんでしょうね。

だから、全く話が通じないってことは国内においては稀なことだと思いますが、700年前は?

越後に流された親鸞聖人・・・言葉通じたんでしょうかね?」って先生の問い結構頭ん中に残ってます。

打ちのめされたんじゃないかと・・・・僕も思うんですよね。まあ、想像ですが。




それから、分かったことが一つ。


禿・・・てハゲじゃないんですね。

その当時の人って、きちんとした身分の人も、もちろん、一般の人もある程度は、みんな髪を結っていたんですって。

で、坊主は、所謂、坊主頭です。ハゲ・・・とも言われてしましますが。

では、禿とは?


ちなみに読みは「かむろ」です。


結ってない、剃ってない・・・そういう髪全般なんですって。

今は、男の人も、女の人も、言ってみればみんな 禿ヘアー らしいっすよ。

じゃあ、当時の禿へアーな人は?

親鸞聖人は

愚禿と自らを名乗られました。

愚かな悪事に手を染めて生きていくほかない、僧でもなければ俗でもない、僧でも俗でもあることが許されない・・・そういう言葉だったんです。

ぼくら、都合良く、非僧非俗って言葉を使います。

っていうか、僕は使ってました。

けど、ホントに都合良く、「まあ、坊さんでもあるし、一般人でもあるよ」的な使い方ですから、よく考えたら真逆です。

髪の毛があるってことの言い訳?正当化?的に使ってもいましたね。

僕はちょい前まで割とロン毛に入るかな?くらいに長く、茶髪だったこともあるので(色は今でも若干茶色いです・・白髪染めもしてるって建前もあります)、髪があることの質問はよく受けますし、陰でもああだこうだと言われていたようです。

だから、よく言ってましたが、もう、口が裂けても言えない・・・そんな気がします。