海子丸は現在診察台の上です。
しかも内臓は取り出されております。
沖で走行中、突然エンジン音の異常と、煙をはき、警告ブザーが鳴りはじめました。機関場をあけるとものすごい白煙。海に飛び込まなければいけない事態かと思えるくらいに。
エンジンを停止させ、造船所に連絡後、先輩「千寿丸」に曳航してもらい、そのまま造船所に入院しました。
思った以上に重症で、約10年に一度程度の「オーバーホール」をしなければいけなくなりました。
海子丸は進水11年でその時期は来ていたのですが突然の出来事で・・・。
7月31日から8月9日まではアワビ・サザエの素潜り漁で、海子丸の復活は、ちょうどその頃、お盆明けになりそうです。
お客様、予約いただいておりましたジギングのお客様にも多大なご迷惑をおかけいたしております。
しかも内臓は取り出されております。
沖で走行中、突然エンジン音の異常と、煙をはき、警告ブザーが鳴りはじめました。機関場をあけるとものすごい白煙。海に飛び込まなければいけない事態かと思えるくらいに。
エンジンを停止させ、造船所に連絡後、先輩「千寿丸」に曳航してもらい、そのまま造船所に入院しました。
思った以上に重症で、約10年に一度程度の「オーバーホール」をしなければいけなくなりました。
海子丸は進水11年でその時期は来ていたのですが突然の出来事で・・・。
7月31日から8月9日まではアワビ・サザエの素潜り漁で、海子丸の復活は、ちょうどその頃、お盆明けになりそうです。
お客様、予約いただいておりましたジギングのお客様にも多大なご迷惑をおかけいたしております。
なんと460キロ!(内臓を取り除いてから。実際は500キロ超)
地元の定置網にどでかいクロマグロが入りました。
多分この辺り、対馬ばかりか壱岐を入れても記録ではないでしょうか?
私は毎日この場所を通っているのですが・・・。
わずか水深30メートルほどの海を泳いでいるんですね。
多分トビウオを追って網に入ったのではなかろうかとみんなで話しました。
一匹だけだろうか?
まだ仲間が近くに・・・
間違えて私の道具に・・・。でもこんな道具じゃ・・・。
夢は広がります。
地元の定置網にどでかいクロマグロが入りました。
多分この辺り、対馬ばかりか壱岐を入れても記録ではないでしょうか?
私は毎日この場所を通っているのですが・・・。
わずか水深30メートルほどの海を泳いでいるんですね。
多分トビウオを追って網に入ったのではなかろうかとみんなで話しました。
一匹だけだろうか?
まだ仲間が近くに・・・
間違えて私の道具に・・・。でもこんな道具じゃ・・・。
夢は広がります。
先日、図書館で借りた数冊の本。久しぶりに野田知佑 の『日本の川を旅する』や 開高建の『オーパ!』を読み返した。やっぱり面白い。
若い頃、テントや寝袋と一緒に単行本を数冊ザックに押し込み、海風、川風、森風、焚き火に当たり、すすの入った焼酎を飲みながら、このての旅のルポをよく読んだ。
残念ながら、あの頃のように駆り立てられるモノはなくなっているが、強い影響を受けた本や、音楽は、懐かしい青春の匂いがする。
わが恩師。CWニコルの「勇魚」(いさな)をご存知だろうか?
和歌山県太地町の勇敢で壮大ななクジラ漁と青年を描いた小説だ。氏はこの本を書き上げる為に太地に移り住んだ経験を持つ。どんな町なのか知りたくて私も一度足を運んだことがある。
今、この太地町のイルカ漁を題材にした映画が議論を呼んでいる。
様々な考え方があって当然だ。
飽食の国「日本」。我々漁業でも、まず漁獲時に商品とならないかなりの魚が投棄され、次に売れ残り投棄され、さらにはレストランや家庭で食べ残され投棄される。そして残ったものを処理するために大きなエネルギーを使っている
イルカにしてもクジラにしてもこの国の「食文化」だ。しかし正確には「食文化だった」気がしてならない。
「勇魚」・クジラを獲れば肉だけでなく脂までも、何一つ無駄にすることなく頂いていた。そしてその恵は浜全体で分けられ、民はその命に感謝し、勇魚を崇めた。
このイルカの問題。しっかりとした信念を持っていれば国民全体が「反論」できるだろう。しかし当の太地の人達でさえ、意見は分かれているという。
「今はイルカやクジラを食べなくても・・・」そのような声を耳にする。
この問題に限らず、もう一度私達が生きている事と、そこに失われていく命がある事。そして、日本人が築きあげた食文化、「魚食」について考えてみたい。
若い頃、テントや寝袋と一緒に単行本を数冊ザックに押し込み、海風、川風、森風、焚き火に当たり、すすの入った焼酎を飲みながら、このての旅のルポをよく読んだ。
残念ながら、あの頃のように駆り立てられるモノはなくなっているが、強い影響を受けた本や、音楽は、懐かしい青春の匂いがする。
わが恩師。CWニコルの「勇魚」(いさな)をご存知だろうか?
和歌山県太地町の勇敢で壮大ななクジラ漁と青年を描いた小説だ。氏はこの本を書き上げる為に太地に移り住んだ経験を持つ。どんな町なのか知りたくて私も一度足を運んだことがある。
今、この太地町のイルカ漁を題材にした映画が議論を呼んでいる。
様々な考え方があって当然だ。
飽食の国「日本」。我々漁業でも、まず漁獲時に商品とならないかなりの魚が投棄され、次に売れ残り投棄され、さらにはレストランや家庭で食べ残され投棄される。そして残ったものを処理するために大きなエネルギーを使っている
イルカにしてもクジラにしてもこの国の「食文化」だ。しかし正確には「食文化だった」気がしてならない。
「勇魚」・クジラを獲れば肉だけでなく脂までも、何一つ無駄にすることなく頂いていた。そしてその恵は浜全体で分けられ、民はその命に感謝し、勇魚を崇めた。
このイルカの問題。しっかりとした信念を持っていれば国民全体が「反論」できるだろう。しかし当の太地の人達でさえ、意見は分かれているという。
「今はイルカやクジラを食べなくても・・・」そのような声を耳にする。
この問題に限らず、もう一度私達が生きている事と、そこに失われていく命がある事。そして、日本人が築きあげた食文化、「魚食」について考えてみたい。