英語と書評 de 海馬之玄関

KABU家のブログです
*コメントレスは当分ブログ友以外
原則免除にさせてください。

2022年も2月22日は竹島の日 海馬之玄関はもちろん粛々と「竹島プロジェクト」に協賛します

2022年02月07日 06時57分38秒 | Weblog

 

 

恒例になりました。もちろん、「恒例」ではいかんのだけれども、

しかし、それが<現実>であるのも事実。

このなすっとぼけたコメントもあるくらいだし。

資料:”社民党キムテヨン候補「竹島の共同管理を提案する」”  

https://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-12725498633.html

而して、令和4年の今年も参加します。





◆「固有の領土」の両義性と「竹島の帰属」の一義性 
白黒はっきり言えば、現在の国際法には「固有の領土:proper territory」という概念はありません。現状の国境線の尊重がこのイシューを巡る国際法が掲げる唯一の価値だから。

土台、「主権国家」「民族国家」、否、「民族」という概念自体が極めて歴史的なものであり、畢竟、一般に「主権国家」と「主権国家間の関係としての国際法秩序」を確立したとされるウェストファリアー条約体制(1648年)の後も1世紀余り、近世と近代の渾然融合は続いたのであって18世紀半ばまでは「主権国家」も「民族」も地球上に存在してはいなかった。ならば、「日本の固有の領土」や「韓民族の固有の領土」なるものがこの世に存在し得ないこともまた当然でしょう。

実際、我が国においては、幕末・明治初葉までは「国家」とは統治の主体たる大名家中と統治の客体たる領地・領民を指す、ローカルガバメントに関する言葉(a certain word that had been linked to something local-governmental)でした。更に、ゲルナーが喝破した如く、現在、我々が「日本的なもの」「日本古来のもの」(something Japanese, something we think has its origin to ancient days of Japan)と感じているものの少なからずは、「皇国史観」然り、「家父長制的な家族関係」然り、明治維新を契機に人為的に作り上げられた表象にすぎないこと。これまた否定できない事実なのです。而して、「終身雇用制」や「年功序列制」に至っては(「農地改革」とともに)国家社会主義を目指した所謂「1940年体制」の産物であり、戦後改革の中でこれらが日本の伝統的なものと錯覚されたのは心理学で言う所の「記憶の自己改竄」に他なりません。
    
民族を生み出すのはナショナリズムであって、他の仕方を通じてではない。確かに、ナショナリズムは、以前から存在し歴史的に継承されてきた文化あるいは文化財の果実を利用するが、しかし、ナショナリズムはそれらをきわめて選択的に利用し、しかも、多くの場合それらを根本的に変造してしまう。死語が復活され、伝統が捏造され、ほとんど虚構にすぎない大昔の純朴さが復元される。(中略)

ナショナリズムがその保護と復活とを要求する文化は、しばしば、ナショナリズム自らの手による作り物であるか、あるいは、原型を留めないほどに修正されている。それにもかかわらず。ナショナリズムの原理それ自体は、われわれが共有する今日の条件にきわめて深く根ざしている。それは、偶発的なものでは決してないのであって、それ故簡単には拒めないであろう。

【出典:アーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』(1983年)
 引用は同書(岩波書店・2000年12月)pp.95-96】
    

では、日本の伝統などは存在しないのか? 否、です。伝統とは、よって、保守主義とは伝統の恒常的な再構築の営みに他ならず、「日本的なもの」「日本古来のもの」は厳然として存在している。ただ、それら個々の表現形が普遍性を必ずしも持たないだけのこと。つまり、伝統とは外化され物象化され物神性を帯びた事物ではなく、伝統を再構築する人々の意識と規範と行為に憑依する(ポパーの言う意味での「世界Ⅲ」としての)何ものかに他ならない。

・風景が<伝統>に分節される構図-靖国神社は日本の<伝統>か?

 https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/87aa6b70f00b7bded5b801f2facda5e3


では、竹島は日本の固有の領土ではないのか? 否、です。確かに、「固有:proper」を「神代の昔から普遍的にそう決まっていること」と捉えて、「固有の領土」もまた上で述べたような、それこそ、伊弉諾・伊邪那岐の二柱の神々の頃から天照大神、神武天皇を経て令和の今上陛下に至る、皇孫統べる豊葦原之瑞穂国の領土であるという意味に解するのならば(a territory as one of indigenous Japanese territories)、それは日本の領土とは必ずしも言えない。否、それは誰の領土でもない。

けれども、「固有:proper」を「そう解しそう取り扱われるのが妥当」という意味に捉えて、よって、「固有の領土」をも「日本の国家主権が排他的に及ぶべき不可譲の日本の領土」(an integral part of Japan's sovereign territory)と「機能主義的-法学的」に解するのならば、「歴史的-国際法的」に見て100%、竹島は日本の領土である。その経緯はロシア側にも幾分かの言い分がある「北方領土」とは全く類型を異にしているのであって、蓋し、竹島は間違いなく日本の固有の領土であり、韓国の現下の竹島占有は不法占拠以外の何ものでもない。と、そう私は考えています。

 

・伝統再構築❗ 魂が込もっていた❗ 

 平成の御代最後の皇后杯、NMB48 皇后杯ハーフタイムショー

 https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/13a6466a043a29b4e15b8da8182e1e6f

 (⬇早晩、リンク切れ必至なので、URLのみ)
 https://youtu.be/lolE8o3T5m4

 

畢竟、所謂「寛容」あるいは「多様性」なるものの価値や素晴らしさというもの。それを保守派も必ずしも否定はしないでしょう。わが国も、古来、数多の「帰化人」の方々を<新しい仲間>として受け入れてきたし、日本の文化伝統なるものの多くは彼等とのコラボレーションの果実であることを否定するような向きは「保守」などではなく、単なる、「無知」なのだと思いますから。

しかし、「共存共栄」なり「多様性」なるものを具現する道のりやスタイルは、リベラル派がしばしばそう口にするように、別に、すべての国が「その市民社会を<地球市民的>なる無国籍の色合いに染める」ものばかりではないのではなかろうか。個々の国家が、各々、独自の文化と伝統を競いあうことによって、世界の総体としては百花繚乱・千紫万紅の<コラージュ>状況を現出する道のりもありはしないか。而して、保守主義に親和性のある「多様性」は間違いなく後者のスタイルであろうと思います

完版:保守派のための海馬之玄関ブログ<自家製・近代史年表>みたいなもの

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/a3221c77ea0add17edf737d21088cf96

 

畢竟、いずれにせよ、リベラル派が主張するような「多様性」だけが<多様性>ではないことは明らかでしょう。そう、逆に、リベラルの言う「寛容」とは「教条」の意味でしかないように。

蓋し、かってイングランドを第8回ワールドカップ(1966)優勝に導いたボビー・チャルトンだったでしょうか、サッカーは戦争のようなものなどではなく戦争そのもの」「昔はサッカーは人生と同じくらい重要だと思っていたが、今は、サッカーは人生よりも重要だということが解った」と語った。でもね、贔屓のアイドルさんだった安田桃寧(NMB48 OG)さんの桃寧じゃないけれど、でもね、その大事な何かを掴むためにも――ホッブスやゲーテやカントが、クロムウエルやリンカーン、新井白石や藤原不比等や大久保利通が言うように――秩序はいりますよね、多分。違いますか? ならば、

民主主義より法の支配より人権よりも
主権国家の普通の市民としては
その時々にできることをやるだけ。

 

なに、話し合いで解決?

その解決までの期間はどうするの? 生じるコストは誰が負担するの?

その間の利息と逸失利益は誰が払うの? 通信交通費は誰が払うの?

土台、話し合いで解決できるの? できるという根拠は?

話し合いで解決できないのは「外交の失敗」?

いや、「外交の限界」でしょう。

違いますか?


竹島奪還。2月22日の「竹島の日」を契機に竹島に一層注目しましょう。


共に闘わん。 

б(≧◇≦)ノ ・・・竹島は日本の固有の領土だぁー!
б(≧◇≦)ノ ・・・韓国は国際司法裁判所での竹島の帰属決定に応じよ!
б(≧◇≦)ノ ・・・領土を売り渡す立憲民主党と朝日新聞は日本から出て行け! 
б(≧◇≦)ノ ・・・竹島奪還! 共に闘わん! 






◆竹島問題関連サイト

・竹島問題研究所
 http://www.pref.shimane.lg.jp/admin/pref/takeshima/web-takeshima/


 

◆戦争責任/戦後責任論を論じた拙稿

・戦後責任論の崩壊とナショナリズム批判の失速
 https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/eb5f9dd62bb13f021d085909baf4d1d2

・ナショナリズムの祝祭としてのオリンピック  
  http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/996393535306da1e98ca58ca37c31e17

・書評☆高橋哲哉『歴史/修正主義』
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/3ddaab9f79ee4ac630414d90fd957c75

 

・小倉紀蔵『歴史認識を乗り越える』の秀逸と失速
 https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/108f4c9b8211e41e68bc06597ac56102

 

・「従軍慰安婦」問題-完封マニュアル(上)~(下)
  http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11137268693.html

・歴史を直視できない人々(上)(下)
  http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/9ab1e74ac8fd20f67dca4c93b5ccd78f

・戦争責任論の妄想:高木健一『今なぜ戦後補償か』を批判の軸にして(上)~(下)
 http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/df613c9e50e4d96c875145fbcc4eaf8a



◆左右の教条主義を越え、粛々と淡々と、かつ、凛として、竹島奪還!

・「左翼」という言葉の理解に見る保守派の貧困と脆弱(1)~(4)
  https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/2045fe3ac164014dde2e644c551d7c38

・「天皇制」という用語は使うべきではないという主張の無根拠性について(正)(補)
  http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/b699366d45939d40fa0ff24617efecc4

・愛国心の脱構築-国旗・国歌を<物象化>しているのは誰か? (上)~(下)
  http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/7895a5e3e2fcb21fca12515e14a34c87


・天皇制と国民主権は矛盾するか(上)~(下)
  https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/ab8562f81bec8c89bcb6be81547755e8

・中川八洋「国民主権」批判論の検討
  http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11139156653.html

・「偏狭なるナショナリズム」なるものの唯一可能な批判根拠(1)~(6)
  http://ameblo.jp/kabu2kaiba/entry-11146780998.html

 


 

そして、

 

資料:英文対訳「大日本帝国憲法」
 
 
完版:保守派のための海馬之玄関ブログ<自家製・近代史年表>みたいなもの--
 
 

定義の定義-戦後民主主義と国粋馬鹿右翼を葬る保守主義の定義論-

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/0fb85611be79e7a89d274a907c2c51ac

 

暇潰しの言語哲学:「プロ市民」vs「ネットウヨ」

https://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/b460070200babd85692d368ac32c7eb4

 

天照大神

 
 
コメント    この記事についてブログを書く
« NMB48”杉浦琴音 卒業公演”⬅琴... | トップ | ”ペンライト【NMB48】8期研究... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事