老いて楽しく

余生を楽しむ

エッ こんなの初めて見た 霜柱

2019-01-25 08:22:41 | 日記
自然の造形は美しい
 
普通霜柱と言うと地中の水分が凍って地表に数センチの氷柱が立つ、足を踏み入れればサクッと崩れて足跡が残る、自分では霜柱と言うとこのくらいの知識しかない。

親しき友好奇心旺盛、色々な事に挑戦し亦並々ならぬ努力をする、写真同好会の人達と撮影会に行っても、寒い星の冴えた夜 三脚を立てシャッターを解放にして、夜の山影に星の動きを捉えた珍しい写真や、早朝 郊外か山でしか見られない珍しい霜柱の写真を送ってくれる、先日どこかの山で早朝写した珍しい霜柱の写真を送ってくれた。

霜柱と言えば、日が昇って温かくなれば解けてしまう、山の寒さ厳しい早朝、木立や落ち葉の積もる中、珍しい霜柱を撮影送ってくれた、こんな形状の霜柱あまり見たことないと思ったので、撮影者の許可を得て大勢の人に見て貰おうとブログに公開した。
 
自然が作り出す、何とも言えない造形美 その一
 
その二
 
その三
 
その四
 

疲労 劣化 故障 人も機械も

2019-01-23 11:48:46 | 日記
故障個所は補修して
 
機械も人間も新しいうちは全てスムーズに回転して順調に動く、だが長年使っていると機械も摩耗したり劣化して、部品交換が必要になり、部品交換したりメンテナンスをすれば、また順調に動く。

人間も長い事この世に存在すると、体の各部摩耗 劣化 故障が生じ手術などによって悪い箇所の治療 あるいは部品補強 薬などで悪い所を修理して何とか体力を維持して生きてゆく。

小生も男の平均寿命を大きく超過、この世に長く存在した、矢張り御他聞に漏れず、体の各部に劣化現象が現れる、一番顕著なのが膝だ、昨年8月左膝が痛み、1か月整形外科へ通い完治した、今年は右太腿に張りが有り歩くのに支障はないが、何か違和感があった、自己診断で治療したが、痛みも感じ始めたので、昨年通った整形外科へ通院を始めた、少し通えば完治するだろう。

小生物心ついてからマスクを掛けた記憶がない、あんなもので口と鼻を覆ったらさぞかし息苦しいと思ってしまう、鼻かぜくらいは引いた事はある、インフルエンザ予防注射は欠かしたことがない、腹痛も起こしたこともない、この50年間一日も寝た事がない。

只 悪い事に酒好き、若い時社員と飲んだり、お得意さん接待で、翌朝頭はガンガン二日酔い、だが決して会社を休んだことはない、会社へ出て業務に就けば二日酔いも収まる。
だが昨年と今年連続して、左右の膝痛を起こしたのは体の劣化に他ならない、治療に専念して早く治そう、各サークルに参加して、大勢の人と接触して会話を楽しみ、時には食事会 飲み会などして人生を謳歌したい。

表題の「老いて楽しく」年を取って余後の人生、楽しく生きなければ損だ、それには健康と元気が有れば、自分から楽しさに入れるし、人も誘ってくれる、炬燵を抱え込みテレビを見ていては誰も誘ってくれない、体力を維持して外へ目を向け、体の劣化を乗り越え、人生を謳歌しよう。

三浦 雄一郎さんがアコンカグア登頂に挑戦、医師の助言で登頂を断念したが、勇気ある撤退絶大な拍手を送りたい、その挑戦する心に力を貰った。
 

明治座観劇

2019-01-20 11:00:51 | 日記
また楽しみがやって来た
 

1月末の明治座公演に親しき友が毎年招待してくれる、もう10年近く続くか、毎年恒例で楽しみにしている、この友至って健康、同級生同じ年、御岳山ボランテア 地元で軽体操 指体操など指導 グランドゴルフも遣り趣味も多種に亘る、各種のボランテアを遣り健康そのもの、朝早く起きて東京の奥地桧原村など散策、テレビ放送の「ぽつんと一軒家」等に遭遇して写真を送ってくれる、何事も前向きで積極的、小生此の友に生きる力を貰っている、小生と同じ酒を愛しよく一献酌み交わす。

早起きの友、朝5時半には家を出て、明治座の席取りに並んでくれる、お陰様でいつもA席を確保してくれる、A席2~3列目だとスピーカーから出る声より役者の生の声が聞こえる、朝早く並んでくれたお陰だ、友にだけそんな苦労を掛けてはと思い、自分でもできるだけ早く家を出て明治座で合流する様に心掛けている、明治座も親切で5時前から開館、館内暖房を効かし、ストーブも各所に置き配慮してくれる

その公演の招待状が送られて来た、今年は前川 清主演だ。

観劇の後地下鉄で新宿へ出て、「思いで横丁」で軽く一杯やり、帰りの方向は同じ、西武新宿線に乗り、小平で別れる。

 
入場引換券で、早いほどいい席が取れる
 
一部と二部で歌と演芸が披露される、どんな演劇が演じられるか
 
歌はよく聞いたが、どんな芸を見せてくれるのか楽しみ

溺るる者藁をも掴む

2019-01-15 14:21:44 | 日記
体力維持の努力は必要
 
昨年8月左膝を痛めて7月29日~8月30日まで近くの整形外科へ一か月毎日通院した、陽気は夏真っ盛り、半ズボンだったので、医者へ行ってもズボンを捲り上げる手間もいらず、電気治療とマッサージ、塗り薬を塗って湿布薬を張って終わり、軽装だったので手間いらずに膝治療を受けられた。
完治して歩く会などいくつか参加して、15,000歩くらい平気で歩ける様になった。

今 膝痛や筋肉強化のサプリメントを各社が新聞などで宣伝している、また以前の様な膝痛が起きるのは嫌だなと思って、或る社のサプリメントを購入した。
読書家で運動 介護などの資格を持ちボランテア活動をしている親しい友に話したら、サプリメントはあまり効果は期待できない言われた、種々話を聞いたら、成程と頷ける、それでサプリメントは買った分だけ飲んで止めた。

その後その友が、筋肉強化や軽い運動で、関節痛を抑え筋肉強化の図解入りの易しい本を送ってくれた、それを実行して、膝も快調上記の様に歩く会に参加して楽しむ事が出来た。

毎年元日は地元の氏神様 所沢神明社へ朝歩いて初詣は40数年一度も欠かしたことがない、今年も参拝を終えて帰宅した時、1万歩を少し切るくらい歩いた、今年は様子が違った、右膝周辺の筋肉が強張った様な、痛みはないが違和感が有り、中々取れない。

7日にウオーキング会が田端から谷中周辺の寺院をめぐり、不忍の池の弁天様迄七福神めぐり計画され、子供の頃その近辺に住んでいたので懐かしく参加したかったが、膝を悪化させてはいけないので断念した、その後友に聞いたところ16,000歩弱だったようだ。

違和感を取る為、アンメルツ 昨年医者が呉れた湿布薬をドラックストアで買い、風呂上りに塗り湿布薬を張ると足が軽くなる、友に笑われるかもしれないがサプリメントを亦買った。

年を取ると体力の減退 筋肉の衰え、つい何かに頼りたくなるのも無理ないか。
 
サプリメント3ヶ月分届く、キャンペン中とのことで安い値段だったが、届けられ代引きでの値段はえっと驚く値段だった、右側の大きいケースはサービスの携帯保温水筒
 
友が小生を思って送ってくれた本、今もスクワットや軽い運動を屋内で続けている、違和感が取れたらまた歩こう
 

鏡開き今昔

2019-01-12 09:18:25 | 日記
鏡餅開けてびっくり
 

数十年前は「鏡開き」と言うと、柔道のメッカ「講道館」などで大きな鏡餅を開いて、汁粉にして大勢で盛大に祝ったのを、テレビで紹介していた、今はそんな風景が全く見られなくなった、昭和 平成 今年は新年号に代わる、時代は大きく変わっていくのか。

日の経つのは早いもので、つい先日元日を迎えたと思ったら昨日はもう「鏡開き」、松の内も過ぎ鏡開きが過ぎれば正月も終わり。

我が家は一昨年末まで米は、米屋さんに配達して貰っていた、12月になると、のし餅の数量、お供えの大中小それぞれの数量を聞きに来て、暮れは遅くても25日までは配達してくれていた。

その懇意にしていた米屋さんも、寄る年波、後継者もなく体力の限界で、一昨年末を以て閉店した、昨年の鏡開きはその米屋さんのお供えを開いた、大 中 小皆プラスチック容器入っているが、日にちも経ち硬くなっている、これを霰に刻むのは結構労力がいる。

昨年暮れは止む無くスーパーにある市販のお供え大小と市販の切餅を買ってきた、大きなお供え何か重みがないなとは感じていた。

昨日11日鏡開き、お供えを下ろして開いてみた、大きなお供えの中には、切り餅が7個入っていた、軽いなと感じていたが、まさか切り餅が7個入っていたなんてびっくり仰天、今はそういう時代なんだ、時代を認識せざるを得ない、小さいお供えは容器の型の通りお供えが入っていた、そうだろうなあの小さい容器の中に切り餅一つとはいかないだろう、お供えと言っても形ばかりのものになってしまった。

お供え餅の変化や、今年は出した年賀状に返事の来ないのが数通あり、終末年賀を言ってきた人も何人かいる、もうそんな年代に入っているのを痛感する。

 
プラスチックの容器の大の中身は切り餅入り
 
切り餅7個が入っていた、小さい方はお供えが入っていた、まさか切り餅一つ入れる訳にはいかないだろうから、今年は量も少ないので、霰には切らなかった
 

老いて慎重に

2019-01-06 10:35:28 | 日記
残念ながら不参加
 
明日7日ウオーキングの会が、田端駅から西日暮里 日暮里 鶯谷周辺の七福神めぐりに行く、最後の詰めは不忍池の弁天様で上がり。

小生も戦前から戦中本郷区駒込神明町に住んでいた、最寄り駅は駒込駅で、田端駅はあまり利用したことはないが、駒込界隈居住の支那事変 太平洋戦争などで戦死した英霊が、田端駅に帰ってくる、地元小学校の上級生が校旗を先頭に、男の一クラス全員が(当時一クラス63人も居た)英霊が到着する時間に合わせて、駅頭に並んで御遺骨を迎える、黙祷をして地元有志の弔辞など短い時間の儀式が終わって帰校する、「英霊迎え」と言う行事があり、田端駅へは何回か行った、たぶん駒込に点在する小学校の輪番制だったような気がする。

今では蒸気機関車が客車を引っ張って走ると人気で、乗客が殺到するが、当時の田端駅は貨物の入れ替え駅で、貨物の牽引は全て蒸気機関車、蒸気機関車が一杯活動していた、蒸気機関車は日常茶飯事目にして、珍しい物ではなかった。

田端駅を超すと荒川が流れ、水泳は得意だったので、友数人と荒川へ泳ぎに行き、向こう岸まで往復などして水泳を楽しんだ、当時水泳パンツなどなく、泳ぐ時は六尺褌だった、色は赤か白それは水中で危険があった時に認識しやすい色だから、今六尺褌と言っても知る人も居ないだろう、締め方も分からないだろう、今では荒川は遊泳禁止になっているのだろうか。

軍の命令で駒込神明町から駒込千駄木町へ移転させられた、移転先は大観音通りと言って、白山上 肴町(現向ヶ丘二丁目)団子坂下の都電通りを渡ると、谷中 根岸と続く繁盛した商店街だった、ここで3月10日の大空襲にあった。

根津神社も近く、谷中界隈も時々歩き、懐かしい所で、今回のウオーキングも懐かしい所で是非行きたくて、参加を申し込んでいたが、右膝に痛みではないが違和感があり、田端から上野までの距離を歩いたら、膝を痛める事必定と思い断念した。
 
H24.1.11ウオーキングの会で根津神社を訪れていた、参拝する会員一同
 
同日不忍池弁財天も訪れ、無病息災を願い煙を全身に受ける会員
 
蓮は枯れ寒々しい不忍池
 
 

正月飾り付け一切廃止

2019-01-02 15:02:08 | 日記
今年の暮れから気楽になれそう
 
年を取り最近動作が鈍くなり、以前は思い立ったことがあると、すぐ行動に移したが、最近は思い立った事もすぐには行動できず、時間がたつと、まあいいかと折角思い立った事も放棄してしまう。

 父親が昔通りの仕来たりでやってきた正月を迎える準備を、自分では父親の半分程しか出来ないが踏襲してきた、門松を立て、各部屋へお供えを飾り、縁起物を飾り、7日に門松を下ろし、11日鏡開きにはお供えを下ろし、我が家はお供えを賽の目に切り、1ヶ月以上干してカラカラにする、よく干せば梅雨時 夏場もカビが生えない、我が家には数年前の霰がある、この霰切も重労働になって来た。

昨年末は「終末年賀状」などと騒がれた、年賀状を止めようとは思はないが、正月飾りは今年を以て一切止める事にした、毎年川越大師の達磨を買ってきて、片眼を入れ、無病息災に過ごせたら両眼を入れてお返しに行く、正月3日が初大師だが、あまりの混雑で2日の朝早めに納めに行く、これも大義になったので、今年は納めるだけで、新しい達磨は買ってこなかった、お札も他の縁起物も一切なし、来年は門松もお供えも一切なし。

正月行事一切止めて天罰が下っても、もう惜しまれる年でもないので止める事にした。
 
門松は28日か30日早朝に立てる、29日或いは大晦日に立てる人もいるが、九(苦)の日大晦日の一夜飾りは、昔から忌み嫌われる
 

昨年暮れに若い女子アナウンサーが何人も、お供えの上へミカンと言っていたが、お供えの上は橙を載せるのが本来。
大過なく無病息災両目を入れて、達磨収めを待つ。達磨を納めに行くと目の小さい達磨を見かける、白目を少し残して、大きく入れるのがいい、目が小さいと目に力がなく貧弱

 
応接間 居間 風呂場 トイレ 人間生活必要欠くべからざる所へ
 
台所の水神様の為、昔は井戸端にも飾った