老いて楽しく

余生を楽しむ

増税後ポイント取得 めんどくせー

2019-09-30 09:43:22 | 日記
増税前の買い溜め 生活防衛か
 
明日から増税、我が家は何の対策もしていない、カード支払いにすると何%ポイント プリペイドカード スマホのバーコード決済何%ポイント、使える店には表示すると言う、そんな煩わしい事は全くやる気しない、僅かばかりのポイントを貯めても仕方ない、年を取っている為に、買い物は現金が頭から離れないのか。

我が家は終活に向けて、家具類 本箱 洋服箪笥 サイドボードその他大型家具は処分している、電化製品も不具合なものは何もない、ここで千円や2千円安く買えるからと言って、買い替える必要はない、壊れたら買い替えればいい、数年経てば性能が向上した製品が、今より安く買えるかもしれない。

耐久消費財は買わない、電化製品はいつ壊れるのか、未だ暫く大丈夫だろう、今我が家で買うのは食品だけ、これは8%据え置き、あまり影響はなさそう。

限りなくあの世に近い年齢、あの世に金を持って行ける訳でなし、9ヵ月の特典だが煩雑な事を避け放棄した。

伊根の舟屋

2019-09-25 09:15:03 | 日記
若狭湾の一風景
 
暫く前になるが若狭湾の突端にある「伊根の舟屋」を訪れたことがある、伊根地区は若狭湾の入り口にあり、若狭湾に集まる豊富な魚、外海日本海に出れば好漁場があり、水産で栄えた、その為か船を大切にしたのだろう。
持ち船を舟屋へ引き上げ船を保護したのか、今は動力で引き上げる家も多いが、昔乍らに滑車で引き上げる家もある、最近は漁船も大型化して舟屋へ入れない船も増えたようだ。

海沿いの道路を挟んで、海側に舟屋その向かい山側には母屋が建ち管理されている、道路を観光バスで走っても何の変哲もない町、矢張り海から見てこそ伊根の景観だ。
 
伊根の舟屋の全景を対岸の少し小高い場所から見る
 
背景の藁屋根は舟屋ではないが、漁網が置かれ、カモメが優雅に飛んでいる若狭湾の のどかな風景
 
海辺に整然と並ぶ舟屋、近年は漁船も大型化して、舟屋に入れない船も
 
一階は船を収容して漁具などが収納されているが、2階は住居として使われている、舟屋も3階建ての豪華なものもある
 
漁に適した好天なのか、波は静か、各漁船漁に出たか各戸船影なし
 
若狭湾内は波静か、魚の養殖にも適しているのか、湾内各所に養殖施設がある
 
山懐に抱かれ、穏やかな若狭湾、都会の喧噪もなく、生きのいい魚を毎日食べられ、心豊かにゆったり生活しているのだろう幸せだ
 
伊根の舟屋から左程の距離もないので、丹後宮津の天橋立へ行った、天橋立を平面的に見たのでは面白くない、高台の公園から俯瞰して全容を見た、自然が作った景観を堪能した。

宮津節という歌がある、その歌詞の中に「丹後の宮津に長居はおよし、縞の財布が空になる」(伊豆の下田にも同じような言葉が残る)江戸時代丹後の宮津は宿場町として栄え、男の旅人をもてなす店も多くあり、旅人も楽しくつい2泊 3泊と長居をして、気がついたら財布が空になっていた、天橋立の景勝に宮津は栄えた。 縞の財布の小判が空になるほど、優雅に遊んでみたい
 

巾着田の彼岸花

2019-09-19 13:36:36 | 日記
二葉あき子の懐かしい歌 赤い花なら曼殊沙華
 

ふと気が付つくと敬老の日も過ぎ、「暑いも寒いも彼岸まで」の彼岸はもう直ぐ、もっと若い頃は車や公共の乗り物を利用して、親兄弟の墓参りをしたが、自分自身年を取り、車は廃車、電車バスを乗り継いでの墓参も体がきつくなり近年墓参も途絶え勝ち、年をせいにして墓参を勘弁してもらっている。

彼岸と言えば墓参もだが、曼殊沙華(彼岸花)が満開の時だ、とみに有名なのは西武秩父線の高麗駅近くの「巾着田」の曼殊沙華が有名だ、近年は各所に曼殊沙華の群生地があるようだが、高麗川が蛇行して、巾着状の地形を生み出し、そこに群生する曼殊沙華は田んぼ全面赤く染め圧巻だ、だがその巾着田にも足が遠のいた。

 

昔からの言い伝え、「美しい物には毒がある」彼岸花の根には球根がある、強い毒性があり食べることは禁物。

 
巾着田に着くと一直線に伸びた茎の先に赤い花をつけた彼岸花が迎えてくれる
 
花鑑賞前、酔っぱらう前に巾着田を通り過ぎ、千年以上前、高麗王を頭に高句麗から移住した集団が朝廷の許可を得て、この地に住み着き高麗郷を開いた、その歴史を伝える高麗神社に参拝
 
神社の近くに当時を偲ぶ民家が再現されている、花を観賞前に、高麗郷の歴史に触れてみるのもいいかもしれない
 
一本の茎から7本に枝分かれして花をつけている
 
深紅の花の中に白い彼岸花が咲いている、白株も7つに分かれ咲いている
 
深紅の中に白、これもいいアクセントになり、観客の目を楽しませてくれる
 
見渡す限り彼岸花、見事な景観
 
ヒガンバナ鑑賞後は例によって酒盛り、気心知れた人達話は弾む
 
適当に酩酊したところで、広大なコスモス畑へ、巾着田中央部一面コスモスが咲き乱れる、コスモスも見事だ
 
程よく酩酊したところで、紅白の彼岸花を観賞しつつ、巾着田に別れを告げる
 

敬老会

2019-09-17 09:54:10 | 日記
敬老の日は家族でささやかに
 

昨日は敬老の日、自分の住む地域の公民館で敬老会の催しがあり、招待状も送られてきて、会場まで送迎の車が我が家の近くまで来てくれる、至れり尽くせりだ。

数年前にその敬老会に出席した、会場は公民館付属の体育館、9月半ばというのに、真夏日の暑い日だった、冷房設備はない体育館、窓を開け放ち、皆扇子や団扇を扇ぐのに大童。

地域名物の菓子少々と小さいペットボトルのお茶を手渡され、地域名士数人の祝辞の後、幼稚園児の遊戯数曲、後は名も知らぬ劇団の演技、暑さしのぎで扇子をばたつかせ汗を拭くのに大忙し、名士の挨拶 各演技も記憶に残らず、自分としては慰安にはならなく、暑さとの戦いだった。

以後地域の敬老会には全く出席していない、自分が興味を示す範疇にない敬老会、その時間 別なことに有効に使える時間だ、人それぞれに考えがある、地域の役員が年寄りを慰めようとの努力にお礼を言いたい。


豊洲市場見学

2019-09-08 08:19:33 | 日記
築地市場の方が庶民的で楽しかった
 

8月末にウオーキングの会が豊洲市場見学会を企画してくれた、一度は見学の価値ありと参加した、一行22名、西武線―地下鉄有楽町線―ゆりかもめを利用して、豊洲市場へ着いたのは9時50分、青果も鮮魚もセリも終わり、各業者が競り落とした商品を搬出して、フオークリフトもターレも所定の場所に収まり、セリの活気は何もなく、セリ市場は人気もなく閑散としたものだった。
10時前といえば各商人が、店に商品を陳列する時間だ、活気あるセリの風景を見たければ、5時か6時頃には市場に居なければセリの風景は見られないだろう。
青果市場だけでも長さ100m以上もありそうな、長い廊下その廊下にガラス張り箇所があり、そこから市場の様子が眺められる、端に立つと廊下の先端は見通せないくらい長い、普通より高い2階の廊下のガラス窓から市場を見下ろすだけ、セリ場の迫力など感じられない。
 
近代的に企画され、効率よい区割りで、縦はイロハ順に通路があり、横は北一通り 中通 南通りと区画され、その区画によって扱い商品が決まっているようだ、セリ人も仲買人も、買い取り業者も扱い易くなっただろう、だが余りにも画一化されて、人間味が薄れて無機質な感じがした、築地の場外市場と違って、同じ建物内の館内市場がある、飲食店、土産物店もコンクリートで同一間口、何か人的区画され温かみがない、築地市場では木造の店が並んでいて、売人の掛け声も楽しい。

市場の屋上は、広大な芝生庭園になっていて、東京湾の涼風で真夏日の汗を吹き飛ばしてくれる、周囲を見渡せばオリンピックに向け巨大プロジェクトが起動中、巨大クレーンが大きな資材をとてつもなく高い所まで引上げビル建設、高層ビルが林立、オリンピック選手村も完成して、高層マンションが軒を並べ、東京で一番発展している地域かもしれない。

 
今から80年程前家族で豊洲 幕張辺へ潮干狩りに行った、その当時は釣り竿 釣り餌 貸し舟を扱う舟宿が軒を並べ、他には漁業者の家があるのみ、寂れた農漁村地帯だった、戦後まもなくハゼ釣りに東雲あたりへよく行ったが、寂れた農漁村風景だった。
数10年ぶりに 豊洲を訪れ、ユリカモメの豊洲市場前駅へ降りてビックリ仰天、浦島太郎になった様だった、昔の砂浜景色は何もなく、高層ビル群が林立、半世紀以上80年の歳月は、こんなにも風景が変わるものなのだ。
 
あの寂れた砂浜が、ユリカモメの線路があり整備された道路には、整然と車が走り、遊歩道には屋根が掛かり、危険もなく安全に歩行できる、この幾何学的建築美素敵だ
 
豊洲青果市場、その長さ100m以上か、先が小さく見える
 
青果市場の見学廊下、長い廊下にガラス張りがあり、、商いの状況が分かる、だが声は聞こえず人の動きだけ、廊下の端は確認できないくらい長い、市場を見下ろし取引の迫力は全く感じられない
 
縦割りにはイロハで区画、広大な土地に精密に企画された市場なのだろう、
 
横割りには北一通り 南通として区画されて、その区画で扱い商品が指定されているのかな?
 
 

このマグロは日本で捕獲した最大のマグロで、1986年鹿児島県種子島で漁獲、重さは496kg 体長2,88m 胴回り2,36m、築地に回送され競り落とされた、最近大間のマグロが話題になっているが、この記録は33年間破られていない、実物大で精巧にできたレプリカ、大きさに迫力がある

 
築地は場外市場、豊洲は館内市場、各種店があるが客は余りよりつかず
 
何処も閑散としている、鉄筋コンクリートで画一化された店は何となく寄り付き難い、値段も2500円から5000円くらい、だったら我が家の近くでもっと安くいいものが食べられる、
 
館内の土産店も客が寄り付かず、なぜか築地とは違う、よそよそしさがある、開業してまだ日が浅いから、客との馴染みがないせいもあるかもしれない、日柄が経てば築地と同じ様になるだろう
 
築地の場外市場の方が、庶民的で気楽に入れた、店へ入る為の行列、この賑わい
 
築地の場外市場の賑わい
 
築地の場外市場の方が庶民的で、河岸で使う小物も売っている
 
鮮魚棟セリ場の屋上は、広大な芝生庭園になっている、34度にもなった暑い日だったが、屋上庭園は東京湾の潮風が吹き込み、快適だった、芝生庭園へ行く会員
 
市場屋上のオアシス、芝生に寝転びたいが、まだ暑過ぎた
館内見学と往復でこの歩数

適量呑む

2019-09-03 10:30:06 | 日記
体調によって違うか
 

となり街に住む旧友と、先日一献傾けた、旧友が県境を超えて所沢まで足を延ばしてくれた、年に何回か旧交を温める友、この話は7月から決まっていた。

我々もそれなりの年になったので、昼間のうちに済まそう、適量呑もうと事前に約束してあった。

11時半所沢駅改札口で落合い、駅西口を出てプロペ通りへ入ると、すぐ右手に「さかなや道場」の店がある、地下一階の店だ、旧友は好き嫌いがない人で、独断で魚料理に決めてしまった。

この友ずっと教育界に身を置き、校長先生を経験、定年後も教育界に関与していた。
小生らは戦時中入学して、軍国主義のスパルタ教育を体験して来た、往復びんたは当たり前、廊下に立たされたり座らされたり、居眠りすると白墨が飛んでくる、竹の根で出来たしなる鞭で頭をびしりと遣られる、今の時代こんな体罰をしたら大変な問題になるが、当時はこれが当たり前だった、学童疎開の辛苦も味わった。

当時の感覚しか持たない小生に、戦中戦後そして現在に至る、先生が生徒に接する態度の変遷を聞かされた、子供の頃に脳に刷り込まれた事はなかなか修正できない、そんな話をして2時間ばかりあっという間に過ぎた。

80年来の友、その日の行動をメールで話し合う、気心知れた友、こんないい友を持ったことは幸せだ。

 
駅から近くて便利、魚も新鮮でうまい
 
取敢えず お互いの健康を祝して
 
刺身5点盛り合わせ、生きがよく酒が進む
 
酎ハイのおつまみ、ひれステーキに卵焼き
 

友人たちと呑む

2019-09-01 09:47:29 | 日記
深酒は禁物
 

同じ趣味を楽しむ会があり参加した、その会の顔馴染みの人から、会が終わった後で一杯やらないかと誘われた、アルコ-ル好きの小生時間的にも余裕があり、二つ返事で承諾した。

 会が終わり誘われた人と、近くの店に行く、もう一人誘っているが少し遅れて来るとのこと、取敢えず二人で乾杯、何かと話している間に遅れて来た人が熟年の美人、改めて3人で乾杯、途端に座が盛り上がる、武骨な男同士の話より、女性が入ると気分が華やぐ。

誘ってくれた人と女性が話が合い色々話していた、小生聞き役だったが、女性は世間の事に詳しい、話を聞いていてもうなずくことが多かった。
 4時から話が弾み、8時になってしまった、誘った人が酒の勧め方が上手で、中ジョッキの他酎ハイを何杯飲んだのか、女性も中ジョッキ3杯は新記録とか

解散して200mばかり離れたスーパーの駐輪場に自転車が止めてあり、家まで5~6分だが緊張していたので、無事家に帰ったが、家に着いて安心したのか、途端にフーラフラ足元もおぼつかず、家内に着ている物を脱がされ、直ぐ床へ入れというが、一日の汗と酒を飲んだんだのでシャワーと歯磨きだけはして寝た。

近年には珍しく酔っぱらった、時にはこんな事もあるかと思ったが、いい年をして、泥酔に近いのは反省しなければ。

膝を痛め通院中なので、アルコ―ルは控えていたので、普段では酔い過ぎの量ではないが、酔ってしまったのかもしれない。

 
気楽な雰囲気の餃子の王将で酒宴
 
人によってビールは瓶ビールしか飲まない人がいる、今日の友も瓶ビール派だ、取敢えず二人で乾杯
遅れて来た人が合流、改めて3人で乾杯、この後会話が弾む
 
ささやかなおつまみで、気楽なトーク
 
料理も少なくなり宴も終わり、友は勧め上手チューハイを重ねてしまった