老いて楽しく

余生を楽しむ

昨年の7月と今年の7月の差

2019-07-25 08:52:52 | 日記
前回 江戸城の石垣には、連日多くの方に読んで頂きありがとうございました 
 
昨年の4日前(23日)は史上最高の気温を、「暑いぞ熊谷」で記録した、41、1度、新聞では「災害級」と報じていた。
昨年の7月は兎に角暑かった、猛暑日4日 真夏日23日 夏日4日、 晴10日 雨4日 曇13日 晴れのち雨 雨のち晴れ4日、小生の日記帳の記録。

それに引き換え、今年の7月は降雨11日 曇後雨 雨後曇12日 終日曇天は8日、終日晴れた日は0、 5月初旬並みの低温、23日まで日照時間は15,4時間、昨年の7月とは大違い。

昨年と今年の7月は大違い、地球の大気が大きく変化しているのだろうか、大きな災害など起きないように願いたい。
 
暑いぞ熊谷を地で行った、昨年7月23日 国内最高気温を記録した
 
 
当日40度を越した4地点、東京は39,6度だった
 
 
我が家の温度計も41度を指す寸前
 

江戸城の石垣

2019-07-18 13:02:10 | 日記
石垣の組み方色々
 

或るサークルで数年前、防衛省から皇居東御苑に連れて行って貰った、無意識にシャッターを押し100枚くらいになった、その時はそのサークル活動の一環の写真としてファイルした。

最近デジタルカメラで撮った写真の整理を始めた、数十年撮りためた写真は数万枚になる、その中に東御苑に行った時の写真の中に、ふと目に留まった写真があり、その写真をよく観察してみると、江戸城の一端を感じるものがあった、それは石垣だ。

小生「石工」でもなければ、石垣の知識は何もない素人だ、江戸城内の石垣を見て、石垣の積み方が色々あるのを写真をみて感じた、その江戸城の石垣他で、江戸城の歴史の一端に触れて見ようと思う。

 
 
江戸城北桔梗門を支える石垣、石工が加工して隙間のない整然とした石垣に支えられている、門は人を迎える所、整然とした石積みで人を迎えたか
 
お堀に面した石垣は、自然石を積み重ね、隙間に小さい石をはめ込み、強度を保っている、野ずら積みと言うのか?
 
角には巨石を交互に積み、石垣の美しい曲線を描き出し、あとは自然石の積み上げ
 
左面は自然石を積み上げ、隙間に小石を嵌め込み強度を保ち、それに交差する石垣は、石工の加工された石を積み上げる、こんな石垣の積み方の違いを一か所で見せてくれる
 
江戸城天守閣の石垣の一角、堀に面した石垣と違い、石工が加工した巨石を、寸分の隙もなく、傾斜も一直線的なよじ登り防御か
 
天守閣の石垣の一面、右半分は加工された石が整然と積まれている、左半分人がいる辺は、石の表面が崩れている。
3代将軍家光が、1638年幕府の威厳を示す、国内最大の5層6階58mの立派な天守閣を建設、19年後1657年、明暦の大火「振袖火事」で天守も焼け落ちてしまった、石垣もその猛火に炙られ、石の表面が焼け爛れ、変化してしまった、その後天守閣が再建されることはなかった
 
天守台その他城内建築物が焼失、その猛火に炙られ、焼け爛れた石垣の表面が今も歴然と残っている
 
天守台下の礎石にも焼けた石垣がのこっている、天守台辺は加工された巨石が整然と積まれている
 
天守台に上がる石段と石垣
 
この様に小さめの石も加工して隙間なく積み上げ、手も足もかける隙間がない、その防御施設によって、石垣も色々変えて積んだのか、
 
こんな石垣もある、信州上田城大手門右側の石垣に、真田石と言われる巨石が組み込まれている。 真田幸村の父 昌幸が築城の時、太郎山から掘り出した巨岩を、大手門の礎石とした、大阪城石垣にも巨岩が組み込まれている
 
松の廊下跡、浅野内匠守が重なる恨みを、吉良上野介にぶつけた因縁の廊下跡、此処に佇むと昔の出来事を、想像させてくれる
 
昭和天皇の「お印」は若竹、国内 中国などから珍しい竹を収集、庭苑の一角に植えられた、数が多いので2点表示した、小さくて見難いが竹の節が交互に色が変わっている
 
なんとも面白い節をした竹だ
 
東御苑に植えられている、珍しい竹8種

悪い種には 良い実は実らず

2019-07-13 10:57:35 | 日記
植物の生命力
 
家内が 調理の為にジャガ芋の皮を剥き、芽を包丁の角で取り、生ゴミで庭に埋めた、翌年の春 庭にジャガ芋が3つほど芽を出した、ジャガ芋なんか植えた記憶がないの何故? あの包丁の角でくり抜いた芽が、翌年芽を出したのだ、植物の生命力の強さに敬服。

せっかく芽を出したので大事に育てた、木も順調に生育して、ジャガ芋らしくなった、5月末頃可憐な花も咲かせ、7月初めには木も枯れ始めたので掘ってみた、実は小振りだが20個ばかり収穫、数日影干しにして、来年の種イモとして日の当たらない所へ保管。

今年2月末種芋を10個ばかり植えた、元気に芽を出し、木も順調に大きくなり、5月末には花も咲かせ、(ジャガ芋の花って可憐で奇麗ですよ)
7月初めに収穫したが、もっと大きい実がなっていると期待して、掘り上げてみてがっかりした、実が小さく未成熟、陰干しにしたら青みを帯びて来た、未成熟で青みを帯びたじゃが芋は、ソラニン チャコニン等の毒素を持ち、食べると発熱 腹痛 下痢症状が出る、食べるとえぐみが強く絶対食べてはいけない。

矢張りいい物を作るには、いい種を植えなければ良い物はできない、残飯として捨てた芽から出たのは、それなりの駄物にしかならない、今年収穫した芋は全て廃棄した。

3年間ジャガイモを育てた愉しみを味わった、だが駄物は駄物の教訓も得た。
 
残飯から出たジャガ芋を収穫(2年目)これを今年植えた
 
元気に芽を出し、木にも勢いがある
 
 
順調に育っている
 
6月には花も咲かせ、ジャガ芋の花は可愛くて意外ときれいだ、順調に育成して花も咲かせ、今年はい良いジャガ芋が収穫できると期待が膨らむ
 
7月初め期待を込めて芋を掘ったら、未成熟の子芋ばかり がっかり
 
水気を切る為一日干したら、青みが出てきた、前述の如く毒素を含む、すべて廃棄した。
元が悪いと結果も悪いことを実感した、良い勉強になった。
来年は近くのホームセンター島忠でいい種を買ってきて再挑戦してみよう。
 

栄枯盛衰

2019-07-06 15:19:39 | 日記
大型店も小売店も生き抜くのは大変だ
 

我が家の駅周辺の商店街で閉店が相次ぐ、何故だろう今年になってばたばた閉店した、小手指駅から半径50mくらいの所にハンバーガー屋が3軒あった、駅前に「バーガーキング」30m程離れた所に「モスバーガー」その斜め前道を挟んで、マクドナルドがあった、小生も時々ハンバーガーを買いに行き、店内は大勢の客でそれぞれ繁盛していた。

マクドナルドは2年弱前閉店、モスバーガーとバーガーキングは5月と6月相次いで閉店、繁盛していたと思ったが何故だろう、ハンバーガーも食えなくなってしまった。

同じ駅近くに靴のチエーン店「テイクワン」が3月閉店、建物を解体今は駐車場になっている、焼き肉チエーン店「安楽亭」も春に閉店同じく更地になっている。
平成26年7月8日開店した、弁当屋の「ほっともっと」も5年ほどでH31.3.31に閉店した道路の斜め前に西友があり、各種弁当 調理パン うどんそば スパゲッテイ等何でもあり、客足が伸びなかったか。

商店街を歩いていると、アレいつの間にかこの店が変わっているなんてことはよくある、大型店舗にしても、個人商店でも生き抜くためには大変だ。

今朝新聞の折り込み広告に、所沢のイオン(前ダイエー)が閉店の広告を載せていた、昭和56年1月26日開店、所沢に大型店舗がなく、開店から暫くは大変な賑わいで、店内整理の警備員を配置し混雑を整理して、大変繁盛していた。
その後にプロぺ通りに丸井が開店、メンズ館 レデイ館等近代的の様に見えたが、何時行っても客はまばら、数年で閉店、駅西口には昭和61年4月26日所沢西武 ワルツが開店、イオンは駅から少し距離があるせいか、客足は次第に減少、所沢東口には昨年 グランド エミオが開店、更に客足の減少につながったのか。
ダイエーは10数年前に閉店を宣言したが、所沢市や近隣住民が存続を希望し、創業者 中内 功氏の英断で存続したが、イオンに移行後、地の利不利だったか、弓折れ矢尽きたか。

昭和36年当時所沢の繁華街といえば、日吉町商店街(プロぺ通り)曽根の交差点から、市役所へ向かう所沢銀座(ファルマん通り)がアーケードを備え、映画館もあり蔵造りの商店が軒を連ね、人通りも多く繁盛していた、市役所が航空公園に移転して、人通りがガクンと落ちた。

昭和36年代当時所沢市の人口も6万人台、日吉町商店街は、地方都市の田舎臭い商店街だが所沢市の一番の繁華街、小生が所沢へ転居して58年大きく変貌し進展 近代化していい商店街になった。
36年当時から残っている店は只2軒「イセキ衣料品」「島田印房」のみ、あとは全部店が入れ替わった。

 
昭和30年代後半の日吉町商店街(現プロぺ通り)人口も少なく、まだひなびた商店街だった。   所沢市史より拝借
 
当時からあった衣料品店、「いせき」(平成26年1月3日写す)今は3階建てのビルになっている
 

昭和30年代からほとんど変わらぬ島田印房、(平成26年1月3日写す)58年間変わらず営業している2店、半世紀以上店を維持するには大変な努力、   現在のプロぺ通り早朝の為 人通りが少ない

 
昭和56年1月26日所沢に始めて大型店舗開店、当時のダイエーマーク、後にイオンマークに替わる、令和1年9月末閉店見込み、38年の歴史に幕を下ろす
 
昭和61年4月26日所沢駅西口に、西武 ワルツ開店、駅近とネームバリューは大きい
 
平成26年7月8日に盛大に開店、開店から暫くは物珍しさで繁盛する、スーパーの冷えた弁当より、あったかいうちに持って帰れるので、我が家も重宝していた、昼時 近くに仕事に来ていた職人がパラパラと買いに来ていたが、客足は伸びなかったようだ、平成31年3月31日で閉店した
 
平成30年3月2日グランドエミオが、所沢東口に開店した
 
開店当日の人の賑わい、所沢駅周辺の再開発を続行中、駅近くに大型店舗ができると、客足を吸収してしまうか