EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

真田昌幸が築いた上田城紀行

2016年10月03日 | 伊予松山歴史散策

横須賀市、戦艦三笠での研修会。
横須賀市長さん直々の案内、そして三笠の関係者の方々からの詳細の説明があり有意義な研修が出来ました。


画像は、上田市立上田博物館です。・・学芸員さんは私が来るまで待機してくれました。

秋山兄弟生誕地に来館される方々に案内を奉仕で活動している研究員が18名在籍して居ります。3ヶ月に一度館内研修を、年一度県外研修を行い知識の研鑚に努めています。
平成22年度は、横須賀市の戦艦三笠で研修を行いました。研修会には横須賀市長さんがお出迎えを頂き素晴らしい研修が出来ました。
私は、東京で研究員と別れて、秋山好古揮毫石碑取材のため新潟市に移動しました。
新潟に行く途中長野県上田市に立ち寄り日本100名城指定の上田城を見学しました。
日本100名城巡りのスタンプ帳にも押印が欲しかった。スタンプは、上田市立博物館に保管してあり、博物館は午後5時で閉館、スタンプは押せない。長野新幹線で上田駅に移動し、タクシーで飛ばしても、博物館に着くのは午後5時30分前後になる。この事を博物館にTELで説明すると博物館の職員(学芸員)さんは、遠路愛媛県松山市から来られるのでお持ちしておりますと言って頂いた。午後5時28分に博物館に到着しました。
博物館には、真田氏に関する沢山の資料があったが時間の関係上閲覧する事は出来なかった。
画像は、その時の信州上田城です。


上田市立博物館で、閉館後も私が来るのを待っていて頂きました。その節は大変有り難うございました。
真田氏に関する沢山の資料があったが時間の関係上閲覧する事は出来なかったのが残念でした。
優しい学芸員さんが居られました。


画像は、平成6年に復原された櫓門で、両櫓(南櫓と北櫓)は再移築されたもの。

現在NHKの大河ドラマ「真田丸」が放映されています。現在上田城は大勢の観光者が訪れている事でしょう。
ドラマに関係する城を掲載してみます。先ずは上田城です。
上田城は、日本100名城第27番目で、私は43番目の紀行であります。
画像は、平成22年3月15日に訪問した信州上田城です。

真田昌幸が上田城を築城、天正13年(1585)第一次上田合戦と、慶長5年(1600)第二次上田合戦、ともに徳川の大軍を退けた。慶長5年の戦いでは、徳川秀忠は関ヶ原の戦いに間に合わなかった。・・家康に大目玉をくらったとか??
今回行ってみると城は、平城でありながらよく徳川の大軍を退けたものだと感心した。・・さすが戦略家真田昌幸、信繁(幸村)である。・・そして描かれるのが真田十勇士である。
城内を散策したが、立派な真田神社があり、目に付いたのが大きな真田石があり、本丸東虎口には櫓門が復元してあった。
翌日は、新潟県の新発田城を紀行し、新潟市の秋山好古揮毫石碑取材をして、春日山城、高岡城、七尾城、金沢城を巡り松山に帰りました。その時の紀行は後日掲載します。
上田城の次は、小田原城、一夜城、等々ドラマ真田丸に関する城を上げてみます。


真田石、櫓門入り口にあります。


真田石の説明板。


櫓門を潜ると城内は真田神社となっている。


真田神社の由来説明板。


上田城の案内板。


真田十勇士・・記念写真仕様に設置されている。


上田城二之丸堀跡、遊歩道案内板。


ここは現在、尼ヶ淵散歩道として整備されていますが、かつての上田城二ノ丸の堀跡です。
また昭和3年5月には、上田温電東北線が開通し、昭和47年2月に廃線となるまで市民の足として、この堀跡を電車が走っていたという歴史があります。


上田市散策案内板。


上田市観光会館にある観光案内板。


明治6年、明治新政府によって廃城令がだされた。その後上田城跡は市民の公園として現在の形となり存続している。その説明板。NHK大河ドラマとして人気の城、もう一度行ってみたい。


日本100名城第27番指定「上田城」。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする