いつか海外暮らし!

旅行が好きで若い頃は国内旅行、今は海外旅行、いつか海外で暮らしたい。

ウボン・ラーチャターニー へ

2006年02月10日 | 東北タイ&ラオス旅行
カンターララックからウボン・ラーチャターニーには国道24号線を通らず、間道を走っている。
1時間50分間でウボン・ラーチャターニー(略してウボン)のバスターミナルに着いた。鉄道のウボン駅のあるワーリン・チャムラープ市を通り抜け、2つの橋を渡るとウボン中心部であり、更に北に向かいムーン川に架かる橋から6kmでバスターミナルに着く。ちなみにウボン空港は、空港ビルまで4kmである。
ウボン中心部で下車しようかと思ったが12時過ぎと暑い盛りで、歩いてホテルを探すのが嫌で降りなかった。
バスターミナルでモトサイが近付いて来たが、この都会ではバイクでは危険すぎるので新車のピックアップにした。運転手にB150(¥460)とお願いされOKした。
ラーチャターニーホテルまで行ってもらい、テレビ、エアコン&ホットシャワー付きでB500(¥1530)で宿泊した。
シャワーを浴びた後、昼食に出た。2月中旬にもなれば暑くて歩くのが嫌になる。ぶっかけご飯とビールを取った。B36(¥110)
ウボン国立博物館に行った後、TAT(タイ国政府観光庁観光案内所)に行った。
1月にwebサイトに載っていた国境を跨ぐウボンとパークセー直行便が2月に開始とあったので、ウボンのどのバスターミナルから出るのか、時刻表など情報を聞きに行った。
開始は2月19日からで、今日は10日で、まだ直行バスは走っていなかった。バスターミナルは中心部の北にある今日着いたバスターミナルである。
ラオス方面に行くには、ワーリン市場横バスターミナルからピブーン・マンサハーン行きバスに乗り、そこでチョーン・メック行きソンテウに乗り換える。
TATは初めて利用したが、親切に応対してくれ観光案内地図も貰え、わざわざでも行く価値はある。
次に銀行へ行った。ラオスに持って行く通貨は、米ドルとバーツにし、米ドルは、関空で両替していたが、バーツの手持ちが少なくなったので¥をバーツに両替した。
夕食は、屋台でバーミーナムB20(¥60)を食べ、コンビニでビールを買いホテルに帰った。


カオ・プラ・ヴィハーン 続き

2006年02月10日 | 東北タイ&ラオス旅行
カオ・プラ・ヴィハーンのゲートを潜ると長い石段が続き、その上り石段の先に小さく、ナーガ(蛇神像)とカンボジア国旗がはためいているのが見える。この石段は大変迫力がある。カオ・プラ・ヴィハーン遺跡で唯一保存状態が良く、800年前の面影が残る。
石段を上りきり、大きなナーガを見て、短い参道の先に柱と梁だけが残る祠堂があった。
200mほどの石畳の参道が続き、両脇にリンガを思わす石柱(石灯籠の様である)が所々残っている。その石柱を避ける様に青色シート造りの粗末な土産物屋が並び、興醒めである。
参道を歩いていると、青年が私と少し距離を取りながら並歩して来る。左手にある沐浴場に気付かず通り過ぎるとその青年が教えてくれ説明もしてくれた。この青年はガイドである事に気付いた。周りにまだ地雷が在るかも知れない、安全の為ガイドを黙認した。
急な石段を上ると祠堂に出る。先の祠堂よりも大きく、昔の面影を想像する事ができる。
さらに、石畳の参道が続き、赤いパラソルと青色シート造りの粗末な土産物屋が更に並ぶ。この場に似つかわしくなく興醒めである。
急な石段を上ると本殿に出る。本殿は回廊に囲まれ、回廊の内部には高塔が崩壊した石材が散乱していた。石材には自動小銃で出来た穴が多数開いていた。青年は高塔は自動小銃で破壊されたと言っていた。「ポルポトか」と言うと「そうだ」と言っていた。回廊は比較的昔の姿を残している。写真の回廊奥に塔がそびえていたのだろう。
ここはもう頂上で本堂の奥は、6百数十メートルの絶壁が迫っていた。青年は東を指してラオス、南の大平原を指してプノンペン、そして南西方向にアンコールワットをあると説明してくれた。
絶壁からのカンボジアの大平原は、絶景である。
カオ・プラ・ヴィハーン遺跡は、期待が大きかっただけに落胆が大きい。遺跡ゲートから始まる長い長い迫力ある石段と絶壁からの絶景だけで、遺跡その物は、好さを感じなかった。赤いパラソルと青色シート造りの粗末な土産物屋がこの場に似つかわしくなく興醒めであった。
ガイドの青年は最後に絵葉書をB100で買ってくれと言ったが、チップB50を渡して済ませた。
タイ側に戻り、絶壁の展望台に登った。あらためて、カオ・プラ・ヴィハーンの山を見た。
国立公園を散策し駐車場に戻ると、小学生が大勢遠足で来ていた。
10時にモトサイでカンターララック向った。途中で公園ゲートで入園料B200を払い運ちゃんのIDカードを取戻した。
ホテルで荷物を取り、パスターミナルまで送って貰った。
バスターミナルに11時に着き、11時発のウボン・ラーチャターニー行きバスに飛び乗った。

カオ・プラ・ヴィハーン 6日目

2006年02月10日 | 東北タイ&ラオス旅行
カオ・プラ・ヴィハーン遺跡は「世界遺産級」と評されながら、国境紛争や地雷の影響で長らく「幻の遺産」として世界に閉ざされた。しかし、完全に国境が閉鎖されていた訳ではなく、閉鎖、開放を繰返していた様である。
数年前からタイ・カンボジア両国間で、同地域を観光資源化すべく「カオプラヴィハーン地域共同開発」計画が進んでいる。
それでも、2001年12月頃から1年半国境が閉鎖された。カンボジアからの不法入国に業を煮やしたタイが国境を閉鎖した。
私がこの遺跡を知ったのは、たぶん、この時期だろう。

朝7時にモトサイが迎えに来た。真直ぐの道路をバイクは60~70km/hで走っている。運ちゃんはヘルメットをしているが私は無し、事故ったらお陀仏だ。
カオ・プラ・ヴィハーン国立公園のゲートに着き、朝早い為ガードマンor兵隊がいて、運ちゃんがIDカードを預けていた。
カンターララックから45分間で公園駐車場に着いた。
道路はまだ先に続いている。先に進むとタイ国旗を掲げた緑色の掘立小屋があった。早朝の為、係員がいない、多分パスポートのコピーと手数料をとられるのだろう。この辺りから左手になだらかな傾斜の丘が見え、バラック小屋も見える。これがカオ・プラ・ヴィハーン遺跡の全体地形だ。バラック小屋が傾斜に沿って点在し興醒めである。
駐車場から数100mで舗装道路が終わる。横にトーチカがあり、たぶんタイ側国境であろう。続いて岩盤の露出する道を下ると金網フェンスと鉄製階段が設置されている小さな谷にでる。これがカンボジア側国境で、その間が国境緩衝地帯といったところである。鉄製階段を下りると土産物屋が並ぶ広場(谷底)に出て、奥に進むと遺跡入口である。PREAH VIHEAR TEMPLEと書いたゲート前で入場料B200(¥610)を払った。