ラティハン日記2

ラティハンと人生の散歩道

ジャワのイスラームとクバティナン

1958-05-31 | 日記
ジャワのイスラームとクバティナン


P388
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 西アジァ世界のイスラーム神秘主義についての往時の権威であるニコルソンによれ
ば, スーフィーの導師たちの禁欲主義と道徳的修練の体系は, 人間のうちに低次で
貧欲な魂ナフスnafs があるという事実に立脚している[ニコルソン 1980:39]。

このナフスのジャワ語化した形がナプスである。

またハケカット, マリファットへと至る神との合一の道という観念もスーフィーのもの
である[ニコルソン 1980:28]。

ムリョノはスーフィーとかタサウフ’tasawwuf(イスラーム神秘主義) といったイスラーム
の普遍的な言葉を用いず, これらをジャワ神秘主義mistik Jawa というが, そこには
イスラームの観念が非常にはっきりと現われている。


 ムリョノはムハマディアの会員である。

ムハマディアは, イスラーム正統派の信徒組織として, ナフダトル・ウラマ
Nahdatul Ulama
とならぶ大きなもので, とくに近代的傾向の改革派として
知られている。<--リンク
(引用注:ムハマディアはモダニスト イスラム Modernist Islamと呼ばれている)<-リンク

したがって, 一般には呪的・神秘的なクバティナンとは対立的なものと考えられている。

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だがムリョノは神秘主義のジャワ的伝統と彼が考えるものについて, 深い知識と
関心をしめす。

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ジャワのイスラームについては, イスラーム正統派とジャワ主義的混淆派との対立
という図式がよく用いられる。
(引用注:ジャワ主義的混淆派は伝統的イスラム Traditional Islamと呼ばれている。
前述のナフダトル・ウラマ Nahdatul Ulamaはその代表例となります。)<-リンク

ギアツによってあまりに有名になったサントリsantri対アバガンabangan の
二項対立図式もその一つである。

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トリスノはソロの町の教員養成大学で社会学を学ぶ学生で, わたしの調査の助手を
勤めてくれた。
かれは熱心なイスラームであり, わたしと村で起居を共にしていた時も,一日5 回の
礼拝をけっしで欠かさなかった。

かれはまたクバティナンにも熱心で自分の住居の近くにいるクバティナンの師
キ・シロットのもとに通っている。

トリスノに言わせるとこの師はほんとうのイスラームであり, 人がかれの所を訪れ
握手すると生計に恵まれるのだという。

「イスラームの教えでは神の前にすべての人間は同等のはずであり, ある人間が
他の人の運勢を変えるような特別の力を持ちはしないのでは」
というわたしの疑問にたいし, かれはしばらく考えてからこう答えた。

「神の預言者はムハンマッドで最後だが,その後も現世の人間に神の天啓wahyuが
下ることもある。

ジャワにイスラームを伝えた使徒たちwaliがその例である。

イスラームは未来の予言はしてはならない。

だから師のキ・シロットは人の運勢についての予言はしない。
ただ握手をするだけで人の運勢が良くなる。
これがジャワ的な呪者dukun とちがう点である。」

 トリスノにとってのクバティナンとは, 特別の霊的力を持った人間が人を助けたり
不思議な方法で恵みを与えるということであるらしい。

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いったいに人はそれぞれのクバティナンの師の個人的資質・能力を問題にするが,
かれの公式宗教帰属が何であるかには, さほど関心をしめさない。

人が一様に強調するのは, 金のためにいろいろな技を行なう呪者dukun と
クバティナンの師guru,kyaiとは違うということ, またブラック・マジックilum hitamは
けっして許されないということである。
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以上
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