ラティハン日記2

ラティハンと人生の散歩道

ラティハンの説明・2//

2018-10-18 | 日記

「http://www.subud.com/spiritual.html」よりの翻訳・引用です。
「http://www.subud.com/spiritual.html」<--リンク

『ラティハン クジワアンとして知られているスブドの霊的修練は、生命の神聖な力との新たな接触の結果です。
それはそれを求めるすべての人の中に発生する自然なプロセスで、彼または彼女自身の性質に応じて、彼または彼女自身のペースで行われます。

時々、我々はひっそりと静かな時、または意識の普通ではない高まり状態にある時に、私達はこの深い生命が継続していることに突然気付くことができます。

ラティハンのプロセス(過程、経過)は、自分自身よりも大きな何かを私たちに再接続し、そしてこの特別な意識を生命を持った活動的な状態で保持します。

ラティハンは、プロセス(過程)であり、受けることであり、教えではありません。

誰も何かを信じることは期待されていません。
ただ彼または彼女が経験するものを認識し信頼するだけです。

異なる宗教の人々はそれぞれ自分たちの信仰が深まることを見出し、そして特定の宗教的な相性というものなしでお互いに調和したままラティハンを練習することができます。

ラティハンの本質は、内からの自発的な内部の動きを許し認め、従うことです。

それは取扱い説明書(ノウハウ集)や儀式とは関係ありません。
それは各人各様に異なっています。

多くの人々は穏やかな感覚を感じ、その人が好む用語に応じて、たとえば知恵、より高い自己、聖なるもの、あるいは神との自然なつながりが深まるのを感じます。

ラティハンは、自分の個性(あるいは性格)の発達を導き、それがその人の日常生活を導くことができる、そうなる為の触媒です。
それは、直感や内部にある人を導くもの(内部の先生)につながる感覚を強化することができます。

通常、変化のこのプロセス(進行)は漸進的で自分の人生の実用的な要件に統合されていきます。
(訳注:要するに自分の人生で次第に役に立つようになる、、、と言いたいらしい)

スブドという名前は三つのサンスクリット語:スシラ ブディ そしてダルマ:を短くしたものです。

スシラ ブディ ダルマ(スブド)というコトバは、内部の聖なる力が真の人間の資質につながるような内部の変化をもたらすできるように、内部の聖なる力に譲り任せる(全托する)という人間の可能性を表しています。

協会が寄付に依存して(運営されて)いるもののラティハンは、無料でご利用いただけます。
一般的に、入会前までの3ヶ月の待機期間があります。

この期間はラティハンで人々が経験することになること、そして手順についての情報を得るための機会になります。

スブドはインドネシアのムハンマドスブーSumohadiwidjojoによって設立されました。
彼は通常、尊敬する年上の男性のためのインドネシア語の「Bapak バパ」としてスブド会員によって呼ばれています。

ラティハンは突然予期せず、啓示として彼に来ました。
彼は他の人にそれを渡すことができ、(訳注:そして渡された人はまた次の人に渡す事ができ、そうやって)それは今では83カ国で何千人もの人々によって実践されています。

スブド組織は世界的です。
国内および国際役員や委員会があり、人々が一緒にラティハンの練習ができる為に、地元のグループがあります。(訳注:日本ではそれなりに各地に支部があります。)

協会は1947年に東洋で設立され、1957年に西洋でも設立、そうしてポジティブな利益のために世界の中で働いています。
究極のビジョンは、世界に広がった文化を思いながら、人々の心を開くことに貢献することであります。

World Subud Association(WSA)は、ワシントンD.C.(USA)に本部を置く非営利団体です。

Subudの会員は、現在世界中に普及しているインドネシア発祥の修練である「latihan kejiwaan」ラティハン クジワアンと呼ばれる、無宗派の霊的修練を行っています。(注1
(訳注:latihan kejiwaanというのは直訳では「Jiwaに関連した訓練」という事になります。
Jiwaというのは何であるのか、英訳では一応Soul(魂)となっていますが、実際はそれを超える概念です。
それで仕方ないので一般に「Jiwaに関連した」という所の和訳を「霊的」と表現しています。)

17歳以上の新しいメンバーを歓迎します。
(訳注:英文は18歳以上となっていますが、現在では17歳に変更されています。)

私たちの組織は、国籍、性別、人種、年齢、性的指向など、いかなる理由でも(人を)差別しません。
Subudは宗教ではなく、すべての宗教を奉ずる者とそのようないずれの宗教にも従わない者(つまり全ての人)に開放されています。

WSAおよびその他のSubud組織は、Subudの会員である、なしに関わらず、すべての人々に対して各自が住んでいる国の法律や各自の奉ずる宗教と一致した宗教的信念や慣習、性的指向、あるいはそのような主題に関する意見を述べる権利のいずれに対しても、それらを変更させるような方針を持つ事やそのような実践をする、ということはありません。
(訳注:それらの事はすべては我々一人一人の自由であり、そして当然ながらその事による責任は各人に帰属する、という事になります。
つまりは世の中の常識に従って会は運営され、そこにはどのような強制もないですよ、という事です。
しかしながら、それでは会の中で自分勝手に主張し行動して良いのか、といえば、当然ながらそのような事が許される訳でもありません。
自分の自由が尊重される様に他の人の自由もまた同様に尊重される必要があるからであります。)』

注1無宗派の霊的修練
ラティハンは「バパが創設した新しい宗教に属する宗教的な修練」ではありません。
そうではなく、宗教として言語化される前のより初源的な状況に人を連れてゆく手段、方法であります。
それゆえに「無宗派」と言い、それは今ある宗教を奉ずる方々が実行されても、ラティハンのプロセスは各自の持つ宗教にそった、各自にあった形式、内容で進んで行くからです。
他方で特定の宗教を持たない方についても状況は同じであって、各自の内部状況にあった形式、内容で進んで行きます。
以上の様な状況を意味するコトバとして「無宗派」というコトバを使っています。

PS
以下、ご参考までに。
4月18日1963年 バパ@ボゴタ
『・・・・・
このように、信仰のあらゆる種類の人々、そしてこの地上に存在するすべての国の人々は、ラティハンに従うことができます。
それは彼らがさまざまな宗教で経験したことを拒否したり、怒らせたりすることはありません。

例えば、インドを例にとりましょう。
インドでは多くの人々が仏教の宗教に従いますが、また多くはヒンドゥー教徒です。

しかしながら、すべての信念と宗教を包み込んで包み込むことができるので、ヒンドゥー教徒であるインドのメンバーは、彼らの宗教で経験したことに沿ってラティハンを受け取ることができると、Subudはあなたがそのように言うことができるものです、

そこにはクリスチャンとイスラム教徒もいます。
彼らは彼らの宗教で受けたことに基づいてラティハンでも経験します。
したがって、彼らはお互いに嫉妬を感じることはなく、彼らの間に争いはありません。

そして、つまりムスリム、キリスト教徒、仏教徒、ヒンズー教徒、または他の宗教の人々の視点から見ると、スブドのラティハンはすべての人に非常に適しています。

それで、Subudは宗教や信念でもなく、教えや理論でもないが、霊的な生活の真の現実である技法を神から受け取ることができる人々の協会であることは明らかです。

あなたが受け取る方法は、あなたの宗教だけでなく、あなたの国籍、行動、またはあなたが必要とするものにも適しています。

したがって、Subud のラティハンlatihanは、あなたの宗教、あなたの国籍、またはあなたの必要事や慣習を害することはありません。
・・・・・
(訳注:しかしながら、好ましくない習慣はラティハンによって自覚するようにうながされ、それを当人の自由意思によって修正していく事は必要な事であり、そのようにして人は進歩というものを自分の上に表現し、そしてまたそれを実感していく事になります。<--リンク)』(2018年10月・記)

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スシラ ブディ ダルマ・7章の2 人の世界から動物の世界に落ち込む事/

2018-10-04 | 日記
第8章 キナンティ 45節~51節(動物力の章:一部要約あり)
『45、なぜなら人生において当然重要だとされるべきことは、単に食物を得ることだけではない。
確かに食物は必要ではあるが、完全な人間の生命(the life of a perfect human being:ロハ二Rohaniと呼ばれる段階の生命)についての洞察を得る事は私たちの取っての本質的な義務であり、その義務を果たそうという願いをもつ事は必要な事である。

46、なぜなら、そのような洞察を得る事によって、私たちはすぐに魚、つまり動物力が自分の内部でどのように働くのかについて確実に気が付く様になる。
そうして、自分の内部にある種々の(低次の)力を区別する事ができるであろう。
(注:ただし実際の所、この状態についての会員からのレポートは見たことがありません。
つまり、いろいろな生命力を見分けること、というのは、我々にとっては通常はそれほど簡単ではない、と言う事であります。)

47、私たちは又それらの力を秩序づけ、正しい方向に流してやることが出来るであろう。
それは、これらの力をそれぞれの伴侶に結びつける事で満足感を抱かせる事になぞらえる事ができる。
(注:我々が食べている食物に付随している生命力は植物力と動物力になります。
それで、生まれた時に親から譲り受けた4つの低次の力、それはこの世で人間が暮らしていく事を可能にする力でありますが、その中に植物力と動物力があります。
我々が食事をする、という事を生命力の相互作用という観点から見ますれば、外にある、食事によって取り込まれた生命力が、元から内にある(親からもらった)生命力と出会う、そうして正しく出合えれば、良い結果、つまりは体は健康になり、精神も良好に健康になるという結果をもたらす訳です。
そうであればその時に我々は「うまい」と感じ、食物に感謝する感情を感じるはずであります。
それは実に動物力と植物力が人間に対して持つ事になるであろう感謝の感情の反映でもありましょうか。
さて、この辺りの事を扱った以下のような記事もありますので、ご参照の程をお願いします。
・バパの魂(jiwa)あるいはロホの概念・3 植物の魂(植物力)-1<--リンク
・バパの魂(jiwa)あるいはロホの概念・4 動物の魂(動物力)-2<--リンク)

48、このようにして動物力を満足させるならば、人はさらに進み、被造物の長(おさ)としての彼の立場をより高める道が開かれる。
(注:動物力レベルの内部感覚Rasa diriや内部自我Diri Pribadi、ジワJiwaというレベルから人間本来のレベルであるジャスマニJasmaniと呼ばれるレベルへの向上が期待出来る様になる。)

49、言いかえれば、人間のこの行為は、もっぱら(他の低次の生命力に:それは植物力と動物力であるが)援助を与えるという性質のものではあるが、だからと言ってそれが人間の内部自我(Diri Pribadi)に利益をもたらさない訳ではない。

50、しかし、今述べた様な仕方でこれらの力を秩序づける事が出来なければ、彼らの道は暗く、闇の中で生きる事になるであろう。
(注:本来の人間としてのあるべきレベル(ジャスマニJasmaniレベル)に到達する事はできない、と言う事。)

51、このような暗闇の中では、人間の内部感覚Rasa Diriは混乱状態におちいり、人間としての(本来あるべき)地位にふさわしい前途はまったく失われてしまうと言う事ができる。
(注:生きている時に動物力の世界に飲み込まれた人は、その人生の最後に至ってはやはり動物力の世界に飲み込まれる、というのは妥当な話となる。)』


第9章 シノム 21節~25節、32節~34節(動物力の章:一部要約あり)
『19、実際には、動物力が私たちの人間的な自我の全てを左右する事は容易にはできない。
人間の性質の多くの部分は、人が注意を払いハート(Hati)の貪欲な要求に従わない限り、まだたやすく動物力によって影響される事はない。
(注:貪欲のナフスNafsu、それはアルアマAluamahスピアSupiahでありますが、その要求にずうっと従い続けてはならない、という警告になります。<--リンク)

20、はっきりいえば、人々が動物力に影響されるのは不注意からであり、それと同時に時折、人間としてあるべき様に行動しない傾向があるからである。
・・・
そして、まさにそのように行動することで、彼らの自我(Pribadi)は動物力によってさらに影響され、ついには本当は間違っている自分の行動をすべて正しいと感じ、(あるいは仕方がないものと感じ)、それが正常な状態であると思うのである。

21、このような誤った行動は動物力に何をしても良いというような活動の場所を与える事になる。
それが長く続くと動物力はますますはびこるが、その人は間違いなく(人間本来のあるべき姿)万物の長(おさ)としての地位を失う事になる。
(注:欲望にただただ従っていく事の結果はこのようなものである、というバパの主張です。)

22、もし人が道を誤り続けるとこのような事が起こります。
さらに(死後において)ひとたび動物力の世界に落ち込むと、人間の名残りをとどめたその存在は動物の生活を経験し、それが幸せと苦しみの両方に満ちた生活である事を見出すであろう。
(注:要するに動物もそのレベルにおいて幸せと苦しみを経験している、それは人の生活がその様であるのと似ているのだとバパは言います。)

23、動物の世界では、かつて人間であったというこのような存在は、もはや動物と人間の世界を区別する事ができないであろう。
なぜなら、そのための能力を(記憶と感覚Rasaを)持たないからである。
動物の世界では、彼等はすでにその世界に属する生き物のように感じ理解するであろう。
(注:このあたりの記述は、人が物質力の世界に落ち込んだ時にどうなるのか、というものと相似的であります。<--リンク)

24、これがもっぱら強欲の情熱(ナフスnafsuアルアマAluamahとナフスnafsuスピアSupiah)に導かれた人が誤った行動をする事で何が起こるかの説明である。
それゆえ、このような行動の仕方をやめ、動物力があなたの感覚(Rasa)を支配しあなたの進歩を妨げない様にする事が必要である。

25、それに失敗すると、単にあなた方は将来(生死を問わずに)道を失うばかりでなく、今ただちにそのように道を失うことになる。
そして、そのことによってあなた方の子孫が低いレベルの魂(ジワJiwa)を持つ事になりかねない。
(注:ここではバパは両親の行動の結果がその子供のジワのレベルを決める、という「バパのカルマ論」に言及しています。<--リンク)
・・・・・
32、このように似ている為に、感情に動かされやすく、その上人間としての自分の個性を意識する訓練(ラティハンの事)を全くした事のない人は、いとも簡単にこの動物力に影響され支配されてしまう。
もしそうなってしまえば、そのような人たちは(人生の)最後が来た時に間違いなく動物力の世界に落ち込む事になる。

33、真実を言えば、まさにその通りなのである。
しかし真実にまだ目が開かれていない人たちは、人間段階(ジャスマニJasmani レベル)よりはるか下に落ちるという可能性に気がつく事ができない。

34、だがそこまで深く落ち込んだ事の結果に苦しむのは、(この世での)最後の瞬間だけではない。
まだ人間のからだを持って生きている間ですら、彼等はもはや人間の様にはふるまわない。
これが転落の結果である。
従って実際は役割が逆転してしまう。
人間(力)は狭い生活の場を見つける事になり、一方で動物(力)はその反対に、例外的な広い活動の場所を見つけます。

35、こうした状況下では、動物力はますます強さを増し、なんでも望む事を行う事ができる。
それゆえ、動物力で満たされた人はハート(Hati)の強欲さ(ナフスnafsuアルアマAluamahとナフスnafsuスピアSupiah)だけに従いたがる、という傾向をもつ事になる。』

PS
動物の世界に落ち込んだジワJiwaのその後の運命、成り行きに関してはスシラ ブディ ダルマの中では何も記述されていません。

但し、関連する記事(63BCL7.8(ブライアクリフ))地球に定められし時、それから雑記帳36・人間力の階層が7つの内部階層を持つ事についてにはこちらから入れます。<--リンク

さて、バパは「ジワは死後も存続する」といいました。
しかしながら各自の「自己 プリバディPribadhi」 やそれに含まれる「内部感覚 ラサディリRasa diri」がどうなるのか、不明確な所が残ります。

それで、この件につきましては今後の検討課題としていきたいと思います。

PS
人間力以下の4つのロホの生命世界、それはバパ流の「輪廻転生の世界」となります。
それは地球上を舞台とし、どうやらこの現世にオーバーラップして存在しているかの様であります。
その世界を支配しているのは、従来の教説によればカルマなのでありますが、バパの説明ではカルマにはそのような働きを認めてはおりません。
たとえば、仏教によれば「人は六道を輪廻し、それぞれの世界で定められたカルマが消失する事でまた人として転生する。」とされています。
そうして「人という存在形式の時のみに解脱という事が、輪廻の輪から離れる、という事が可能になる。」と説かれています。
しかしながら、バパの説明の中のカルマにはそのような働き、機能はない様であります。
(バパのいうカルマは単に「人間が犯した誤りである」という扱いになっています。)

バパが述べている「輪廻転生の世界」からの解脱、あるいは離脱は「ロハ二世界への旅立ち」という形でトークの中に表れています。
それは本来の人間のいるべき場所であり、アダムが地上に降りる前にいた場所でもあります。
そこに到達する為には、当然のことながら普通の人間の段階、ジャスマニJasmaniと呼ばれる段階に到達し、そこからさらに上に行く事が必要になります。
そうしてまた、このロハ二の世界はこの地球上の世界ではない、というのもバパの説明であります。

しかしこの旅立ちの時に邪魔をする者達があり得ます。
それが人間力以下の4つの低次の諸力です。
現世の生活においてこれら4つの諸力との間に、合意、調整、清算、統御が完了していない時には、それぞれの諸力が旅立ちの邪魔をする、とバパは言います。
そうやって、ロハ二ではなくこの地球上のどこかの世界に引き込まれる、そう言う事の次第になるとトークでは述べられています。
・・・・・
以上の事に関連する記事、「バパのリンカネーション論(輪廻転生論)」にはこちらから入れます。<--リンク


連載「スシラ ブディ ダルマ」にはこちらから入れます。<--リンク


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