ラティハン日記2

ラティハンと人生の散歩道

雑記帳43・「神様、助けて下さい」と祈る人達

1987-09-26 | 日記
さて、人とはまことに自分勝手なもの。

困ってしまうと「神様、助けて下さい」と神に祈ります。

そうしてこれは「神への礼拝」ではなく、「神への仕事依頼」であります。


かつてバパは「あなた方の祈りはどちらかと言うと呪いに似ている」と言われました。

その意味が良く分からなかったのですが、なるほど「他人とのいざこざ」で「神様、助けて下さい」と神に祈る人は「自分は正しい」、従って「神は私を助けなくてはいけない」、もう少しいえば「正しくない、私を困らせる相手には罰を与えて下さい」と暗黙にそう主張しているのです。

そうしてそれは相手に対する呪いと方向性は一緒なのでありますから、バパは「あなた方の祈りはどちらかと言うと呪いに似ている」と言われたのであろうと推察いたします。


さてそれで、以上の話は「自分は正しい」という前提に立った場合の話です。

もちろんそのように「神に依頼する人」は「自分が間違っている」などとは思いつきもしません。

「自分を顧みて反省する」という事をしないのです。

そうしてどこまでも「自分の、自分勝手な正しさ」を、神に対してさえも押し通そうとします。


さてそうであれば通常はそのような「依頼お祈りの前」には「御心であれば・・・」という前置きのフレーズが付くのであります。

その前文があればこそ、少なくともそれは「呪い」にはならず「依頼どまり」で済むことになっているのです。


さて、ラティハンはバパに言わせれば「神への礼拝である」となっています。

そのラティハンの場合はそもそも「お願いを生み出す個人の心や欲望」は横にどかされます。

そうであれば「お願いラティハン」という事は基本的には無いのです。

そうして、そのような「個人的なお願い」とは無関係な所にある「神の力によって指導されるラティハン」を指してバパは「ラティハンは神への礼拝である」と宣言されたのでありました。

こうしてバパが勧めたのはそのような「礼拝としてのラティハン」であって、神に仕事を依頼する様な「神へのお願いのお祈り」ではない事が明らかになるのであります。

PS
関連した記事「魔法とラティハンの違い」にはこちらから入れます。<--リンク


PS
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雑記帳41・「バパのイスラム」とは何か・3(3つの壁)

1987-09-22 | 日記
以下、1959年6月30日バパトークより引用

『・・・・・
人間は上にあがってゆく時に自分自身の中身、すなわち粗雑な性質を構成する面(あるいは壁)を通過しなくてはいけません。
そしてこの粗雑な性質は、物質、すなわち土(地球)、水、風、火という4つの要素から成っています。
・・・・・
イスラムではこれらをlahutラフート, malakutマラクート, jabarutジャバルート(アラビア語)と呼びます。
・・・・・
lahutラフート、すなわち水と呼ばれる2番目の領域は海の水のようではないからです。
・・・・・
それは異なった種類の水です。(物質的な水ではない、という意味。)
・・・・・
というのも私たちの魂が浄化されると、魂は水の壁や風の壁や光の壁を通過出来るだけでなく、それらによって上へと引き上げられるからです。
なぜなら、浄化された魂は光よりも軽く早いからです。
それは魂というものがこれら4つの要素が存在する前に創造されたからです。(物理的な宇宙が存在する前に魂は存在していた、というバパの主張になります。)
それが物事の説明です。
・・・・・』

さて、上に上昇した魂はどこに行くのでしょうか?

ロハ二 Rohani と呼ばれている「天の領域」でありましょう。

まあそれはさておき、バパのイスラムによれば上位のものから
jabarutジャバルート <--光
malakutマラクート <--風
lahutラフート   <--水
地球 アース   <--土
という対応関係になります。

そしてバパのイスラムはジャワイスラムの一つであって、それはイスラム神秘主義(スーフィーズム:Sufism)の流れを汲んでいる事を特徴としています。<--リンク

さてそのスーフィーズムによれば、この物質世界(地球:土の世界)の上にあるのがmalakutマラクートになります。
その次がjabarutジャバルートであって、lahutラフートがその上に来ます。

従って上位のものから順に
lahutラフート
jabarutジャバルート
malakutマラクート
物質世界(可視界、現象界)
という並びになります。

以上についての説明は以下の記事を参照願います。
「スーフィーの意識と宇宙論の理解」<--リンク

さてその事は次の記事によっても明らかになります。
「イ ン ド思 想 と イ ス ラ ム」<--リンク

こうして比較してみるとバパの説明とスーフィーズムではlahutラフートの位置が違っていることに気が付きます。

したがってバパのここでの説明は、バパの奉じるイスラムがそのように順番を入れ替えたのか、あるいはバパの記憶間違いによるものなのか、いずれかの事が原因となって、本来の順番が入れ替わってしまったものととらえる事ができます。
・・・・・

さて少々話が変わりますが、このトークの日本語訳では以下の様な表現も出てきます。
『少し科学的な話になってしまいましたが、これがバパの説明です。
事実、それは必要です。
あなた方はこの科学を必要としています。』

英語ではこうなっています。
『That is Bapak's explanation, which has been a bit like a scientific discourse.
In fact it is necessary, you do need this science. 』

英語でサイエンスscience、日本語で科学と訳されている元のインドネシア語は「ilum」であろうと推定されます。
ネットによればilumは「知識,学問」という意味になります。

さてそうであれば「科学」は言いすぎでありましょう。
せいぜいが「知識」ぐらいが妥当であろうかと思われます。

PS
以下スーフィーズムの宇宙論@Wikiになります。
「スーフィー宇宙論」<--リンク

やはり前述の2つのスーフィー文献と同じ内容であって、バパの主張とは異なっています。

しかしながらバパは少なくとも「スーフィー宇宙論」を知っていた、と言う事であって、ラティハンを受け取る前、若かりし頃に霊的な道を求めていたバパはなかなか研究熱心であり、それゆえにこの方面についても造詣が深くなったのだ、という事が分かります。

追伸
上記の事にも関連しますが、バパはスーフィーズム、スーフィーには批判的でありました。

しかしながら、注意しなくてはいけな事は、バパが「スーフィーsufi」と呼ぶ人たち、従ってバパが言う所のスーフィーズムの範囲は通常、我々が認識している範囲よりもかなり狭いものである、と言う事であります。

バパが若いころに教えを乞うた人の中にキアイ・アブドラヒマンという人がいます。
この人はナクシュバンディーヤというスーフィー教団の導師でありました。

しかしながらバパの中では「イスラムの教えに基づいて霊的運動を導いている先生」というものであって、「彼はスーフィーである」という認識ではない様です。(by自叙伝)

そしてバパが「スーフィーはだめだ」という例として挙げるのは「アナ・アル・ハック] "Ana al-Haq."と言う様な人たち、「我こそは神なり」と言うような人たちでした。<--リンク

そのような人たちはまたシャーリア(イスラム法)も無視します。

他方でバパはそのような事はせず、人にも「ムスリムであればシャーリアには従う様に」と勧めます。

そう言う訳で、我々の目からすると「随分とスーフィーズムの影響があるなあ」と思われる「バパのイスラム」なのではありますが、バパからすればそれはまごうことなく「正統なイスラム」となるのでありました。

PS
あと3つほど、トークから引用します。

1959年4月15日 バパ
『・・・
そこにrahmani生命力の世界に行こうとすれば、あなた方は7つの世界を突き抜けていかなくてはなりません。
その最初の名前はlahutラフート(アラビア語)で、それは青色です。

もしそれを通り抜ければあなた方はmalakutマラクートの世界に至りますが、それは白か黄色です。
それを通り過ぎると、あなた方はもう一つの世界、jabarutジャバルートに来ます。
広大無辺で、比較のしようのない光の世界です。

バパは例をあげて説明しましょう。
もし日中の光が、それがどんなに明るくてもjabarutジャバルートの世界に持ち込まれたら、それはまるで真昼の日の光の下のマッチの光のようなものでしょう。
・・・』

1963年7月19日 バパ
『・・・
この肉体は物質です。
それは土、水、空気、光という4つの要素から成り立っています。
それらはすべて物質の性質をもっています。(注:物理的な実在である、程度の意味かと。)

あなた方は自分の魂(ジワ)を自分の肉体から完全に分離することができた時にのみ、物質力の影響から解放される事ができます。
つまりあなた方はlahutラフートの世界、つまり水の領域と呼ばれる天や領域を通過しなくてはならないのです。
(注:「魂(ジワ)を自分の肉体から完全に分離すること」それは普通は「死に臨んで起こること」でありますが、生きながらにしてそのような事が起こるのは「招命」あるいは「昇天」であり、それがバパが経験したものの様です。by自叙伝)
・・・・・
そして植物力の影響を通過し、それから自由のなる為にはmalakutマラクートの世界、つまり空気の領域を通過しなくてはなりません。

そしてそれよりもさらに導かれてゆくと、あなた方は動物力の影響から自由になりますが、jabarutジャバルートの世界を、つまり光の世界を通過しなくてはならないでしょう。

そうして初めてあなた方は低次の諸力から自由になる事が出来るのです。
・・・』

1968年4月26日 バパ
『・・・
人々は、低次の諸力によって操作された欲望と、神が人間を愛していることを羨望する天使たちによって誘惑され続けました。

それはあなた方が守る必要があるものです。

それはあなた方が知る必要がある事です。

あなた方が全能の神の実存を得るのを妨げる、あなたが直面する誘惑は、悪魔 devilsだけからではなく、天使からも来ます。(注1

天使たちは絶えずあなた方を誘惑します。

そして、天使たちはラフートlahut[アラビア語:神の領域]の領域に飛ぶことができ、マラクートMalakut[アラビア語:天使の世界]の領域に到達することができ、彼らはジャバルットJabarut[アラビア語:魂の世界、精霊の世界]の領域に到達することができます。

彼らは他の創造物が通過できない領域に到達することができます。

人間はそれらの領域で呼吸することはできません。

その世界にはこの世界のような大気はありませんから。
・・・
注1:バパが使う単語setanは文字通り(英語に)翻訳されると 'satan'または 'devil'になり、saitaniahは 'satanic'に対応します。

しかしながら一般にバパはこれらの単語を使用して、物質レベルの存在を記述します。
・・・』

さて、このトークのインドネシア語ーー>英語への翻訳者はラフートlahutがアラビア語で神の領域を示すコトバであることを知っています。

And angels can fly to the realm of lahut [Arab.: the divine realm]・・・

このように英訳し[・・・]内の記述はその英訳者のコメントとなりますから。

ちなみに和訳ではこうなります。

そして、天使たちはラフートlahut[アラビア語:神の領域]の領域に飛ぶことができ・・・

そうであればラフートlahutが最上位の領域であって、地球から離れるときに通過するとすれば、それは最後に通過する事になるであろう領域に相当する、という事を知っています。

つまりこの英訳者は、バパが並べている3つのアラビア語の順序は本来の順序ではない、と暗に主張している事になります。

PS
アラビアで発生したスーフィーズムは上記の3つのコトバを使ってはいたようですが、4元素(土、水、風、火)とそれらのコトバを関係つけることはなかった様です。<--リンク

その後スーフィーズムはインドを経由してインドネシアに伝わったものと思われますが、インドにおいて4元素と上記の3つのコトバの間にリンクが生じた可能性があります。(前掲「イ ン ド思 想 と イ ス ラ ム」を参照願います。)

いずれにせよ、バパが奉じるジャワイスラムでは上記の3つのコトバと4元素とをリンクさせている模様です。


PS
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雑記帳37・あなたの魂(Jiwa)はどこから来たのか?

1987-09-14 | 日記
まずは「バパの”人間の種( human seed:biji manusia)と誕生論”」から引用します。<--リンク
『PS
いつ魂(Jiwa)が子供に宿るのか?

・イスラム教.(=体内受精) 【受精後40日ないし妊娠13週頃以降に人となる(魂が受肉する)】.
(橳島次郎「いのちの始まりをめぐる欲望と倫理と宗教」『現代宗教2003』より引用)

・現在でも西欧での考え方はさまざまです。(=体内受精)<--リンク
カトリックの間では、赤ちゃんの魂は受精の際に宿るとされています。
イギリスの慣習法(アメリカの慣習法が作られる土台となったもの)では、それは、ママが胎動を初めて感じた瞬間に宿ると考えられています。
この問題については、今日でも引き続き議論されています。
人類は21世紀になっても、いまだに、いつ人生(生命)が始まるのか考え続けているのです。

・バパ(=体内受精)ー>夫婦の性行為の時に宿る

・ヒンドゥー教(=体内受精)ー>前もって男の精子に宿る

・体外受精ー>受精卵が子宮に戻された後で宿る

追記:ご参考までに。
Wikiにあるキリスト教が想定する魂についてのいろいろなです。<--リンク
たとえば魂の出所についての主な理論としては以下の3つを想定している様です。
・創造説(訳注:“Creationism”誕生の際に、魂が神によって創造されるとする説)
・伝移説(訳注:“Traducianism”誕生の際に、両親から魂が遺伝されるとする説)
・先在説(訳注:“Pre-existence”誕生の前に、前世での魂の存在があるとする説)

バパの主張では「魂は神の直接の手作り」ということであり、なおかつ誕生のときにはこの世の生活が良いものになるように、必要な事柄一式が準備されている、というものであります。』

次は「スシラ ブディ ダルマ・6章の3 人類全体のジワJiwaのレベルの推移」を参照します。<--リンク

『さて、ひと世代は30年、長くても35年ぐらいでしょうか。
2世代で70年、3世代で105年、ほぼ一世紀相当になります。
こうして人々が心が好む、それぞれの好みの相手を見つけて自由に結婚をしていくならば、それだけであっという間にジャスマニレベルの人はいなくなる、とそういう事が分かるのであります。
そうして、この計算は各世代が新たにカルマを積む事を想定していません。
そのような新しいカルマが附け加わらなくても、単に「人々が心の好みで結婚を繰り返すだけ」でこう言う事になってしまいます。

それから上記に示したようにして世代を重ねるごとに動物力と植物力のレベル、数値で言うならば50という真ん中の値に大方の人のJiwaのレベルが収束していく事がわかります。
つまり人々が自由に結婚をくりかえす事で、人類のJiwaのレベルは急速に均一化され、真ん中の値に集まっていくのです。

さて、アダムの時代からどれくらい時間が過ぎたのかは定かではありませんが、各世代が新たなカルマを積み、つまり親の世代の平均値より子供の世代のJiwaのレベルの平均は確実に下がる、という条件を上記の計算結果につけくわえるならば、その結果は「推して知るべし」としか言いようのない、あまり見たくない結論に導かれることとなってしまいます。

それは人類全体としては、常に下方向への、堕落方向への移動圧力を受け続ける、という事ですが、その結果は、人類全体のジワの平均レベルが植物力と動物力の中間の位置、いままでの議論ですと50という数値で表される位置ですが、それが25以下に落ち込む事になる、つまりほとんどの人が物質力レベルのジワの持ち主ということになるのであります。』

ここでの結論は「現在ではほとんどの人が物質力レベルのジワの持ち主として生まれてきているであろう」というものでした。

さてそれで、設問はこうなります。

その生まれてくるときに赤ちゃんに宿る事になるジワの出所はどこでしょうか?

バパの説明によれば「そのようなジワは我々の周囲に数多く存在する」というものです。
そのように前もって周囲の環境に存在しているジワの中から妥当なものが男女の性行為に入り込む、というものが「バパの”人間の種( human seed:biji manusia)と誕生論”」の結論でした。

それでは次は「その前もって周囲の環境に存在する事になったジワはいったいどこから来たのか?」と問わなくてはなりません。

リンカネーションを認めるバパでありますから、その答えは
・先在説(訳注:“Pre-existence”誕生の前に、前世での魂の存在があるとする説)
を支持している様に見えます。

人が亡くなって、死後の世界にジワが移動し、そこで一定時間(たとえば80年くらい)を過ごした後、新たな人としてそのジワが現世に帰還する、という事になります。

さて、その場合に問題になるのは「そのようであるとすると、現世の人口は一定数(上限が存在する)となり、現在、地球上で起きている様な人口増加は起こり得ない。」という事です。

現在の地球上の人口増加を説明する為にはリンカネーションしているジワだけでは足りないのです。
この不足分を補う為に新たに「輪廻の輪」の外側から新しいジワが「輪廻の輪」の中に入ってくる必要があります。
(この部分の主張はリンカネーションを認める全ての教え、仏教、ヒンドゥー教などの場合にもあてはまります。)

この問題に対するバパの回答は以下のようなものが考えられます。

1、前もって神は多数の人のジワを作ってあり、必要に応じてそこから移動させている。

2、必要に応じてその都度、神が手作りでジワを作っている。

これはまさに・創造説(訳注:“Creationism”誕生の際に、魂が神によって創造されるとする説)そのものになります。

(3、神が地球以外の他の惑星系から必要なジワを移動させている。
  ↑
  宇宙が無限に広い事を利用した、当面の問題先送り回答となります。)

いずれにせよ現世の人々は1回生まれのジワ、2回生まれのジワ、3回うまれのジワ・・・、と言う具合にいろいろなジワが混在する、という結論に至ります。

まあそこまでは認めたとしても、もう一つ問題があります。

それは1、でも2、でも「神は物質力レベルのジワを作る必要がある」というものです。
そうでなければそのジワが「物質力レベルにある男女の性行為に入り込む」という事ができないからであります。

しかしながらバパの説明によれば、人のジワは少なくとも「神によりジャスマニレベルで作られた」と理解されるのが妥当であります。

そのジャスマニレベルから人のミスによって堕落がはじまり、いまでは物質力レベルにまで落ち込んでしまった、と言うのがバパの堕落論でした。<--リンク

そういうわけで、ここにも一つバパの説明に矛盾がある事が、無理がある事が指摘できそうです。

そしてすでにバパはこの世におりませんから、この問題を直接バパにお聞きする事はできません。

そうでありますから、この問題は「後に続くものによって妥当な説明が与えられる事」が必要である、という事になります。

PS
7代までは霊的なリンクがある、と。(前述、バパの堕落論:カルマ論を参照)
それでは7代(おおよそ地球時間で200年)をこえたらどうなるのか?
そのジワはフリーになる。

バパによれば「ジワは永遠のもの」だとか。
さてそうなると、そのようなジワが次にたどる道は、今いる所に永遠に留まるか、それとも転生して現世にもどるか、そのどちらかと言う事になりそうです。
そうして、そのようなジワは決して「前世の記憶を保持している」という事は無い様です。


PS
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雑記帳36・人間力の階層が7つの内部階層を持つ事について

1987-09-12 | 日記
バパ独自の世界観をもう一つ。

7層の生命世界の構造はすでにお話した通りであります。

しかしながらバパはそれに加えて「それぞれの生命世界はまた7層の内部構造をもつ」と説明しています。

これではお話が非常に複雑になってしまいます。

そうして、もちろん伝統的な考え方には似たものがありません。

という訳で、詳細は原典を参照ねがいます。-->(1963・3・30 AKL)

追伸(2018・9月)
バパはなぜ「7層の生命世界の構造はすでにお話した通りであります。
しかしながらバパはそれに加えて「それぞれの生命世界はまた7層の内部構造をもつ」と説明しています。

それは現世に生きる人間の中のジワがその7つのどのレベルにも存在可能であるから、と言うのが理由の様です。
つまり物質のレベルからラバニと呼ばれるレベルまでです。

人間力以下の4つのレベルには人間が4つのナフスを使う事もあり、そのいずれの世界に対しても人は親和性を持つようです。
そうして、実際にバパに言わせれば「人間力レベルのジワを持つ人はほとんどいない。」という事であり、良くて動物力レベルのジワ、多くは物質力レベルのジワの持ち主である、とされます。

さて、そのようである我々が死後に向かう事になる世界、死後の生命世界はどこになるのでしょうか?
たとえば、一番多いとされる物質力レベルのジワを持った人が亡くなりました。
その人のジワはどこに行くのでしょうか?

ロハニでない事だけは確かです。

それで、考えられる可能性は2つ。
ジャスマニレベルの世界にとどまるのでしょうか?
それとも物質の世界に落ち込んでしまうのでしょうか?

人間の世界にとどまって、しかしそのジワの状態は物質力レベルと親和性が高いという状況が一つ、考えられます。
このようなジワは多分物質力レベルにあるジワをもつ2人の男女の性行為にひきつけられる事になるでしょう。
つまり「人としてリンカネーションする」という事になりそうです。

他方で、本当に物質力にのみ目を向けてそれを追い求めた場合はどうなるのでしょうか?
そのようなジワはジャスマニの世界、人間の世界をはなれて物質の世界に入り込むことになると、そのようにスシラ・ブディ・ダルマは言うのであります。<--リンク
そうして、そのようなジワがまた人間として再誕生する、という事の可能性はゼロではないものの、なかなか難しいという事は明らかな事なのであります。
(まずは物質の世界から抜け出して人の世界に戻らなくてはなりません。
人の世界に戻って、しかしながら物質力と親和性が高いジワである、という状況にまで移動する必要があります。)

さてそういうわけで、ジャスマニレベルの生命世界にも動物力レベルから物質力レベルの内部構造をもつ、という事が明らかになるのであります。

ちなみに、現世にはジャスマニレベルのジワで生まれたが、ラティハンによってロハニレベル(聖人レベル)、あるいはラフマニレベル(預言者レベル)に到達する方もいるでしょう。
そうであれば、現世の人間のジワのレベルは7つのレベルのいずれにも存在可能である、と言うのであります。

PS
バパ独自の「バパ独自の7+2 ロホシステム」の説明にはこちらから入れます。<--リンク

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雑記帳35・バパの説明が一方的である件

1987-09-10 | 日記
バパの説明が一方的である事が、そのように受け取られてしまう事がしばしばあります。

その矛盾といいますか、一方的である事については、読者がより広い見方をすると指摘する事が可能になりますが、バパの説明を「間違いがないものだ」と決めてしまうと見えなくなってしまいます。

つまりそれは「バパの世界観に飲み込まれている」という事と同じであり、それはあまり良い事ではありません。

なぜ良くない、と言うのでしょうか?

1、ラティハンに向かうに当たっては、予備的な思い込みは邪魔になる、という原則がある。

バパの思想、世界観はバパのものであって、それを我々が吸収してみた所で、それは所詮は人のもの、そうしてラティハンというのは「自分の世界観を作り出す、確立させる事」が第一であって、「人のまねをする必要はない」のであります。

2、対外的に説明をする時に、その矛盾点を突かれる。

十分に吟味せすにバパのコトバの受け売りでは、それなりの人にとってはその思想の、説明の矛盾点を指摘する事は不可能な事ではないでしょう。

そうなった時に「いいやこれはバパの説明だから絶対に正しいのだ。」と主張するならば、それはバパを開祖とする宗教の教義を主張している事と同じであります。

それはもはやラティハンの説明ではなく「バパ教の説明」になり下がっているといえます。



” January 15, 1960 - Bapakトークでバパは以下のような事を説明しています。

「良い教育を受けた人が、時に人の道に合わない事をするのは、その人のジワ(Jiwa)のレベルが低い為である」と。

その指摘は一面、そうであるように見えます。

しかしながらそれでは生まれた時のジワ(魂)のレベルが高ければ、たとえばジャスマニという、人としては当然に持つべきレベルであれば、そのあとのその子供の成長する環境、うける事になる教育、そういうものとは一切関係なく、その人が社会に有用で良い人になれるのか、といえばそれもまたそうではないでしょう。

適切な環境で成長し、適切な教育の機会が与えられなければ、どれほどにその人が優れたジワ(魂)をもっていたとしても、それは表現される事はないのであります。

バパはご自分の主張を補強するためにイエスの例を引きます。

イエスは高等教育を受けた、という記録はないのですが、それでも人類を導く事ができた、と。

しかしながら我々はここで「狼少年の例」を引く事もできます。

狼に育てられた、という少年は、けっして人のコトバを話す事はなかった、というものです。


さて、この両者は二つ共に極端な例であり、通常の我々のありようを説明するには、この二つの例共に不向きである、というのが公平な見方の様に思われます。

そうであれば、確かにジワ(魂)のレベルがその人の行動、性格を形造るものではありましょうが、それがすべてではなく、我々が生まれてから大人になるまでに受けた教育、育った環境と言うものもまたジワの影響力と同程度にはその人の行動や性格を形造る、と言う様に主張するのが妥当である様に思われます。


人は人間である両親から生まれただけでは人にはならないのです。

人は生まれてからすでにそこにある人間社会と相互作用する事によってのみ、ようやく人と呼べるような存在になるのでありますから。


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