ラティハン日記2

ラティハンと人生の散歩道

雑記帳9・生と死と聖なるもの/

2018-12-24 | 日記
ラティハンがそれまで世の中に在ったものと同じものであるならば、それは「新しい」とは言わず、極論すれば存在しなくてもいいものになる。

そういう意味では、ラティハンがこの時代に出現してきたという事は、何らかの相違点が、新しい事がその中にある故である。

そうして、ラティハンが扱う対象は、関係している事柄は、「生と死と聖なるもの」、つまりはそれまであまたの宗教が扱ってきたことと同じ領域になるのは必然の事でありました。

さて、そうであれば、どれだけバパがそれらの既に存在している宗教に気を使って、無用の争いが起こらないようにトークをされてはいるのですが、しかしどうしてもそのような宗教権威に挑戦するように見える事柄がラティハンの中には存在しています。

逆に言えば、そうでなければラティハンの存在する意味がないからであり、どうやってみたところでこれは回避できない事であります。

そうであるからと言って、ことさらに相違点をあげて既存の宗教権威に挑戦する必要はありませんが、そうかといって「ラティハンは宗教と同じものである」という意味で「なんら宗教と相違するものではありません。」と言い切ってしまうのもまた本当の事ではないでしょう。

そうであれば妥協点として、現実的な対応としてバパは「今まで続けてきたように、あなたがお持ちの宗教を続けて下さい。」といい、それと同時に「あなたのラティハンを継続していって下さい」と言ったのでありました。

PS
唐突ですが、思いついたので書いておきましょう。

バパは100歳までの寿命を神からもらった、といいました。

しかし現実には87歳で亡くなりました。

それでは神が言ったことは間違っていた?

いいえバパの後継者がちゃんと指名されていました。

そういうわけで、きっちりと神は2000年までは面倒をみてくれました。

「それじゃあ2001年からはどうなったの?」ですって。

そりゃ、バパが前々から言っていたように、「ラティハンは人の手に、本当にゆだねられた」のですよ。

そうでありますから、ラティハンが広まるのも、消滅するのも人間しだい、という時代に入っているのです。

2代目がいう様に「ラティハンは消えても、また現れるでしょう。」という様な可能性は非常に小さい、ほぼゼロでしょう。

バパが言う様に「人が、人のみがラティハンの広がりに対して責任を持つ時代は2001年から」なのであり、もう17年も過ぎてしまいました。


PS
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雑記帳8・ラティハンと宗教//

2018-12-10 | 日記
協会の最初のころのスタンスは「ラティハンはイスラムの後に現れた啓示である」と言うものでした。

そうして、アブラハムの宗教の系列に属し、その最終的な形態である、と言うような主張ともとれるトークがあります。

しかしながらそのような言い方はバパにとっては自然なものであって、何の不都合もないものであったでしょうが、既存の宗教権威からすればあきらかに「挑戦」に見えた事でしょう。

そういう意味で本来はもっとイスラム圏諸国に広まっても良い筈のラティハンはほぼインドネシアのイスラムの間にしか普及していないのが現状であります。

そんなこんながありまして、今の協会のスタンスは上記のような主張はしておらず、「ラティハンと宗教とは相補的な関係である」という表現になっています。

さて、そうではありますが今の協会のラティハンの説明の仕方は「唯一の神」の存在を認め、「その神の力の働きの結果」としてラティハンを説明する、というものになっています。

ですので先鋭度は低くはなりましたが、相変わらずアブラハムの宗教の流れに親和的な説明です。

そうして、それゆえに会員の中に占めるアブラハムの宗教に属する人たちの割合は相当なものになっていると推察されます。


さて、上記でのべたようにバパは非常に宗教的な人でありました。

それゆえにバパのトークは非常に宗教色の強い物になっています。

そうしてそれはバパにとっては自然な事でありました。

しかしながら他方でそれほど宗教的でない人、特定の宗教を持たない人がトークを読んだ場合には、「これではまるで神学ではないか」と思われるような所がいくつも出てきます。

それで、だからどうだというものでもないのですが、バパのトークと言うものはそういう一面を持っている、ということであります。


そうして、とりとめのない話にも結論が必要です。

そういうわけでこのあたりでまとめをひとつ。

宗教というものは「これが真実だからこれを信じよ。」と言います。

それに対して、ラティハンの道は「これがバパの言った事です。参考にしてください。そうして、自分のラティハンに従って下さい。」と言うのでありました。

PS
さて、バパは熱心なイスラムでした。

しかしそれはジャワに、インドネシアに特化したワリ達のイスラム、ジャワ・イスラムでした。

それゆえにバパの説明によるラティハンの紹介ではいわゆる主流派のイスラムには残念ながら受け入れられるという事はありませんでした。

そうしてそのようにイスラム色が強い説明でありますから、バパの作った協会はアカデミズムからは「イスラムから派生した修行方法を持つ団体である。」と言うように見なされています。(注1)

そしてこれはもちろんラティハンの本質からいえば学者さんたちの「誤解」であります。

しかしながらバパのトークや、書かれたもの、バパの説明だけから推定するならば、そのように理解されてしまっても仕方のない面があります。

(注1)
たとえばDrs. KafrawiによるTHE PATH OF SUBUD: A Study of 20th Century Javanese Mysticismの前書きの部分では次の様に述べられています。

This thesis examines the origins, nature, and characteristics of the Subud mystical order which is an expression of Javanese Red (abangan) Muslim mysticism.
Javanese Red(abangan)イスラム教徒の神秘主義の表現であるSubudの神秘的なオーダーの起源、性質、特徴を考察する。

It presents material on the life of the founder, on the religious background of the order and presents the doctrines, practices, and forms of organizatiori peculiar to the order.
それは創始者の生活、オーダーの宗教的背景についての資料を提示し、オーダーに特有の教説、実践、および組織形態を提示する。

上記文中、オーダーというコトバが出てきますが、これはスーフィーの団体を指す時に使われるコトバです。

たとえばナクシュバンディ・オーダーとか。

そういうわけで、アカデミズムの目には協会は一つのオーダーに見えているのであります。

(あるいは他の学者さんの場合では、イスラムに近い一つのクバティナン・グループとしてとらえられている、というケースもあります。
たとえばその例としては「ジャワ神秘主義の民族誌」関本照夫、「ジャワの宗教と社会」福島真人などが上げられます。
そうしてこれらのとらえ方のベースにあるのは、なによりもまずインドネシア政府がそのようにバパの協会を見ている、という事であります。)

PS
以下、ご参考までに。
4月18日1963 バパ@ボゴタ
『・・・・・
このように、信仰のあらゆる種類の人々、そしてこの地上に存在するすべての国の人々は、ラティハンに従うことができます。
それは彼らがさまざまな宗教で経験したことを拒否したり、怒らせたりすることはありません。

例えば、インドを例にとりましょう。
インドでは多くの人々が仏教の宗教に従いますが、また多くはヒンドゥー教徒です。

しかしながら、すべての信念と宗教を包み込んで包み込むことができるので、ヒンドゥー教徒であるインドのメンバーは、彼らの宗教で経験したことに沿ってラティハンを受け取ることができると、Subudはあなたがそのように言うことができるものです、

そこにはクリスチャンとイスラム教徒もいます。
彼らは彼らの宗教で受けたことに基づいてラティハンでも経験します。
したがって、彼らはお互いに嫉妬を感じることはなく、彼らの間に争いはありません。

そして、つまりムスリム、キリスト教徒、仏教徒、ヒンズー教徒、または他の宗教の人々の視点から見ると、スブドのラティハンはすべての人に非常に適しています。

それで、Subudは宗教や信念でもなく、教えや理論でもないが、霊的な生活の真の現実である技法を神から受け取ることができる人々の協会であることは明らかです。

あなたが受け取る方法は、あなたの宗教だけでなく、あなたの国籍、行動、またはあなたが必要とするものにも適しています。

したがって、Subud のラティハンlatihanは、あなたの宗教、あなたの国籍、またはあなたの必要事や慣習を害することはありません。
・・・・・
(訳注:しかしながら、好ましくない習慣はラティハンによって自覚するようにうながされ、それを当人の自由意思によって修正していく事は必要な事であり、そのようにして人は進歩というものを自分の上に表現し、そしてまたそれを実感していく事になります。<--リンク)』(2018年10月・記)

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