ラティハン日記2

ラティハンと人生の散歩道

雑記帳17・メタい話/

2019-04-13 | 日記
ひも理論では10次元ないし11次元を扱う。

通常の物理空間は時間を入れても4次元で、アインシュタインまではこれでやっていた。

しかし、量子力学と重力理論とを矛盾なく融合させる為には、そこに論理的な破たんが起こらない様にする為には4次元では足りず、それで11次元がいる、という話になっている。

しかしながら我々の目に見えるのは3次元であって、残りの次元は目にはみえない。(通常は物理的な観測装置では検出できない、という意味)

しかし、その残りの次元がないとこの世界での物理法則が説明できない、と、そういう話になっている。

さてその場合に我々はこの余剰次元、これを「実在する」という様にみるのかどうかという話である。

そうして多分物理学者の多くの人は「実在する」と認識しているでしょうね。


さて、目に見えないものの探究では物理学者にひけを取らないのが神秘家たち、宗教家たちであります。

この人たちも「目には見えないが実在する」と考えて、あるいは体験してそのように主張するのでありました。

しかしながらそれらを統一的に説明できる、説明する、と言う事に対しては物理学者とは違って、あまり熱心ではなかった様であります。

そうしてお互いに「それは違う」と批判し合うばかりでありました。

さて時代は今に至りて「それではもはや視点と言うものが低すぎるのではないか?」と思う今日この頃であります。

PS
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