ラティハン日記2

ラティハンと人生の散歩道

雑記帳31・「バパのイスラム」とは何か・2(7つのロホ)/

2019-11-26 | 日記

バパの説明が我々に分かりにくい、という主な理由は単に情報量が不足している、と言うだけの事の様である。
バパの常識と我々の常識が違う、という事である。

それゆえ、我々が「神秘的だ」とか「初めて聞いた真実だ」などと感じていた事が、ジャワでは単なる常識に過ぎなかった、という事になる。
これではまるで「笑い話」である。


まあそれはさておき、7つのロホについて、「それはイスラムですでに言われている事だが、、、」とバパが認めているトークがあります。
そうであれば、「バパのイスラム」はそのようなイスラムであって、主流派のイスラムとは内容が違うものである事がここでも分かるのです。

実際、ジャワにはスーフィーズムの影響を受けた多様なイスラムが存在しています。
そうして、バパのイスラムもそのような多様なイスラムの中の一つであったと思われます。
(このあたり、日本における仏教諸派の存在と相似的です。
しかも、日本で「仏教」と呼んでいるものはいわゆる「日本仏教」であり、このあたりの風景もジャワにおけるイスラムが「ジャワイスラム」と呼ばれているという事と重なりあうのであります。)

3月18日、1983年 バパ
『オープンは、神の御心によって神の力が人にもたらされる瞬間です。
この私の生命の中に、それを取り巻く別の生命があります。
そして人間はそれを感じることができます。

あなたの生命は人間の孤立した生命だとは思わないでください。
そうではありません。

人間としてのあなたの生命は、以下に述べるようなあらゆる種類の生命で満たされています。
それらはイスラムの中では次のように言われています。<--リンク
物質の生命力、あるいはロホ ライワニ Roh Raiwani、
植物の生命力、あるいはロホ ナバティ Roh Nabati、
動物の生命力、あるいはロホ へワ二 Roh Hewani、
人間の生命力、肉体の生命力あるいはロホ ジャスマニ  Roh Jasmani、
そうしてロホ ロハ二 Roh Rohani、見ることができないが、本当にあなたの生命を強くする生命力があります。

もしそうだとすれば、次の様にに言いたい人がいます。
ロホ・ロハニ Roh Rohani は、信仰に篤い者、本性がイスラムの人々です。
それでも、人類が調和していることを望むなら、実際にはこれらの言葉を使用することは許されません。
それは単に次のように言うのがより良いのです。

それは素晴らしいロホ、今日では「モラリティー:道徳性」と呼ばれる、身につける様に努力し、従っていくのにふさわしいものによって満たされているロホであります。

その上に、まだ他の生命力、すなわちロホ ラフマニ Roh Rachmaniがありますが、それはより高く、より幅広く、より包括的なロホです。
ロホ ラバニ Roh Rabani、それを我々が "高い"と言うならば、それは他のものの上にあるように見えるのに対し、実際にはそれはそれらを包含するものです。

これが意味する事は実際には最も低い生命力である材料の生命力は実際には真中にあり、その上および下には野菜、動物、人間、ロカニ rochani、ラクマニ rachmani、ラバニ rabaniがあることになります。
(注:上及び下とありますが、実際には低次のものを包み込むようにそれより高いものが存在している、という、これはバパの説明によく表れるイメージです。)』

PS
さて、上記のように7つのロホ、あるいは生命力はバパが言及する前にすでにジャワイスラムでは周知の事として扱われていました。

そうなると、一体バパのユニークさ、独自性は何なのだ、という事になります。

従来の言及ではそれら7つのロホは人の体の中に存在し、いろいろな機能を果たしている、というものでした。<--リンク

しかしバパはそれら7つのロホを、人の体の内部に存在するもの、というだけではなく、それぞれのロホが帰属する天、生命力の7つの世界が人の存在を超えてその外部に存在するのだ、と主張しました。

そうして、人間力以下の4つの世界はこの地球上に限定されて存在し、ロハニ以上の世界はこの地球を超えた所に存在する、と規定しました。

加えて、人間力以下の4つの世界が地上でのリンカネーションの舞台であり、それを超えたロハニという世界が人間の魂(ジワ)が本来住むべき場所、天国であるとしました。
・・・・・
とまあ、そういう事の様であります。


さて、バパに言わせれば「ジワは永遠のものである」という事になります。

つまり「死を体験することは無い」のです。

そうであれば我々は死なないのでしょうか?

いいえ、我々の生物学的な、生理的な頭脳に起因している事による自我意識、思考心と感情心は死によって消えてしまう、とバパは言います。

しかしながら、その時までに自分のジワが目覚め、ロハニレベルまで到達したジワは自分の名前を持つ、とされています。

そのようなジワにとっては「死は存在しない」という事をバパは言っているのです。

そこまで到達しないジワはどうなるのでしょうか?

そのようなジワはリンカネーションの対象になります。

そうして、そのようなジワは自分の名前を持ちませんから、「前世の記憶はない」のです。

これが通常、我々がこの世に生を受けた時の状況になります。


さてバパの主張と、通常、他の宗教やスピリチュアリズムで言われている事の最大の相違はこのジワ(魂)の性質、挙動、中身についてであります。

通常は何もしなくても「魂は目覚めて活動している」とされます。

しかしバパは、「もはや我々の時代では魂は眠りこけている」としています。

それを目覚めさせるのがラティハンになります。

正式名はラティハン・クジワアンと言います。

直訳は「魂の訓練」とでもなりますか。

眠っている魂にはまずは起きてもらわなければならない、という事になります。


そうやって起こされた魂(ジワ)が体の各部分に浸透していく時に「意図しない運動」が起こります。

バパが世界で最初に体験し、オープンする事で新しい会員が体験するものがこれになります。

この理由を持って「通常は魂(ジワ)は眠っている」と主張する事になります。


ちなみにこの状態は心理学の用語で普通は「解離」と呼ばれている状態に似ています。<--リンク

そうしてこのような主張をする方も会員の中にはおられます。<--リンク

しかしながら、最初は「自分の意思でもないのに体が勝手に動き、泣いたり、笑ったり、声を出したり、、、」と言う様な状況の奇妙な感じは時間がたつにつれて、ラティハンの経験をかさねるにつれて、無くなっていく様です。

それをバパは心(思考心、感情心、ナフス)とジワが並行して働く、協調して働くようになる、と表現しています。

二つがオーバーラップしてこの世の生活を体験していくのです。

そうなってようやくジワ(魂)がこの地球上の出来事を記憶するようになり、自分が誰で、どのような名前を持っているのかが自覚できるようになる、とバパは言います。

さてそういうわけで先は長い、道は長いのでありますから、寄り道などをして遊んでいる暇はない事になります。

追記
ご参考までに。
「バパのイスラム」とは何か <--リンク

PS
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