台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

明治時代の「廖家古厝」

2020-05-04 17:12:30 | 日本統治時代の遺構と遺物

高雄在住の廖德宗さんは高雄市文史工作者で、いつも高雄地区での神社跡地調査でご協力していただいている。昨年末に高雄神社の社号碑の確認や第六燃料廠洞窟調査でもお世話になった。
さて、この廖さんの祖先の家があるとのことでお邪魔した。高雄市左営区左営下路45号にあり、なんと、109年の歴史を持つ旧家で、清朝時代の左営下路は北門を通り、旧集落を通って府城に至る旧市街であり、当時は最もにぎやかな地区であった。集落は一甲から七甲まであり、五甲巷北の「郭家古厝(古厝は邸宅のこと)」と五甲巷南の「廖家古厝」がいまだに当時の面影を見ることができる。
廖家古厝は郭家古厝に4年遅れた1911年に建設されており、10年前に瓦の修理から初めて、7年の歳月をかけて修復工事が終わり、資材を探すのに150万元かかったようである。

廖家の祖先は同治年間(1861年 - 1875年)に雲林西螺から左営に移り、古厝は二代目の長男廖奎和により建てられた。正門扉の上には古代中国から伝わる易における8つの基本図像の一つである「乾三連」の額が飾られ、子孫がみんな規則や律儀を守るよう願いを込めた。


ちなみに廖德宗さんはこの廖家の4代目となる。壁には4種類のマジョリカタイルが貼り付けられている。このマジョリカタイルとはマジョルカ島を中心に取引された錫釉陶器の総称であり、日本では四国淡路島の淡陶社(現在のダントー株式会社)が1901年(明治34年)に製造を開始した。この種のタイルは台湾でも大いに気に入られ、数多くの裕福な家の壁に装飾品として用いられた。


現在、この廖家古厝は一般公開されており、左側の棟は「杏福巷子」というデーザートを頂けるお店となっている。ここで頂いた杏仁豆腐冰はさっぱりしておいしかった。

廖家古厝

入口に掲げられている「乾三連」

マジョリカタイル

この辺りは五甲巷

清朝時代の古地図に廖家古厝が載っている

当時の水道ポンプ。壁にマジョリカタイルが見える

廖德宗さん(右)と郭吉清さん(左)

 

 

 

 

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