台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

台南州 (嘉義郡水上庄南靖) 南靖神社

2009-08-28 00:34:37 | 台南州

椰子に樹の奥に神社があった

南靖糖廠事務所前の石獅子

石獅子についての説明がある

南靖神社はちょうど南靖国民小学校の裏側の少し奥まったところにあった。神社のあった所までの参道の両側には椰子の木が聳え立っており、途中から当時の参道と思われる石畳が残っている。
2008年春の取材旅行で南靖糖廠を訪問できる機会があり、工場内を見学させて頂いた。以前とは異なり、事務所前の狛犬の横に説明書が設けられており、この狛犬は昭和20年(1945年)に作成され、大鳥居の前に安置されたと書かれていた。光復後は管理課事務所前に置かれたという。

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台中州 (東勢郡東勢街東勢字上新) 埋伏坪祠

2009-08-21 23:45:48 | 台中州


写真奥にあるコンクリートの辺りに神社が建立された

和平郷自由村はもともとタイヤル族の居住地であり、土地は広かったが人口は少なかった。日本統治時代は東勢郡に属しており、行政・教育・衛生などは全て警察の管轄業務であった。山岳原住民は民族性が強く、日本人の統治に対しては常に抵抗していた。当初、柔軟政策を用いて統治政策を行ったが、最終的には武力による統治政策になった。
昭和12年9月20日鎮座、祭神は天照大神であった。
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新竹州 (バアカサン社) 大南祠

2009-08-21 23:00:35 | 新竹州
大湳祠は苗栗県南庄郷蓬莱村大南にあった。神社そのものは小さかったが、神社の両側には吉野桜があり、第一鳥居とは別に第二鳥居まで両側にそれぞれ7基の石燈籠があった。また、休憩用の建物も有ったと言う。春秋の大祭も行われ、その際は神社の境内では相撲取りも行われた。現在、神社の遺跡は何一つなく、光復後全てが破壊され、またはどこかに持ち運ばれたようである。
神社はちょうど畑の奥に建立された。
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台北州 基隆中学校校内神社

2009-08-08 00:20:18 | 台北州

当時の神社の旧景

中央の山の麓あたりに神社があった

グランド奥にプールがあり、その上に神社があった

台北州立基隆中学校は基隆基隆高級中学の前身であり、昭和2年(1927年)に基隆第一尋常小学校として入学式が行われ、110名の生徒が学んだ。昭和4年(1929年)10月に新校舎が当時の八堵に落成した。
この校内神社は皇紀二千六百年記念事業として職員・生徒父兄会および同窓会などから寄進された浄財をもって校庭の裏山の地に約600坪の敷地をもって建立された。

日本統治時代の基隆の小学校および中学校に学んだ湾生また基隆に関係のあった方々の集りである「関東地区基隆会」が毎年7月20日の海の日に行われている。今年も90名の人達が集まり、私も出席させて頂いた。この基隆中学校で学んだ方も多くおられた。
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