台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

新竹州 角板山祠

2008-08-30 11:01:26 | 新竹州
角板山は日本統治時代「台湾12勝」の一つに挙げられていた。また、同時に檜や桂竹などの木材の産地でもあった。伐採された木材は大渓に搬送され、そこから各地に出荷された。
角板山神社は復興郷中山路沿いにある復興郷立中正図書館付近に建立された。図書館右側奥の復興郷歴史文化館横に石段があり、ここに本殿があったようである。神社の遺跡を示すものは、中正路168号のちょうど前に神苑に入る横道と思われる入口に2つの記念碑が残っている。いずれにも、奉納としてこの地に住んでいた漢人各6名ずつの名前が刻み込まれている。また、この記念碑の右の柱には「奉納 角板山管内高砂族一同」、左の柱には「奉納 角板山管内警察職員一同」と刻み込まれている。
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新竹州 大渓社

2008-08-15 22:54:22 | 新竹州
大渓の普済路にある老街を通り越してゆくと大漢渓沿いに中正公園がある。その公園の中に超然亭がある。ここが大渓社の本殿があった場所である。本殿の基壇前には一対の狛犬があり、「大渓 加藤仁作 昭和七年七月十日」と書かれている。また、公園内には石燈籠に使用された石の一部が数ヶ所に見られる。
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新竹州 桃園神社

2008-08-12 21:19:31 | 新竹州

石段を登ると、左右に3基ずつの石燈籠があり、鳥居を超えて右に社務所、左に手水舎がある。中門の手前には神馬と一対の狛犬が残っている。但しこの狛犬は民国75年(1986年)に神社の修理が行なわれたときに当時の写真にあった狛犬に似せて造られたようである。参道を進むと拝殿と本殿があり、拝殿入口には未だに賽銭箱が残っている。
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台北州 新荘神社

2008-08-09 21:18:55 | 台北州

新荘神社は中正路沿いの豊田汽車新荘営業所の場所にあった。光復後取り壊されたが、土地の払い下げで神社遺跡の一部が今の地蔵庵に移されたようである。地蔵庵入り口には一対の狛犬が安置されている。台座には「新荘保甲民一同」と刻まれており、新荘の住民から奉納されたものであることが判る。形から見ると台湾の石職人によって造られたもののようである。両方の狛犬も口を開いているが、右が「阿行」で雄、左側が子獅子を抱えた「吽行」で雌である。

石燈籠は参道の両側に5基ずつ並んでいた。奥にある地蔵庵の両側にも2基ずつの石燈籠が台湾式の廟に溶け込むように残っていた。廟近くの石燈籠の裏側には「山元鐵工場 李炎山、李長安 同献」と書かれていた。また、「台湾市太平町 新荘郡新荘街」などの文字も読み取ることが出来た。
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台北州 台湾護国神社

2008-08-02 00:30:14 | 台北州
 二二八公園内で凱達格蘭大道と懐寧街の角に一頭の神馬がある。神馬の腹に描かれている神紋は台湾護国神社の神紋と同じである。従ってこの神馬は台湾護国神社のものである。
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