角板山は日本統治時代「台湾12勝」の一つに挙げられていた。また、同時に檜や桂竹などの木材の産地でもあった。伐採された木材は大渓に搬送され、そこから各地に出荷された。
角板山神社は復興郷中山路沿いにある復興郷立中正図書館付近に建立された。図書館右側奥の復興郷歴史文化館横に石段があり、ここに本殿があったようである。神社の遺跡を示すものは、中正路168号のちょうど前に神苑に入る横道と思われる入口に2つの記念碑が残っている。いずれにも、奉納としてこの地に住んでいた漢人各6名ずつの名前が刻み込まれている。また、この記念碑の右の柱には「奉納 角板山管内高砂族一同」、左の柱には「奉納 角板山管内警察職員一同」と刻み込まれている。
角板山神社は復興郷中山路沿いにある復興郷立中正図書館付近に建立された。図書館右側奥の復興郷歴史文化館横に石段があり、ここに本殿があったようである。神社の遺跡を示すものは、中正路168号のちょうど前に神苑に入る横道と思われる入口に2つの記念碑が残っている。いずれにも、奉納としてこの地に住んでいた漢人各6名ずつの名前が刻み込まれている。また、この記念碑の右の柱には「奉納 角板山管内高砂族一同」、左の柱には「奉納 角板山管内警察職員一同」と刻み込まれている。