台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

台北州 (台北市大安字十二甲一番地) 大安稲荷社

2010-08-13 21:28:24 | 台北州

現在は忠考東路によって別れているが、当時はこの辺一帯が大安紡績工場の敷地であった


大安稲荷社は当時の日華紡績株式会社内に建立された企業神社であった。現在の住所で、ちょうど忠孝東路三段辺りとなる。具体的な場所は特定できないが安東街に大安公園と誠安公園がある。不確かであるが、このいずれかの場所に神社があったものではないかと推定している。
この日華紡績株式会社では、いわゆる「大安工場ストライキ事件」が発生している。郭弘斌の「台灣人的台灣史」によるとこの事件のあらましは次の通りである。

日華紡績会社は昭和3年(1928年)4月21日に工場の作業時間を20分延長した。この問題が工員との論争を誘発することになった。台湾文化協会*の連温卿が高雄の台湾鉄道工場で発生したストライキを利用して4月21日に台湾人工員にストライキを呼びかけた。しかしながらストライキに入る準備が不十分であったため、従業員の意識は高くなく、わずか4日間でストライキが終わることになった。その後、5月9日に工場側は些細なことで工員の一名を解雇した。このことが全工員の不満を招くことになり、5月19日には再度二回目のストライキに突入することになった。工場の操業は停止せざるを得なくなり、200人余りがデモ行進を行い、22人が警察によって逮捕された。そして、その日に工員100名が台北市太平町の「工友協助會辦事處」に集結し、抗議団を組織して会社側に抗議し、会社側に対して団体交渉権およびストライキに参加した全ての工員の復職など6項目を要求した。しかしながら工員の要求は会社側に拒絶され、警察は争議団の幹部を拘留し、ストライキは集結を迎えた。

その後、日華紡績会社はどのような企業経営を辿ったかは不明である。一説によると光復後、日華紡績株式会社は放火によって全焼したようである。いずれにしても、工場内に建立された稲荷神社はこの事件の一部始終を見ていたことであろう。


どなたか、大安稲荷神社がこの工場のどの辺に造営されたたか御存じであれば教えて頂きたく思います。
コメント
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