▲シリル・ウェクト 北澤和彦 訳 『大統領の検屍官』 徳間書店 1994年 本体1748円+税
JFK ケネディ大統領暗殺事件50年 以後にむけて その2
このブログでは2009年の開設以来断続的にケネディ大統領暗殺事件を記事にしているのだが、2013年のケネディ暗殺事件後50年前後に当ブログで掲載した本の紹介で、漏れ落ちていたものを紹介。
今回は全米一の検屍官と言われているシリル・ウェクトの著書 『大統領の検屍官』徳間書店 1994年
▲ 上左はシリル・ウェクトの著書 『大統領の検屍官』徳間書店 の目次の一部 右はカバー末に記された彼のプロフィール
カバー末に記されたシリル・ウェクトの経歴を見ると、その紹介の通り、検屍官・法医学の経験豊富な第一人者ということが記されている。
シリル・ウェクトは、ウォーレン報告書のうち結論の銃弾についてまず書かれていたものを下のように整理したうえで批評する。
委員会は3発の銃弾が発射されたと断定した。
「1発目は人にも車にも命中せず、
2発目はケネディ大統領の背中に命中した。背中の上部からネクタイの結び目の位置を貫通した。その銃弾はコナリー知事の背中にも命中し、胸の右側を貫通して右手首をくだき、最終的に左大腿部にとどまった。
3発目はケネディ大統領の頭部に命中した。」 (ウォーレン報告書の銃弾のまとめ)
「一発の銃弾が大統領の体を貫通し、次にコナリー知事にあたったなどという調査結果は、どうみてもばかばかしい似非科学的なでっちあげでしかない・・・・・・・・・・・・・・この調査報告書は、わたしが出会ったなかでも最悪のものである可能性はきわめて高い」(28頁)
「法病理医として、わたしは物的証拠を調べる。
検屍解剖はなにをあきらかにしてくれるのか?
角度は、弾道は、射創はどの程度か?
犯行現場の写真はなにかを示してくれるか?
致命傷になったのはどの弾丸か?
襲撃者はどこにいたか?
すべてはの疑問に対する答えは、物的証拠からのみ引き出すことができるのだ。」(28-29頁
このような観点から報告書を読んだシリル・ウェクトの感想はこうだ。
「ウォーレン報告書は全くのナンセンスである!」 (28頁)
「図書館はウォーレン報告書をフィクション部門の書架に移すべき」(28頁)
海軍ベセスダ病院で検屍解剖が行われたのだが ブログ主 注)
「解剖にあたったのは、法病理学の経験が全くない海軍の医師たちであった。」(29頁)
「なによりもまず、検屍解剖はダラスで、しかも市の検死官アール・ローズの手で行われるべきであった。殺人は当時も今も州の犯罪であって、連邦犯罪ではない。たとえアメリカ合衆国大統領が犠牲者になった場合でも、地元及び州当局に管轄権があるのであって、連邦当局にはない。わたしはロー・スクールを出ているので、犠牲者が大統領といえども法律は曲げられないことくらい知っている。充分に資格があり、尊敬されている法病理医学者ローズが検屍解剖していれば、今日よりははるかに多くの事実が判明していたかもしれない。
ドクター・ローズが検屍解剖を行う旨を告げると、シークレット・サーヴィスたちは、オートマチックに手をかけながら、権威をかさに着た粗野な態度で、そんなまねはさせないと告げ、ジョン・F・ケネディの遺体を法を犯してまで病院から運び出した」 (29-30頁)
「検屍解剖の最初の失敗は、ケネディの遺体を調べる以前に起きた。ベセスダの病理医たちは、解剖の前にパークランド記念病院の医師たちと話をしなかったのだ。
検屍解剖するにあたっては、最初にその犠牲者をあつかった外科医と話しをするのが基本的なルールであるにもかかわらずだ。」 (31頁)
「検屍解剖は軍の施設内でおこなわれ、軍高官に監視されていたので、病理医たちは、解剖するにあたって、さまざまな制約を受けた。
たとえば、連邦捜査官や、軍高官から、ケネディ大統領の背中の射創を切開しないようにいいわたされた。
もし傷を切開していれば、体内の弾丸の経路がたどれていたかもしれない。
ウォーレン委員会が後に主張したように、弾丸が、頸部から出ていたのであれば、切開すれば明らかになったはずである。
なぜ射創を切開するなといったのだろう。」 (32頁)
つづく