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JFK ケネディ大統領暗殺事件50年 以後にむけて その3

2015年05月09日 | JFK ケネディをめぐる本・新聞記事

  ▲ ウイリアム・レモン 、ビリー・ソルエステス 『JFK暗殺 40年目の衝撃の証言』 2004年原書房 定価1800円+税

 

JFK ケネディ大統領暗殺50年 以後にむけて その3

 

2013年、JFK ・ケネディ大統領暗殺50年の年、このブログではケネディ及び暗殺に関わる本の紹介を数回やったのだが、その際何冊か我が家のどこかで不明の本があり、その時は詳しく紹介できなかった。見つかったところで紹介しようと思っていたのだが、このほどようやく姿をあらわした。また手の届くところから消えて記憶から消える前に、書誌的なことを記しておく。

まずは、著者と、翻訳者のプロフィールは、カバー裏に記述があるので下の紹介文をどうぞ。

ウィリアム・レモンは、すでにケネディ暗殺に関わる本を出版しているフランスの調査報道記者なのだが、ジョンソン大統領に長年寄り添い、ケネディ暗殺の鍵を握るとされる、多額献金者で側近のビリー・ソルエステスへの長期インタビューにより作られた本。

考えてみると、最初に、ケネディ暗殺の疑惑を本にしたのは、アメリカに住んでいたことのあるフランス人だった。米国人でないほうが、出版によって直接危害の及ぶ 危険が少しばかり回避できるだろうから、それは、それでよかったのかもしれない。

もう一人のフランス人による、世界最初のケネディ大統領暗殺単独犯否定説の本の紹介は当ブログにあります。ここです。 ▼

ケネディ暗殺事件 1964年6月発行のトーマス・ブキャナンの本『誰がケネディを殺したか』

 

▼『JFK暗殺 40年目の衝撃の証言』 著者・訳者の紹介文(本のカバー裏にあるもの)

 

 ▲ 本のカバー、帯の宣伝文

いわゆる、ミステリー本を前に種明かしをする愚は避けなければならないように、この本の一部始終を記すことはやめにしよう。

はや日本で翻訳出版されてから10年以上も経過してしまった本なのだが、この本は、ビリー・ソルエステスと言う、ジョンソン大統領側近からのインタビューを主軸に構成されているので資料的価値は高い。と思う。

ケネディ大統領は、パレード中、斜め前方の通称グラシ・ノールという丘の茂みから狙撃されたものが致命傷となったものと考えられるのだが、パレード車の前の方の座席に同乗してたコナリー知事も被弾して足まで負傷している。

したがって、オズワルドがアルバイトで勤務していた教科書ビル方向から飛んできた銃弾もあることは間違いない。グラシ・ノールからの銃撃手が本命の第一狙撃手だとすれば、オズワルドに罪をかぶせるための第二の狙撃手がいたことが考えられよう。この本はこの第二の狙撃手のことについて記す。

教科書ビルに残された、オズワルドのものではない不明人物の指紋とは誰のものだったのか?

ケネディ2期目の大統領準備で遊説の頃、事件当時副大統領だったジョンソンは、多額の政府補助金融資便宜疑惑の中にいた。その渦中にあって、この情報を得たケネディは、前から確執のあったジョンソンを2期目の副大統領職からはずす計画が・・・・絶体絶命のピンチに襲われたジョンソンは・・・・・?

 

 

 ▲ 『JFK暗殺 40年目の衝撃の証言』 目次

 

 1963年11月21日、ケネディがダラスで暗殺される1日前のことだが、リチャード・ニクソンはダラスに滞在していた。

 

「エアフォース・ワンがダラス中心にあるラブ・フィールド空港に近づくころ、ニクソンはテキサスからニューヨークに飛び立っていた。」 『JFK暗殺 40年目の衝撃の証言』 (74頁)

 「一方、現ブッシュ大統領(ブログ主注 この本の出た2004年の時点で)の父親であるジョージ・ブッシュも、この日のことについて記憶喪失症にかかったことを後日告白している。この記憶の欠落は案の定、一部の陰謀説支持者の想像を掻き立てることになった。さらにその日CIA職員で、ジョージ・ブッシュという名の人物が、ダラス市内にいたことが、ダラス警察の公式記録に残されていたのである。しかもブッシュが、レーガン政権の副大統領、次いで世界最強の大統領になる前はCIA長官だったと言う事実と突き合わせて見れば、恐るべき「偶然の一致」にこだわる人々はますます熱を上げた。ブッシュ自身はこの仮説を否定しており、CIAとのつながりは70年代末に長官に任命されたときに始まったもので、1960年には、石油事業と政界で名を上げることを目指す気のいい父親でしかなかったと主張している。そして、1963年11月22日に自分がどこにいたかは思い出せないが、ダラスにいなかった事は確かだと言っている。」 

『JFK暗殺 40年目の衝撃の証言』 (74~75頁)

のちに共和党の大統領にもなる二人の人物が、1963年11月22日どこにいて、なにをしていたか、思いだせないでいるという「偶然の一致」はどこからくるのだろうか?

遠く海の向こうで、ケネディ大統領暗殺事件があったことは日本の少年だった私でも記憶しているのである。学校で事件の話が出てきたのはもちろんで、この日から、日記を付け始めたというクラスメートがいたのである。

ニクソンと父ブッシュのことをますます知りたくなるのは何も陰謀論者だけではあるまい。

事件当時成人していたアメリカ人で、立場の違いはあっても、1963年11月22日のこの日の記憶のない人物はいないのではないだろうか。

1963年11月22日、その日に限り記憶喪失になる二人の元大統領に、またこの日に限り記憶喪失になる人物二人を二人とも大統領にしてしまったアメリカという国民と国家になりたち

に、限りなく興味の湧いた人は、この本ぜひとも買い!だね! まだまだ古本屋さんにはあるようだ。

 

私は長い間、ニクソンと父ブッシュという、二人ともアメリカ大統領にもなった(なれる)人物が、どうして、1963年の11月22日に限り、記憶喪失になるのかという論をどこかで、読んで、強烈な印象を受けていたのだが、どの本に書かれていたのか、記憶が薄らいでいた。

ようやく、そのことが書かれている本の一つを再確認した。(もっとも別な本でも見たような気がするのだが)

著者のウイリアム・レモンが書いた「茶色の部分」だけでも、この本の価値は高い。

このことばの意味することは、至極簡単なことだ。

アメリカは、「バナナ国家」だということだ。もうずーっと前から、もしかして、そもそものの建国その時から。

 

つづく

 

 

 

 



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