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松本政喜 『そこにCIAがいる』 1971年 太田書房 その1ー3

2015年09月09日 | 戦後秘史・日本占領期

                                   ▲松本政喜 『そこにCIAがいる』 1971年 太田書房  当時定価680円

 

松本政喜 『そこにCIAがいる』 岩崎邸にいた日系二世たち 1-3 

 

松本政喜がこの本で記している岩崎邸にいたキャノン機関の米国籍メンバーにはさまざまな人がいたが、

今回は、その1-2で、松川事件に触れた都合で、これに関係したと思われる日系二世に重点を置いて抄録する。

なお、延禎の『キャノン機関からの証言』1973年 番町書房では、キャノン機関員は正式にはキャノンを入れて26名だったと記している。▼下記の表参照

  ▲延禎 『キャノン機関からの証言』1973年番町書房 で記載した、正式のキャノン機関員名 (72頁)

 

松本政喜は名前の知らない男を入れてキャノン機関員の15名ほどをあげている。延禎の『キャノン機関からの証言』ではキャノンを除いて機関員は25名としているので、25名のうち15名ほどが仮名であってもカウントされている。

延禎は松本政喜のような、日本人で、その時々の工作活動に従い従事する工作員は、キャノン配下の正式の機関員ではないと著作で書いている。

しかし、ビクター・松井が、キャノン機関の片腕として働く時に、松本政喜を横須賀署経由で呼び出しビクター松井が直接面接して採用している。仕事を忠実にこなし、長期に使う、安定した工作員の身分もあったようだ。松本政喜は後に自分用の事務所も持たせてもらえるような比較的恵まれた条件のCIA工作員の存在もあったようである。

中島辰次郎も、自著の『馬賊一代 謀略流転記』1976年 番町書房の巻末履歴では、G2キャノン機関員、内閣調査室勤務と記している。

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松本政喜が仕事で岩崎邸に出入りして記憶していて記した岩崎邸の住人達の簡単な横顔の紹介。

ビクター・松井

キャノン機関の右腕といわれた男。日系二世のアメリカ人、身長185cm、大柄、頑丈な体格、頭脳明晰、イデオロギーに関する情報、知識に精通している。軍隊の位は米国陸軍中尉。通称ビッグ。横浜CICでキャノンと二人きりで情報活動をしていた当時は、松井も毎日軍服を着ていて、背広姿は珍しいくらいだった。機関が岩崎邸に移ってから、アーミーからシビリアンにとけこんできた。ときどき偽名を使っていた。その姓は「山本」とか「豊田」という日本海軍の司令長官の姓を名乗り、使い分けていた。

 

グラスコ(米国)

特に大柄、長身、頑丈型、キャノン機関では、ビクター・松井と並び、キャノンの腹心と言われる。腕きき諜報員で頭の回転も速く、カミソリと言われていた。日本語をよく話す。本郷ハウスでは酒は禁じられていたが、彼だけは特別に許可されていた。

チーフ・マーフィー

中肉中背頭髪黒、一見フィリピン人に似た感じ、人相やや悪く、目つきに陰険さがある。無口で近寄り難き人物。あまり接近せず。

クラーク

やや中肉、スタイル良く、頭髪茶黒、一見英国紳士風。性格穏和、いざというときの決断力に欠ける。日本語がうまい。まじめの一本気でCIA独特の陰険さがない。

ブラウィン

大柄頑丈ナ体格、頭髪黒茶。米国喜劇俳優ボブ・ホープによく似ている。ドイツ系アメリカ人。日本語をしゃべり読み書きできる。

川田(三世)

やや大柄、色白で頭髪は黒、アメリカ人でありながら、日本人三世であることを自慢していた。鹿地亘事件で、光田と一緒にアメリカに帰国を命ぜられた。

野村(二世)

中肉背高、鹿児島生まれ。翻訳上手でキャノンの重用。その後も日本に滞在か。

佐伯(二世)

橋本(二世)

熊沢(二世)

大西(二世)

中肉中背、色黄色。愛想よく親切。性格穏和世話好き。二世仲間では一番の年長者。日本で兵役満期になり、除隊して東京に住んでいると聞いた。

トニー(二世)

佐伯(二世)

橋本(二世)

熊沢(二世)

タミー・泉本(二世)

大柄で長身、頭髪黒で色白、日本人と結婚。

土田(二世)

中肉中背(身長160cmくらい)、頑丈型、頭髪黒、色は日本人並、眼鏡はかけていない。キャノンには真面目さを買われ信用は厚かった。日本人と結婚。広島か山口県の地方訛りがある。

光田(二世)

身長154cm、体重54キロ、頭髪黒ふさふさ、丸顔、色白、眼鏡はかけていない。真面目人間。キャノンの信用厚い。名は悦之助、両親熊本。八人兄弟の末弟。

鹿地亘拉致監禁事件が発覚し光田が鹿地亘の見張り役だったことから、国会でも質問され、責任をとらされた光田は米国に川田と送還されることになる。帰国前日に、光田は松川事件ほかの陰謀事件のことを松本政喜に話していった。

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キャノン機関の二世軍人のうち、土田と光田は、中島辰次郎の『馬賊一代』にも松川事件の現場を指揮する人物として名前があがっている。中島辰次郎に再三インタビューして、録音までしていた畠山清行も『キャノン機関』、1971年徳間書店、『何も知らなかった日本人』で、光田と土田の名をあげていた。

畠山清行の『何も知らなかった日本人』1976年、青春出版社、のち詳伝社文庫2007年には、中島辰次郎が、立川飛行場から、行き先を教えられないまま、軍用機に乗せられ、その後、フォードに乗り、移動し現場についた時のことを下記のようにに記している。

「一体我々はなにをするんです」と風間にきいてみたが

「私には言えないよ。光田さんにきいて見たまえ」という。光田という名前は、その時はじめて出たのだが、中島が二世の、体の大きい方の光田にきくと、

「ノーコメントだ、我々がやることを、君はみていればいいのだ、君も専門家ではないか」という。

専門家とは、何をさして言ったのか、中島も判断に苦しんだが、後に思えば謀略や破壊工作の専門家という意味だったらしいのである。」

畠山清行『何も知らなかった日本人』 2007年詳伝社文庫 (223頁)

 

延禎がキャノン機関にいたと25名の正式機関員をあげているのだが、そこには確かに光田と土田という米軍二世が機関員一覧の中にある。

また、帰国前には、光田は自分でやったとは言っていないが、松川事件はキャノン機関が関わったといっているのである。「本郷ハウス(岩崎邸)からビクター・松井が指揮をとるために現地に派遣された」と松本政喜は光田が言ったことを『そこにCIAがいる』で書きとめているのである。

また、先に工作準備のため、部下の二世を二本松CICに残留させ、「残留した人物はあなた(松本政喜)も知っている人達だよ」と光田が言ったとまで記録している。

中島辰次郎は、自分も入れて、松川事件を現場工作した人物7名のうち、指示していた米軍二世は土田と、光田の名を上げていた。

キャノン機関員に光田、土田の両名がいること、光田が帰国前に松本政喜に話したこと、中島辰次郎の証言、畠山清行の調査などの一致点を勘案すると・・・・ほぼ出来事の端部は見えてきたようではある。

柴田哲孝の『完全版下山事件』2007年、詳伝社の巻頭の写真に亜細亜産業の社員旅行かとする集合写真が掲載されている。この中には、亜細亜産業の社員や家族のほかにキャノン機関のビクター・松井や、ヘンリー・大西(二世)など、また関西CICのジョン・田中とする人物も写真に収まっている。実に多彩かつ奇々怪々な集合写真だ。白州次郎ではないかとする人物もいるのだ。戦後占領期の事件の新資料はもう出てこないかもしれないが、すでに絶版となっている本を何度も読み返してみると、まだまだ見落としや、言葉遣いの微細な差異から、隠された意図なども見えてくることがある。今回、松本政喜 『そこにCIAがいる』を再読してみて、光田二世の米国送還前日に語ったキャノン機関の工作の数々は、最初に読んだ時よりもさらに強い印象を残した。

今ではなかなか入手困難な、松本政喜 『そこにCIAがいる』 1971年 太田書房 であるが、最近この本、古書店に何冊かまた出回りはじめたようだ。事件究明のため手元に置いていた世代も次の世代に問題の真相を託しつつあるのだ。ぜひ若い人に未だに未解決の戦後占領下の数々の事件の真相究明に乗り出してもらいたいものだ。

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 



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