野散 NOSAN 散種 野の鍵 贈与のカオスモス ラジオ・ヴォルテール

野散 のさん  野を開く鍵 贈与のカオスモス 散種 混沌ー宇宙 想像的・歴史的なもののジャンルなき収蔵庫をめざして 

侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の映画 『悲情城市』 

2013年05月30日 | 映画遊記
侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の映画 『悲情城市』(1989年イタリア・ベネチア国際映画祭グランプリ受賞)の地方での自主上映に関わった時代があった。今から20年以上も前のことである。1990年日本公開の映画で、一度見て傑作だと思った。映画は第2次世界大戦終結前後の台湾の大家族の物語として設定され、多くの登場人物が出てくる。記憶が薄れる前に、短文を地域の映画上映会の機関誌に載せた。手元に映画のビデオがないのだが、20数年後の感想はまたの楽しみとして、冷戦終結前後の記憶として、どうしても書きたい気持ちがこみ上げてきた勢いで書いたもの。 . . . 本文を読む

奈良大学・九州大学総合学術情報リポジトリ で見つけたダウンロードできる文献

2013年05月20日 | リポジトリ文献
月初めに入手した新着本(私はほとんど古書ばかり)の雑読も一通り済むと、その後は本棚の未読文献の整理やインター・ネットの大学リポジトリヘ文献探しに出かける。2000年代初めのころは、まだ私が読みたい文献は、なかなか見つからなかったのだが、去年暮れにあらためて探したところ、各大学でデジタル化された論文・雑誌・報告書などの公開が充実してきていることがわかった。最近ダウンロードしたものを拾いだして読み始めている。今日は、「九州大学」と「奈良大学」の巻 . . . 本文を読む

『古代史の論点』 と 『列島の古代史』  執筆論文目次 その2

2013年05月19日 | 初期国家・古代遊記
『古代史の論点』 と 『列島の古代史』    その2 今回は 『列島の古代史』 2005年~2006年刊行 岩波書店の執筆論文目次  なかなか、いい論文目白押しであった。 . . . 本文を読む

『古代史の論点』 と 『列島の古代史』 執筆論文目次 その1

2013年05月18日 | 初期国家・古代遊記
『古代史の論点』 全6巻 1998年~2000年 小学館 ▲ 『列島の古代史』 全8巻 2005年~2006年 岩波書店 その1は小学館の 『古代史の論点』 の目次構成 その1は 『古代史の論点』 . . . 本文を読む

『国家形成過程の諸変革』 と『文化の多様性と21世紀の考古学』

2013年05月17日 | 初期国家・古代遊記
『国家形成過程の諸変革』での和田晴吾の基調講演は、都出比呂志への業績への賞賛といってもよかった。もともとこのシンポジウムは、都出のために用意されていたようだ。もうひとつの2番目のシンポジウムの「吉備の埴輪」の具体相に興味をそそられた。 . . . 本文を読む

『国家形成過程の諸変革』  1999年考古学研究会シンポジウムの記録

2013年05月15日 | 初期国家・古代遊記
考古学研究会主催の2回にわたるシンポジウムの記録集 『国家形成過程の諸変革』 2000年 考古学研究会「国家形成過程の諸変革」 1999年10月3日 考古学研究会 関西例会100回記念記念シンポジウム 「吉備の埴輪 ー倭の五王と吉備の大首長の時代」  1999年11月13日 岡山例会 第4回シンポジウム . . . 本文を読む

『九州島における中期古墳の再検討』 ほか 高田貫太の垂飾付耳飾周辺のことなど

2013年05月14日 | 初期国家・古代遊記
今年に入って、高田貫太の「垂飾付耳飾をめぐる地域間交渉  ー九州地域を中心に」 という論文の抜刷を入手した。熊本古墳研究会の創刊号に掲載していたものだ。今週は次の古書到着の前に、これから参考文献入手のために、いくつかメモをしておこう。九州の遺跡は、甲冑その他、渡来文物も多いので、『九州島における中期古墳の再検討』 2007年 九州前方後円墳研究会 を探しあて、これを見ている。第10回研究大会は、宮崎で開かれ、和田晴吾が基調講演を、「古墳時代中期」と題して話をしたようだ。 . . . 本文を読む

『国会炎上』 四宮恭二 1984 その4 議長公邸から国会へ通じる暖房用地下道はあった!

2013年05月08日 | ドイツ国会議事堂炎上・ヒトラー
『国会炎上』 四宮恭二 1984 日本放送出版協会 ボイラー棟の下から続く暖房用管理地下道は後に建設されたドイツ国会議長公邸の地下室も取り込み、国会議事堂へ通じる暖房用地下道とつながっていた!噂通り、国会が炎上する1933年2月27日の何日も前から、深夜国会議長公邸と地下トンネルを動き回る物音は確かめられていた。また戦後にいたっても、暴力の記憶からか、証言をためらう人々が多かった。しかし1967年のドイツ国会議事堂炎上の真相をめぐるテレビ討論会の一視聴者から、有力な情報がもたらされた。それは事件当時13年間も国会議長公邸に勤務していたボイラーマンの証言だった。またこれらの証言をもとに、西ドイツ・東ドイツ共同で行われた、合同現地調査でのグルーネワルトの証言を記して真相の一端を示す。 . . . 本文を読む

『国会炎上 1933年ドイツ現代史の謎』 3 国会議長公邸から国会議事堂へ通じる地下道はあった!

2013年05月07日 | ドイツ国会議事堂炎上・ヒトラー
ヒトラー・ナチス政権下で1933年2月27日に起きたドイツ国会議事堂放火事件において、最高裁の裁決は、オランダの青年ファン・デル・ルッペの死刑判決、ルッペ以外の、ドイツ共産党国会議員トルクラー、ブルガリア人共産党員ディミトロフ、ポポフ、タネフの3名計4名は無罪確定。国際社会と記者たちが監視するなかで、終わってみれば、大々的な国際共産党の陰謀キャンペーンどころか、ヒトラー・ナチス国家の自作自演の陰謀を深くにおわせる三文芝居となってしまった。その後ドイツが世界大戦で敗北し、戦後になるまで、真相は闇の中であった。しかし戦後、思わぬところで、事件当時国会議長公邸でボイラーマンだった人物の証言が出てきたのである。 . . . 本文を読む

『国会炎上 1933年ドイツ現代史の謎』 ヒトラーは「国会炎上」の急報に「しめた!」と叫んだ 2-3

2013年05月06日 | ドイツ国会議事堂炎上・ヒトラー
1933年2月27日。それはヒトラー政権成立の1月30日から数えて、ちょうど28日目だった。この月曜日の夜、ヒトラーはゲッペルス邸の晩餐に招かれて、かねてからのお気に入りのゲッペルス夫人を交え静かなウィーン好みの室内楽の流れるなかで、三人は、ワインの杯を合わせながら、雑談に花を咲かせていた。9時30分の少し前のことだった。電話があり、ゲッペルスは、席を立っていったが、間もなく足音高くただならぬ様子で、席に戻るや、総統に「国会大火」 の急報を伝えた。とたんに、ヒトラーは思わず、「しめた!」と叫んだというのだが。これは政権奪取のための世紀の大陰謀だったのか。四宮は事件当時ドイツ留学生としてベルリンに住み、風のうわさも含め、事件の全貌を同時代を生きた目撃者ならではの筆致で描きだす。 その2-3では事件直後から警察発表の放火犯逮捕と消防隊発表との複数犯説、との二つに分かれていたのだが、その事情を深く知っている立場の者が次々と消されていく人々を追う、またナチ政権側の人中でも、不用意に国会炎上事件の秘密を漏らした人々、史料を収集していた人までが粛清されていったことを四宮は探る。 . . . 本文を読む

『国会炎上 1933年ドイツ現代史の謎』 ヒトラーは「国会炎上」の急報に「しめた!」と叫んだ 2-2

2013年05月05日 | ドイツ国会議事堂炎上・ヒトラー
1933年2月27日。それはヒトラー政権成立の1月30日から数えて、ちょうど28日目だった。この月曜日の夜、ヒトラーはゲッペルス邸の晩餐に招かれて、かねてからのお気に入りのゲッペルス夫人を交え静かなウィーン好みの室内楽の流れるなかで、三人は、ワインの杯を合わせながら、雑談に花を咲かせていた。9時30分の少し前のことだった。電話があり、ゲッペルスは、席を立っていったが、間もなく足音高くただならぬ様子で、席に戻るや、総統に「国会大火」 の急報を伝えた。とたんに、ヒトラーは思わず、「しめた!」と叫んだというのだが。これは政権奪取のための世紀の大陰謀だったのか。四宮は事件当時ドイツ留学生としてベルリンに住み、風のうわさも含め、事件の全貌を同時代を生きた目撃者ならではの筆致で描きだす。 その2-2では事件直後から警察発表の放火犯逮捕と消防隊発表との複数犯説、との二つに分かれていたのだが、その事情を深く知っている立場の者が次々と消されていく人々を追う . . . 本文を読む

『弥生から古墳へ 日本の古代はこうして始まった』 1996年 同朋舎出版

2013年05月05日 | 初期国家・古代遊記
『弥生から古墳へ 日本の古代はこうして始まった』 1996年 同朋舎出版 弥生時代から古墳時代の移り変わりはどのように考えたらよいのか、日本の古代はいつから始まるのか。1994年2月13日に行われた弥生文化博物館三周年・近つ飛鳥博物館完成記念シンポジウムに基づく記録集。コーディネーター金関恕の司会のもと、佐原真・田中琢・大庭脩・佐々木高明らが、基調講演のあと、白熱した討論が続く。弥生と古墳時代を分けるものはなにか、あるいはこの区分法がよいのか、佐々木高明の銀河系政体論など、長時間の討論も刺激的 . . . 本文を読む

『国会炎上 1933年ドイツ現代史の謎』 ヒトラーは「国会炎上」の急報に「しめた!」と叫んだ 2-1

2013年05月04日 | ドイツ国会議事堂炎上・ヒトラー
1933年2月27日。それはヒトラー政権成立の1月30日から数えて、ちょうど28日目だった。この月曜日の夜、ヒトラーはゲッペルス邸の晩餐に招かれて、かねてからのお気に入りのゲッペルス夫人を交え静かなウィーン好みの室内楽の流れるなかで、三人は、ワインの杯を合わせながら、雑談に花を咲かせていた。9時30分の少し前のことだった。電話があり、ゲッペルスは、席を立っていったが、間もなく足音高くただならぬ様子で、席に戻るや、総統に「国会大火」 の急報を伝えた。とたんに、ヒトラーは思わず、「しめた!」と叫んだというのだが。これは政権奪取のための世紀の大陰謀だったのか。四宮は事件当時ドイツ留学生としてベルリンに住み、風のうわさも含め、事件の全貌を同時代を生きた目撃者ならではの筆致で描きだす。 その2ー1では「国民と国家の防衛のための大統領緊急命令」の人権保護条項の徹底して欠落した条文と、国会炎上の翌日発令の早業のこと . . . 本文を読む

『国会炎上 1933年 ドイツ現代史の謎』 ヒトラーは「国会炎上」 の急報に「しめた!」 と叫んだ その1

2013年05月03日 | ドイツ国会議事堂炎上・ヒトラー
1933年2月27日。それはヒトラー政権成立の1月30日から数えて、ちょうど28日目だった。この月曜日の夜、ヒトラーはゲッペルス邸の晩餐に招かれて、かねてからのお気に入りのゲッペルス夫人を交え静かなウィーン好みの室内楽の流れるなかで、三人は、ワインの杯を合わせながら、雑談に花を咲かせていた。9時30分の少し前のことだった。電話があり、ゲッペルスは、席を立っていったが、間もなく足音高くただならぬ様子で、席に戻るや、総統に「国会大火」 の急報を伝えた。とたんに、ヒトラーは思わず、「しめた!」と叫んだというのだが。これは政権奪取のための世紀の大陰謀だったのか。四宮は事件当時ドイツ留学生としてベルリンに住み、風のうわさも含め、事件の全貌を同時代を生きた目撃者ならではの筆致で描きだす。 . . . 本文を読む