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ケネディ大統領暗殺事件とそれに関わる日本文献 その3

2013年11月24日 | JFK ケネディをめぐる本・新聞記事

ケネディ大統領暗殺事件とそれに関わる日本文献 その3

ウォールストリート・ジャーナル誌ウェブ日本版の2013年6月14日付の記事に「ケネディ暗殺本の真実:陰謀唱えるものが良く売れる」 というタイトル記事があった。そこにはアメリカのケネディ本の出版状況が書かれてあった。この50年に約1400種類くらい出版されていると言っている。日本ではそれほどはないはずだが、それでも、戦後の他の米国大統領よりは圧倒的に多いはずだ。ケネディ没後50年ということは、日本のほぼ55歳~60歳以上の世代にしか、記憶に残っていないわけで、あとの世代は、ニュース・映画・本・雑誌・インターネット等で情報を入手したものと、向き合うことになる。

 

 

 

 ▲ 米国海外記者クラブ編 笠原佳雄訳 『現代史の瞬間 真珠湾攻撃からケネディ暗殺まで』 弘文堂 1965

当時のテレビカメラは、真空管式で、放送を始めるには、テレビカメラを暖めないと使えないのだった。

ウィリアム・マカンドリューが、コマーシャル抜きで4日間フルに使用したテレビスタジオの模様を伝える。

「もう何も考えられないような時が、たまにはあるでしょう。今日は何を考えることもできません、たった四時間のあいだに、私たちは元気なケネディ大統領をダラスに送り、そのなきがらをワシントンに迎えました。新しい大統領も就任しました。・・・・・あまりにも多くのこと、あまりにも醜いことが、あまりにめまぐるしく起こったというより、他に言いようがありません」 (デイビッド・プリンクレー)  『真珠湾攻撃からケネディ暗殺まで』 187頁

 

 

 ▲ A・タリー  大前正臣訳  『スパイ帝国 クーデター・メーカー CIA』  弘文堂 1963 

在外大使館によっては、CIA工作員の方が外交官よりも多いという奇現象はなぜ生じたのか。国務省の上をゆく超外交機関CIAになぜなったのか。

「キューバ事件後、いったいアメリカの外交はだれが立てているのか、・・・・ホワイトハウスも、国務省も、救いがたいほどCIAの情報、情勢判断、暗示に縛りつけられているのを見て・・・・」

ケネディと同時代の調査報道記者はCIAの暴走を告発していた。

外交機関よりも強大・傲慢になったのはダレスが関わっていたのか、

 

 

▲ トーマス・ブキャナン 内山敏訳 『誰がケネディを殺したか』 文藝春秋 1964 当時定価240円

『ウォーレン報告』刊行前に発刊されたにもかかわらず、米政府の単独犯であるという予断を厳しく批判する。 オズワルドの射撃は下手だった! 当ブログにこの本の記事あります。2012年6月9日 

記事はここ▼

http://blog.goo.ne.jp/jfk1122zzzya/e/b2894e6bba8687699856d3a3509d1046

 

 

 ▲ 仲 晃 『ケネディはなぜ暗殺されたか』   NHKブックス 1995 

オズワルドは狂信的社会主義者ではあり得ない。僅かな時間に、記者の質問に対し、オズワルドは「嵌められた!」と懇願する顔つきで訴えていたのである。

米国での記者経験も長い仲晃ならではの国際政治の動向を踏まえた、一押しの書。 考えてみれば、みすず書房版の『ゲバラ日記』1968年や、『アイゼンハワー回顧録』 みすず書房 も仲晃の翻訳だった。

当ブログ 2012年6月11日に記事あります。

記事はここ▼

http://blog.goo.ne.jp/jfk1122zzzya/e/051a5ffa517c8b32c34cf303e0f46f13

 

  ▲ 仲晃 『パクス・アメリカーナの転回 ジャーナリストの見た現代史』 岩波書店 1992

356頁 定価2700円

元共同通信社外報部国際問題記者・ワシントン特派員が見たケネディ時代のレポートを中心に現代世界の神話を考える。

序文にあたる「対抗神話(counter-myth)の試み」のほか6章のうち第二章から第四章の三章は仲が第一回目のワシントン特派員時代で遭遇したアメリカ現代史を扱う。

Ⅱ キューバ危機と「マクナマラの法則」

Ⅲ 素顔の「パクス・アメリカーナ」

Ⅳ 封印された「ケネディ暗殺」

 

 ▲ D・ワイズ/T・ロス  田村 浩 訳  『見えない政府』   弘文堂 フロンティア・ブックス 1964

188頁 定価当時290円 

新書本だが、コチノス湾 ピッグス湾事件のキューバ侵攻の後を受け、気鋭の記者2人が、国家を越える「影の政府」の理解なしでは、国家の性格が知らない間に変えられると警鐘を鳴らす。

「現在のアメリカには、二つの政府が存在する。

ひとつは目に見えるもの、もうひとつは、目に見えないものだ。」

「たとえ冷戦の時代にあっても、アメリカの政府は、独立宣言の言葉にある 「被統治者の同意」 のうえに成立しなければならない・・・・・・・これが本書の前提である。

被統治者が何に同意しているのかも知らないような同意では、無意味であろう。」

「この20世紀半ばの苛酷な条件のもとでは、国家の指導者たちはますます、国家の存続のためには、ある種の決定は国民の同意をまたず、秘密裡に彼らだけで、下さねばならないと考えるようになった。しかも、この秘密決定の範囲は、急速にひろがり、それに応じて、「見えない政府」の規模も拡大したのである。」

「では、この秘密の政府は、アメリカの制度とどの程度まで両立でき、どこまで必要なのか?

これはやがて、それを維持しようとしている国家制度の性格をしだいに変えてゆくのではないか?

こうした疑問にアメリカの国民が、答えようとするなら、この秘密政府自体の理解を高めねばならない

・・というのは、この秘密政府が、単なる情報収集を越えて政争から準軍事活動、さらに全面的侵攻にいたるまでの「特別作戦」に従事しているからである。

だが、その作戦をおこなう社会と相容れないほどの規模になることがあってはならない。」

このような提起をしたうえで、戦後アメリカの「秘密政府」が何をしてきたか、国家の逸脱がなかったか論を進める。

日本の「秘密保護法案」を考える上でも、大いに有益な本である。

  

 ▲ ジム・ギャリソン  岩瀬孝雄 訳 『JFK ケネディ暗殺犯を追え』 早川書房 1992年価格718円+税 

ニューオーリンズ地方検事時代にケネディ暗殺事件に関わる人物を特定できたとし、「クレイ・ショー」裁判に持ち込む。裁判自体は敗北に終わったが、一連の裁判過程において、様々な詳細調査で、『ウォーレン報告』、『下院暗殺調査特別委員会報告』で、不当に扱われなかった多くの事実を発見する。

キャンプ・ストリート544番地、1963年夏8月9日にオズワルドが、ニューオーリンズで、親カストロ派を支持したビラを配っていたものに押されたスタンプの住所のところなのだ。

ギャリソンはここを詳細に歩きまわり調べる。そして不思議なことに気がつく。キャンプ・ストリート544番地はラフィエット・スクエアを横切ったところにある、小さな建物だったのだが。・・・・

「キャンプ544と書かれたドアを開けると、二階に上がる階段があった。・・・・・それから私は、かつてマンクーソという小さなレストランのあったその建物を曲がり、同じ建物のラフィエット・ストリート側の入り口へ行ってみた。そのドアには見覚えがあった。1963年当時のことだ。このドアの内側の階段を上がっていくと、ガイ・バニスターの私立探偵事務所があったのだ。

ラフィエット・ストリート531のそのドアには、「ガイ・バニスター社、各種調査」と書かれていたものだ。キャンプ・ストリート544番地とラフィエット・ストリート531のドアは、同じ事務所につながっていたのだ。」 『JFK ケネディ暗殺犯を追え』 59ー61頁

このガイ・バニスターという男は、FBIの仕事をしていた男で、「カリブ海反共同盟」という右翼団体のリーダーでもあった。なぜかこの男はケネディ暗殺事件後の翌年1964年に死んでいる。

政府の『ウォーレン報告書』は、オズワルドが熱心で活動が目立つ共産主義者であることを強調していたが、オズワルドが配った、親カストロ団体のビラのスタンプの住所は、反共団体の親分の事務所と階段でつながっているのだから、ジム・ギャリソンは、オズワルドが、共産主義者でも、マルキストでもないと、判断したのはこの発見からだった。

さらに、ジム・ギャリソンはオズワルドが親カストロのビラを配る際、職業安定所にいって、配布を手伝う男たちを雇っていたことをつきとめ、雇われたアルバイトの裏をとったのである。

その男はチャールズ・スティールといって、2ドルの時給を受け取ってビラ配りを手伝ったのだった。その上、反カストロ団体との騒ぎで、テレビ・新聞社などが取材を行ったのだが、「オズワルドは新聞社が立ち去るまで働いてくれれば、そのあとは働く必要はないと言ったという」

ジム・ギャリソンはここまで分かれば当然といってもいいが、キャンプ・ストリート544のからくり(怪)を知り、ある機関・・・・・・・元FBI職員・私立探偵ガイ・バニスター・・・・・・・オズワルドという関係をはっきり認識する。すると、この周囲には、全米の情報機関CIA,FBI支局および下請けの機関の密集地であったことをはっきりと理解する。オズワルドが以前勤務していたというレイリーコーヒー会社も近くにあった。この会社の社長はニューオーリンズで周知の反カストロ運動を支持していた。反共活動に熱心な社長がいる会社で、熱心な共産主義活動家を調査もせず雇うだろうか。むしろオズワルド自身情報コミュニティ社会の末端にいて、次の指令までのあいだCIAのダミー会社と言われているレイリーコーヒー会社に雇用されていた(ほんとうの雇用実態があったかは不明だが)とみる方がより自然な解釈なのではないだろうか。

 ジム・ギャリソンは、オリバー・ストーン監督の『JFK』でも友情出演している。映画製作からも、20年以上経過しているが、、『ウォーレン報告』、『下院暗殺調査特別委員会報告』が、事件を何も解決していないことは、この本を読むことで明らかになる。また、ジム・ギャリソンに対する、メディアの攻撃、不当な告訴事件・脅迫にも触れる。

ケネディ暗殺調査の基本書であると思う。

 

 ▲落合信彦 『2039年の真実』  集英社 1999年5月  743円+税

1993年 小学館から初版が出た。巻末に人名索引(登場人物)があるが、参照文献表があるともっと親切だと思う。奥菜秀次は、日本で翻訳出ていないアメリカの種本からのぱくりが多いと言っていたが。親本は1993年の刊行。私は最初公共図書館で借り出し読んでいたが、あとで複写してメモを取っていた。1990年代初期までの調査資料を使って書いているので、今では少し古くなった部分もあるが、文庫本になっているので、定価も安く読んでいない若い人は、読んでみるのもいい。それにしても、参考文献はつけるべきだったと思うよ。落合信彦は今年2013年新著を出したというが、まだ私は読んでいない。

 

 ▲ クレイグ・I・ジーベル 石川順子訳 『テキサス・コネクション JFK暗殺 ジョンソンの最も危険な賭け』 竹書房文庫 1992年12月 初版 定価650円

原著は1992年だから、その年のうちに翻訳刊行されたわけである。本のタイトルにある通り、クレイグ・I・シーベルは、ジョンソンを含むテキサス・コネクション が、首謀グループとみる。

結論を先に言ってしまうと読む楽しみもなくなるので、タイトルからして『テキサス・コネクション JFK暗殺 ジョンソンの最も危険な賭け』とあるのだから、テキサスグループに調査の主力をおいているのは確実なので・・・・

オズワルド尋問記録なしの怪

「金曜日から日曜日に殺されるまで、オズワルドは数回にわたって延べ18時間も尋問をうけている。だがその長い尋問のあいだ中、しかもダラスの歴史始まって以来の大事件の容疑者の尋問であるというのに、誰ひとりとして尋問をテープに録音もしていなければ、尋問を記録する法廷速記者も。口述記録する者さえ手配していない。

伝えられるところによれば、ダラス警察はこの基礎的な警察の責務を「忘れた」のだと言う。もし本当に「忘れた」のが1時間、あるいは最初の尋問だけ、せいぜい1日だけというなら、この手落ちは、興奮と緊張のせいだと釈明もできる。だが2日間18時間に渡ってとなるとどうか? オズワルドが尋問されていた部屋から30フィート以内のところに、尋問のための記録室、尋問用機械室、通信室があったことを考えると、オズワルドの供述を記録しなかったという手落ちは計画的としか思えない。」

「オズワルドは機会をとらえて、人々の前で重大な意味の言葉を叫んでいる。」 274ー276頁

オズワルドは弁護士を要求していた。全く警察はこの要求を無視した。記者団も警察に要求した気配はない。

そして、オズワルドに対する記者団に向かってオズワルドはこう言い放ったのである。

「私は囮なんだ!」 278頁

このことばは、政府公式報告書 『ウォーレン報告書』に記された「狂信的な共産主義者のことば」だろうか?!

 

W・サリバン/B・ブラウン土屋正雄訳 『FBI 独裁者フーバー長官』 中央公論社 1987

手持ちのものは2002年改版のもの 定価1143円+税

最初の初版は1981年中央公論社刊行

 

▲ A・Mシュレジンジャー 中屋健一 訳 『ケネディ 栄光と苦悩の一千日』 河出書房 1966 定価490円×2  2段組で上巻552頁、下巻512頁 総計1064頁 1巻本のウォーレン報告書よりも頁数があるようだ。

アメリカ史の研究者の家系に生まれたシュレジンジャー、大統領補佐官として、大学教授の職を離れ、ケネディから問題があるたび質問され、それに答えながら、毎日のカードを取って、週末になるとカードを整理し、ノートを作成していたらしい。ケネディが大統領を引退した後は、ケネディ自身が書くつもりだった回想録の資料として提供するはずだった。そのノートをもとにしてこの著書は作られている。

記憶と資料だけではない、ある時代の孕んだ熱気を、歴史的記述の枠に収めたのは、ありすぎる資料から、これという転換点を引き出す歴史家としての訓練の賜物かも知れない。上下巻とも2段組で第1次資料の解釈に引き戻して、1000頁を越えるこの本を評価するには、大著『ローズベルト』を読んでいないので、感想はそれからにしたいが、キューバ革命の評価、カストロの思想形成の叙述などに、アメリカという明白な運命というか、アメリカ自身の歴史が持つ独特のフィルターというか、限界もちらりと感じた。

シオドア・ソレンセンの文体の文学的表現力の魅力もケネディを大きく、生き生きとさせたが、A・Mシュレジンジャーの、歴史的知識の知恵も、ケネディの演説の中に、あるいは、安全保障会議の白熱した政策決定の討議中にも含まれているのかも知れない。ケネディとその政治、あるいは、レトリックの中の冷厳な政治均衡の思想を見極めるには、この本は欠かせないように思われる。

ケネディとその表現は誰のことだったのかという問い。

 

 

 ▲ ジョン・ケネディ 細野軍治/ 小谷秀二郎 訳 『平和のための戦略』 日本外政学会 450頁定価390円

 

 ▲ 松岡 完 『1961 ケネディの戦争 冷戦・ベトナム・東南アジア』 朝日新聞社 1999 

 本文667頁 人名索引・参考文献・注 計105頁 総計772頁 定価4500円+税

 

 ▲ 松岡 完 『ベトナム戦争 誤算と誤解の戦場』 中央公論社 2001 

900円+税 336頁 筆者は中学2年のとき 朝日ジャーナルの臨時増刊号を買い求めペンタゴンペーパーズをむさぼるように読んだという。のだからすごい。

巻末に年表、現代インドシナ重要人物事典、重要参考文献 日本語・英語、2頁だがベトナム戦争関連年表がある。

アメリカはベトナムで何を学んだのか?

 

 ▲ ジョン・H・ディヴィス 市 雄貴訳  『マフィアとケネディ一族』  朝日新聞社 1999 定価3500円 630頁

カルロス・マルチェロに焦点をあて、彼をケネディ暗殺の最有力者とした本。

この本の末尾の方にこんな記述もあった。

ケネディ没後25周年記念ドキュメンタリー番組について、ジョン・H・ディヴィスはこのように言っている。 

「ジャック・アンダーソンがインタビューした相手の中で、一層刺激的だったのは、ダラス警察の退職警官、マルコム・サマーズだった。・・・サマーズは、大統領が銃撃されたあと、草の生い茂る塚(グラシ・ノール)に駆けつけ、ここで少なくとも1発の銃弾が発砲されるのを聞いた、と思った。彼はここで、コートの裏にライフルを一挺隠し持っているように見えた疑わしい人物に出くわした。その男を尋問しようとして、シークレット・サービスの身分証明を振りかざした男にどけと怒鳴られて呆気にとられた。のち、シークレット・サービスは警察の捜査官に、あの日のディリー広場にはシークレット・サービスの係官は一人もいなかった、と通報した。」 612頁

「ウォーレン委員会と暗殺を調査する下院特別委員会の両者とも、シークレット・サービスの大統領特別警護隊所属の二人の係官が、暗殺の前夜、遅くまで起きて、セラー・ドア(飲み屋)で痛飲し、これらの係官たちが、数時間後にディリー広場で発生した銃撃に、いつもとは違ってのろい反応というか、対応を見せた事実を知らされていた。

だが、二つの調査機関とも、セラー・ドア(飲み屋)のオーナーであるパット・カークウッドの父親、W・C・カークウッドがジャック・ルビーの知己だったことを確定してしているにも関わらず、飲み会にシークレット・サービスの係官たちが出たことに、なんらの陰謀、あるいは悪意があったとは、受け取らなかったように思える。

ウォーレン委員会と下院特別委員会とも明らかに知らされなかったことがある。それは、明け方にいたるまで、(パーティが終わったのは午前5時半)シークレット・サービスの職員たちに、ビール、ワイン、それに強い酒を勧めたセクシーな若い女性たちの数人が、ジャック・ルビー経営の回転木馬から出張ってきたストリッパーたちであった事実である。」 613頁

 

   

 ▲ サム&チャック・ジャアンカーナ 落合信彦訳  『アメリカを葬った男』 光文社 1992 

426頁 定価1800円

 

 

 

 ▲ マーチン・ショート 小関哲哉 訳『アメリカ犯罪株式会社』 時事通信社 1986 定価1600円 310頁

 

 

 

 ▲ マーク・リープリング 『FBI 対 CIA アメリカ情報機関 暗闇の50年史』 早川書房 1996 

558頁 

 

 

 

 ▲ アレン・ダレス編  落合信彦訳 『スーパー・スパイ 歴史を変えた男たち』 光文社 1987 

316頁 定価1200円   

17編のスパイに関するレポート・著書からの集成。序文にアレン・ダレス (1953ー1961 CIA長官)を付す。

アレン・ダレス スパイ礼賛・自画自賛といえるか。序文でこんなことを言っている。

「このドキュメントを世に送るわたしの動機をのべるとすれば、われわれの国民生活に占める諜報の真の役割と、その国防に対する貢献について、もっと光をあてたいという願いから」

だそうだ

 

 ▲ ジェームズ・マッキンレー 和田敏彦訳 『アメリカ暗殺の歴史』 集英社 1978 292頁 定価1300円

1865年のリンカーン暗殺から、1975年のフォード大統領暗殺未遂事件まで。訳者によれば、この種の翻訳ものでは日本では最初といっている。今ではもっとあるかも知れない。

 

 ▲ シビル・リーク/ バード・R・シュガー 長沼芳夫訳 『暗殺の構図』 荒地出版社 1978 

314頁 1400円

 一連の暗殺事件ケネディ大統領、マーチン・ルーサー・キング、ジョージ・ウォレス暗殺未遂事件などを、謎の大富豪ハワード・ヒューズが黒幕かとし、ニクソン元大統領も手下だったとする。・・・・?

各種陰謀説を検討している。陰謀論ならなんでも買いたい人向け。最初に読む本じゃない。

 

 

 ▲瀬戸川宗太 『JFK 悪夢の真実 ベトナム戦争とケネディ暗殺のシナリオ』 社会思想社 1995

194頁 映画の中のアメリカ史 巻末にJFKの年譜に合わせ、ハリウッド映画界の動きも記し、関連映画の作品名リストもある。1995年以降の映画を増補した改訂版は、誰か引き継ぐする人はいないか。これから、ドキュメンタリー番組も含めて、映画批評を集成して欲しい。若い人に特に薦める1冊。

 

 

 ▲▼ この2冊はケネディ暗殺の黒幕をジョンソンとその取り巻きとするもの、確かにジョンソンは、2期目の副大統領指名は得られそうになかった。大スキャンダル事件が発覚しそうで、ロバート・ケネディ司法長官との暗闘ともみ消し工作に奔走している。しかし、わたしは、ジョンソンだけでは、一件落着しないと考えるので単純化には賛成しかねる。

 

 

 

 ▲ 加茂雄三 編 『キューバ革命』 ドキュメント現代史11 平凡社 1973 370頁

巻頭に加茂雄三による解説年表 「反乱から革命へ」 キューバ革命の概要

1植民地支配体制下のキューバ 

この中に 悪名高いプラット修正条項を資料として掲載している。米西戦争の勝利の結果、アメリカの軍事占領から離れ独立に際し、キューバ憲法に付加することを強制したもの。1902年

「第3条 キューバ政府は、米国政府が、キューバの独立を保持し、生命、財産及び個人の自由を保護するにたる政府を維持し、パリ条約によって米国に課せられ、現在キューバ政府が引き受け実行する事になっているキューバに関する義務を果たすために干渉する権利を行使できることに同意する。・・・・・

第7条 米国がキューバの独立を維持し、その人民を保護するために、また米国自身の防衛のために、キューバ政府は、米国大統領との間で協定されたある特定地点に、給炭所もしくは海軍基地を設けるのに必要な土地を米国に売却もしくは貸与する。」 『キューバ革命』31頁

なんのことはない。名目独立、中味は、スペインの支配から、米国の支配に変更されただけに見える。植民地支配からの解放を掲げて戦った米西戦争の真実は、弱体化しているスペイン帝国植民地の単なる横取りだったのでは?アメリカの底流に渦巻く黒い潮。

「・・・・・・できることに同意する」 これなんか、どこかでみたことあるような文言だなと思ったら、なんと、「旧安保条約」「日米行政協定」に同様なものがあるんだね。

「旧安保条約 第一条」 平和条約およびこの条約の効力発生と同時に、アメリカ合衆国の陸軍、空軍および海軍を日本国内およびその附近に配備する権利を、日本国は、許与し、アメリカ合衆国は、これを受諾する。・・・・・・(略)」

「日米行政協定 第二条 1項」 日本国は合衆国に対し、安全保障条約第一条にかかげる目的の遂行に必要な基地の使用を許すことに同意する。(略)」 

こういう文言のある条約を許諾することができない勇気ある国民は世界に数多いはずで、それが「独立国」というものなのだが、どうも、全くピンときてないのが、日本の国民ということなのかも知れない。

話が横道にそれたが、この本は、キューバ革命の最重要文書の集成で、カストロやゲバラ、レジス・ドブレらの文書を収める。アメリカ政府側からみたピッグス湾・キューバ侵攻だけでは当事者の一方の語りに過ぎないから。

 

 

 ▲ タッド・シュルツ 新庄哲夫 訳 『フィデル・カストロ カリブ海のアンチ・ヒーロー』 文藝春秋 1998

アメリカの南米担当「調査報道記者からみたカストロ。ロングインタビューに答えるカストロ。 原著出版時はレーガン政権時代。それも考慮しないといけない著書か。

 

キューバ革命直後のアメリカの知識人の反応は、ライト・ミルズの『キューバの声』 1961 みすず書房などがある。

 ▲ライト・ミルズ 『キューバの声』 1961 みすず書房

 

 ▲ヒューバーマン/ スウィージー 『キューバ 一つの革命の解剖』 岩波新書 1960 定価130円

 

 

 ▲ 『現代思想』 2008年5月臨時増刊号 カストロ特集  1400円 グローバル経済下の世界で、カストロ・キューバ革命を考える。 対談も入れて、20本の論考 

 

 

  ▲ 『現代思想』 2004年 10月臨時増刊号 チェ・ゲバラ総特集 定価1200円

『モーターサイクル・ダイアリーズ』 の映画や、『モーターサイクル南米旅行記』の本で、ゲバラを初めて知り、感動した青年はこの本を手にするだろうか。

対談も入れて22本の論考

 

 ▲ グレアム・T・アリソン 宮里政玄訳 『決定の本質 キューバ・ミサイル危機の分析』 中央公論新社 1977

404頁 定価3700円+税 

 

 ▲ シリル・ウェクト 北澤和彦 訳 『大統領の検屍官 JFKからプレスリーまで全米№1検屍官の極秘ファイル』 徳間書店 1994  390頁 定価1800円

ケネディ大統領暗殺事件に対する政府の公式報告『ウォーレン報告書』についてシリル・ウェクトはこのように明言している。

「まったくのナンセンスである! 図書館はウォーレン報告書をフィクション部門の書架へ移すべきだ。」 28頁

「なによりもまず検屍解剖はダラスで、しかも市の検屍官アール・ローズの手でおこなわれるべきであった。殺人は当時も今も州の犯罪であって、連邦犯罪ではない。・・・・・ケネディ大統領がヨーロッパの国の指導者であれば、政府は国内で最もすぐれた法病理医を指名し、検屍解剖をやらせていただろう。しかし、ケネディ事件の場合、その仕事を命じられたのは、殺人の調査を全く経験していない海軍の病理医たちであった。全国でも一流の腕を持つ法病理医の多くが、飛行機か車で1時間以内の距離に住んでいたにもかかわらず、そういった決定がなされたのだ。」 29-30頁

「検屍解剖における最初の失敗は、ケネディの遺体を調べる以前に起きた。ベセスダの(海軍病院の)病理医たちは解剖の前に(ダラスの)パークランド記念病院の医師たちと話をしなかったのだ。検屍解剖をするにあたっては、最初にその犠牲者を扱った外科医と話をするのが基本的ルールであるにもかかわらずだ。」 30-31頁

 

ジャーナリストの眼  ケネディ時代

 ▲マイケル・ベシュロス 筑紫哲也訳 『危機の年 ケネディとフルシチョフの闘い』 1992 飛鳥新社 上巻590頁 定価3300円、下巻500頁定価3000円

分厚い2冊だが、論文調ではなく、活劇のように一気に読ませてしまう。少し高いが、古本屋で見つけよう。ビックス湾・ウィーン首脳会談・ベルリンの壁・キューバ危機・フルシチョフ失脚

 

▲ ディヴィット・ハルバースタム 浅野 輔 訳 『ベスト&ブライテスト』 3巻 朝日新聞社 1999

900円+税×3

元サイマル出版会で1976年に刊行 上巻・中巻がケネディ時代中心に記述

▲ デイヴィット・ハルバースタム 筑紫哲也・斉田一路 訳 『メディアの権力』 4巻 朝日新聞社 1999 

980円+税×4 

元サイマル出版会で1983年に刊行

 

 

 

 

 

 



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